ファレイヌ2 第13話「吸血鬼」後編 14 帰宅 タッタッタッ!!! 美佳は猛然とアパートの階段を駆け上がった。 そして、3階に出ると、狭い通路で多少小走りになりながらも、 ダッシュで突っ切り、そのままの勢いでドアを開け、自分の部屋に 飛び込んだ。 「エリナ!!!」 美佳は居間の戸を強く開けた。 「いない……」 居間にはエリナの姿はなく、布団が畳んで隅に置いてあった。 美佳は部屋の電気を点けた。 美佳は靴をその場に脱ぎ捨て、窓を開けて、ベランダに出た。 「こんな時間にどこへ行ったのかしら。やっぱり出ていくんじゃな かった……」 美佳は夜空を見上げながら、自分の突発的な行動を反省した。 15 奈緒美の訪問 翌日の正午、奈緒美が美佳のアパートを訪ねてきた。 「ナオちゃん、おふぁよう」 美佳は眠たそうな顔で玄関に現れた。 「心配したわよ、昨日は来たと思ったら、いつの間にか帰っちゃう し、その後、そっちへ何度、電話しても出ないし」 「ごめん、一晩中エリナを捜してて−−」 「エリナ、いないの?」 「うん。あちこち、心当たりは当たってみたんだけど、全然見つか らなくって」 「そう。いないの……」 奈緒美は顎を撫でた。 「エリナに用でもあるの?」 「ううん、そうじゃないのよ−−実はさっき、昨夜の通り魔の被害 者が死んだの。ずっと意識不明の状態だったんだけど、大量出血が たたってね……」 奈緒美は珍しくやりきれない表情をしていた。「それで、これか ら病院に行くところなんだけど、美佳も付き合う?」 「いいの?」 「ええ」 「行くわ。このままじっとしてても仕方ないし」 「じゃあ、決まりね。外で待ってるから、早く着替えてらっしゃい 」 奈緒美はそう言うと、美佳の部屋にはあがらず、そのまま立ち去 った。 16 病院 それから、30分後、奈緒美と美佳は国立G病院を訪れた。 被害者の遺体は集中治療室から個室の方へ移されていた。 奈緒美たちが遺体の眠る病室を訪ねた時、病室の入口のドアの前 には刑事が一人立っていた。 「警視庁捜査1課の牧田よ」 奈緒美が刑事に警察手帳を見せる。刑事はすぐに敬礼をした。 奈緒美が病室に入ろうとした時、中から女のむせび泣きの声が聞 こえた。 「誰かいるの?」 奈緒美が小声で刑事に尋ねる。 「はい、被害者の妹で、中田真由美という女性が一人−−」 「そう。−−美佳、入るわよ」 「うん」 奈緒美たちは静かにドアを開け、中に入った。 一人の女性がベッドの遺体に寄り添い、顔を埋めて泣いていた。 美佳は入口のそばで立ち止まり、遠くから様子を見守った。 奈緒美は女性に歩み寄り、優しく声をかけた。 「中田さん、失礼ですが、お話をうかがってよろしいですか?」 「ぐすっ、ぐすっ……あっ、すみません−−」 奈緒美に気づいた真由美は慌ててハンカチで涙を拭いて、立ち上 がった。 「すみません、お恥ずかしいところお見せして」 真由美は奈緒美の方を向いて、言った。真由美はまだ目のまわり が真っ赤だったが、表情の方は落ちつきを取り戻していた。 「警視庁の牧田です」 奈緒美は警察手帳を見せた。 「中田真由美です」 「被害者の妹さんだそうですね」 「ええ。私と姉とは二人きりの姉妹で、東京で一緒に暮らしていま した。両親は札幌にいます」 「お姉さんはお気の毒でした。厳重なパトロールにも関わらず、被 害者を出したことには、我々も責任を感じています」 奈緒美は頭を下げた。 「頭を下げられても、姉は帰ってきません。それより、早く犯人を 捕まえて、これ以上被害者を出さないようにして下さい」 真由美は真剣な口調で言った。 −−へえ、あの人、強いなぁ。普通なら、警察に対して怒りをぶ つけてもいいはずなのに 美佳は真由美を好意的な目で見た。 「犯人は必ず捕まえます」 「お願いしますね。それでは、私は両親に電話を入れなければなら ないので」 真由美はそう言うと、病室を出ていった。 「美佳、何、にやにやしてんのよ」 奈緒美はぼっとしていた美佳に言った。 「別ににやにやなんてしてないわよ。ただ、偉いなと思って。普通 、肉親を殺されたら、警察には文句の一つも言いたくなるのに」 「美佳だって、律子が死んだ時にはそうだったじゃない」 「私と彼女とは違うわ。私は結局、自分で復讐をやっちゃったんだ もの」 美佳は視線を落として、言った。 「彼女だって、心の中では美佳と同じことを考えてるかもしれない わよ」 「え?」 美佳が顔を曇らせる。 「あくまで心の中での話よ」 「脅かさないでよ」 「でも、今度の事件で犯人がどういう行動に出るかが見ものよね」 「どういうこと?」 「つまり、今度の事件で警察はいっそうパトロールを強化するし、 マスコミの報道で女性も夜間の外出も控えるようになるでしょ。そ うなると、犯人がこれまでのように路上や駅で人を襲うのは困難に なるわ。まともな人間なら、犯行は当分の間、やめるけど、犯人が 清水晶子と同じ吸血鬼だとしたら、必ず誰かを襲うわ」 「そうね……」 「そうなった場合、犯人はどこで女性を襲うかしら?」 「外が駄目なら、家にいる女性を襲うんじゃない」 「その通り。でも、そうはさせない方法が一つあるわ」 「囮を置くんでしょ」 「へえ、勘が鋭いじゃない」 「ナオちゃんの考えはわかるわ。一部区域だけパトロールしないと ころを作って、そこに囮を歩かせて、犯人に襲わせるんでしょ。け ど、犯人がそんな手に引っかかるかしらね」 「相手は血に飢えた獣よ。路上に女性が一人しか歩いていなければ 、必ずその女性を襲うわ」 「断言するわね。そこまで自信たっぷりに言うってことは、犯人の いる区域は特定出来てるっことね」 「もちろん」 「へえ、どこ?」 「それは教えられないわ、捜査上の秘密だから」 「秘密ね−−」 美佳は遺体のあるベッドの方に歩み寄った。そして、遺体の首筋 を見る。ちょうど左側に2カ所、噛まれた痕が残っている。 −−左側の首筋に噛みついたと言うことは左利きという事かしら 。 「美佳、いつまで死体を見てるの、出るわよ」 奈緒美が入口のところで呼んだ。 「ああ、ちょっと待って」 美佳はベッドを離れ、奈緒美と病室を出た。 「ねえ、ナオちゃん」 病院の廊下を歩きながら、美佳が奈緒美を見て、言った。 「何?」 「さっき言ってた囮って誰がやるの?」 「もちろん、私よ。こんな任務、婦人警官にやらせるわけに行かな いでしょ」 「危険だよ」 「あら、心配してくれるの?」 「まあね。ねえ、その任務、私がやろうか」 「え?何言ってるの?」 「ナオちゃんだって、私をこうして病院へ誘ったのも、私にそれを 頼みたかったからなんでしょ」 「馬鹿言わないで、どうして私が−−」 「じゃあ、そのつもりはなかったわけ?」 「当たり前でしょ。私はただエリナの−−」 奈緒美は一瞬何かを言いかけたが、慌てて口をつぐんだ。 「エリナの何なの?」 「何でもないわ」 「エリナのことで私に何か話があるのね。教えてよ」 「別にないわよ」 奈緒美は美佳を振りきるように早足で歩く。しかし、美佳も負け じと奈緒美についていく。 「待ってよ、知ってることがあるんなら、教えてよ」 「何でもないって言ってるでしょ」 「そっか、さっき、家へ来たのは、エリナに会うためだったのね」 「うるさいわね、関係ないって言ってるでしょ」 奈緒美はエレベーターの前で立ち止まり、呼び出しボタンを押し た。 美佳は奈緒美の後ろを苛立たしげに見つめた。 −−ナオちゃんはエリナのことで何か知ってるんだ。それを聞き 出すためには…… 美佳は迷った。エリナが吸血鬼かもしれないと言うことを奈緒美 に話すべきか、黙っているべきか。 エレベーターのベルが鳴って、扉が開いた。 −−もう話すしかない!! 「ナオちゃん!!」 美佳は思いきって、声を上げた。 奈緒美の歩きかけた足が止まる。 「まさか、ナオちゃんもエリナが吸血鬼じゃないかって疑ってるの ?」 美佳は声は小さいが、しっかりした口調で聞いた。 エレベーターの扉が自動的に閉じた。 エレベーターの前でじっと立っていた奈緒美は振り向いた。 「美佳、あんたも知ってたの?」 奈緒美は美佳を見た。 「何となくだけど−−」 美佳は元気のない声で言った。 「そう、それなら話は早いわ。美佳、ちょっと付き合って」 奈緒美はそう言うと、美佳の手を引っ張って、強引に歩いていっ た。 17 証拠品 奈緒美は美佳を誰もいない病室に連れてくると、外に誰もいない のを確認して、ドアを閉めた。 「本当はエリナに確認をとってから、あんたに話そうと思ったんだ けど、こうなったら仕方がないわね」 「何か見つけたの?」 「夕べの事件の現場で被害者以外の持ち物が発見されたの」 奈緒美はスーツのポケットから、ビニール袋を取り出した。ビニ ール袋には血のついたハンカチが入っていた。 「このハンカチを見てみて」 奈緒美からハンカチを受け取り、美佳はそれを見た。 「どう見覚えない?」 「見覚えって、これといって−−」 美佳はビニールに入ったハンカチを両面から丹念に見ていたが、 「ああっ!!」と突然声を上げた。 「わかった?」 「このハンカチの刺繍−−」 「そう、彼女の名前が入っているわ。彼女、几帳面だから、持ち物 には全て名前を入れてるんでしょ。このハンカチもそのひとつじゃ なくて?」 「これが現場にあったの?」 「被害者の中田良枝が手に握りしめていたのよ」 「嘘だわ、そんなの」 美佳は向きになって、言った。 「本当よ。私も正直、これを見た時には驚いたわ」 「警察はどう思ってるの?」 「この証拠品が私が調べるということで、ほんの少しは時間が稼げ るわ。美佳がさっき言ったように、今日、アパートを訪ねたのも、 エリナにこのハンカチについて聞くためだったのよ」 「エリナは人殺しなんかしないわ」 「でも、昨日のあんたの話だと、エリナは、事件の晩のアリバイは 二件ともないわよね」 「エリナは事件の晩は散歩に出てたのよ」 「風邪をひいているのに?」 「それは−−」 「まだ、エリナが犯人と決まったわけじゃないけど、事件が美佳の アパートの近くで起こっていることや事件のアリバイ、それから、 このハンカチを考え合わせれば、エリナの容疑を消すことは出来な いわよ」 「ちょっと待ってよ。エリナは吸血鬼をやっつけてくれたんだよ」 「そうね、もしかしたら、あの時、エリナは吸血鬼にされたのかも しれないわ」 「どうやって?あの吸血鬼に血を吸われた人間は映画みたいに仲間 にはならないんだよ」 「何か他に方法があるんじゃない」 「他に−−」 美佳はそう言いかけた時、トルコ石のことを思い出して、言葉を 切った。 「そ、そうだわ、そんなこと言うんだったら、私だって犯人かもし れないよ」 「ふふふ、それはありえないわね」 「どうして?」 「美佳が吸血鬼なら昼間から外に出て歩けるわけないでしょ」 「それじゃあ、エリナが白昼を堂々と歩いていたら、容疑は消える の?」 「まあ、犯人ではなくなると思うわ」 「だったら、私がエリナを捜して、ナオちゃんに会わせるわ」 「一晩捜して見つからないのに、どうやって見つけるの?」 「きっと捜してみせる。もし見つからなかったら、私が囮になって 、吸血鬼を捕まえるわ」 「もし吸血鬼がエリナだったとしても、冷静に捕まえられる?」 奈緒美は真剣な眼差しで美佳を見た。 「大丈夫よ。多分……」 18 車内 午後6時、結局、美佳はエリナを捜し出すことが出来ず、奈緒美 の計画に囮として参加することになった。 「ナオちゃんが最初から私を巻き込もうとしていたのがよくわかっ たわ」 覆面パトカーの助手席に座っていた美佳はぶつぶつ言った。 「いきなり、何、言うのよ」 と運転席の奈緒美。 「文句も言いたくなるわ。ここは私のアパートの前じゃない」 「そうよ。マスコミにはエリナの報道は伏せてあるし、昨日の晩か らずっと部屋に戻ってないとすると、今夜あたりエリナが戻ってく る可能性は強いと思うわ」 「でも、家の前じゃエリナは人を襲わないんじゃない」 「その任務をやるのは私よ」 「え?」 「美佳はエリナの帰りを待ちなさい」 「ナオちゃん……」 「エリナが帰ってきた時に美佳がいなかったら、困るでしょ。囮は 私がやるから、あんたはエリナが犯人じゃないことを確かめなさい 」 「そんなの駄目だよ」 「いいの、これは私の仕事だから。さあ、美佳、早く部屋へ戻りな さい」 「ナオちゃん−−」 美佳は車を降りる。 「明日にはお互い笑顔で会いたいものね。じゃあ、頼んだわよ」 奈緒美は笑顔でそう言うと、車を発進させた。 美佳は車が見えなくなるまで、車の後ろ姿を見守っていた。 19 エリナと美佳 午後10時、一人の女が通りを歩いていた。連日の通り魔事件の せいか、この時間帯に外を歩いているものはほとんどいない。 しかし、女は特別、いそいそと歩いている様子もなく、ごく普通 の足取りであった。 女は白塗りのアパートの前に来ると、立ち止まった。そして、ア パートの3階の辺りの窓を見上げた。 女はそのままアパートの入口から中へ入っていった。 階段を使って、3階まで行くと、女はまっすぐ通路を通って、3 05号室のドアの前まで来た。 女が鍵穴をノブに差し込んで、ロックを解除すると、静かにドア を開けた。そして、真っ暗な玄関を靴を脱いで、あがった。 女は足下に気を配りながら、前に進み、居間に通じる戸を開けた 。 「ふう……」 女は疲れたように大きく息をついた。 女は肩に掛けたバックを下ろし、居間の電灯を点けようと中に足 を踏み入れた。 その時だった。 「動かないで!」 鋭い声が女の背後で飛んだ。 女はびくっとして足を止める。 「一歩でも動いたら、命がないわよ」 台所の暗がりから現れた美佳は、黄金銃を女に向けたまま、ゆっ くり女に近づいた。 「何の真似ですか、美佳さん」 女−−エリナは、美佳に背を向けたまま、穏やかな口調で言った 。 「これから聞くことに答えて。今までどこに行ってたの?」 「言えませんわ」 エリナは間をおかずに答えた。 「じゃあ、昨日と一昨日の晩、どこへ出かけてたの?」 「それも言えませんわ」 「答えてよ。でないと、私はエリナを警察につきださなきゃならな いわ」 「警察に?どうしてわたくしが?」 エリナは驚いて、振り向こうとした。 「動くなって言ってるでしょ!!」 その途端、美佳の鋭い声が飛んだ。 「美佳さん、本気なんですね」 エリナは再び美佳に背を向けた。 「エリナが本当のことを話してくれなきゃ、私はエリナの力になれ ないわ」 「やっぱり、美佳さんはわたくしを信用してくれてないんですね」 「それは−−」 「もう結構です。撃つんなら、撃てばいいですわ。それで気が済む んなら」 エリナは振り返り、美佳の方を見た。 「エリナ……」 美佳の銃を持つ手が震える。 「さあ、どうぞ」 エリナは両手を広げた。「わたくしは美佳さんに撃たれても、恨 みはしませんわ。一度は失った命ですもの」 「エリナ−−」 美佳はしばらくエリナに向けて銃を構えていたが、その指先には もう引き金を引く力はなかった。 「−−ごめんなさい」 美佳はそう言って、疲れたように銃を手にした両腕を下ろした。 「……」 エリナはじっと美佳を見つめた。 「私、何てことしてたんだろう、親友に銃を向けるなんて。最低だ よね」 「美佳さん……」 エリナは美佳の前に歩み寄った。 「私、エリナには自分のことを信用して話せなんて言いながら、本 当は私自身がエリナのことを信用してなかったんだね。エリナ、ご めん」 美佳はしゃべりながら、涙目になっていた。 「少しはわたくしの不安な気持ち、わかっていただけましたか」 エリナが優しい口調で言った。 「うん……不安だった。エリナが本当のことを言わないと言うだけ で、私、エリナのこと吸血鬼じゃないかって疑っちゃったんだもん 」 「わたくしが吸血鬼だったら、最初の被害者を出す前に自殺します わ」 エリナがニコッと笑って、言った。 「じゃあ、エリナ、本当に吸血鬼じゃないのね」 「もちろんですわ」 「よかった」 美佳はエリナに抱きついた。「すごく心配だったんだから!」 「わたくし、この三日間、吸血鬼を追っていたんです」 「追っていた?」 美佳はエリナから離れ、エリナの顔を見た。 「本当なら、わたくし一人の力で何とかしようかと思いましたけど 、今の美佳さんなら話しても良さそうですね」 「うん、うん」 美佳は強く頷いた。「もう反省してるから、大丈夫」 「美佳さんは反省だけは簡単にするんですけどね−−まあ、いいで すわ。実は4日前の晩、わたくし、美佳さんのジーンズのポケット に入っていた青い石に襲われそうになったんです」 「青い石に−−それでどうなったの?」 「最初に飛びかかられた時はよけて、二度目に飛びかかられた時に はそばにあった雑誌でたたき落としたんです。そうしたら、石は開 いていた窓から逃げてしまったんです。わたくし、すぐに追いかけ たんですけど、見失ってしまって。それで翌朝、仮病を使って美佳 さんだけ大阪に行かせて、わたくしはこっちでトルコ石を捜してい たんです」 「どうしてその時に話してくれなかったの?」 「これはわたくしの責任ですから、わたくしの手で何とかしたかっ たんです。美佳さんに言えば、また手伝わせてもらえなくなるし− −」 「それじゃあ、昨日も一昨日も深夜に出かけてたのはそのためだっ たのね?」 「はい」 「そう、エリナ一人で大変だったね」 美佳は優しい口調で言った。 「怒らないんですか?」 エリナは不思議そうな目で美佳を見た。 「どうして?」 「わたくしが美佳さんに話してれば、犠牲者は出なかったかもしれ ないのに」 「それは私に信用がなかったんだもん、仕方ないよ。それより、エ リナが怪我しなくてよかったわよ」 「少しは成長したんですね−−」 エリナがクスッ笑って、言った。 「何よ、その言い方。これでも、本当は怒りたいのを我慢してるの よ。あっ、いけね、よけいなこと言っちゃった」 「我慢しなくてもいいですわ。美佳さんは感情の赴くままにしてい るのが、一番ですもの」 「それって動物みたいじゃない、まあ、いいけど。それで、手がか りは見つかった?」 「ええ、居場所は突き止めましたわ。本当はあの通りで美佳さんと ぶつからなければ、もっと早く見つかっていたんですけど」 「どういうこと?」 「わたくし、あの時、犯人を追いかけてたんです」 「追いかけてた?」 「ええ。石を捜している時に、女性の悲鳴が聞こえたので、駆けつ けてみると、吸血鬼が女性の血を吸っていたんです。吸血鬼はすぐ に逃げたので、わたくしは持っていたハンカチを被害者の女性の傷 口に当てて、そのまま吸血鬼を追いかけたんです」 「何だ、それであのハンカチが−−」 「ハンカチがどうかしたんですの?」 「エリナのハンカチが警察の証拠品として押収されているのよ。は っきりいって、このまま犯人を捕まえないと、エリナが犯人になっ ちゃうのよ」 「それは困りますわ」 「そうなる前に犯人を捕まえればいいのよ。エリナは犯人の居場所 は突き止めたんでしょ。早速、そこへ行きましょう」 「一緒に行っていいんですね」 「も・ち・ろ・ん・よ」 美佳はウインクして言った。 20 エレクトラが来た 午後10時30分、奈緒美は囮捜査員として、水商売風の派手な 色合いのブラウスを着て、夜道を歩いていた。 この街は警戒区域となっているため、この時間に道を歩いている 者は警官を除けば、ほとんどいない。 犯人がこの街に必ず潜伏しているという確証はないが、清水晶子 の事件の時には被害者は全て彼女のアパートから徒歩15分以内の ところで起こっているので、今度もその付近で起こる可能性が強い のは明らかだった。 奈緒美は万一のために全弾を込めた拳銃をハンドバックの中に入 れていた。 「もし吸血鬼なら、ためらわずに撃たないとこっちがやられるわね 」 奈緒美は吸血鬼となった清水晶子と格闘した時のことを思い出し ていた。 「犯人がエリナだったら−−」 奈緒美の脳裏に美佳の顔がよぎった。「そうでないことを祈るし かないわね。美佳の悲しむ顔は見たくないもの」 奈緒美は神経を全身に張り巡らしながら、キョロキョロとせず前 だけを見て、歩いていた。 時折、耳に付けたイヤホンから警察無線が入る。 『現在の状況はいかがですか』 「今のところ、大丈夫よ。他の区域からの連絡は?」 『現在のところ、容疑者発見の情報は入っておりません』 「了解」 奈緒美は小声で応答した。 それから、5分後、奈緒美はちょうど街灯が切れ掛かって暗がり になっているT字路にさしかかった。 「T字路に来ました。右に曲がります」 奈緒美はピンマイクにそう言った後、T字路を右に曲がった。 「ひっ!」 その瞬間、奈緒美は心臓が飛び上がるほど驚いた。 すぐ目の前にグレーのコートを着た女が立っていたのである。 「失礼ですけど、こんな時間に−−」 奈緒美が声をかけるやいなや、女が突然、奈緒美の前に倒れてき た。 「どうしたんですか」 奈緒美が女を抱き留め、話しかけた。しかし、返事がない。 「あの、どうかしたんですか」 奈緒美が女性の顔を見た時、はっとした。それは中田真由美だっ た。 奈緒美が真由美を立たそうとして彼女の肩を掴んだ時、奈緒美の 手に何かがべっとりとついた。 奈緒美は自分の手を目の前に近づけてみた。それは真っ赤な血だ った。 「これは−−」 ガルルルルル!!! 背後で獣のようなうなり声がした。 −−吸血鬼!!! 奈緒美は真由美を突き飛ばして、ハンドバッグに手を入れた。 長い髪を振り乱して女の吸血鬼が奈緒美の背後から襲いかかった 。 「くっ!」 奈緒美はバッグから拳銃を掴み、振り向きざまに銃口を吸血鬼に 向けた。 「ガルルル!!」 だが、吸血鬼は間髪を入れず、奈緒美の拳銃を右手ではじき飛ば した。 「吸血鬼発見!応援を」 奈緒美はマイクで懸命に叫んだ。 −−やっぱりエリナじゃなかった……なんて喜んでる場合じゃな いわね 奈緒美は吸血鬼との間合いをとった。 吸血鬼の顔は既に人間の顔ではなかった。血の気のない青白い顔 の中に肉感のある真っ赤な唇があり、その唇の間には白い三本の鋭 い歯が覗いている。目はつり上がり、瞳は業火のように燃えている 。 「あなたを殺人の現行犯で逮捕するわ」 奈緒美が鋭い口調で言った。 「ガルルル!!」 吸血鬼は人間離れした跳躍力を見せて、塀の上に飛び乗った。 「はっ」 奈緒美がそちらの方を見上げると、吸血鬼はジャンプして、反対 側の塀に飛び乗った。 奈緒美がさらにそちらの方を見ると、吸血鬼はまた元の塀に飛び 移る。 こうして、吸血鬼は何度も塀と塀の間を往復して、奈緒美を撹乱 した。 「くそぉ!」 奈緒美は焦った。 −−何とか拳銃を 奈緒美が一瞬、路上に転がった拳銃に目線を移した。 「ガゥッ!!」 その一瞬の隙がいけなかった。吸血鬼は機会を逃さず、奈緒美に 飛びかかり、奈緒美の首筋に鋭い牙を打ち込んだ。 「うあああっ!」 奈緒美は悲鳴を上げた。 一度、吸血鬼に噛みつかれると、奈緒美は麻痺したように動けな くなった。 −−体が動かない!!! 奈緒美は戦慄を覚えた。 −−このままやられるなんて 奈緒美が自分の体から血が抜けていくのが、肌で感じるようによ くわかった。 −−律子、もうすぐ私もあんたのところへ行きそうよ 奈緒美は薄れゆく意識の中で呟いた。 「ナオちゃん!!」 その時、聞き慣れた声がした。 グォーン!! その直後の一発の銃声。 闇から放たれた光の弾丸が吸血鬼の眉間を撃ち抜いた。吸血鬼の 後頭部から青い石が転がり出る。 「ぎゃああああ!!」 突然、吸血鬼が断末魔の叫びを上げ、奈緒美から離れると、その 場で砂のように崩壊した。 「ナオちゃん、大丈夫?」 美佳とエリナが奈緒美の元に駆けつけた。 「あ、あんたたち−−」 奈緒美は美佳の腕の中で弱々しい口調で言った。 「吸血鬼はファレイヌで倒したわ。もう安心よ」 美佳は奈緒美を元気づけるように言った。 「よかったわね、エリナが犯人じゃなく……」 奈緒美はそう言いかけて、気を失った。 「ナオちゃん!ナオちゃん!」 美佳は懸命に奈緒美を揺さぶった。 「美佳さん、無理をさせてはいけませんわ」 「うん」 「わたくし、救急車を呼んできますから、そこで待ってて下さい」 エリナは慌ててその場を駆けていった。 「ナオちゃん、死んじゃ駄目だからね」 美佳は奈緒美の傷口にハンカチを当て、寝かせた。 「そうだ、あの石を何とかしなくちゃ」 美佳は立ち上がると、青い石の落ちているところへ歩いていった 。 美佳が青い石を拾い上げようとした瞬間、青い石が宙に上がった 。美佳が浮かび上がった方向を見上げると、空が突然、歪み、丸い 暗黒空間が現れた。そして、その中から骸骨の杖を持つ女、エレク トラが現れた。 エレクトラは空に浮かぶ青い石を手で掴んだ。 「これを渡すわけにはいかないわ」 「何者?」 美佳はエレクトラを見上げた。 「私は魔界の使徒、エレクトラ。先日はアエローがお世話になった わね」 「あんたの名前、聞いたことがあるわ。前に水島幸恵さんを殺した わね」 「さあ、覚えてないわね。死んだ動物の名前なんて」 エレクトラは見下げるような口調で言った。 「あんたのその態度、気にくわないわ」 「気にくわなかったら、どうだと言うの?この私と戦うとでも」 エレクトラは地面に降り立った。 「望むところだわ。何の目的かは知らないけど、これ以上、あの石 を悪用させない」 美佳は白いヘアバンドを頭に装着した。 「チェンジ キティセイバー」 彼女の声と共にヘアバンドが輝き始めた。 「むっ」 エレクトラが身構える。 美佳の髪と瞳が、茶色からエメラルドグリーンに変化し、肌が白 に。そして、彼女の衣服が白いコンバットスーツに変わる。 数秒後、美佳はガイアールの使徒、キティセイバーとなった。 「ほお、貴様がキティセイバーだったのか」 エレクトラがニヤリと笑った。 「その石はどうあっても、返してもらうわよ」 キティは黄金銃をエレクトラに向けた。 「この石が欲しかったら、私を倒すのね。ヒューメロール!」 エレクトラが呪文を唱えると、デーモンロッドの骸骨が口を開け 、青い光を吐き出した。 ボンッ、ボンッ、ボンッ!! 光の弾がキティを襲う。 「とうっ」 キティは飛び上がって、弾を避けた。 それを見て、すかさずエレクトラも空を飛ぶ。 「このまま逃げられると思わないでね」 エレクトラはさらにヒューメロールの魔法を連射した。 「くっ」 家の屋根から屋根へ飛び移って、逃げた。 「戦わずに逃げるつもり」 エレクトラは笑った。 「くそぉっ」 キティはそれにムッとして、黄金銃を発砲した。 グォーン、グォーン 光弾がエレクトラに迫る。 パシィッ!!! だが、光弾はエレクトラの1メートル手前で壁にぶつかったよう に弾けてしまった。 「なっ……」 キティは目を見開いた。 「私のまわりには魔法防御のバリヤーがあるのよ。そんなものは効 かないわ」 自信に溢れるエレクトラはデーモンロッドの攻撃を続けながら、 キティに迫った。 「そんなはずは−−」 キティはさらに黄金銃を発砲したが、全てバリヤーで跳ね返され てしまう。 「うっ」 ヒューメロールの弾がキティの左肩に命中した。 一瞬ダメージはなかったが、弾の命中した左肩がすぐに動かなく なった。 「動かない−−」 キティは右手で左肩を押さえた。 「ヒューメロールは銅のファレイヌ・ティシアの持っていた魔法よ 。どう当たった気分は?」 エレクトラは屋根の上に降り立った。 「……」 キティはエレクトラを睨み付けた。 「その魔法はどんどん体を蝕むわ。今に全身が動かなくなるわよ」 「何ですって……」 「さあ、どうする?早く私を倒さないと、石になっちゃうわよ」 エレクトラがゆっくりとキティの方へ歩いてくる。「アエローや お兄様から強いと聞かされていたけど、大したことないわね」 エレクトラはロッドを逆手に持ちかえた。 −−ファレイヌが効かない……どうすれば キティは既に左腕に動かなくなっていた。 「ちっ」 キティは無駄と思いつつも黄金銃を撃ち続けた。 「無駄よ、無駄。そんなことをしてると、どんどん体が動かなくな るわよ」 −−こうなったら キティは再度飛び上がって、逃げようとした。ところが左足が動 かなくなり、1メートルもジャンプできず落ちてしまった。その際 、ファレイヌを屋根の下へ落としてしまう。 −−こんな魔法にやられるなんて 尻餅をついたキティは立つこともできなかった。 「無様ね。でも、あなたには石になる前に死んでもらうわ。あなた の頭にロッドを突き刺してね。痛みもなく死ぬなんて楽しくないで しょ」 エレクトラは愉快そうに言った。エレクトラはロッドをフェンシ ングのようにかまえ、その鋭い杖先をキティに向けた。 「……」 キティはじっと黙り込んで、エレクトラを見つめた。 「死ねっ!!」 エレクトラが襲いかかる。 グサッ!!! 次の瞬間、キティの頭に杖が刺さった。 「むっ!!!」 エレクトラは目を見張った。杖はヘアバンドに刺さったのだ。 エレクトラはすぐに杖を引き抜こうとするが、杖は全く動かなか った。 「エレクトラ、終わりよ」 「何ぃ」 突然のキティの言葉に、エレクトラはキティを見た。 「サイコブレード!!」 キティの右手に光の剣が発生した。 「くらえっ!!」 キティは思いっきりエレクトラの腹を突き刺した。 「ぐあああっ!」 エレクトラは悲鳴を上げた。 エレクトラは杖を放して、後ずさった。腹からはどくどくと血が 流れ出た。 キティはヘアバンドに刺さった杖を引き抜くと、それを叩き折っ た。 ヒューメロールの魔法が解け、キティは立ち上がった。 「どうして……」 エレクトラは腹を押さえながら、苦しそうな口調で言った。 「バリヤーの中に私を入れたのが、あんたの敗因よ」 「くっ、油断したか……」 エレクトラはひざをついた。 「殺すがいい」 エレクトラは自棄になって言った。 「殺したら、あんたの家族が泣くでしょ。それより、石は返しても らうわよ」 「……」 エレクトラは黙って、トルコ石を懐から取り出した。 キティがエレクトラからそれを受け取ろうとした瞬間、一本の短 剣が空から飛んできた。 キティがさっと後ろへ避ける。 「誰?」 キティが空を見上げた。 屋根より数メートル上のところに男が立っていた。 「おまえはカライス−−」 黒服の金髪男にキティは見覚えがあった。 「エレクトラ、帰るぞ」 カライスはそういうと、人差し指の先端をエレクトラに向けた。 すると、指先から光線が発せられ、エレクトラに命中した。エレク トラは光に包まれ、一瞬でその場から消えた。 「あっ!」 キティはムッとした。 「悪いな、キティセイバー。今日のところはおまえの勝ちだ」 「あんたね、たまには戦いなさいよ」 「ふふ、私は交戦主義者ではないのだ。また、会うことを楽しみに している。さらばだ」 カライスはそう言うと、彼の背後に大きな暗黒空間が現れた。暗 黒空間は彼が入ると、風船がしぼむようにして消えてしまった。 「また、逃げられたわね」 キティはまだだるさの残る左肩を一度回してから、呟いた。 エピローグ 数日後、意識の回復した奈緒美を病院に見舞いに行った帰り道、 美佳とエリナは新緑が青々と茂る並木通りを散歩した。 「たまにはこうやって、公園を散歩するのもいいね」 美佳は、そよ風に揺れる木々の緑を見上げながら、うきうきとし た様子で言った。 「そうですね」 「ナオちゃんの容体もよくなったし、事件も解決したし、何かこう 体の重荷が全部取れたって感じ」 「わたくしも今回のことで美佳さんに抱いていた心のわだかまりが 解けたような気がします」 「本当?私の方はまだ解けてないだけどなぁ」 「え?」 「はい、エリナ」 美佳はエリナの前に金色のペンダントを差しだした。 「これはファレイヌじゃないですか」 「エリナに返すわ。これはあなたのだもの」 「美佳さん……」 エリナは美佳をじっと見つめる。 「私はさ、エリナに戦って欲しくないけど、もし戦うんだったらさ 、武器がないと不便でしょ」 「……」 美佳の言葉にエリナは急に目頭が熱くなった。 「どうしたの?」 美佳がエリナの顔を覗き込む。 「何でもないですわ」 エリナはすぐに目をこすった。「美佳さん」 「ん?」 「それは受け取れませんわ」 「どうして?私なら大丈夫よ。魔法のヘアバンドがあるし」 「わたくしにはその銃を扱えそうにありません」 「そんなことないよ、エリナだって−−」 「いいえ。その銃はもう美佳さんの悲しみを背負いすぎていますわ 。わたくしにはその悲しみを引き継ぐ自信がありません」 「エリナ……」 「心配ないですわ。人間は知恵と勇気があれば、何でも出来ますも の。ほら、最初の吸血事件の時は、わたくしの機転で美佳さんを助 けることが出来ましたでしょう」 「それはそうだけど−−」 「わたくし、今までどうしたら美佳さんの力になれるかずっと考え てたんですけど、やっとわかりましたわ。これからは美佳さんの弱 い部分を補います」 「よ、弱い部分?」 「美佳さんは攻撃力は抜群ですわ。でも−−」 そこまで言いかけて、エリナは口を覆った。 「でも、何よ。私の弱い部分がまさか頭が悪いって事じゃないでし ょうね」 「そんなはっきりとは言ってませんけど、半分当たり−−」 エリナが後ずさる。 「コラッ!エリナ」 美佳が拳を上げた。 「きゃあ」 エリナは慌てて逃げ出す。 「待ちなさい!」 美佳もすぐに追いかける。 木漏れ日のさす並木通りで追いかけっこが始まった。 美佳とエリナが戦いのことを忘れた午後のほんの一時であった。 「吸血鬼」終わり