ファレイヌ2 第19話「遠い日のエリナ」前編 登場人物 椎野美佳 声優。黄金銃ファレイヌを持つ少女 自然神ガイアールの力を秘めたヘアバンドを装着する と、キティセイバーに変身する エリナ 美佳のマネージャー 水沢喜久子 エリナの妹? *現在の13のファレイヌの所有状況* 物質 魔法名 所有者 金 サイティール 美佳 銅 ヒューメロール 美佳 水銀 不明 不明 白銀 不明 不明 青銅 不明 ペトラルカ 鉛 不明 セリン チタン 不明 エミリ コバルト不明 不明 水晶 不明 不明 クロム 不明 不明 鉄 ベルフィーズ カイル ニッケル不明 不明 亜鉛 不明 不明 プロローグ エスティーナとの対決から数日後−− その夜は満月だった。 「月はいいわよね、何にも悩みがなくて」 空を見上げながら、夜道を歩いていた椎野美佳はぽつりと呟いた 。彼女は副業のラジオドラマの収録を終えた、帰り道であった。 椎野美佳、20歳。正義感の強い、好奇心旺盛な本編の主人公。 黄金銃ファレイヌの使い手であり、自然神ガイアールの使徒である 。 「あーあ、これから帰って台本、覚えなきゃ」 美佳は自宅に近づくに連れ、溜息が多くなった。 さて、自宅のアパートまで後1分ほどというところにさしかかっ た時、美佳はバス乗り場の長椅子に一人、ちょこんと座っている少 女が目に入った。 「?」 美佳はその少女を見て、少し歩調をゆるめた。 その少女は年の頃は14、5。背格好はごく普通で、髪型は美佳 よりも少し短いボブカット、ライトブルーのブレザーを着ている。 これだけなら別に珍しくもないが、不思議なことはその少女が美佳 をじぃっと見つめていたことである。 −−私を見ているのよね。誰かしら。全然記憶にないけど。 美佳はその少女が誰なのか思いだそうとしたが、結局思い当たら ないので、行き着いた結論は関わり合いにならず、さっさと通り過 ぎようと言うことだった。 美佳はバス乗り場のところで少し歩調を上げ、少女と顔を合わせ ることなく通り過ぎようとした。 「あの……」 だが、美佳がバス乗り場を通り過ぎたところで、後ろから声をか けられた。美佳は一瞬無視しようかと考えたが、諦めて振り返った 。 美佳に声をかけたのはやはりベンチに座っている少女であった。 「な、何かしら」 「あなたは椎野美佳さんですね」 「え……」 美佳はドキッとした。 −−どうして私の名前を知ってるのかしら 「多分アパートへ帰る時にはこの道を通るだろうと思って、ずっと 帰りを待っていたんです。話を聞いていただけますか」 少女は申し訳なさそうな様子で言った。 1 もう一人のエリナ? 「どうぞ」 美佳は少女をアパートの自分の部屋に入れた。 「お邪魔します」 少女は室内を珍しそうに見回した。 「何か飲む?」 「いいえ、お構いなく」 少女は美佳の用意したくれた座布団に座った。 「お一人なんですか」 「え、ああ、もう一人いるんだけど、今日は出張で……」 「そうですよね。どうりでおかしいなと思いました」 少女は微笑んだ。 「あの、聞きたいんだけど−−」 美佳が何かを尋ねようとすると、遮るように少女が口を開いた。 「自己紹介まだでしたよね。私は水沢喜久子といいます」 「水沢さん……」 「どうして私があなたの名前を知っているのか不思議に思っていら っしゃるんでしょう?」 「は、はあ」 「まあ、この写真を見て下さい」 少女はブレザーの胸ポケットから一枚の写真を取り出して、美佳 に見せた。 それは美佳とエリナを写した写真だった。以前、アニメ雑誌に掲 載されたものである。 「この写真が何か?」 「椎野さんの隣に写っている方、椎野さんのマネージャーですよね 。確かエリナさんと−−」 「ええ」 「もう一枚、写真を見て下さい」 喜久子は胸ポケットからもう一枚、写真を取りだし、美佳に渡し た。その写真には小学生ぐらいの喜久子と中学生ぐらいの少女が写 っていた。 「これは……」 美佳は目を見開いた。もう一人の少女は多少の幼さはあるものの 、紛れもなくエリナだった。 「私の隣に写っているのは私の姉、小夜子です」 喜久子は静かに言った。 「お姉さん!?」 美佳は驚いて、喜久子を見た。 「よく似てるでしょう。私も最初に写真を見た時には驚きました」 −−似てるんじゃないわ。この写真はエリナそのものよ 美佳は喜久子と小夜子を写した写真をじっと見比べた。 「この写真のお姉さんは今、どうしているんですか」 美佳は動揺が表情に現れるのを抑えながら、喜久子に尋ねた。 「行方不明です」 「行方不明?」 「はい。3年半前、人に会いに行くと言って、深夜に家を出たっき り−−」 −−3年半前!? 「この3年半あまり、私と両親はずっと姉を捜してきました。もし 差し支えなければ、エリナさんと会わせていただけませんか」 「会わせるのは構わないけど、ただ−−」 「ただ?」 「ううん、何でもないわ。エリナ、明日、帰ると思うから、その時 にあなたの家に連絡するわ」 「お願いします」 喜久子は笑顔で言った。 2 エリナの帰宅 翌朝、美佳はエリナが帰ってくるなり、喜久子が持ってきた写真 を見せた。 「エリナ、この写真を見てくれる?」 美佳は緊張した面もちで言った。 「写真ですか」 エリナは喜久子とエリナの写っている写真を見た。 「あら、わたくしが写ってますね」 エリナは特に不思議に思う様子もなく言った。 「驚かないの?」 美佳が意外そうな顔をして訊いた。 「どうしてですか」 「これは5年前、水沢喜久子さんがお姉さんと一緒に撮った写真よ 」 「そうですか」 「そうですかってね、これは重要なことだよ」 「美佳さんのおっしゃりたいことはわかっていますわ。この写真の 人とわたくしが同じ人間だって事でしょう」 「はっきり言うのね」 「わたくしは転生したと言っても、赤ちゃんからではなく、この年 の女性として生まれ変わったわけですから、わたくしがこの体を支 配する前に別の人間の魂が存在したことは察しがついていました」 「何かこの写真を見て、思い当たることがある?」 「残念ですけど、わたくしはわたくしの記憶のまま、生まれ変わり ましたから、前の人のことは憶えていません」 「確かエリナは気がついたら、その体だったんだよね」 「ええ。ですから、どういう理由でこの体に入ったのかも、前の人 の魂がどうなったのかもまるでわからないんです」 「ということは、エリナが水沢さんのお姉さんである可能性は高そ うね」 「写真で見る限りは、わたくしのような気がします。ちょっと雰囲 気は違いますけど」 エリナはもう一度、写真を見て、言った。 「どうする、エリナ?水沢さんと会ってみる?」 美佳はエリナの顔色をうかがうように見る。 「会ってみてもいいですけど、成果はないと思いますよ。わたくし は別に記憶喪失なわけではありませんから」 2 病院 その日の昼、美佳は電話で牧田奈緒美に水沢小夜子のことを調べ てもらうように頼んだ。 牧田奈緒美は警視庁捜査一課の刑事である。 「行方不明の少女?」 奈緒美は眠たそうな顔で言った。 「少女だったのは5年前。今は19歳よ」 「話だけ聞いてもわからないわよ」 「ちょっと待って。ファックスで写真送るから」 美佳はファクシミリで奈緒美の方へ小夜子の写った写真を転送し た。 「あれ、エリナじゃない、この写真」 「違うわよ。その人は水沢小夜子。4年前から行方不明らしいの。 ちょっと調べてくれる?」 「調べてもいいけど、詳しいデータも送って」 「わかった。いつまでに調べられる?」 「夕方までには調べておくわ」 「警察のコンピュータで調べるのにそんなに時間かかるわけ?」 「急ぐの?」 「急ぐの!」 「わかったわよ。じゃあ、1時間後ね」 「どうも」 それから1時間ほどして、奈緒美からのファックス送信が来た。 調査書によると、水沢小夜子が失踪したのは、1986年3月1 5日。当時、彼女は15才で、中学3年生だった。既に高校入学も 決まっており、彼女には失踪する原因はまるでなかった。 両親の話では、午後11時頃、妹に「人に会いに行く」と告げて 、家を出たきり、消息不明になった。妹の話では、その「人」が何 者かは不明。警察への捜索願は、翌日の夕方、出されたが、今日に 至っても、行方はつかめていない。 「警察は誘拐事件にならないと本腰あげないのよね」 美佳は調査書を読んで、愚痴った。 その日の夕方、美佳はエリナを連れて、水沢小夜子の母親が入院 していると言う病院を訪ねた。小夜子の母親は1年前から、心臓の 病で入院しているのである。 「いきなり病院を訪ねて大丈夫でしょうか」 「喜久子さんには連絡してあるから、大丈夫」 「わたくしが小夜子さんのご両親に会っても、わたくしには全然わ からないんですよ。それをどう説明するんですか」 「それは私が何とかするわ。とにかく、エリナが小夜子さんの可能 性がある以上、このまま、放ってはおけないわ」 「おせっかいですね」 エリナはぼそっと言った。 「妙につっかかわるわね、エリナ」 「わたくしは美佳さんがわたくしをどうするつもりなのか心配なん です」 「どういうこと?」 「もしわたくしが小夜子さんだとしたら、美佳さんはわたくしを水 沢さんに引き渡すんですか」 「え?」 「水沢夫妻はわたくしを見れば、きっとわたくしを引き取ると言い ますわ。その時、美佳さんはそれを断ってくれますか」 「わ、私はエリナの意思に任せるわ」 「わたくしの考えは決まってますわ。ただ美佳さんはどう思ってい るんですか」 「私は今まで通りエリナと一緒に暮らしたいよ」 「そうですか、よかった」 エリナは微笑んだ。 「……」 しかし、美佳は不安を覚えていた。もし小夜子の両親にエリナの 引き取りを懇願されたら、自分ははっきりとそれを拒否できるかど うかを。 −−私ってどうしてこうすぐ他人のことを真っ先に考えちゃうん だろう。いつもそうだ。自分の意思よりも他人の意思を尊重しちゃ う。今は他人より、自分よ。自分がエリナのことをどう思っている かよ。 美佳は心の中で自分に言い聞かせた。 「入らないんですか」 エリナが美佳に言った。 「え、ああ、うん」 美佳たちは病院の正面入口から病院に入った。 病院内のロビーは、美佳の思っていたよりもすいていた。 −−そういえば、私って、この数年、病院に入院したことないな ぁ。まあ、入院しないに越したことはないけどね。 美佳は廊下を歩きながら、そんなことを考えていた。 −−エリナは何とも思わないのかな 美佳は隣を歩くエリナの横顔をちらっと見た。 −−いくら自分とは関係ないと言っても、一応、体の方の両親か もしれないんだし、もう少し緊張しててもいいと思うんだけどなぁ 「美佳さん、わたくしの顔に何かついてますか」 「ううん、そうじゃないの、ただ見てただけ」 美佳は笑って、ごまかした。 美佳とエリナはエレベーターに乗った。運良く、他に乗る人はい ない。 「ねえ、エリナ」 美佳は回数ボタンを押しながら、言った。 エレベーターがゆっくりと動き出す。 「何ですか?」 エリナが美佳を見る。 「エリナにとっては何でもないことなのかな」 「え?」 「両親に会えるの嬉しくない?」 「わたくしは小夜子さんではありませんわ」 「でも−−」 「仮に体は小夜子さんだとしても、心は全くの他人ですわ」 「そんなに簡単に割り切れる?」 「ええ」 「そう……」 その時、エレベーターが止まり、ドアが開いた。 二人で一緒に出ようとした時、突然、誰かがエレベーターに走り 込んできた。 美佳は避ける暇もなく、その誰かと正面衝突した。その勢いで美 佳も相手もしりもちをついた。 「ちょっと危ないじゃないよ」 美佳はすぐに文句を言った。ほとんど考えもなしに思ったことを ぱっと口に出すのが、美佳の特徴である。 「ごめんなさい、つい慌ててて」 相手はすぐに謝った。 「あ、あなた−−」 「あっ、椎野さん−−」 喜久子の方が先に美佳の名を呼んだ。 喜久子はすぐに美佳が起きるのに手を貸した。 「そろそろ時間だと思って、病院の入口へ行こうと思ってたんです 」 「そうだったんだ」 「!!」 喜久子はふと美佳の隣にいる女性に気づいた。何気なくそちらの 方を見た。 「お、お姉ちゃん……」 エリナを見た瞬間、喜久子は驚きのあまり顔を引きつらせ、震え た声で言った。 「あの、喜久子さん」 美佳は喜久子を落ちつかせようと声をかけた。 しかし、喜久子は美佳の言葉など全然耳に入っていない。 喜久子はその後、何かをしゃべろうとしたが、唇が震えて声にな らなかった。驚きと感激が一度に訪れたような顔をしている。 「あ、ああ」 喜久子は突然、二人に背を向け、廊下を走っていってしまった。 「一体、どうしたんでしょう」 エリナは不思議そうな顔で美佳に尋ねた。 3 対面 「さ、小夜子!」 喜久子の母親のいる病室の前の廊下で、またも感動の出会いが起 こった。今度は喜久子の父親である。 「小夜子、生きてたんだな」 喜久子の父親、水沢は感激のあまり涙を浮かべると、いきなりエ リナに抱きついた。 「よかった、無事で。お父さんは心配したんだぞ」 水沢は小夜子に対する思いを噛みしめるようにして、言った。 美佳と喜久子はそれを端から黙って見ていた。 「小夜子、お父さんに顔をよく見せておくれ」 水沢はエリナから離れ、今度は間近でエリナの顔をじっと見つめ た。 「……」 エリナはかなり戸惑った様子で水沢を見た。 「小夜子、今まで一体、どこで何をしてたんだ?お父さんたち、お まえのこと、懸命に捜したんだぞ」 水沢は興奮気味な口調を懸命に抑えながら、言った。 「お姉ちゃん、今はこの人のマネージャーをやってるのよ」 喜久子が美佳を見て、言った。 「え?」 水沢は美佳の方を見た。美佳は一瞬、ドキッとする。 「あんたが小夜子を!!」 突然、水沢は美佳につかみかかった。「よくも小夜子を。どうい うつもりなんだ、あんたは」 「ちょっと待って、お父さん」 父親の突発的な行動に喜久子は止めに入った。 だが、喜久子の静止よりもはるかに強い制止に入った者がいた。 「美佳さんに何するんですの!!」 エリナは水沢を美佳から突き放すと、美佳をかばうように水沢の 前に進み出た。 「小夜子、どうしたんだ、おまえ」 エリナの行動に水沢は驚いた。 「美佳さんに手を出すんなら、わたくしは帰ります!」 エリナは語気を強めて、言った。 「一体、何を言ってるんだ」 水沢はエリナの行動が理解できない。 「お父さん、椎野さんは誘拐犯なんかじゃないわ。もし誘拐犯なら 、わざわざ病院までお姉ちゃんを連れてきてくれるわけないでしょ 」 喜久子は水沢に強い口調で言った。 「……」 水沢はしばらくエリナの恐い顔を見ていたが、やがて大きく息を ついて言った。 「そうだな、お父さんが勘違いをしていたよ。小夜子があんなに真 剣に椎野さんをかばうんだから、悪い人のはずないよな。椎野さん 、申し訳なかった」 「い、いいえ。わかってもらえれば」 「私からも謝ります。時間がなくて、お父さんによく説明できなか ったものだから」 喜久子も謝った。 「私も悪かったわ、もう少し話し合ってからにすればよかったわね 。あの水沢さん、ここで話しても何でしょうから、喫茶店へ行きま しょう」 「わかりました」 美佳、エリナ、水沢、喜久子の4人は病院の近くの喫茶店に入っ て、話の続きをすることにした。 「ご紹介が遅れましたね。私は水沢浩志と言います」 水沢は美佳に名刺を渡した。名刺には大手コンピューターメーカ ーの開発部長という肩書きがついている。年の頃は50代前後だか ら、相応の役職と言えるだろう。 「椎野美佳です」 美佳は名刺がないので、名前だけ名乗った。 座席は4人席で、美佳とエリナ、その向かい側に水沢親娘という 組み合わせである。 「喜久子からは声優をなさっていると聞きましたが、小夜子とはど ういうきっかけで?」 「彼女とは3年半前からずっと一緒に暮らしてます」 「3年半前って−−」 「1987年の4月からです。ですから、正確には3年と4カ月前 ですね」 「それじゃあ、いなくなってから、すぐじゃないですか。どうして すぐ警察に?」 「それは−−」 美佳はどう説明していいか迷った。 「それはわたくしが説明しますわ」 エリナが言った。「わたくしは水沢さんには申し訳ありませんけ ど、小夜子さんではありません」 「エリナ!」 美佳がエリナを見る。 これには水沢は驚いた。 「小夜子じゃないって、小夜子、どういうことなんだ」 「わたくしはエリナ・レイです」 「エリナって……小夜子とは別人だって言うのか」 「そんな、お姉ちゃん、嘘よね」 喜久子の方も驚いたように言った。 「わたくしは小夜子さんとは別人ですわ。そうですよね、美佳さん 」 エリナは美佳を見た。 「……」 美佳は返答に迷った。 「椎野さん、どうなんだ」 水沢も喜久子も追求するように美佳を見る。 「少なくとも精神的には小夜子さんではありません」 美佳は静かに言った。 「精神的?」 水沢は目を丸くする。 「おそらく検査をすれば、エリナが小夜子さんであることは確認で きると思います。でも、心はもう小夜子さんではありません」 「何を言ってるんだ、君は。心が小夜子ではないとはどういうこと なんだ」 「言葉の通りです。ここにいる小夜子さんはあなたたちのことは何 一つ知りません。いいえ、それどころか今日まで面識さえありませ んでした」 「何を言ってるんだ、小夜子が記憶喪失とでも言うのか」 「違います。彼女の心に、小夜子さんはもういないんです。言って みれば、小夜子さんの心が死んで、今の体にはエリナの心が入って いるんです」 「ふざけるな、この科学の時代にそんなことが信じられると思うの か。バカらしい、つきあっちゃおれん。喜久子、小夜子、帰るぞ」 水沢は立ち上がると、エリナの手をつかもうとした。しかし、エ リナは手を引っ込める。 「小夜子……」 「わたくしはエリナです。小夜子さんではありません。ですから、 あなたたちと帰るつもりはありませんわ」 エリナは水沢を睨み付けた。 「小夜子、おまえ、この女に弱みを握られているんじゃないのか。 だから……」 「違います」 「小夜子、帰るんだ」 水沢は向きになって、エリナの手をつかんだ。 「放して下さい」 エリナが抵抗する。 「やめて下さい」 美佳は我慢できなくなって、立ち上がった。 「何だ。文句でもあるのか」 「エリナは小夜子さんじゃありません。だから、返すわけにはいき ません」 「何だと。小夜子は私の娘だ、あんたに指図される覚えはない」 「エリナは嫌がってるわ」 「それはあんたに弱みを握られて、怯えてるだけだ」 「違いますわ」 エリナが強く言った。 「小夜子、もう心配しないで、いいんだ。この女からはお父さんが 全力で守ってやる」 「わたくしは美佳さんのところにいたいんです!」 エリナは大声で言った。 その言葉の真剣さに喜久子は動揺した。 「お父さん−−」 「おまえは黙ってなさい。椎野さん、もしこれ以上、よけいなこと をするなら、警察に訴えますよ。そうなれば、あんたは逮捕だ。そ うじゃないのか」 「どうして私が逮捕されなきゃいけないんですか」 「小夜子のことを脅して、3年も働かせたんだろう」 「私は働かせてなんかいません」 「そうか、あくまでそう言い張るんだな。じゃあ、警察へ行こう」 「え……」 これには美佳も戸惑った。警察沙汰になれば、分が悪いのは明ら かに美佳の方である。 −−エリナを助けたいけど、ここで事を荒立てたら 美佳は考えに考えた。 「エリナ−−今日のところは水沢さんのところへ行って」 美佳は悔しさを噛みしめながら、エリナに言った。 「どうして……わたくし、嫌です」 「お願いよ。必ず何とかするから、今だけ−−」 美佳は訴えるような目でエリナを見つめた。 エリナにも美佳の考えていることはわかっていた。 「信じていいですか」 「もちろんよ」 「わかりました。わたくし、待ってますから」 エリナは美佳の手を一度握りしめて、言った。 「水沢さん、今日のところはエリナを置いて帰ります」 美佳は水沢に向き直って、言った。 「当然だ」 「そのかわり、後で必ずエリナを取り返しに来ます」 美佳はそう言うと、レシートをつかみ取って、後ろを振り返らず にレジカウンターの方へ去っていった。 4 事件 その夜、美佳は奈緒美のマンションを訪ねた。 「あら、珍しいじゃない。どうしたの?」 奈緒美が玄関に出迎えた。 「夕食、一緒に食べようと思って」 美佳は駅前の弁当屋で買ってきたシュウマイ弁当の入った袋を見 せた。 「私、シュウマイ弁当は昼に食べたんだけどな」 「そう、ごめん、他の買ってくる」 いつもなら切り返す美佳が、今夜に限っては元気がなかった。 「冗談よ、私、シュウマイ大好きなの。一月連続でもいいぐらいよ 」 奈緒美は美佳を引き止め、無理矢理中へ入れた。 ダイニングルームの椅子に美佳を座らせると、お湯を沸かして、 コーヒーを入れた。 「美佳は砂糖、三つだっけ?」 奈緒美はコーヒーに角砂糖を入れようとすると、 「ブラックでいい」 と小声で言った。 「あら、そう」 奈緒美は自分のコーヒーにだけ砂糖を入れた。 美佳は弁当にも手を付けず、肩を落としたまま、白い湯気の立ち 昇るコーヒーをぼんやりと見つめていた。 「何かあったの?」 奈緒美は何気なく尋ねた。 「私……エリナを置いてきちゃったよ」 美佳はぽつりと言った。 「置いてきたってどこに?」 「水沢さんのところ−−」 「水沢さんって−−まさか、エリナを連れて、水沢さんのところへ 行ったの?」 「うん……」 「どうしてそんなバカなことしたのよ。相手は3年半ぶりに娘に会 うんでしょ。会えば、引き取るって言うに決まってんじゃない。全 く」 「不安だったの」 「不安?」 「そう−−」 美佳はこれまでの出来事を奈緒美に全て話した。 「なるほどね、喜久子って言う子の方から美佳に声をかけてきたの か」 「いつかはこんな日が来るかと思ったけど、突然のことでわからな くなっちゃったの。とにかく話し合えば、わかってもらえると思っ て。それなのに、私は−−」 美佳は急に泣き出した。 「バカね、泣かないの。もう子供じゃないんだから」 「もうエリナは帰ってこないよ。私が行けば、水沢さんは警察に通 報するだろうし」 「−−確かに他人はエリナの存在なんて信じないかもしれないわね 。身体的には紛れもなく小夜子さんなんでしょ」 「まだ調べたわけじゃないけど、きっとそうだよ」 美佳は鼻をすすりながら、言った。 「エリナが自分は小夜子ではないと言い張っても、記憶喪失とか、 精神錯乱と言われるだろうしねぇ」 奈緒美も考え込んだ。 「もう駄目だよ……」 「何、弱気になってんのよ。エリナはあんたの助けを待ってるんで しょ」 「そんなこと言ったって、方法がないじゃない。まさか水沢さんを 殺すわけにもいかないし」 「当たり前でしょう、そんなこと。とにかく、私が今夜中にいい方 法考えておくから、今日はここで寝なさい」 奈緒美もいい考えがあるわけではなかったが、今の美佳にそう言 うしか宥めようがなかった。 5 父娘の会話 同じ頃、水沢邸ではダイニングルームで水沢と喜久子が静かに食 事をしていた。エリナは小夜子の部屋に入ったきり、ずっと無言の まま、閉じこもっていた。そして、その日は、病院に入院している 喜久子の母親にショックをかけまいとエリナのことは知らせなかっ た。 「お父さん」 喜久子が茶碗をテーブルに置いて、言った。 「ん?」 今まで黙々と食べていた水沢が喜久子を見る。 「私、椎野さんに謝った方がいいと思うんだけど」 「何を今更」 水沢の顔が少し不機嫌になった。 「椎野さんは悪い人じゃないと思うわ。だって、昨日、会ったばか りですぐお姉ちゃんを病院へ連れてきてくれたのよ。もしお姉ちゃ んを拐かした人なら、そんなに簡単に返してくれないだろうし、お 金だって要求して来るんじゃない?」 「……」 「私、喫茶店でのお姉ちゃんと椎野さんの姿見て、すごい絆の深さ を感じたの。二人は愛し合ってるんじゃないかって」 「何をバカなこと、言ってんだ」 「だって、あんなに真剣なお姉ちゃん、見たことなかったもの。き っとお姉ちゃん、この3年半の間、ずっと椎野さんにお世話になっ てきたんだよ」 「しかしだ、あの人はこの3年半、お父さんたちが懸命に小夜子を 捜しているのを知りながら、何も連絡してこなかったんだぞ」 「椎野さん、本当に知らなかったんじゃない?」 「何?」 「椎野さん、お姉ちゃんのこと、エリナって言ってたじゃない。き っとお姉ちゃん、偽名を使ってたんだよ」 「偽名って、おまえ、まさか小夜子は家出したって考えてるのか」 「そうとしか考えられないでしょ。お姉ちゃん、声優のマネージャ ーをやってるのよ。普通、誘拐された人間なら、そんな表の仕事で きるわけないじゃない」 「一体、何が原因で家出したって言うんだ!」 水沢は大声で言った。 「それは私にはわからないけど−−」 喜久子の声が小さくなった。 「お父さんだって、喫茶店で椎野さんにひどいことを言ったと思っ ているさ。しかしな、あの人は小夜子は身体的に生きていても、心 は死んだと言ったんだぞ。しかも、今は小夜子には別の人間の心が 存在していると言った。そんなことを言われて、黙っていられるか ?」 「それはよくわからないけど、ただもう一度、椎野さんと話し合っ てよ。あれじゃあ、お姉ちゃん、また家出するかもしれないよ」 喜久子の言葉に水沢は少し考え込んだ。 喜久子の言葉通り小夜子の年齢を考えれば、家を出る可能性は十 分にあるのだ。 「わかった。明日、椎野さんともう一度、話し合ってみよう」 6 待ち合わせ 翌朝、喜久子は自宅からO駅の途中にある歩道橋を訪れた。 喜久子はしばらく一人で、下の道路を通過する車を眺めていた。 「やあ、遅れてごめん」 突然、誰かが喜久子の肩を叩いた。喜久子がびっくりして振り向 くと、そこには二十歳前後の若者が立っていた。若者は現代風のハ ンサム顔で、長身でスマート、しかし、軟弱な印象はなく肩の辺り もがっちりとしていた。彼は名を森沢信宏と言った。 「声ぐらいかけてよ、びっくりしたじゃない」 「声はかけたさ。声かけたのに、返事しなかっただろ」 「そうだった?ごめん」 喜久子は目を伏せた。 「何だよ、元気ねえな」 森沢は喜久子の隣に立って、なれなれしく喜久子の肩を抱いた。 しかし、喜久子は反射的にその手を払った。 「どうしたんだよ、急に」 喜久子の態度に若者は驚いた様子だった。 「……」 「こんな朝っぱらから呼び出して、まさか別れ話とか言うんじゃね えだろうな」 「お姉ちゃんが帰ってきたわ」 喜久子は静かに言った。 「え?」 森沢の顔が曇った。 「小夜子が戻ったのか?」 「昨日ね」 「一体、今までどこにいたんだ?」 「この3年半、ずっとある声優のマネージャーをやってたみたい」 「3年半って、いなくなってからすぐか?」 「多分」 「小夜子、何か言ってたか?」 「それどころじゃないのよ。昨日は、お姉ちゃん、何も話してくれ なかったし」 「そうか……」 森沢は重たい口調で言った。 「どうするの?」 「どうするって?」 森沢が喜久子を見る。 「私とお姉ちゃんのことよ。お姉ちゃんとはまた前みたいにつきあ うの?」 「何言ってんだよ……そんなの決まってるじゃないか」 森沢は慌てた。 「決まってるってどっちに決まってるの?お姉ちゃんとは失踪がき っかけで別れただけで、きちんと別れ話したわけじゃないでしょ」 「俺は、今はおまえだよ」 「それをお姉ちゃんの前で言える?お姉ちゃんがいなくなったから 、代わりに私とつきあうようになったって?」 「何言ってんだよ、俺はそんないいかげんな気持ちでおまえとつき あってるわけじゃないぜ」 「だったら、お姉ちゃんに話して。私、待ってるから」 喜久子はそう言うと、森沢に背を向けて、早足で階段を下りてい った。 続く