ファレイヌ2 第32話「復活のミレーユ」後編 5 リッガー兄弟 エリナたちを拉致した外車が入っていったのはアメリカ大使館だ った。 エリナたちは大使館の建物の前で下ろされると、大男たちに連行 され、建物の中に入った。 「アメリカ大使館へ連れてくるなんてどういうことなのかしら」 晴香が小声で健夫に言った。 「そんなこと、知るかよ」 「CIAとか出てきたら、どうしよう。私たち、殺されちゃうのか な」 「まさか。ここは日本だぜ」 健夫はそうは言ったものの、内心は不安であった。 「ここだ」 大男は応接室のドアの前で立ち止まると、ドアをノックした。 「社長、例の女を連れてきました」 「そうか。通してくれ」 中から声がした。 「それが実は、部外者も二人混じっていまして」 「かまわん、通せ」 と中から男の声。 「さあ、入れ」 大男はドアを開け、エリナたちを部屋の中へ入れた。 「ようこそ。待っていたよ」 ソファに座っていた男が立ち上がり、エリナに挨拶した。 その男は高級感のある背広を着たビジネスマン風の男で、背が高 く、スラリとした長い足をしていた。顔立ちは20代後半で、金髪 に白い肌、青い目を持っていた。 「俺たちをこんなところへ連れてきて、どういうつもりだ」 健夫が言った。 「君は?」 エリナたちを連れてきた大男が男に耳打ちする。 「ふむ」 男が二、三度うなずいた。 「これは済まないことをした。どうやら彼らは君たちに何の事情も 説明せずにここへ連れてきてしまったようだね」 「俺はこいつに殴られたんだぜ」 「それは申し訳なかった。彼らには丁重に連れてくるように言った んだが。君たちへの無礼は私が謝る」 「あなたは誰なんですか?」 エリナが尋ねた。 「ああ、失礼した。私はマイク・リッガー。アメリカのリッガー・ インダストリーの社長をしています」 マイクが手を差し出した。 「どうも、エリナ・レイです」 エリナはマイクと握手をした。 「お名前は伺っています」 「え?」 「彼女から聞いたんですよ」 マイクはソファに座っていた女性を紹介した。 「あなたは−−」 エリナがはっとする。 「こんにちは、エリナ」 女がエリナに微笑んだ。その女はペトラルカだった。 「ペティー、どうしてあなたが−−」 「詳しい話はこれからするわ。さあ、座って。そこの坊やたちも」 エリナたちは納得のいかない顔をしながら、ソファーに座った。 「美佳はいないの?」 「ええ。美佳さんは北海道へドラマの撮影です」 「そう。残念ね。まあ、あの子がいたら、ここへはエリナを連れて こられなかったかもね」 「どういうことですの?」 その時、ドアがノックされた。 「社長、女を連れてきました」 「通したまえ」 マイクが答えた。 ドアが開く。 今度、入ってきたのは深沢ゆうきだった。 「一体、どういうつもりネ。ワタシをこんなところへ連れてくるな んて」 ゆうきが怒った様子で言った。 「ゆうきさん!」 エリナがゆうきを見て、言った。 「エリナ!」 ゆうきも驚く。「あら、ペティーもいるネ」 「後一人よ」 ペトラルカがそう言った時、さらに部屋の外で声が聞こえた。 「きゃあ、エッチ、変態、殺されるぅ!!」 耳障りな女の子の声。 「この声は−−」 エリナには聞き覚えがあった。 ドアが開いた。 大男に後ろ手を取られて一人の少女が入ってくる。 「えーん、いくら私がきれいだからって、海外へ売り飛ばすなんて あんまりよぉ!誰か、助けて!」 少女は部屋に入っても、喚き続けていた。 「愛子さん!」 エリナはソファを立ち上がった。 「ぐすっ、ぐすっ……え、あっ、エリナさん」 愛子はエリナを見て、泣くのをやめた。 「これで全員揃ったわ」 ペトラルカが言った。 「全員って、どういうこと?」 「知らないの。ゆうきも愛子も元ファレイヌよ」 「愛子さんも!」 エリナが愛子を見る。 「ごめん、今まで隠してたの」 愛子が頭をかく。 「あなたは誰なの?」 「私はルクレチア。コバルトのファレイヌよ」 「ルクレチアでしたの……」 「ごめん、私も本当のこと、言いたかったんだ。でも、先輩やエリ ナさんには普通の人としてつきあってもらいたくて」 「わかりますわ、その気持ち。もういいですよ」 「ありがとう」 愛子が喜ぶ。 「あの、ファレイヌって何なんですか」 晴香が言った。 「それはね、こういうことよ」 ペトラルカが人差し指を晴香の額に当てた。 「!!!」 すると、晴香は途端に眠ってしまった。 「おい、晴香、どうしたんだ、はる−−」 健夫の額にもペトラルカの人差し指が当てられ、健夫も眠ってし まった。 「何をしたんですか?」 エリナが聞いた。 「心配しなくても大丈夫よ。ただ眠らせただけ。私のちょっとした 特殊能力」 ペトラルカが言った。 「特殊能力?」 「そうよ。−−悪いけど、この二人を別室に運んで」 ペトラルカの言葉で背広の男たちが健夫と晴香を背負い、部屋の 外へ連れていく。 応接室にはペトラルカ、エリナ、ゆうき、愛子、マイクの5人に なった。 「それにしても、困ったものね、あなたの部下は。失礼のないよう に連れてきて欲しいって言ったのに、エリナもゆうきも愛子も強引 じゃないの」 ペトラルカが呆れた様子で言った。 「どうも申し訳ない。仕事には忠実なんだが、融通がきかなくて」 「あなたのせいではないけどね」 「この人、誰ですか」 ゆうきがペトラルカに聞いた。 「彼はリッガー・インダストリーの社長、マイク・リッガーよ」 「どうぞよろしく」 マイクはゆうきと愛子に握手した。 「マイク・リッガー、どこかで聞いたことのある名前ですね」 エリナが言った。 「その話はこれからするわ。みんな、座って」 ペトラルカの言葉で全員がソファに座った。 「突然、こんなところに連れてこられてみんなも戸惑っただろうけ ど、事はとても急を要するから、少し強引だったけど、人を使って 来てもらったの」 「一体、何がなんだかさっぱりわからないネ」 「あたしは本屋で立ち読みしてたんだよぉ」 「そう、文句言わないで。まず、最初に彼のことについて話すわ。 彼の名前を聞いて、気づいたかもしれないけど、彼はカイル・リッ ガーの弟よ」 「カイル・リッガー……あのファレイヌを狙っている男の弟ですか ?」 「そうよ。でも、誤解しないで。彼はカイルとは関係ないの。むし ろ、私たちが命を狙われていることを知って、協力しようとしてく れてるの」 「どういうことですか?」 「それは彼が話してくれるわ、いいわよ、マイク」 「まずは私の会社のことから話さなければなりません。みなさんは ご存じかどうかはわかりませんが、アメリカではリッガー社は大豆 や小麦などの穀物の生産・加工・販売・貿易を一手に引き受けてい る大会社です。全世界の食料は我々が支えていると言っても、過言 ではありません。それはともかくリッガー社は一族支配の強い会社 で、各子会社の社長・重役には皆親族がついています。私は7人兄 弟の五男で加工会社リッガー・インダストリーの社長を、兄のカイ ルは四男で販売卸会社リッガー・フーズの社長をやっています」 「自慢話なんか聞きたくないネ」 ゆうきはまだ怒っている。 「コラッ、ゆうき」 ペトラルカが注意する。 「いいえ、いいんですよ。リッガー社は一族支配の強い会社ではあ りましたが、その分幼い頃から社長になるために英才教育を施され てきましたから、決して放漫な経営になることなく、会社としては 順調にやっていました。しかし、3年ほど前からカイルの会社の経 営が危うくなりました。重役に聞くと、カイルは仕事そっちのけで あちこちに出向いて人を捜しているというのです。さらに、会社の 金で探偵を何十人も雇い、海外へ派遣していたりもしました」 「捜しているって、私たちのことをですか」 「恐らく。これを見てもらえますか」 マイクはテーブルに12枚の写真を並べた。 「これは−−」 エリナ、ゆうき、愛子が目を見張る。 12枚の写真は全て女性であった。その中にはエリナやゆうきた ちの写真もある。 「見ればわかるようにこの中にはエリナ、ゆうき、愛子、私の写真 があるわ。他にもソフィー、殺されたブリジッタやローゼ、水島幸 恵、フォルスノワールのセリン、エミリの10人がいるわ。後の二 人は恐らくアンジェラとマリーナね」 ペトラルカが写真をそれぞれ指さして、言った。 「こんな写真、いつ撮ったのでしょうか?」 「これは念写ね。背景が真っ白だもの」 「カイルはこれを頼りに私たちを捜し回ったわけですか?」 「そういうこと」 「この写真はカイルの部屋で私が発見しました」 マイクが沈痛な面もちで言った。「私たち兄弟はカイルの素行に 業を煮やし、一体何をやっているのか何度も問いただしたのですが 、カイルは昔とはすっかり別人になっていて、邪魔をすれば殺すと 言って、用心棒をけしかけ、私たちを脅したりしました。カイルの 変貌ぶりと会社経営の悪化を恐れた私たち兄弟は昨年、金をいくら か渡してカイルをリッガー家から追放しました。カイルとはそれ以 来会っていなかったのですが、先月ペトラルカさんとお会いして、 カイルのことを知ったのです」 「彼にはファレイヌのことを教えたんですか?」 「ええ。その方が協力してもらえると思って」 「カイルがみなさんの持っている魔法の銃を狙っていることはわか りました。しかし、そんなものを揃えて、どうしようというのか私 にはわかりません」 「エリナはどう思う?」 「カイルは以前、私たちに世界の支配者になるために生まれたって 言ってましたよね」 「そんなこと、言ってたわね」 「ファレイヌを集めて、世界の支配者になれる人間がいるとしたら 、この世に一人しかいないと思うんです」 「奴か」 ペトラルカがエリナを見る。 「ええ」 エリナが静かに言った。 「ねえ、誰、誰、それって?」 愛子が言った。 「ワタシにはわかったね」 ゆうきが言った。 「えーっ、じゃあ、わかんないのは私だけ。そりゃないよぉ」 愛子が文句を言ったが、既にエリナたちは愛子の言葉が耳に入っ ていなかった。 6 怒り 「ああ、やっぱ、仕事の後のお風呂はいいわ」 美佳は温泉に浸かりながら、大きく息をついた。 室蘭のYホテル内にある大浴場で美佳はドラマの出演者たちと温 泉に浸かっていた。 「美佳」 共演者の古田レミが声をかけた。レミは23歳で、美佳の三つ年 上の女優である。 「何ですか?」 「あなたって、本当にすごいわね」 「え?」 「どうやったらあんなスタントできるの?あたし、岬から飛び降り た時、死んだかと思ったわよ」 「運が良かったんですよ」 「運って、高々こんなドラマのためにあそこまですることないのに 」 「そうよ、もし美佳に何かあったら、大変な事よ」 同じくドラマの共演者の倉田響子が言った。 「でも、まあ、これでアクションシーンは全て終わったわけだし、 私はもういいですよ」 「そ、そう」 レミと響子は美佳のあっけらかんとした態度に呆然と顔を見合わ せた。 大浴場を出て、脱衣室で浴衣に着替えると美佳は脱衣室を出た。 外の通路にはプロデューサーの上原が立っていた。 「あら、上原さん」 「美佳ちゃん、済まない」 上原は頭を下げた。 「は?」 「あのシーンはカットされることになった」 「へ?」 美佳の目が点になる。 「あの飛び降りシーンは過激すぎて、ドラマでは放映するのは無理 と−−」 「ちょ、ちょっと!」 美佳は上原の服の襟首をつかんだ。 「申し訳ない。本当はあのシーンは特撮でやるつもりだったんだ。 君がやるかやらないかでスタッフと賭けをしてしまって」 「へえ、そうなんですか」 美佳の肩が怒りに震えた。「それで賭けの比率は?」 「私以外はみんなやらない方に」 「そ、そう、上原さんはそれで私をあの時、引き留めたんですね」 「許してくれ。まさか君が本気でやるとは思わなかったんだ」 「何がやるとは思わなかったよ、ああなったらやるしかないでしょ 」 「いや、だって、普通、あんな事やれば、死ぬじゃないか、常識と して」 「やかましいわよ!」 美佳は上原に右ストレートを食らわした。 「もうドラマは降ろさせてもらうっ!」 美佳はカッカッして通路を歩いていった。 7 対策 場面はアメリカ大使館に戻る。 「それで今後はどうするネ?」 ゆうきがペトラルカに聞いた。 「カイルを殺すわ」 ペトラルカが言った。 「でも、そんなことしたら、マイクさんは?」 「私は構いません。既に兄は己の野望のために何人も殺しています 。リッガー家としてはこれ以上、人様に迷惑をかけるわけに行きま せんから」 マイクは厳しい表情で言った。 「彼はカイルを殺すためなら、物資、資金面からもバックアップし てくれるそうよ。今回、こうしてアメリカ大使館を会合場所に使え たのも彼のおかげなのよ」 「ペトラルカは随分、マイクさんを信頼しているんですね」 エリナが言った。 「え?」 「わたくしたちファレイヌの秘密を話して、理解してくれる人はそ うはいませんわ」 「それはさっき、話したでしょ。マイクがカイルのことを不審に思 っていたところへ私と会ったから……」 ペトラルカが少し慌てている。 「マイクさん、ペトラルカと会ったのは先月ではないでしょう?」 エリナがマイクを見た。 「エリナ、何を言い出すのよ」 ペトラルカが向きになる。 「私たちは人間になってからは、お互いの居場所を確かめる能力は なくなってしまいましたわ。それなのに、ペトラルカはわたくしば かりか、ゆうきさんや愛子さんの居場所まで知っているというのは おかしくありませんか?」 「それは−−」 ペトラルカが口ごもる。 「ペトラルカ、本当のことを話そう」 「マイク!」 「エリナさん、あなたの推理通り、ペトラルカと私はひと月前に知 り合ったわけではありません。もう2年近いつきあいになります」 「2年……それじゃあ、もしかして」 「はい。ペトラルカと私とは恋人同士です」 「……」 マイクの言葉にペトラルカは顔を下に向けた。 「彼女とのつきあいの始まりは、彼女が取材で私のところへ訪れた のがきっかけでした。その後、何度か取材で食事を共にするうちに 彼女の知的で思いやりのあるところが好きになりました」 「ヒュー、ヒュー!」 愛子がはやす。 「兄のことを話したのも本当に偶然でした。カイルの部屋でペトラ ルカの写真を見つけたので、その写真のことを彼女に聞いたのがき っかけだったんです」 「その時にペトラルカが自分の秘密を話したんですね」 「すぐにというわけではありませんでしたが、彼女がその写真を見 て以来、様子がおかしくなったので、何度も彼女を訪ねて、その理 由を聞いたんです」 「ペトラルカはあまり人には心を開かないのに、その心を開かせる なんてマイクさん、本当に誠意のある方なんですね」 「いいえ、私はあの時は本当にペトラルカが心配だっだだけなんで す」 「ペトラルカとは結婚するんですの?」 「エリナ!」 ペトラルカが顔を真っ赤にして、言った。 「そのつもりです」 「マイク」 ペトラルカがマイクを見る。 「私は家族が反対しようと君と結婚するよ」 マイクが静かに言った。 「それはカイルのことが片づいてからって言ったでしょ」 「わかってる」 マイクはペトラルカの肩に優しく手を乗せた。 「ペティー、結婚式にはぜひ呼んでくださいね」 「あたしも」 「ワタシもネ」 「ちょっとみんな、何言ってんのよ。それより、話をカイルのこと に戻しましょう」 ペトラルカが慌てて言った。いつも冷静なペトラルカの慌てる表 情を見るのは、エリナたちは初めてだった。 「仕方ない、戻してやるか。それでカイルはどうやって見つけるの ?あの男って、神出鬼没でしょ」 愛子が言った。 「カイルの狙いはファレイヌよ。だから、ファレイヌを餌におびき 寄せましょう」 「どういうこと?」 「あなたたちのファレイヌは全て私が預かるわ」 「ええっ!!」 エリナたちが驚く。 「新聞広告を出して、カイルと直接決着をつけるわ」 「だったら、私たちも戦いますわ」 「そうよ、そうよ」 「それは駄目。あなたたちは人間なのよ」 「それはペトラルカも同じでしょ」 「私は人間とファレイヌの違いを言ってるんじゃないの。人間にな った以上、人を殺せば罪になるわ。あなたたちに人殺しが出来る? 」 「それは−−でも、ペトラルカには婚約者がいるじゃない」 「マイクは同意してくれてるわ。私はカイルを殺したら、警察に自 首する」 「ペティー……マイクさん、それでいいんですか?」 「彼女の決めたことですから、彼女の好きにやらせてあげたい」 マイクは既に覚悟を決めている様子だった。 「わたくしは反対ですわ。ペティーだけに苦しみを負わせるなんて 出来ませんもの」 エリナがそう言った時、ゆうきがファレイヌのペンダントをテー ブルに置いた。 「ゆうきさん」 「私はペトラルカに預けるヨ」 「どうして……」 その時、愛子もゆうきに続いて、ファレイヌのペンダントをテー ブルに置いた。 「あたしもペトラルカに……」 「愛子さんまで一体、どうしたんですか?」 エリナは戸惑った。 「エリナ、私たちは人間なんだ。銃で撃たれれば、死ぬのよ」 ペトラルカが言った。「ファレイヌにとって、人間の生活は長年 の夢だった。それがやっと現実の物になったのに、それを簡単に捨 てられる?」 「……」 「エリナだって、この前、カイルに殺されそうになったばかりだろ 」 「美佳さんがペトラルカの言葉を聞いたら、きっと反対しますわ」 「美佳には私が話すわ。それより、エリナの気持ちはどうなの?」 「わたくしは−−」 エリナはしばらく考えた後、ファレイヌのペンダントを首から外 し、テーブルに置いた。 「それでいい。犠牲になるのは一人でたくさんだ」 「でも、ペティー、もしあなたが負けたらどうなるの?」 愛子が聞いた。 「大丈夫。奴は絶対生きては帰さないから」 ペトラルカは力強く言った。しかし、その言葉は自分に言い聞か せているようでもあった。 8 復活のミレーユ その夜、美佳はYホテル15階の一番料金の高い部屋で寝ること になった。料金は昼間のお詫びという事で上原の財布から出ていた 。 「ふかふかのベッド、やっぱり高い部屋は違うわねぇ」 うちに帰ればせんべい布団にしか寝ていない美佳にとっては、天 にも昇るような気持ちであった。 羽毛布団の柔らかさと暖かさで美佳はベッドに入って5分もしな いうちにウトウトとしてしまった。 「おやすみひゃい、むにゃむにや……」 美佳は安らかな顔で眠りに入った。 しかし、その時、 ババババババババババッ!! ベニヤ板をへし折るような音が美佳の耳をつんざいた。 美佳はぱっちりと目を開ける。 これまでの安らかな気分がいっぺんに吹っ飛んでしまった。 室内は暗闇。音は外から聞こえた。 「何よ、こんな時間に。まさか、隣で工事ってわけじゃないでしょ うね」 美佳はベッドから降りて、カーテンを開けた。 その瞬間、ぱっとまばゆい光が美佳の体を包む。 美佳は目がくらんで、右手で目を隠した。 「あれは−−」 美佳の指の間から前を見ると、目の前にはヘリコプターが空中停 止していた。 「椎野美佳だな」 ヘリコプターの拡声器から声がした。 「そうよ」 「屋上で待ってる」 ヘリコプターは上昇した。 「何なのよ、全く」 美佳は眠りを邪魔され、不機嫌になった。 しかし、ヘリコプターの主を無視するわけにも行かず、美佳は洋 服に着替えて、屋上へ行った。 屋上にはローターブレードを回転させたままのヘリコプターが止 まっていた。 「椎野美佳だな」 黒い軍服を着た女がヘリコプターを降りて、美佳の前に進み出た 。 「そうだけど」 「すぐに我々と一緒に来て欲しい」 「誰よ、あなたは?」 「私はフォルスノワール総統親衛隊のチェン・ユンファだ」 「フォルスノワール……私を殺しに来たわけ?」 「いや、その逆だ。我が総統を守って欲しい」 「なにバカなこと言ってんのよ。フォルスノワールと言えばテロ支 援組織でしょ。私なんかが守るより、あなたたちが守った方がずっ と安全じゃないの」 「残念だが、我が組織では総統は守れない。既にあの男のためにフ ォルスノワール本部が壊滅に追い込まれた」 「あの男とは?」 「カイル・リッガー」 「カイルですって」 「知っているのか」 「ええ」 「カイルはエミリ副総統を殺したばかりか、今度はセリン総統まで 亡き者にしようとしている」 「セリンはどこにいるの?」 「あのヘリにいる。あなたに会うために急いできたのだ」 「だったら、彼女を連れてきて」 「いや、これから我々の秘密基地へ行く。あなたにもついてきても らいたい」 「それは断るわ。私だって仕事があるんだから、ここへ離れるわけ にいかないもの」 「ここでは総統を危険にさらすだけだ。一緒に来てもらおう」 ユンファは銃を美佳に向けた。 「仕方ないなぁ」 美佳はヘリコプターに乗った。 美佳は前の助手席に座ると、後ろを見た。後部座席には黒い軍服 の女とキリンのぬいぐるみを持ち、ピンクのブラウスを着た若い女 がいた。 「こんばんは」 ブラウスの女がニコニコとした笑顔で挨拶した。 「こんばんは」 美佳がつられて挨拶する。 「わたくし、セリン・ジャルダンです」 「私は椎野美佳よ」 美佳とセリンは握手した。 −−フォルスノワールの総統って言うから、ミレーユみたいなお っかない奴かと思ったけど、全然逆。まるでキャピキャピ娘って感 じ。 美佳はセリンが総統とはとても信じられなかった。 「発進するぞ」 運転席のユンファがヘルメットをかぶって、言った。 「ええ」 美佳は返事をした。 ユンファがスロットルを前に倒してコレクティブ(出力)をアッ プさせると、ヘリコプターが上昇する。 「ねえ、明日の朝9時までにホテルに戻れるかしら?」 「無理だな」 ユンファは素っ気なく言った。 −−あーあ、仕事、どうなっちゃうのかな 美佳は先々のことを心配していた。 「ねえ」 セリンが後ろから美佳に声をかけた。 「はい?」 「あなた、ミレーユの時の総統親衛隊や日本支部のK部隊を一人で やっつけたんでしょ、すごいわね」 「え、まあ」 「あなたのおかげでわたくし、ミレーユを追い出して総統になれま したのよ」 「そ、そう」 「あなた、エリナと一緒に暮らしてるんでしょ?」 「そうだけど」 「バフォメットを倒して、わたくしを人間に戻してくれたのはエリ ナなんでしょ。もしよかったら、今度、会わせてね。お礼が言いた いの」 「ええ、いつでも」 美佳はどう考えても、彼女がフォルスノワールの総統とは思えな かった。 ヘリコプターは室蘭から洞爺湖の方へ向けて、飛んでいた。 「基地はどこにあるの?」 「着けばわかる」 「素っ気ないわね」 美佳は座席にもたれた。 「ん?」 その時、ユンファがスクリーン・レーダーを見た。 「どうしたの?」 「機影だ。前方より何か来る」 美佳は前を見た。しかし、飛行機らしきものは何も見えない。 「近いな」 ユンファは武器ボタンを押し、30ミリ機関砲を準備した。 「このヘリ、武器持ってるの?」 「当然。美佳、サングラスをして。先にフレアー(照明弾)を発射 するから」 美佳はユンファから受け取ったサングラスをかけた。 「フレアー、発射」 ユンファがボタンを押すと、ヘリからフレアーが発射され、遠く で花火のようにぱっと明るくなった。 「見えたわ」 ユンファが呟いた。 数百メートル先から黒い飛行物体が迫ってくる。 「見たことある、あれはメダリオンホークだわ」 美佳は呟いた。 −−機体の下部に両腕のついた黒い戦闘機。間違いないわ 「どうするの?」 「まあ、見てろ」 ユンファはヘリのスピードを40ノット以下に落とした。 黒い戦闘機がヘリに真っ直ぐ向かってくる。 「よく引きつけて」 ユンファはヘルメットのTADS標準とスクリーンの標準を合わ せた。 「発射」 ユンファは戦闘機との距離が500メートルを割ったところで、 武器の発射ボタンを押した。 ヘリの機首下面の30ミリ機関砲が火を噴く。 砲弾が次々と戦闘機に命中した。しかし、全く効かない。 「駄目だ、跳ね返されてるわ」 美佳が叫んだ。 黒い戦闘機は弾丸を跳ね返し、ヘリに激突せんとばかりに迫って いた。 「ちっ」 ユンファはサイクリック(操縦桿)を右に倒した。 すると、ヘリの機体が右に横滑りした。 それと同時に黒い戦闘機がヘリの左側を通り抜ける。 「すごーい、やるじゃない」 美佳が感心した。 「まだだ」 ユンファは強引にホバリング旋回を行うと、そのままサイクリッ クを倒し、ピッチを下げた。ヘリのスピードが上昇する。 ヘリが黒い戦闘機の背後をとらえた。 「どうするの、チェーンガンは効かないんでしょ」 「サイドワインダー(赤外線誘導空対空ミサイル)を使う」 「そんなものまであるの」 美佳は唖然とした。 ユンファは武器選択ボタンのサイドワインダーと書かれたボタン を押した。 「よし、行くぞ」 ユンファは戦闘機から離れないようにさらにヘリのスピードを上 げた。 「サイドワインダー、発射」 ユンファは発射ボタンを押した。 ヘリからサイドワインダーが発射される。 それと同時に黒い戦闘機の機体が上昇したが、サイドワインダー も戦闘機を追うように上昇する。 その間にユンファはヘリを下降させ、低空飛行で山間に入ってい った。 「逃げるの?」 「我々は総統を守るのが任務だ。勝つことではない」 「そ、そう」 その時、遠くで爆発音がした。 「やったのかしら」 「どうかな」 その時、ヘリに無線が入った。 ユンファが無線を取る。 『セリン、このまま逃げられると思うなよ』 無線から男の声が聞こえてきた。 美佳はそれがカイルの声だとすぐにわかった。 「あんた、ファレイヌなんか集めてどうするつもりよ」 美佳がムカッとして無線に出た。 『その声は……そうか、椎野美佳もそこにいるのか』 「ファレイヌなんか全部集めたところで世界征服なんて出来やしな いわ」 『人間ならばな』 「何ですって」 『バフォメットの私なら、不可能ではない』 「バフォメットって、まさか、あなたは−−」 美佳が唾を飲み込んだ。 『その通り、おまえに殺されたミレーユ・ドナーだ』 「ミレーユ。あなたも転生したって言うの?」 『そうさ。おまえやセリンに復讐するためにバフォメットとなって 復活したのだ』 「何が復讐よ。元はといえば、あんたが悪いんでしょ」 『ふっ、何とでも言え。俺はファレイヌを手に入れ、世界を手に入 れる。それを邪魔するものは誰であろうと殺す』 「冗談じゃない。今度こそ私があんたを地獄へ送り返してやるわ」 『やれるものならやってみるんだな、はっはははははははは』 カイルは高らかに笑った。 美佳は怒りのあまり、無線のコードを引き抜いた。 ヘリの中に重い雰囲気が流れた。 「ミレーユの復讐だなんて……」 セリンの表情が曇った。 「セリン、安心して。あなたのこと、私が守るわ。もうこれ以上、 ファレイヌを絶対殺させないんだから」 美佳は外の暗闇を見つめながら、力強く言った。 「復活のミレーユ」終わり