ファレイヌ2 第17話「最後の選択」後編 5 狙われたエリナ 翌朝から、美佳とエリナは何となく気まずかった。特に美佳は意 識的に不機嫌な顔をして、エリナを無視した。食事の時もほとんど しゃべらず、仕事場へ行く時もエリナに声もかけずに一人で出てい ってしまった。 「ちょっと、美佳さん、どうしたんですか」 早足で道を歩く美佳にエリナが声をかけた。 「−−−」 しかし、美佳は何も答えない。 「昨日のこと、怒ってるんですか。それだったら、謝りますけど− −」 エリナがそう言おうとしている間にも、美佳は歩調を早めて、エ リナとの距離を開ける。 「もう、いじっぱり。ずっと、そうしているといいですわ」 エリナもさすがに腹を立て、その場に立ち止まると、歩き去る美 佳の背中に罵声を浴びせた。 その夜、エリナが広告代理店への仕事の交渉を終えて、アパート に帰ると、美佳は既に部屋で横になっていた。 エリナが部屋に入ってきても、挨拶一つせず黙り込んでいる。 エリナはアパートに戻るまではきちんと美佳に謝ろうと考えてい たが、美佳のふてくされた態度を見て、すっかりその気も失せてし まった。 「これからお風呂に行くんですけど、美佳さんも行きますか?」 エリナは後ろから美佳に声をかけた。 「私はいいよ。今日は寝る」 美佳はエリナに背を向けて、言った。 「そうですか……」 「エリナ、これ持っていきな」 背を向けたまま、美佳はエリナの前に金のクロス・ペンダントを 投げた。 「美佳さん−−」 「用心のためよ」 美佳はぶっきらほうに言った。 エリナはペンダントを拾い上げ、握りしめた。少し美佳の心遣い に嬉しくなったエリナであった。 「美佳さん、寝る時は布団をひいて寝て下さいね」 エリナは美佳に優しく声をかけて、アパートを出ていった。 「いいお湯でしたわ」 少しのぼせ気分で銭湯を出たエリナは、ふっと夜空を見上げた。 「ああ、いい風−−」 どこからか吹いてきた緩やかな風がエリナの赤く火照った頬を撫 でた。 お風呂大好きのエリナは、経済的に負担になっても毎日銭湯に通 っている。 夜道を歩きながら、エリナは昨夜の晩のことを思い出していた。 −−わたくしを助けてくれた人、一体誰なのかしら。抱きかかえ られた時のあの感触。あれはフェリカのものと似ていた。でも、フ ェリカ、いえ、ゼーテースは死んだはずですものね。あそこにいる はずはありませんわ。だけど−− エリナは戸惑っていた。 もし自分を助けてくれた男にゼーテースの臭いを感じたとしたら 、その男も魔界の者ということになる。 しかし、今のエリナは彼のことを悪いように考えたくなかった。 −−あら…… エリナは痴漢注意の看板が立っている曲がり角を曲がったところ でふいに立ち止まった。 「ここ、さっき通ったばかりですわ」 エリナは目印の看板を見て、不思議に思った。 エリナは今度は少し歩調を早くして、周りに注意しながら、道を 進んで行った。ところが、5分ほど歩くとまた元、来た道に戻って しまった。 「変ですわ」 エリナ自身、毎日通る道なので、絶対に間違えるはずはなかった 。 エリナは今度は道を逆に進んでみた。 −−もし道が正しければ、銭湯に戻るはず。 エリナはそう考えて、進んでみたが、またも5分後には同じ看板 にたどり着いた。 −−注意して進んだはずなのに。 エリナはすっかり風呂上がりののぼせ気分が覚めてしまった。 −−まさか エリナは洗面器を地面に置くと、もう一度、道を走った。だが、 やはり5分後には同じ場所に来てしまった。今度は洗面器が置いて あるので、同じ場所に来たことははっきりとわかった。 「どういうことですの。まさか無限ループの世界に−−」 エリナがぽつりと不安げに呟いた時、曲がり角から黒い影が現れ た。 「ほほほ、あなたの言う通りですわ」 月明かりに照らされて影が正体を現した。 「あなたは……」 エリナはあとずさった。 「久し振りですわね、エリナ」 アエローは冷たい微笑みを浮かべて、言った。 「何の真似ですの?」 「決まってるじゃない、お前を始末するためよ」 エリナの背後で女の声がした。はっとして振り向くと、そこには もう一人の女が立っていた。 「私に会うのは初めてね。私の名はエレクトラ。アエローの妹よ」 「エレクトラ……」 「こうして魔界の使徒、二人にかかって死ねるなんて、あなたは幸 せよ」 「昨夜は生かしておいてあげたけど、今度は容赦はしませんわよ」 アエローとエレクトラは、前後からエリナに詰め寄った。 「わたくしを殺せば、美佳さんが黙ってはいませんわ」 エリナはアエローを睨み付けながら、言った。 「ふふふ、それは試してみれば、わかることですわ」 アエローはニヤッと笑った。 「くっ」 エリナは思い切って、アエローに向かっていった。 アエローは右手を前に出し、手のひらをエリナに向けた。 「ヴェル デ ドート」 アエローの手に黄色い光の球が発生した。 「!!!」 エリナはその光を見た途端、動きを止めた。 「くらえ」 アエローの手から光線が発射された。 もう駄目 エリナは両目をつむって、体をすくめた。 光線がエリナを襲う。 パシッ!!! その時、エリナの前に何かが覆い被さった。 「うああっ」 男の叫び声。 エリナが目を開けると、目の前にはカライスが立っていた。 「あなたは……」 エリナは驚いた様子で呟いた。 「お兄様!」 アエローとエレクトラが同時に叫んだ。 「うぐっ」 アエローの攻撃を背中に受けたカライスは膝をついた。 「大丈夫ですか」 エリナは心配そうにカライスを見つめる。 「お兄様、どういうつもり」 「エリナは殺させないと言ったはずだ」 「そこまでして、どうして?」 アエローは戸惑いを隠せなかった。 「アエロー、裏切るなら、同情する必要はないわ。2人まとめて始 末するのよ」 「エレクトラ、待って」 「待てないわ」 エレクトラは強くつっぱねた。 「エリナ」 アエローたちの言い争いが続いている間に、カライスが小声でエ リナに話しかけた。 「はい」 「これからテレポートして、君を安全なところへ運ぶ」 「どうして、わたくしを?」 「……静かに」 カライスはエリナの両手を握った。「心を無にして」 「はい」 エリナが目をつぶる。 「エレクトラ、お兄様がテレポートするわ!」 カライスの様子に気づいたアエローが声をあげた。 「何!逃がすか。ソーラル・フォール!」 エレクトラが光状の輪を右手に発生させて、エリナに投げた。 シュン!! その瞬間、カライスとエリナがその場から消えた。 光輪はアエローの方に飛んでいく。 「逃げられましたわね」 アエローは冷静に光輪を叩き落とした。 「追うのよ」 「エレクトラ、本気でお兄様と戦うの?」 「もちろんよ」 「わかりましたわ。行きましょう」 6 資材置き場 カライスとエリナはビル建築現場の資材置き場にテレポートした 。 「ここまでくれば、しばらくは大丈夫だろう」 カライスは大きく息をついて腰を下ろし、積み上げられた材木に 背もたれた。 「すぐにキティのところへ戻るんだな」 「……」 エリナはカライスを心配そうに見つめている。 「どうした?」 カライスは細目でエリナを見た。 「体、大丈夫なんですの?」 「心配するな。時間が経てば、回復する」 「どうしてわたくしを助けてくださったんですか」 「ふふ、君は殺すには惜しい女だからな。将来のために残しておき たいと思ったのだよ」 「そんなの嘘ですわ。あなたはバフォメットの一味なんでしょう。 そのあなたが、そんなことのために仲間を裏切ってまで、わたくし を助けるなんて信じられませんわ」 「だったら、なぜ助けたと思う?」 カライスはゆっくりと立ち上がった。 「……」 「魔族の男は人間よりも性欲が強くてね。美しい女を見ると、犯さ ずにはいられないんだ」 カライスはニヤリと笑って、ゆっくりとエリナに近づく。 エリナは一瞬、カライスの行動に動揺して後ずさりをしたが、す ぐに足を止めた。 「いいですわ」 「何……」 「あなたがその気なら、わたくしの体、差し上げますわ」 エリナはカライスをじっと見つめ、強い口調で言った。 「魔族に抱かれた女は、一生性の虜となるのだぞ」 「どうしてそんなことをわたくしに言うんですか。わたくしの気持 ちより、あなたの気持ちでしょう」 「気の強い女だな、キティと同じだ」 カライスが2、3歩、足を踏み出した。 「うっ」 その途端、カライスはふらふらっとして前のめりに倒れた。 7 追っ手 「ううっ」 カライスは目を覚ました。 霞む視界の中で、次第に辺りがはっきりしてくると、目の前には 心配そうに自分の顔をのぞき込むエリナの顔があった。 「気づかれたんですね」 エリナはカライスが目を開けたのを見て、嬉しそうに言った。 「君はまだいたのか」 カライスは呆れた様子で言った。 「あなたを残して、いけませんわ」 「馬鹿な。追っ手が来るんだぞ」 カライスは急に起き上がった。しかし、そのせいで背中にズキッ と痛みが走る。 「まだ無理しては駄目です」 エリナがすぐに彼の体を支える。 「ここは?」 カライスは自分のいる場所が先ほどと違うことに気づいて、尋ね た。 「ここはビルの中です」 「どれくらい時間が経った?」 「さあ。時計がこの通りですから」 エリナは腕時計を見せた。 エリナの腕時計は長針が左周りに、短針が45度ずつ右周りとい う奇妙な回転をしていた。 「これは……まさか、まだここは異次元なのか」 「そのようです」 「そうか……アエローの攻撃で、テレポートがずれてしまったんだ な」 カライスは考え込んだ。 「もう一度、テレポート出来ますか」 「このケガではしばらく無理だな。やっても、元の世界に戻れるか わからん」 「そうですか。まあ仕方ないですね」 エリナは笑顔で言うと、カライスの隣に座った。 「心配じゃないのか」 「どうしてですの?」 「元の世界に戻れなきゃ、君を守ってくれる人間はいないんだぞ」 「あなたが守ってくれたじゃないですか」 「ふっ、この体では、次に二人が現れたら、どうしようもない」 「あ、あの、もし二人が現れたら、わたくしを殺してください。そ うすれば、あなたは助かりますわ」 「バカを言うな。それじゃあ、俺がケガまでして君を助けた意味が ないじゃないか」 「意味がなくても、命が助かればそれでいいじゃないですか」 「面白いことを言うな。君は命が惜しくないのか」 「命は大事ですわ。大事だからこそ、自分を助けてくれた人のため に投げ出したいと思いますの」 「ふふ、二人の妹に聞かせたい台詞だな。だが、一度や二度、命を 助けられたくらいで信用すると、後悔することになるぜ」 「あなたの弟のように、あなたもわたくしを騙してるってことです か」 「そういうことだ。君は安易に人を信用しすぎるきらいがある。弟 のことにしても、椎野美佳のことにしてもな」 「美佳さんは裏切ったりはしませんわ」 「どうかな。君がファレイヌの時には、散々君の世話になりながら 、君が人間となってから、美佳は何をしてくれた?今、こうして君 が狙われている間にも、美佳は君を探そうともせず、寝ているんだ ろう?」 「あなたは人を愛したことがありますか」 「ん?」 「わたくしは美佳さんが好きだから、役に立ってあげたい。それだ けですわ」 「献身の心など単なる自己満足だ。他人から見れば、偽善者にしか 映らん」 「それでもわたくしは自分の気持ちを信じますわ」 エリナは強い口調で言った。 「驚いたね……ゼーテースが前に言っていた。君は珍しいくらい裏 切りのない、忠実な女だってな。愛のためなら、人殺しでもなんで もする」 「……」 「弟は君を愛していた。扱いやすい道具としてな。恐らく美佳も− −」 パシッ! その瞬間、エリナの平手打ちがカライスの頬に飛んだ。 「美佳さんは違うって言ってるでしょ!」 エリナは感情的に言った。 カライスはふっと笑って、エリナを見た。 「何を動揺してる?このくらいのことを言われて動揺するようじゃ 、簡単に悪魔につけ込まれるぞ」 「え?」 「君を助けた理由を教えてやろうか」 「ええ」 「3年前、バフォメット様を殺したのは君か?」 「そうですわ」 「その時の状況を詳しく教えてくれ?」 「それを聞くのが目的ですか。それを聞いたら、わたくしを殺すん ですか?」 「どうかな」 「いいですわ。話しましょう」 エリナは3年前の教会堂でのバフォメットとの対決の様子を話し た。 「なるほど、君が椎野律子の体から誕生したバフォメット様を背後 から首を絞めて殺したと言うわけか」 「ええ」 「その時、完全にバフォメット様の息の根を止めたのか?」 「もちろんですわ」 「律子の体内にあったバフォメット様の卵は?」 「二度とバフォメットが再生しないように美佳さんが処分したと聞 きました」 「……」 エリナの言葉にカライスは考え込んだ。 「わたくしもあなたに聞きたいことがあります。美佳さんとどうし て交渉しようとしたんですか。美佳さん、あなたの要求にすごく心 を痛めています」 「エリナ、この私と教会堂に行ってくれるか?」 カライスはエリナの質問に答えずに言った。 「いいですわ」 エリナはゆっくりと頷いた。 ガシャン!!ガシャン!! その時、ビルのフロアの窓が一斉に割れた。 「ついに見つけましたわ」 割れた窓から二人の女が入ってきた。アエローとエレクトラだ。 「来たか−−」 壁にもたれかかっていたカライスはエリナの肩を借りて、立ち上 がった。 「お兄様、裏切りの代償、払ってもらいますわ」 アエローはぴしっと手にした鞭をしならせた。 「悪いが、今は死ぬわけにはいかんな」 「そんな体でどうやって戦おうと言うの?」 エレクトラが冷笑した。 「エリナ、後ろへ下がっていろ」 カライスは小声で言った。 「わたくしも戦います」 エリナはカライスの腕をつかんだ。 「君がどうやって戦うって言うんだ」 「これを使います」 エリナは首にかけた金色のクロス・ペンダントを握りしめた。 「それは−−」 「チェンジ リヴォルバー」 エリナの言葉で、ペンダントが黄金銃に変化した。 「それはファレイヌ−−」 「わたくしが時間を稼ぎますから、あなたはテレポートの準備をし てください」 「しかし−−」 「今のあなたには、魔法を使う力は少ししかないんでしょう。でし たら、その力を逃げることに使いましょう」 エリナは真顔で言った。 「君は−−」 「私が撃ったら、すぐに階段を伝って、上に逃げてください」 「−−わかった」 「いつまでごちゃごちゃ話してるつもり。おまえたちに生きる道な どないのよ。ソーラル・フォール!」 エレクトラは呪文を唱えると、右手に発生した光輪をエリナたち に投げつけた。 「カライス、逃げて」 エリナは左手でカライスを押すと、二人に向けて黄金銃の引き金 を引いた。 グォーン! 黄金銃の光弾が飛んでくる光輪を打ち砕いた。 その隙にカライスが階段を上っていく。 「待ちなさい!」 アエローが追いかけようとした。だが、アエローの目の前にすか さず黄金銃の光弾が飛ぶ。 「彼に手出しはさせませんわ」 「面白い。ならば、おまえから先に片づけてやりますわ」 アエローはエリナの方を向いた。 アエロー、エレクトラ、二人の視線がエリナに集中した。 「もともと、おまえを殺すのが目的。お兄様は後で構わないのよ」 エレクトラはニヤッと笑って、言った。 「はあ、はあ」 エリナは心の中で苦しい息遣いをしていた。 −−普通の人間がファレイヌで撃てる弾丸はせいぜい3発。後1 発でどうやって 「どうしたの。おまえが来ないのなら、わたくしの方から行きます わよ」 アエローが大きく鞭を振り上げ、勢いよくエリナに鞭の先鞭を飛 ばした。 パシッ!! その時、エリナの前に黒い影が現れた。 影は飛んできたアエローの鞭を右手でしっかりとつかんだ。 「おまえは−−」 アエローは眉をそばめた。 「善と悪のバランサー、キティ・セイバーよ」 エメラルドグリーンの髪をかき上げて、女は言った。 「美佳さん!」 エリナの顔が明るくなる。 「全くいつも心配かけるんだから」 キティは後ろのエリナの方を見て、苦笑した。 「なぜここがわかった?」 エレクトラが怒りに満ちた顔で言った。 「エリナがファレイヌを持っていってくれたおかげでね、このヘア バンドですぐに居場所が分かったわ」 「おのれ」 アエローは鞭を引っ張った。キティも放すまいと鞭を引っ張る。 二人のにらみ合いがしばし続いた。 「美佳さん、わたくし、カライスを助けたいの?」 「カライス?カライスがいるの?」 「事情は後で話しますわ」 エリナはそう言うと、階段の方へ駆け出した。 「エレクトラ、逃がさないで」 アエローが叫ぶ。 「わかった」 エレクトラは素早く階段に先回りし、エリナの前に立ちはだかっ た。 「このまま生かして帰すと思うの?」 エレクトラはニヤリと笑って、エリナの両肩をつかんだ。 グォーン!! その時、1発の銃声が轟いた。 エリナの手には黄金銃が握られている。 「うぐっ」 エレクトラは腹部を押さえ、その場に座り込んだ。 エリナはエレクトラを乗り越え、階段を上っていった。 「エレクトラ、大丈夫?」 アエローが鞭を手放して、エレクトラに歩み寄った。 キティは突然、アエローに鞭を放されたので、その勢いで、尻餅 をついた。 「私は大丈夫だ。それより、エリナとお兄様を−−」 エレクトラの言葉にアエローは頷くと、空を飛んで階段を上って いった。 「待て!」 キティはすぐに起き上がって、追いかけようとするが、階段の前 にはエレクトラが両手を広げて、立ちふさがった。 エレクトラのドレスの腹部は血で青く染まっている。 「どきなさい」 「死んでもどくものか。おまえとは決着をつけてやる」 「そんな体で、どうやって戦う気?」 「ふふ、なめてもらっては困るな。この程度の傷−−」 エレクトラは自分のドレスをぎゅっとつかむと、一気に引き裂い た。 「!!!」 キティは目を見張った。 エレクトラは全裸だった。 「ディック・ソル・デュート(変身解除)」 エレクトラは全身に力を入れて、呪文を唱えた。 「これは−−」 キティは顔をしかめた。 エレクトラの体は突然変異を始めた。背中から鷹のような大きな 翼が生え、白い両足が黒い鳥の脚に、両手には鋭い爪が生えた。そ して、瞳は黒から赤に、髪は金色になった。 「変身なんかしたら、元に戻れないんじゃないの、あなたたちは」 「うるさい。外へ出ろ」 エレクトラは羽を羽ばたかせて、窓から外へ出た。 キティは渋い顔をしたものの、エレクトラを追って、外へ出た。 「バフォメットは命をかけてまで守る輩じゃないわよ」 キティは空を見上げて、言った。 「黙れ!!」 エレクトラは上空から直滑降で、キティに襲いかかった。 「ちっ」 キティはエレクトラの攻撃を寸前でかわした。 だが、エレクトラはそのままの勢いで上昇すると、再び体勢を整 えてキティに襲いかかる。 しかし、その攻撃もキティは寸前でかわす。 「ソーラル・フォール!」 エレクトラは今度は上空から連続して光輪を投げつけた。 キティは素早く走りながら、資材置き場や車両に隠れて、逃げ回 る。 「なぜ攻撃しない!」 エレクトラは上空から感情的な声をあげて、言った。 「怪我人に勝ったって、嬉しくないのよ」 キティは空を見上げて言った。 「ふざけやがって!!」 エレクトラは歯ぎしりをした。 「美佳さん」 その時、ビルの割れた窓からエリナが出てきた。 「エリナ、出ちゃ駄目だよ」 キティが叫んだ。 「バカめ、おまえから先に地獄へ送ってやる!」 エレクトラはエリナに向けて、突撃した。 「駄目ぇ!!!」 キティはエリナの前に飛び出した。「サイコ・ブレード!」 キティの右手に光の剣が発生した。 「やあぁぁぁ!」 キティは光の剣を向かってくるエレクトラに投げた。 光の剣が槍状になって、飛んで行く。 グサッ!! サイコ・ブレードがエレクトラの体を貫いた。 「ぎゃああああ」 エレクトラが悲鳴を上げた。 そして、キティたちの前で失速して、地面に落ちた。エレクトラ はしばらく体をぴくぴくと動かしていたが、やがて動かなくなった 。 「美佳さん……」 エリナが不安げに言った。 「殺したくなかった……」 キティは悲しげな目をして、呟いた。 エレクトラの体は二人の見ている前で空気に溶け込むように消え ていった。 「エリナ」 キティは後ろを向いて、エリナを見た。「どうして戻ってきたの よ」 「あ、それなんですけど、上に行ってもカライスがいないんですよ 」 「いないって?」 「恐らく、どこかへテレポートしてしまったと思うんですけど−− 」 「階段を降りてくる時、アエローに会わなかった?」 「いいえ」 「そう、彼女、エリナの後を追って行ったんだけど−−そういえば 、さっき、聞きそびれたんだけど、カライスを助けたいって−−」 キティがそう言いかけた時、突然、エリナが大きな声を上げた。 「ああっ、そうですわ!!」 「な、なに?」 「もしかしたら、カライスは教会堂へ行ったのかも−−」 「教会堂へ?どうして」 「美佳さん、昔、バフォメットを倒したあの教会堂へテレポート、 出来ますか?」 「そりゃあ、一度、行ったことのある場所なら出来るけど−−それ より、事情を……」 「じゃあ、行きましょう。急がないと大変ですわ」 「え、ああ、うん……」 キティの方はエリナと違って全然状況をのみ込めていなかった。 8 バフォメット 聖ポランシス教会−− キティとエレクトラが戦いを続けていた頃、カライスは建築中の ビルから教会内部へテレポートした。 エリナをビルに残し、自分だけテレポートすることにカライスは 初めて心が痛んだ。 あのままなら、エリナは必ずアエローたちに殺されるだろう。 いつもなら、人間一人の生死など気にしない彼だが、エリナに対 しては普通の人間とは違った感情を抱いていた。 「裏切りのない忠実な女か……ゼーテース、確かに彼女はおまえの 言ったとおりの女だったよ。だが、ゼーテース、おまえは相手のた めに自分の身を犠牲にすることが出来るか。かつて人間を生み出し た我が一族が出来ないことを人間がやっている。これだけでも我々 がいかに進歩のない生き物か分かろうというものだな」 カライスは自嘲した。 背中の負傷と無理なテレポートでカライスはかなりの疲労を感じ ていたが、それでも彼は祭壇へと歩いた。 途中何度もふらつき、倒れそうになったが、一つの決心が彼の意 識を支えていた。 −−バフォメットの生死を確かめる。 彼はゼーテースが死んだ後、最初に教会堂に来た時から、バフォ メットの存命を疑問視していた。 今から400年以上も前、ゼーテースたち兄妹と共に、1000 年に一度しか開かないというアストラルゲートを通って魔界からバ フォメットの卵を持ってこの世界に降り立ったカライスだったが、 3年前までは一度もバフォメットの気を感じないということはなか った。それだけにアエローだけがバフォメットの気を感じることに 不審を抱いていた。 しかし、魔界の王ダイモーンの分身であるバフォメットの前では 、いかなる魔族もその命令には逆らえない。それゆえにこれまでア エローを通じて伝えられたバフォメットの指令を忠実に守ってきた 。 −−バフォメット様は我々魔族と違い人間界に適応するように作 られているから、肉体がなければ、生きられない。もしエリナがバ フォメット様の肉体を葬ったとするなら、残る幽体は数分以内に別 の肉体に乗り移らなければ、消滅する。 カライスは、高祭壇の後ろに隠された地下室へ続く階段を下りた 。 彼は地下通路を歩きながら、アエローのことを考えていた。 −−アエローのあの好戦的な態度……。エレクトラはともかくア エローは少なくとも好戦的ではなかった。数カ月前にこの教会堂に 来るまで、アエローは血を嫌って、争いごとは常に私かエレクトラ に任せていた。それがここへ来てからのあの変わりよう…… この数カ月、彼があえてキティとの直接対決を挑まなかったのは 、アエローの様子を見守りたいという気持ちがあったからだった。 カライスは地下室のドアを開け、中へ入った。奥の祭壇にはバフ ォメットの灰を納めた壷がある。 カライスはゆっくりと祭壇の前に歩み寄った。そして、壷を手に した。 彼はバフォメットに対して、念波を送ったが、全く反応がなかっ た。 カライスはバフォメットに対する無礼を考え、壷から灰を出すこ とをかなりためらった。 −−確かめるんだ 彼は壷を逆さにして、祭壇の上に黒い灰を出した。 −−これが本当にバフォメット様なのか カライスは灰をじっと見つめ、唾を飲み込んだ。 −−もし生きているのなら、灰を分散させても、元に戻るはず。 だが、そんな無礼なことをすれば、私は死刑だ 彼は迷っていた。バフォメットは絶対神であり、逆らうことの出 来ない存在なのだ。 キリシタンが踏み絵をさせられるような心境だった。 −−一体、どうしたら カライスは悩んだ。その時、ふっとカライスの脳裏にエリナの言 葉が蘇った。 命は大事ですわ。大事だからこそ、自分を助けてくれた人のため に投げ出したいと思いますの −−彼女は私のために命を投げ出したんだ カライスは決心を固め、灰を右手でつかんだ。そして、それを地 面にばらまいた。 「ああ……」 その瞬間、カライスは自分の行った罪深い行為にショックを受け た。 彼は膝をつき、頭を抱えた。 「これで終わりだな」 彼は笑った。 ショックによるものなのか、自分の決意をまっとう出来たからな のか、それは彼自身にも分からなかった。 だが、数分後、彼はそんな感情よりも別の感情が芽生えていた。 バフォメットの灰は元に戻らなかった。動くこともなければ、意 思を発動することもない。つまり、何事も起きなかったのだ。 「こいつはバフォメット様じゃない」 カライスは祭壇に残った僅かな灰を握り締めた。その拳には怒り がこもっていた。 「とうとう、わかってしまいましたのね」 入口の方で声がした。 「むっ」 カライスは声の方を見た。 そこにはアエローが立っていた。 「アエロー……」 「こんなに早くわかってしまうなんて残念ですわ」 アエローは氷のような笑みを浮かべた。 「やはりおまえは知っていたんだな」 「ええ。バフォメットはキティとの戦いに敗れて、3年前に消滅し てしまいましたわ。そこにある灰は動物の死骸を灰にしたものよ」 「なぜそんなことを−−」 「うふふ、バフォメットが死んでも、魔族は生き残っているんです もの、これを利用しない手はありませんわ。あなたたちとキティが 勝手に争って、同士打ちにでもなれば儲け物だし、ファレイヌもた だで手に入るでしょう」 「馬鹿な。おまえはそんなことのためにバフォメット様を利用した のか」 「そうですわ。あなたたちは単純だから、バフォメット様の命令と 言うだけで、簡単に信じちゃって……この数カ月、面白かったです わ」 「面白かった?おまえは右腕まで負傷して、キティと戦っていたじ ゃないか」 「これはアエローの肉体ですもの。別になくなったって、どうって ことはありませんのよ。それに、わたくしが率先してキティと戦っ たのは、そうすれば単純なあなたたちもキティを殺すことに本気に なると思ったからですの」 「おまえ、何者だ」 カライスはアエローを睨み付けた。 「ふふふ、わたくしですか−−」 アエローが一歩前に進み出た。「わたくしは、ディグレー様の忠 実なるしもべ、雷のエスティーナ」 アエローの体が額から真っ直ぐ縦に割れ、中からオレンジ色の髪 に青い瞳を持つ女が現れた。 「ディグレーだと、そうか貴様は天界の……」 「その通り。わたくしはこの世界にディグレー様の分身であるラシ フェール様の世界を作るために派遣されましたのよ」 「相変わらず、汚いやり方だな。天界の一族は」 「薄汚い魔界の者に何を言われても腹が立ちませんわ。エレクトラ は後で地獄へ送って上げるから、先に死になさい」 エスティーナは数歩前に進み出ると、右手を上に上げ、手のひら をカライスに向けた。 「そこまでよ」 その時、入口のドアが大きく開いた。 「ん?」 エスティーナが後ろを見た。入口にはキティとエリナが立ってい た。 「話は聞かせてもらったわ。魔界の者も許せないけど、仲間のふり をして裏切り行為を続けたあんたはもっと許せない。このキティセ イバーが天界へ送り返してやるわ」 キティは黄金銃をエスティーナに向けた。 「うふふふ」 エスティーナは愉快そうに笑った。 「何がおかしいの?」 キティはむっとして言った。 「あなたたちって、本当に単純ですこと。あなたはカライスを助け に来たつもりでしょうけど、そんなことはとっくにわかっていまし たわ」 「何ですって」 「あなたたちはここでみんな死ぬのよ、わたくしと一緒にね」 エスティーナの右手にオレンジ色の電気の渦が発生した。その電 気は腕を伝って、彼女の体をどんどん包んで行く。 「一体、何をする気?」 「美佳さん、彼女、自爆する気ですわ!」 エリナが強い口調で言った。 「テ、テレポートしなきゃ」 「キティ、ここでは駄目だ。外へ出ろ」 カライスが叫んだ。 「どういうこと?」 「この場所は直接テレポートを避けるために魔法が一切、使えなく してある」 「だって、この女は……」 「こいつは自分に魔法をかけてるんだ!」 「美佳さん、逃げましょう」 エリナがキティの手を引っ張る。 「カライス、あなたは……」 キティがカライスを見る。 「キティ、交渉は結局無駄だったな。君の返事が聞けなくて残念だ 」 カライスは苦笑した。 「カライス……」 「エリナを大切にしろよ」 「うん……」 「さあ、早く逃げろ!」 「カライス、ありがとう」 キティはカライスを見つめて、言った。 「ふふふ、もう手遅れですわ」 エスティーナの体がオレンジ色の電気で覆われた。 「くそぉ!!」 カライスがエスティーナに突進し、抱きついた。 「行くよ」 キティがエリナの腕をつかんで、地下室を飛び出した。 「ガル・セフィム・ルード!!」 エスティーナが呪文を叫んだ。 ピシッ!!! 次の瞬間、エスティーナの体が大爆発を起こした。 爆発は一瞬にして地下室を破壊し、上にある教会堂は激しく振動 しながら、地面の中に沈み、土煙を上げて跡形もなく崩壊した。 数分後、教会堂のあった場所には屋根にあった十字架だけが刺さ っていた。 辺りは静寂と化し、虫の音もやんでしまった。 しばらくして一人の女が森林の陰から出てきた。 女は教会堂の跡地を見つめながら、呟いた。 「エスティーナ、おまえの死にざま、見事だったぞ」 女は跡地に背を向け、静かに森の奥に去っていった。 「最後の選択」終わり