ファレイヌ2 第22話「包囲網」後編 6 敵意 二日後、美佳はエリナと静岡へ赴き、美佳の友人のプロデューサ ーが世話してくれたレポーターの仕事を午前中でこなした。今回の 仕事というのは、ビーチバレーの取材で、美佳は海岸の砂浜で散々 ビーチバレーの選手に特訓を受けさせられたあげく、試合までやら された。 「ごくろうさん、美佳も随分うまくなったな」 撮影終了後、RTVのプロデューサー前原昌宏は美佳にタオルを 渡した。 「もうくたくたですよ」 美佳はタオルで汗を拭きながら、笑顔で言った。美佳は今日だけ ですっかり日焼けして小麦色の肌になっていた。 「一応、わかってると思うけど、明日の朝、このビデオをもとに生 番組のレポートやるから、台本しっかり読んでおいてくれよ」 「はい」 「明日は午前4時にホテル前に集合。寝坊するなよ」 「わかってます」 「それじゃあ、ごくろうさん。今日はもういいよ」 「お疲れさまでした」 美佳は他のスタッフ全員に挨拶をすませてから、現場を離れた。 美佳は水着にバスタオルを首にかけた出立である。 海岸から5分ほど歩くと、美佳の宿泊する「伊豆日照ホテル」に たどり着いた。 ホテルの前の道ではエリナが二人の若者と一緒に立っていた。 その二人とは西島健夫と北川晴香である。 「こんにちは、健夫君、久しぶりだね」 美佳は笑顔で健夫に挨拶した。 「こんにちは、椎野さん」 健夫は少し照れくさそうに言う。 「待った?」 「いえ、ホテルに来て、まだ30分ぐらいです。エリナさんが駅ま で迎えに来てくれたので助かりました」 「エリナ、手間かけさせて悪かったね」 「わたくしは別に構いませんけど」 エリナは謙虚に言った。しかし、あまり気をよくしてはいない。 「さてと−−」 美佳はちらっと晴香の方を見た。 「ねえ、健夫君」 美佳は健夫の方に視線を移した。 「はい」 健夫はどきりとする。 「健夫君は恋人とデートするのに幼なじみを同伴させるわけ?」 「あっ、こいつ、ついてきちゃったんですよ、駄目だって言ったの に」 「ついてきちゃったって、ここへ来ることは内緒にしとくはずだっ たでしょ」 「すみません、つい、こいつにしゃべっちゃって。まさか当日にな ってついてくるとは思わなかったんですよ」 「振り切れなかったの?」 美佳は不満げに言う。 「一緒に連れていかなきゃ、椎野さんと二人っきりでデートだって こと、両親にばらすって言われて……」 健夫は申し訳なさそうに頭をかいた。 「やれやれね……」 美佳はため息をついた。 「それにしても、晴香さん、本当にあなたって礼儀知らずね。普通 、恋人のデート先について来る?」 「健夫がどう言ったか知らないけど、私は椎野さんのこと、健夫の 恋人だなんて絶対に認めません。あなたみたいな危険な人を健夫の 恋人にしたら、健夫の命が危ないわ」 美佳に反発するように晴香が言った。 「あなたにどうしてそんなこと言う権利があるのよ。あなたは別に 健夫君の恋人じゃないんでしょ」 「恋人じゃないけど、幼なじみとして心配してるんです。健夫の両 親だって、あなたの正体知ったら、健夫との交際、反対すると思い ます」 「恋愛は当人同士の問題よ。そうでしょ、健夫君」 美佳は健夫の方を見た。 「そうだよ。俺は椎野さんのこと、全て承知で好きになったんだ。 両親なんか関係ない」 「じゃあ、全部本当のこと、言ってもいいのね」 晴香は強気に言った。 「それは−−」 健夫は口ごもる。 「健夫君、しっかりしてよ」 美佳が健夫の背中をぽんと叩く。 「まあまあ、美佳さん、ここでいがみ合ってもしょうがないじゃな いですか。せっかく海に来たんですから、早く泳ぎに行きましょう よ」 エリナが二人の間に仲裁に入った。 「健夫君、今回だけだからね」 美佳はそう言うと、プンプンしながら、ホテルに入っていった。 「椎野さん、怒らせちゃったみたいですね」 「気にすることないですわ。いつものことですから」 エリナは笑顔で答えた。 7 泥棒 美佳はフロントで鍵を受け取り、エレベーターで6階まであがる と、赤い絨毯の通路を自分の泊まる部屋の方へ歩いていた。 −−男って本当、身勝手なんだから 美佳は心の中で苛ついていた。 美佳は先日の早見のこともあり、男性に対しては不満が募ってい た。しかし、その反面、自分は女性としての魅力があるのだろうか という不安を抱いていた。 美佳はこの数年、男性とつきあったことが全くなかった。友達は いるが、本当に集まって騒ぐだけの友達で、キスはおろかデートに まで行ったことがない。それだけに健夫の告白に対しては、美佳は 内心、嬉しかった。年齢的には3才離れているが、美佳はそういう ことにはあまりこだわる方ではない。しかし、健夫の話し方を見る につけ、健夫はひょっとしたら自分に恋心を抱いているのではなく 、単なる憧れではないかという不安もあった。美佳としては健夫が 晴香に話すような話し方で自分に接して欲しい気持ちがあった。 「ん?」 いろいろ考え事をしながら、廊下の角を曲がると、美佳はそこで 2、3歩歩いてから足を止めた。 美佳の泊まる部屋は奥だが、その奥の部屋のドアの前に男が立っ ている。男はアロハ・シャツを着たぼさぼさ頭の若い男だった。青 いレンズのサングラスをかけている。 男はドアのノブを何かでいじっている。 −−泥棒? それにしてはがさつだわ。普通、ホテルの部屋を荒らす時は見張 りを一人用意しておくものなのに。単独でやるなんて。 美佳はゆっくりと男に近づいていった。男はドアを開けるのに夢 中で美佳が近づいているのも気づかない。 「ちょっとあんた、何やってんのよ」 美佳は男の2メートルそばまで近づいたところで、声をかけた。 男はビクッとしてノブから手を引っ込めると、顔を上げて美佳を見 た。男はかなり驚いた顔をしている。 「おとなしくフロントまで来てもらいましょうか」 美佳は一歩足を踏み出した。 男は少し唇を震わせながら、右手を腰にやると、突然ジーンズの 後ろポケットからナイフを抜き、前に突き出した。 「寄るな!!近づくと、ぶったぎるぞ」 「何、強がってんのよ。おとなしく警察に捕まりなさいよ。今なら 、未遂なんだから」 美佳は全く慌てていない。さすがに場慣れしている。 「か、金を出せ!」 「私からお金を取るって言うの。私の方が欲しいくらいなのに!」 「てめえ、死にてえのか」 男が鋭い声で言った。 「今、お金なんか持ってないわよ、仕事帰りなんだから」 「やろう、ぶざけんな」 男はナイフを振り回した。 避けようとした美佳の腕にすうっと赤い切り傷が出来る。 「バカにすると、こうなるぜ!命が惜しかったら−−」 男がそう言いかけて、言葉を止めた。 いつのまにか美佳の左手には黄金銃が握られている。美佳はゆっ くりとその黄金銃の銃口を男に向けた。 「へっ、何だよ、それは。そんなおもちゃで−−」 グォーン!! 黄金銃が火を噴いた。 男の髪の毛がはらはらと下に落ちる。男の顔が急激に青ざめた。 「や、やめてくれ、嘘だろ」 男はナイフを捨てた。 「美佳さん!」 その時、エリナや健夫たちがやってきた。 「……」 美佳はその声にはっとして、銃を下ろした。 エリナたちが駆けつけると、美佳はみんなとは顔を合わせず、黄 金銃をエリナに預けた。 「こいつ、泥棒だから警察呼んで」 美佳はそう言うと、エレベーターの方へ駆け出していった。 「美佳さん……」 エリナは美佳の背中を見つめながら、ぽつりと呟いた。 8 浜辺 その後、泥棒はホテルのフロントで警官に引き渡されたが、美佳 の行方はわからず、仕方なくエリナたちは荷物を部屋に置いてから 、浜辺に出かけた。 空は真っ青に澄み渡り、太陽も海水浴場全体に照りつけていたが 、健夫や晴香の心はどこか晴れなかった。 二人はビーチパラソルの下で黙って座り込んでいる。 「どうしたんですの、二人とも、泳がないんですか」 エリナは二人に出店で買ったジュースを持ってきた。 「椎野さん、どうしちゃったんだろう」 健夫がぽつりと言った。 「まだ気にしてるんですか。大丈夫ですわ、しばらくすれば、戻っ てきますよ」 エリナは大して気にしてない様子だ。 「あたしが来たこと、やっぱり怒ってるのかしら」 晴香も少し気にしていた。 「美佳さんはそんなに心は狭くないですわ」 エリナは晴香の隣に座って、言った。「多分、自己嫌悪に陥って るんですわ」 「自己嫌悪?」 「あなたがたは知らないでしょうけど、美佳さんはこれまで何度も 死に直面するような危険な目にあっていますわ。だから、場慣れし てしまっていますの」 「それがどうして自己嫌悪になるんですか」 「晴香さんが強盗に直面したら普通、どうしますか」 「−−声をあげるか、逃げると思う」 「美佳さんは相手を倒しますわ」 「え?」 「なぜなら、自信があるから。どんな相手にも負けないっていう。 それって普通の女の子はしないでしょ。だから、健夫君が来た時、 美佳さん、たまらなくなって逃げ出したんです」 「そんな、俺、椎野さんのそういうところが好きなのに」 健夫は呟くように言った。 「もし本当にそう思ってるんでしたら、あなたは美佳さんのこと、 恋の対象とは見ていないんでしょうね」 「そんなことないですよ、俺は椎野さんのこと、本当に愛してます 」 「健夫……」 健夫の言葉に晴香は愕然とした。 「確かに最初は憧れのようなものがあったけど、でも、今は本当に 好きなんです」 「『好き』と言う言葉をあまり簡単に使うものではありませんわ。 美佳さんの全てを知っているわけではないでしょう」 「そうよ、エリナさんの言う通りだよ。健夫は向きになってる」 「うるさいな、おまえには関係ないだろ。もとはと言えば、おまえ がついてくるから、こんなことになったんじゃないか」 「何よ、あたしのせいだって言うの。あたしはそうやって、すぐに 突っ走る健夫の監視役としてついてきてあげたのよ」 「それがお節介だって言うんだよ。ただの幼なじみの分際で」 「言ったわね、だったら、おばさんに言いつけるわよ」 「どうしてそうなるんだよ、俺のことはおまえに関係ないだろ」 「関係あるわよ。あんたがあんな女とつきあったら、年中、あんた の家に怪しい連中がやってきて、近所の私の家まで被害が及ぶでし ょ」 「怪しい連中って何のことだよ」 「知らないわよ。でも、この間、椎野さんと喫茶店で話してたら、 狙撃されたの、突然ね。あんな人が年中、健夫の家に来るようにな ったら、あんたの家、銃撃の嵐よ」 「俺はそれでもいいさ」 「そりゃあ、あんたはいいわよ。勝手に好きになってるんだからね 」 「こいつ!」 健夫と晴香はつかみ合いになりそうだった。 「ちょっと二人とも」 エリナは慌てて止めに入った。 「本当によく喧嘩するんですね。全く呆れてしまいますわ」 エリナは大きくため息をついて、言った。 「すみません」 その時、ホテルの制服を着た一人の男が三人のいるビーチパラソ ルの中を覗き込んだ。 「何でしょうか」 エリナが男を見る。 「椎野美佳さんのマネージャーのエリナ・レイさんという方はいら っしゃいますか」 「わたくしですけど」 エリナが言った。 「フロントの方に電話が入っております。急用と言うことなので、 呼びに参りました」 「誰からですの?」 「いえ、私は頼まれただけですので」 「そうですか−−誰かしら。晴香さん、ちょっと行ってきますね」 エリナはそう言うと、男と一緒にホテルの方へ歩いていった。 9 情報 その頃、美佳は海岸から離れた岬の方にいた。 美佳は浜風に当たりながら、崖下の海を見つめていた。 「全然恐くなかった……強盗にナイフ、見せられたのに」 美佳はぽつりと呟いた。 −−昔のこと、まだ意識してるのかな 美佳は四年前のケイト・ランデリックとの戦いを思い出した。ケ イトはフォルスノワールの総統親衛隊の一人で、美佳にこれまで美 佳が殺した人間の幻影を見せて恐怖心を引き起こさせ、発狂させよ うとした敵であった。美佳はケイトとの戦い以来、少なからず人に 対してクールになった。エリナや奈緒美を除けば、特に親しい友人 も作らず、積極的に仲間との集まりに参加すると言うこともなくな ってしまったし、また、ファレイヌの使用に関しても以前のような 人を傷つけるのではないかという躊躇いがなくなってしまった。 美佳はそんな自分を見て、嫌な女と思いながらも、それを否定は 出来なかった。こういう自分でなければ、これまでの戦いで生き残 れなかったからだ。 「こんなところで何してんだ?」 後ろから男の声がした。 振り向くと、いつのまにかすぐそばに早見が立っていた。 「あんた、気配、消すのうまいね。もし今、狙われたら、死んでた わ」 美佳は苦笑して、言った。 「そんな台詞、口にするなんて、おまえらしくねえな」 早見が美佳の横に立った。 「ちょっと感傷に浸ってたの。普段、誰も同情してくれないからね 」 「同情したって何の解決にもならんだろ」 「でも、同情されたら嬉しいわ」 「だったら、同情してやろうか」 「早見じゃ、役不足ね。私、あんたのこと、嫌いだもん」 「はっきり言うなぁ」 早見は頭をかいた。 「そんなことより何の用よ。人の仕事先まで訪ねてきて」 「ちょっと悪い知らせを聞かせにな」 「悪い知らせ?」 美佳が顔をしかめる。「そんなの電話で教えてくれればいいのに 」 「電話だとエリナに気づかれる可能性があるからな」 「何それ危険なことなの?」 「実は、俺の情報屋が妙な情報を伝えてきた」 「どんなこと?」 「マフィアグループがおまえの黄金銃を狙ってる」 「ファレイヌを?どうして」 「わからん。ただ相手は、ファレイヌの能力を知っていて、狙って いると言うことだ」 「何でマフィアがファレイヌのこと、知ってるのよ。もしかしてこ の間の仕事で」 「いやそれだけなら、ファレイヌの能力などわかるはずがない。ま してや、おまえが持ってることまで相手が知ってるはずがない」 「誰かが情報を流したってこと?」 「多分な」 「−−まさか、早見、あんたじゃないの」 美佳が疑り深い目で見た。 「バカ言うなよ、どうして俺が」 「マフィアが私を狙えば、まとめて逮捕できると思って−−」 「ふざけるな!」 早見が大声を上げた。 その声に美佳はびっくりする。 「何よぉ、そんなに大きな声ださなくてもいいでしょ。冗談よ」 「冗談でも、そんなこと言うな!」 早見は珍しく恐い顔をしていた。 「−−あんたでもそんな顔することあるんだね。謝るよ。ごめん」 美佳は謝った。 「いや、元は言えば、俺が美佳に頼りすぎていたせいだからな。と にかく、おまえ一人なら心配ないだろうが、エリナは人質に取られ る可能性がある。早く戻った方がいい。車で送ろう」 「私一人なら心配ないって言うのが気になるけど……わかったわ、 行きましょ」 10 誘拐? 美佳と早見が車でホテルに戻ると、ホテルの前には健夫と晴香が 心配そうな顔をして立っていた。 「椎野さん、捜したんですよ」 健夫が言った。 「何かあったの?」 「エリナさんが誘拐されたんです」 「誘拐?!」 美佳が早見の方を見た。早見が静かに頷く。 「一体、どうして?」 美佳は健夫に尋ねた。 「浜辺にいたら、ホテルの従業員の制服を着た男がやってきて、フ ロントに電話が入っているからと言ってエリナさんを連れていった んです。ところが、いつまでも戻ってこないので、ホテルに戻って フロントに聞いてみると、そんな電話はかかっていないし、使いを だした覚えもないと言うんです。俺たち、急いでエリナさんを捜し て、あちこち回ったら、俺たちの部屋のドアにこんなメモがはさん であって−−」 健夫は美佳に便箋サイズのメモを渡した。そこには次のように書 いてある。 『女を預かった。黄金銃と交換に返してやる。場所は後で指定する 。午後8時の電話を待て。警察に知らせたら、女の命はない』 「参ったわね、言ってるそばからこれじゃ……」 美佳と早見は顔を見合わせた。 「この人は誰なんですか」 健夫が早見を見て、尋ねる。 「あっ、私の……おまけ、そうおまけよ」 「誰がおまけだよ」 早見が不満げに言う。 「だって、友達とか知り合いだなんて口が裂けても言いたくないも ん」 「ああ、そうかよ」 早見はそっぽを向いた。 「こんな奴はどうでもいいわ。それで、警察には知らせたの?」 「まだ知らせてません。一応、椎野さんに話してからと思って」 「さすが、健夫君。それでこそ、恋人よ」 「いやあ、そんな」 「何、照れてんのよぉ」 横で聞いていた晴香が口を出す。 「悪いけど、このことは警察にも他の人にも一切黙ってて。この件 は私一人で何とかするから」 「そんな、俺にも手伝わせて下さい」 「駄目。危険なんだから」 「俺、椎野さんの恋人じゃないんですか」 「恋人だから失いたくないってこともあるでしょ」 「そんなの逆じゃないですか。男として、恋人が困ってるのに何も できないなんて」 「この際、男とか女は関係ないわ。あなたには家族や晴香さんがい るでしょ。あなたが死んだら悲しむわ」 「椎野さん……」 晴香は美佳が自分の名前をだしたことに驚いた顔をした。 「俺だって椎野さんが死んだら−−」 「私は大丈夫だって。こういうことには慣れてるから」 「慣れてるって……そんなの、納得できないよ。椎野さん、お願い だから、俺にも手伝わせて下さい。エリナさんが誘拐された責任の 一端は俺にもあるんだから」 「あたしも手伝わせて下さい」 晴香も頼み込んだ。 「悪いけど、断るわ」 美佳はきっぱりと言った。 「椎野さん」 「素人が口を出すと、エリナは死んじゃうわ。わかるでしょ」 美佳は鋭い口調でそう言うと、ホテルの中へ入っていった。 健夫と晴香はしゅんとなってしまう。 「そうがっかりするなって」 早見は健夫の肩を軽く叩いた。「一緒に協力するばかりが能じゃ ない。時には信じて、見守ってやることも必要だぜ」 11 電話 午後8時、ホテルの美佳の部屋に電話が入った。美佳の部屋には 早見と美佳の二人で、健夫たちは別室にいる。 「銃は用意しているな」 と太い男の声。 「あるわよ。あんたがエリナを誘拐したのね。エリナは無事なんで しょうね?」 「ちゃんと預かってるよ」 「声を聞かせてよ」 「薬で寝てるから、今はしゃべれねえぜ」 「薬って、ちゃんと量、考えて使ってるんでしょうね?後で目が覚 めなかったら、はったおすわよ」 「気の荒い女だな。大丈夫だよ。それより、これからすぐホテルを 出ろ。ホテルから50メートル離れたところにある公衆電話のそば に車を迎えによこす。それに乗れ」 「わかったわ」 「10分しか待たんぞ」 「わかってるわよ」 美佳は電話を切った。そばで話の内容を聞いていた早見は美佳か ら離れた。 「一人でやる気か?」 「仕方ないでしょ」 「いざとなったら俺が後をつけて−−」 「それはしないで。私一人で何とかするから」 美佳は早見が貸してくれたホルスターを肩に装着すると、黄金銃 をそのホルスターに入れた。そして、その上に薄いウインドブレー カーを羽織る。 「俺のせいでこんなことになっちまって、済まなかったな」 「わかってるんなら、それでいいじゃない。じゃあ、行ってくるわ 。ワインでも用意して、待ってて」 美佳はニコッと笑って、部屋を出ていった。 12 包囲 美佳がホテルを出ると、グレーの背広を着た二人の男が近づいて きて、美佳を車のところまで案内した。車は黒のリムジンである。 美佳は後部座席の中央に座らされ、両脇を男たちに固められた。 車は30分あまり走行の末、港のそばの倉庫にたどり着いた。 27という番号のついた倉庫の建物の前には既に3台の車が止ま っていた。車の周りには10人近い人影が見える。 美佳は男に続いて、車が降りた。 「銃は持ってきただろうな」 一人の男が美佳に近づいてきた。声から判断すると、ホテルで美 佳に脅迫電話をかけた男らしかった。 その男は身長180センチぐらい、髪を後ろで一本に束ねた三角 顎の厳つい顔をした男だった。夏だと言うのに背広の上にトレンチ コートを着ている。 「エリナはどこにいるの?」 「女ならここにいる」 男が指で合図すると、男の部下が車の後部差席からエリナを運び 出す。エリナはまだ眠っているようで、二人の部下の肩に両腕をか けたまま、首の方はぐったりと下に垂れている。 「まさか、死んでるんじゃないでしょうね」 「そいつは後で確かめて見るんだな。それより、銃を渡しな」 男は手を前に出した。 「エリナが先よ。それから、こいつらを向こうにやって」 美佳は自分を連れてきた男たちを見て、言った。 「おまえら、戻れ」 男の指示で、美佳から3人の男たちが集団の方へ走って戻ってい く。 「さあ、渡してもらおうか」 「まだエリナを返してもらってないわ」 「銃が先だ」 「エリナよ」 「ふっ、死んでもいいのか」 男が合図すると、部下がエリナのこめかみに銃口を当てる。 「わかったわよ」 美佳はホルスターから黄金銃を抜いた。そして、静かに地面に置 くと、蹴って男の方へ滑らす。 男は黄金銃を足で受けとめると、それを拾い上げた。 「こいつがボスの言っていた銃か。黄金銃とは聞いていたが、まさ かこれほどでかいとはな」 男が銃を見て、感心する。 「エリナを返して」 「まだこれが本物かどうか確認してねえ。とりあえず、実験台にな ってもらおうか、お嬢さん」 男が美佳に黄金銃の銃口を向けた。 「取引は信頼あってのものじゃないの?」 美佳が男を睨み付けた。 「悪いな、この世界じゃ信頼より力関係なんだよ」 男が引き金を引こうとした。 「くっ!」 美佳は拳を固め、男を睨み付けた。 その時、ヘッドライトを灯した一台の車が男たちに向かって猛然 と走ってきた。その車は全く減速する様子がない。 「兄貴、あの車、突っ込んでくるぜ!」 部下が叫んだ。 美佳はその隙にすぐそばの海に飛び込んだ。 男も車が突っ込んでくるのを見て、倉庫の壁際へ体を押しつける ようにして逃げた。他の男たちも四方八方へ散らばる。 車はそのままの勢いで止まっていた3台の車の列に突っ込んだ。 車からは白い煙が上がる。 「いてて」 突っ込んだ車の後部座席のドアが開き、早見が這い出てきた。 早見はよろよろとした足取りで車から離れた。 「何だ、てめえは」 早見の周りをすぐに男たちが囲む。 「驚いたな、おまえは極星会の笹岡じゃないか」 「てめえ、どうして俺の名を」 笹岡が顔を険しくする。 「こいつ、早見だ」 部下が言った。 「早見だと。そうか、こいつが潰し屋の早見か」 「さすがに人気者は顔の広まるのが早いな」 早見は苦笑した。 「ふざけんな!」 笹岡が銃で早見の顔を殴った。「てめえにはうちの組はえらい目 に遭ってるんだ。ただで済むとは思うなよ」 「女の子、誘拐して銃を奪うような奴がでかい口、叩いてんじゃね えよ」 早見が口の血を拭いて、言った。 「そんな減らず口、叩いていられるのも今のうちだ。おまえら、や れ」 笹岡の命令で数人の男たちが早見に詰め寄る。 「くっ」 早見は玉砕覚悟で最初に男たちの一人を殴ったが、すぐにその数 十倍もの逆襲が待っていた。 男たちは早見をボールをパスするように次々と回しながら、殴り つける。 「バカが」 笹岡はその光景を見て、冷笑した。 「さて、誘拐した女を始末するか」 笹岡がエリナの方を見た時、そこにエリナの姿はなかった。そこ にはエリナを捕まえていたはずの男たちが倒れている。 「何、どうなってんだ!」 笹岡が男たちに駆け寄り、頬を叩いて起こそうとしたが、完全に 男たちは気を失っていた。 「おまえら、早見はいい、女を捜せ!」 笹岡が大声を上げた。 男たちは既に気を失いかけていた早見を地面にほっぽりだし、周 囲を見回した。 「下ばっかり見ていたって、エリナは見つからないわよ」 その時、上から女の声がした。 「何っ!」 笹岡たちが空を見上げた。 すると、倉庫の屋根の上に全身光に包まれた少女が立っていた。 白いヘアバンドをしたエメラルドグリーンの長い髪と瞳。そして 、白いアーマードスーツに身を包んだすらりとしたスタイル。 「何者だ、てめえは!」 笹岡が怒鳴った。 「善と悪のバランサー、キティ・セイバー。罪もない女を誘拐した ばかりか、取引の信頼関係を壊すその悪行、このキティ・セイバー が修正してやるわ」 キティは笹岡を糾弾するように指差した。 「あの女を撃ち殺せ」 笹岡が指令を出した。部下たちが一斉に懐から銃を抜き、キティ に向けて発砲する。 キティは素早く飛び上がって、両手にサイコブレードを発生させ ると、地面に着地して、男たちに切りかかった。 「どりゃああ!!」 キティは人間とは思えぬすばやさで次々と男たちの銃を切り落と し、鋭い蹴りで男たちを倒していく。 「おまえら、何やってるんだ!」 笹岡は屈強な男たちがいとも簡単にキティにのされる姿を見て、 唖然とした。 「のんびりしてる暇はないわよ」 全ての男たちを倒したキティは笹岡の方へ向き直った。 「畜生」 笹岡は黄金銃をキティに向けた。 「撃ってみたら、やれるものならね」 キティは意味ありげに笑った。 「ようし!」 笹岡は黄金銃の引き金を引こうとした。しかし、引き金は全く動 かない。「どうなってるんだ」 「ファレイヌは心で撃つの。だから、心のないあなたには無理なの よ」 「ちっ」 笹岡は黄金銃を投げ捨て、自分の懐から銃を抜いた。だが、キテ ィはすかさずサイコブレードを振り回した。 笹岡の銃を握る指がすっぱりと切断された。 「ぎゃあ!」 笹岡が銃を投げ出して悲鳴を上げる。 「本当は殺してやりたいくらいよ」 キティはサイコブレードを消した。 そして、ヘアバンドを外して美佳に戻ると、笹岡を放っておいて 、倒れている早見の方へ駆け寄る。 「大丈夫?」 「こんなの大したことねえさ」 早見は美佳の腕の中で苦笑いを浮かべる。「それより、エリナは ?」 「助け出したわ。まだ寝てるけど」 「かっこわるいな。助けに来て逆に助けられちまうんじゃ」 「そんなことないよ。私も助かったから」 「これでまた入院だ……」 「今度はおとなしく入院してなさいよ。見舞いに行ってあげるから さ」 「けっ、おまえに見舞いに来られたら、怪我が悪化するよ」 「じゃあ、たくさん来ちゃおうっと」 美佳はくすっと笑って、言った。 ブルン! その時、車のエンジンのかかる音がした。 止まっていたはずの車が発進しようとしていた。 「まだ誰かいるのかしら」 美佳は早見を地面に寝かせると、素早くその車に駆け寄った。 「あっ、あんたは!」 美佳は車のウインドウから運転手の顔を見て、声を上げた。それ は赤宮啓吾であった。 焦った赤宮は慌ててアクセルを踏んで、車を発進させた。 美佳はドアをつかんだまま、数メートル車と併走したが、振り切 られてしまった。 「あいつがファレイヌのことを−−」 美佳は走り去る車のテールランプを睨み付けながら、呟いた。 エピローグ 翌朝、美佳は無事にテレビの生番組の収録を終えた。昨夜の事件 に関しては、暴力団が早見を狙ったものだとして早見がうまく処理 し、美佳の方に問題が波及しなかった。 「さぁて、仕事も終わったし、一泳ぎするか」 美佳は青空の下、砂浜で大きく伸びをして、言った。 「何言ってるんですか、これから帰って仕事ですよ」 エリナがさも当然と言った感じで言った。 「仕事?目の前に海があるのに?」 「海より仕事ですわ」 「そんなぁ」 「さあ、帰り支度しますよ」 エリナが美佳の腕を引っ張る。 ちょうどその時、水着姿の晴香と健夫がやってきた。 「椎野さん、帰るんですか」 と健夫。 「ええ」 とエリナが答えた。「東京で仕事があるんです」 「あなたたち、これから泳ぐの?」 美佳が羨ましそうに言う。 「昨日、エリナさんの誘拐騒ぎで泳げませんでしたから、帰る前に ちょっと」 「やっぱり海に来たら、泳がないと」 と晴香が元気よく言った。 「いいわね、学生は」 「お仕事、頑張って下さいね。さあ、健夫、行こっ」 晴香がわざとらしく健夫の手を引っ張って、海の方へ走っていっ た。 「あんにゃろう、覚えてろぉ」 美佳は恨めしそうに二人の後ろ姿を見ながら言った。 「美佳さん、ぐずぐすしてないで帰りますよ」 エリナは強引にホテルの方へ美佳を引っ張っていった。 「ふぇぇん、あたしも泳ぎたいよぉ」 美佳はホテルに戻るまでずっとわめき続けていたのであった。 「包囲網」終わり