ファレイヌ2 第5話「何かが違う」後編 8 牢獄 「あなたは死ぬまで苦しみ続けるのよ、ほほほほほ」 闇の中からアエローの笑い声が聞こえる。 苦しい……美佳さん、助けて……ゴホッ、ゴホッ 「美佳さん!!」 エリナは叫び声をあげて、悪夢から目覚めた。 「はぁ、はぁ」 エリナの呼吸は乱れていた。心臓の鼓動も高鳴りを覚えている。 「夢でしたのね」 エリナは頭を抱えた。「ということは、助かったということかし ら」 エリナは回りを見た。 そこは三方がコンクリートの壁で、一方が鉄格子の牢屋であった 。牢獄内には電灯はなく、牢獄の外の通路にある白色電球が灯るの みである。 エリナはほぼ出かけた時の服装のまま、寝かされていたのであっ た。牢獄内は窓もなく、トイレやベッドといったものもない。 「ここはどこかしら」 エリナは立ち上がった。 エリナは鉄格子に顔を押しつけて、何とか外の様子を見ようとし た。 その時、誰かが通路の奥から歩いてきた。それはアエローだった 。 アエローが来ると、エリナは牢屋の奥へ後ずさった。 「お目覚めはいかが?」 アエローは牢屋の前に来ると、エリナを見て、言った。 「どうして殺しませんでしたの?」 エリナはアエローを睨み付ける。 「ふふ、死にたかったの?命が助かっただけでも感謝するのね。あ なたがガイアールの戦士なら、とっくにあの世行きでしたのよ」 「これからどうするつもりですの?」 「そうね、キティセイバーをおびき出す餌にでもなっていただこう かしら」 「わたくしはキティセイバーなんて知りませんわ……」 「さあ、どうかしら。魔法石を持っている以上、あなたが知らない なんてはずはないと思いますけど。まあ、いいですわ、時間はある ことだし、キティセイバーがあなたを捜しにここへ来るまで待ちま しょう。それじゃあ、ごゆっくり」 アエローはそう言うと、牢屋の前から立ち去った。 「どうしたらいいのかしら。もし美佳さんがわたくしを捜しにここ へ来たら……」 エリナはその場に座り込み、どうすることもできない自分にいら だった。 9 放課後 放課後、三沢祥子は帰り支度を終え、鞄を手にして教室を出た。 「み、三沢さん」 教室の廊下で祥子が出てくるのを待っていた恵美は、祥子が出て くると声をかけた。 「あら、川瀬さん」 「ねえ、談話室へ行くの?」 「ええ、先生と話をしなきゃならないから」 「どうしても行くの?」 恵美は不安げに尋ねた。 「行くわ」 「そう…」 「クスッ」 真剣な顔の恵美を見て、祥子は笑った。「どうしたの、川瀬さん 」 「あたし、やめた方がいいと思うの」 「どうして?」 「どうしてって言われてもうまく説明できないけど、とにかく危険 だよ」 「先生に会うのが危険なの?変なの、遅くなっちゃうから、行くわ よ」 祥子はそう言うと、談話室の方へ歩いていった。 「ああ、三沢さん」 恵美は呼び止めたが、その声は祥子には届かなかった。 「もう30分か。三沢さん、まだ戻ってこないのかしら」 恵美は下駄箱で一人、祥子の来るのを待っていた。今日はバレー 部の練習があったが、仁美に会うのが恐くて、部活をさぼったので あった。 あのぬいぐるみのこと、どうしたらいいんだろう。このままじゃ うちのクラスのみんな、全員殺されちゃう。でも、あたしが注意し たって、誰も信じてくれないだろうし。何とかあのぬいぐるみの正 体を暴く方法があればいいんだけど…… そんなことを考えている時、祥子が下駄箱に現れた。 「三沢さん」 恵美は祥子に歩み寄った。 「川瀬さん、まだ学校にいたの?」 「先生と話したの?」 「ええ」 「それでどうなったの?」 「何が?」 「何がって、ぬいぐるみのこと……」 「あれなら、もういいわ。私も実はああいうかわいいぬいぐるみ、 欲しかったの」 「え?」 「ほら」 祥子は鞄の中から熊のぬいぐるみを取り出す。 「きゃあ」 恵美はびっくりして、後ろへ下がった。 「どうしたの?かわいいでしょ。川瀬さんにもあげようか」 「いらないわ、そんなの!」 恵美は強い口調で言った。「そのぬいぐるみは恐ろしい殺人鬼よ 。昨日の夜、あたしを殺そうとしたんだから」 「へえ、そうなの。それってこんな感じだったかしら」 祥子が言うと、突然祥子の手に乗っていた熊のぬいぐるみが動き 出し、ポンと飛んで地面に着地した。 「三沢さん、あ、あなた……」 恵美は動揺した。 「そのぬいぐるみはあなたの体を欲しがっているわ」 祥子は静かな口調で言った。 「じょ、冗談じゃないわ」 恵美は鞄を両手に抱え、後ずさる。 熊のぬいぐるみはぎこちない動きで恵美の方へ歩いていく。 「いやっ」 恵美は勢いよく下駄箱を飛び出していった。 「バカね、逃げられやしないのに」 祥子はそう言うと、ニタッと笑った。 10 衝突 一体、何がどうなってるの!! 恵美は道を駆けながら、心の中で自問していた。 あたしはただクレーンゲームで仁美ちゃんにぬいぐるみを取って もらっただけなのに。どうして殺されかけなきゃいけないの。どう して殺されると電話してきた仁美ちゃんが翌日になって、変わって しまったの?先生の態度も三沢さんの態度もどうして突然変わって しまったの?どうして三沢さんはあのぬいぐるみと一緒にいても平 気なの?みんな、みんな、わからないことばかり。 恵美はいつしか商店街通りを走っていた。しかし、前を見ずにが むしゃらに走っている恵美にはどこを走っているという認識はない 。 ドン!! そんな矢先、恵美は正面から来たか誰かにぶつかった。恵美も相 手もしりもちをついてしまう。 「イタタタ……ごめんなさい」 恵美はお尻を押さえながら、相手に謝った。 「あっ、いいのよ、こっちも地図見てて、うっかりしてたから」 ぶつかった相手である椎野美佳も謝った。 二人は手を貸しあって、立ち上がると、そこで改めて恵美がもう 一度謝った。 「ごめんなさい。大丈夫ですか」 「お尻を打っただけだから、大したことないわ。あなたこそ、大丈 夫?」 「あたしの方は大丈夫です。本当に失礼しました」 恵美は頭を下げた。 「今度から気をつけてね」 「はい」 恵美はそう言うと、速い足取りでその場を去っていった。 「何か随分急いでるみたいね。あら−−」 美佳は足下に青い手帳が落ちているのを見て、拾い上げた。 「生徒手帳か。学生証も挟んであるわね。私立T女子学園、川瀬恵 美か。あの子のみたいね」 美佳は恵美の歩いていった方を見た。しかし、彼女の姿はもうな い。「どうしよう、もうあの子、どっか行っちゃったし。しょうが ない、エリナを捜した帰りにでも返しに行くか」 美佳はそう言うと、手帳をバックにしまい込み、再び地図を片手 に通りを歩き始めた。 11 正体 午後7時、恵美は自宅に帰った。 「ただいま」 恵美は元気のない声で言うと、そのまま階段を上って、二階の自 分の部屋へ行った。 そして、机に向かって、椅子に座り、頬杖をついた。 「本当にどうしたらいいの…」 恵美はぽつりと呟いた。 明日……もし明日、学校へ行ったら−− 恵美は一瞬、そんなことを考えて、すぐに打ち消すように頭を横 に振った。 みんなが変わってるなんてことないわよね。ぬいぐるみのことは きっとあたしの思い過ごしよ。そうよ、そうに決まってる。 恵美は席を立った。 「何かおなか減ったな。そろそろ夕飯だし、下へ行ってお母さんの 手伝いでもしよ」 恵美は自分の部屋を出た。下を降りる際、ふと気になって、小学 4年生の弟の部屋に声をかけた。 「敏夫、いるの?」 ドア越しに呼びかけたものの、返事はない。 恵美はドアを開けた。しかし、中は真っ暗で人の気配はない。 「下にいるのか…」 恵美は階段を降りて、廊下を通り、DKに入った。 台所では、母親がまな板の上で包丁を使っていた。隣のガスコン ロでは、少し大きめの鍋に火がかけられている。 「お母さん、手伝おうか」 恵美は明るく母親に声をかけた。 「そうね、じゃあ、鍋の様子を見てくれる」 母親は振り向かずに言った。 「うん」 恵美は鍋つかみ用の厚手の手袋を両手にはめた。 「今日の料理は何かしら?」 恵美はコンロの上でぐつぐつと音をたてている鍋の蓋の取っ手を 摘み、そっと上に上げた。 ぶわあっと白い湯気が鍋と蓋の隙間から上がる。 「随分煮込んでるのね」 恵美は鍋の中を覗き込んだ。 「きゃあ!!」 次の瞬間、恵美は鍋蓋を放り出し、飛び上がって後ろへ下がった 。 「お、お母さん、これは……」 恵美は顔面蒼白になり、息をするのも苦しそうな表情で、母親に 尋ねた。 「今日の料理よ」 母親は静かに言った。 「料理って……この鍋に入ってるのは……敏夫じゃない……」 恵美は震えた声で言った。 ガスコンロの上の大きな鍋で煮られていたのは、弟の敏夫の生首 だった。 「そうよ。おいしそうでしょ」 母親は振り向いた。 「はっ」 恵美はその時、母親の陰で今まで隠れていたまな板の上のものを 見た。 「それは……」 「敏夫の右腕よ、包丁で切っていたんだけど、なかなか切れないの よ」 母親は笑顔で言った。 「く、狂ってるわ……何でそんなひどいことするのよ!!」 恵美はこみ上げる怒りと恐怖で、感情的な声を上げた。 「ひどいこと?何がひどいことなの?」 母親が血のついた包丁を手にしたまま、恵美の方へ歩み寄る。だ が、恵美も後ずさった。 「あんたなんかお母さんじゃない、人殺しよ」 恵美は絶叫するように言った。 「あなた、まだ人間なのね。仕方ないわね」 母親がそう言った時、食器棚の扉が開いて、数体の小さなぬいぐ るみが現れた。 「ぬ、ぬいぐるみ……」 恵美は息を飲む。 「さあ、その子を捕まえて」 母親の言葉でぬいぐるみが一斉に恵美の方へ走っていく。 「いやっ」 恵美はDKを飛び出した。 そして、まっすぐ玄関のドアへ向かって走る。 その時、玄関のドアが開いて、父親が帰ってきた。 「お父さん!!」 恵美は飛びつくように父親に抱きついた。 「どうしたんだ、一体?」 父親がぽんぽんと恵美の背中を叩く。 「早く、逃げよう。殺されちゃう」 恵美は真剣な表情で訴えた。 「何を言ってるんだ。薮から棒に。昨日の続きなら、いい加減にし てくれよ」 父親がそう言った時、母親がDKから廊下に出てきた。 「あなた、お帰りなさい」 母親が静かに言った。 「ああ、ただいま」 と父親が言った。 「お父さん、駄目だよ。お母さん、敏夫を殺したんだよ。このまま じゃ、あたしたちも殺される」 恵美は懸命に玄関を上がろうとする父親を引き留めた。 「こらっ、恵美。いい加減にしないか」 父親がそう言って、恵美を押しのけ、玄関を上がろうとした時だ った。偶然にも父親は、DKに慌てて逃げ込むぬいぐるみの姿を見 た。 まさか、今のは…… 「お父さん、お願い、言うこと聞いて」 恵美は頑として父親の体を放さない。 「この子、さっきから変なことばかり言ってるのよ」 母親が言った。 「恵美、タバコを買ってきてくれないか」 父親はふいに背広のポケットから財布を出し、そこから千円札を 出して恵美に渡した。「お父さん……」 恵美はじっと父親を見つめる。父親も真剣な眼差しで恵美を見て いた。 「あ、あたし……」 恵美は、父親が自分の気持ちを察してくれたものと思い、何かを 言おうとした。だが、父親は有無を言わせず、恵美を外へ出した。 玄関には父親と母親の二人になった。 「DKで何をやっているのか見せてもらうよ」 父親がそう言ってDKの方へ歩いていった。そして、ちょうど父 親が母親に背を向けた時、今まで無表情だった母親の顔が突如、鬼 のような顔となり、後ろ手に隠していた包丁で父親に襲いかかった 。 「ぎゃあ!!」 家の中で男の悲鳴が聞こえた。 「お父さん……」 家の外にいた恵美はその声を聞いて、口を覆った。 あ、あたしのために、お父さんが…… 恵美は家に戻ろうとした。だが、その瞬間、家のドアが大きく開 いた。そこには真っ赤な返り血を浴びた母親が包丁を手にして、立 っていた。 「恵美、早く家へ入りなさい。夕食の時間よ」 母親は静かな声で言った。 恵美は拳をぎゅっと握りしめた。 「最低……最低よぉ!!」 恵美はそう言い放つと、夜道を駆け出した。 「待ちなさい!!」 母親も恵美を追いかける。 恵美はがむしゃらに走った。心臓が爆発しそうだった。 しかし、追ってくる母親との距離はみるみる間に縮まっていく。 「はぁ、はぁ、追いつかれる……」 恵美はちらっと後ろを振り返りながら、呟いた。 誰か、助けて、誰か!! 恵美は必死に助けを求めたが、それは心の声としかならず、実際 の声となってでなかった。 既に数百メートルを走っているというのに途中誰ともすれ違わな かった。 恵美はもう後ろを振り返る余裕もなく、あるはずもないゴールへ 向かって懸命に走っていた。脇腹が痛く、足が重い。恵美は出来る ことならこの場に倒れてしまいたかった。 こんなことならもっと真面目に練習しておけば良かった。 恵美は朦朧とする意識の中で自分の体力不足を痛感した。 「あっ」 その時、恵美は足がもつれて、スライディングするように頭から 地面に突っ込んだ。 「はっ……」 恵美はすぐ後ろを見る。 暗がりの道から母親の影が迫ってくる。 もう走れない…… 恵美は目にいっぱいの涙を浮かべながら、心の中で呟いた。 恵美にはもう迫り来る運命を待つ以外に手だてはなかった。それ でも、母親の姿からは決して目をそらさなかった。 包丁を手にした母親はついに走るのをやめた。倒れている恵美と の距離はわずか1メートルあまりだった。 「安心しなさい。あなたもすぐに仲間になれるから」 母親は薄笑いを浮かべて、言った。 「いや……来ないで」 恵美はゆっくり首を横に振った。 母親は恵美の目の前に行くと、包丁を逆手に持ち変えた。 「ふふ、痛いのはホンの一瞬よ」 母親は包丁を恵美の顔に向けて振り下ろした。 「やめてぇぇぇぇ!!!」 恵美が振り絞るような悲鳴を上げた。 グォーン!!! その時、一発の光弾が母親の額を撃ち抜いた。 ドサッ! 母親はその勢いで吹っ飛ばされ、地面に倒れる。 「え……」 恵美は一瞬、何が起きたのかわからなかった。ただ自分が生きて いることは確かだった。 「女の通り魔なんて初めて見たわ」 どこからか女の声が聞こえた。 「だ、誰?」 恵美は顔を上げ、声のした方を見た。そこには黄金銃を手にした 若い女が立っていた。「あなたは……」 恵美は思わず呟いた。 「あら、あなただったの。商店街で生徒手帳、落としたでしょ、持 ってきてあげたわよ」 美佳はニコッと笑って、言った。 美佳は座り込んでいる恵美に手を貸して、立たせてやった。 「大丈夫?」 美佳は優しく尋ねた。 「……」 恵美は何かを言おうとしたが、急に涙で顔の表情が崩れ、たまら なくなって美佳に抱きついた。そして、美佳の肩で堰を切ったよう に泣いた。 美佳はしばらくそんな恵美を見守っていた。 「それ以上泣くと、涙がかれちゃうわよ」 美佳は恵美の肩を叩いて、言った。 「ごめんなさい……」 恵美は顔を上げ、美佳から離れた。 恵美の目もとは涙で真っ赤になっている。 「あの人、知り合い?」 美佳は倒れている恵美の母親を見て、言った。 「あれはあたしの母です……」 恵美は母親の遺体に背を向けて、言った。 「そう……ごめんね」 「え?」 「あなたのお母さんとわかってれば、殺さなかったのに」 「いいんです、母はもう人間じゃなかったんですから」 「人間じゃない?」 「はい、母はぬいぐるみに体を乗っ取られて……」 「恵美さん、どいて」 その時、美佳は恵美を押しのけ、恵美の母親の遺体へ足を一歩踏 み出した。 「どうしたんですか……あっ」 恵美も思わず声を上げた。 死んだと思っていた母親が動き出したのである。 母親はむっくりと起きあがり、立ち上がった。 「あなたの言う通りね。この人は人間じゃないわ」 美佳は恵美の母親を見た。 「よくも私の顔に傷つけたわね」 母親がそう言うと、突然、母親の顔に縦にまっすぐ亀裂が入った 。次の瞬間、母親の体がその亀裂にそって洋服ごとびりびりに裂け た。そして、その中から全身緑色の肌をした人間が現れた。 「趣味の悪い脱皮だわ」 美佳は顔をしかめて言った。 その怪人は、体格は人間と変わらなかったが、髪の毛はなく、目 は蛙のようで、耳はとんがった長い耳をしており、口も大きかった 。 「私の正体を見たおまえたちを生かしておかないわ」 怪人はそう言うと、舌を突き出した。すると、舌がぐんと刃物の ように突き出し、二人に襲いかかった。 「危ない!」 美佳は避けたが、恵美は間に合わず鋭い舌が恵美の胸を貫いた。 「このぉ!!」 美佳は精神を集中して、ファレイヌの引き金を引いた。 グォーン! 一発の弾丸がファレイヌから発射された。弾丸は途中で分散し、 怪人の体に蜂の巣のように命中する。 「ぎゃああ」 怪人の体は崩壊し、緑色の液体と化して、地面に崩れた。 「恵美さん、大丈夫?」 美佳は恵美を抱き起こした。 「しょ、商店街のゲームセンター……」 恵美は苦しそうな声で言った。 「そこに何かあるの?」 「クレーンゲーム……ぬいぐるみ……怪物…」 恵美は単語を並べるのが精一杯だった。 「わかった。もうしゃべっちゃ駄目よ。あなたは死なせやしないわ 。すぐに救急車を呼ぶからね」 美佳は恵美を寝かせると、公衆電話のあるところへ走っていった 。 12 包囲網 午後9時30分−− 「ここね」 美佳は商店街通りの奥にある一件のゲームセンターの前に来た。 他の店では店じまいしたところも多いというのに、この店はまだ 開いていた。 美佳は自動ドアの入口から中へ入った。 店内は広く、天井は吹き抜けで、3階くらいの高さがあった。そ して、ロックのBGMがガンガンに鳴り響き、それがテレビゲーム 機のサウンドとシンクロしていた。 客層は不思議なことに中学生ぐらいの女の子ばかりであった。 「この商店街にあるゲームセンターはこの一件だけ。しかも、魔法 石が示した場所とも一致する。そして、クレーンゲームか」 美佳はクレーンゲームの前に来た。 ショーケースの中にはテレビキャラクターをディフォルメしたよ うなぬいぐるみがたくさん入っている。 美佳はゲーム機の挿入口にコインをいれ、クレーンゲームを始め た。 美佳はボタンを操作して、クレーンを左から右へ移動させ、取り 安そうなぬいぐるみのところでクレーンを下ろし、ぬいぐるみを引 き上げようとした。ところが寸前で落ちてしまう。 「あらら、失敗しちゃった」 美佳は再度、コインを投入して、ゲームに挑戦したが、また失敗 する。 「ええい、もう一回」 美佳は何度も何度も挑戦したが、どういうわけか全然取れなかっ た。 「いらいらするわね。何かおかしいわよ、このゲーム」 美佳はショーケースを叩いた。 「どうかいたしましたか、お客様」 帽子を深くかぶった店員らしき女性が美佳に声をかけた。 「どうもうまくぬいぐるみが取れなくて」 「それでしたら、取ってさしあげましょうか」 「本当ですか」 「ええ。これもサービスですから」 店員はそう言うと、美佳からコインを受け取り、ゲームを始めた 。店員は簡単にぬいぐるみを取り、そのぬいぐるみが取り出し口に 落ちてくる。 「どうもありがとう」 美佳はぬいぐるみを手にした。 「どういたしまして。またご利用下さいね」 店員は笑顔で言う。 「次の利用はないわ」 美佳はポケットから金色のナイフを取り出して、言った。 「何をなさるんですか、お客様」 「この店のぬいぐるみは生きているって噂があるのよね。だから、 ちょっと試してみようと思って」 美佳はナイフの刃先をぬいぐるみに当てた。 「何のことでしょうか」 店員の顔が険しくなった。 「やってみればわかるわ」 美佳がぬいぐるみをナイフで刺そうとした瞬間、ぬいぐるみがも ぞもぞと動き出し、美佳の手から逃げた。 「やっぱり生きてたわね。それじゃあ、もうひとつの噂も調べたく なったわ」 「どのような噂でしょう」 「ぬいぐるみが人を殺して、その人間にすり変わるって噂よ」 「ふふ、それならお確かめにならなくとも、私が教えてさしあげま すわ」 店員がそう言った時、店内の窓や入口のシャッターが一斉に降り た。そして、これまでゲームに興じていた少女たちが一斉に立ち上 がり、美佳を睨み付ける。 「これが答えってわけね。それならもう一つ、聞くけど、エリナを さらったのもあなたなの?」 「髪の長い、丁寧語をしゃべる女性のことかしら」 「条件にはあてはまってるわ」 「連れてきて」 店員が言うと、少女の一人が店の奥のドアを開け、中へ入ってい く。そして、数分後、少女と共に後ろ手に縛られたエリナが現れた 。 「エリナ!」 「美佳さん!」 美佳とエリナはお互いを呼び合った。 「感動のご対面というところかしら。だとすると、あなたはカライ スの言っていたキティセイバーというわけね」 「あなたの名前も聞きたいわね」 「いいですわ」 アエローは帽子を取った。帽子に収まっていた長い黒髪がぱさっ と下へ落ちる。 「私はバフォメット様の守護、アエロー。先日は兄のカライスがお 世話になりましたわ」 「人間を化け物に変えるなんて、随分ひどいことするのね」 「それは主観によりますわ。私にとっては人間の方が化け物ですも の」 「何のためにこんな真似をしたのか教えて欲しいわね」 「そうね、ここはまだまだ悪魔の住みにくい町ですもの、普通に暮 らすにはどうしても人間の体が必要ですわ。そして、子孫を増やす には特に若い女性の体が必要ですの」 「冗談じゃないわ。乗っ取られた人間の人権はどうなるのよ」 「人権なんて人間社会でも守られていないものを、私たちが守る必 要はあるのかしら」 「それは−−」 「私たちにも生きる権利はあるわ。だから、あなたにも死んでもら うの。いいでしょ」 アエローが指を鳴らすと、少女たちが美佳の方へ歩いてくる。そ して、これまでじっとしていたクレーンゲームの中のぬいぐるみた ちが動き出す。 「美佳さん、あの子たちを殺しては駄目ですわ。アエローさえ殺せ ば、他の悪魔たちはこの世界では生きられません」 エリナは叫んだ。 「それは助かるわ。チェーンジ、リヴォルバー!」 美佳の声と共に、黄金のナイフがリヴォルバーに変形した。 「くらえ!」 美佳は黄金銃の引き金を引いた。 グォーン! 光弾がアエローに向けて発射される。だが、アエローは瞬間的に 空に飛び上がった。そこで店員の制服を脱ぎ、ドレス姿になった。 「は、外れた」 「やるのよ」 アエローが指令すると、少女たちが、そして、ケースを破ってぬ いぐるみが美佳に一斉に襲いかかった。 「ど、どうすればいいのよ」 美佳は困惑した。 「ワイヤーで逃げるんですわ」 エリナが叫ぶ。 「そっか。チェンジ ワイヤー」 黄金銃がブレスレットとなり、美佳の手首に装着される。 「よし!」 美佳が手を天井に向けると、ブレスレットから鏃が発射された。 ワイヤーのついた鏃がぐんぐん伸びて、天井に突き刺さる。 「リワインド!」 美佳の言葉でワイヤーがどんどんブレスレットに巻き戻され、美 佳は天井へ上っていく。間一髪、少女とぬいぐるみの襲撃をかわし た。 「ふふふ、やりますわね。でも、それだと精神弾が使えないんじゃ なくて」 宙に浮いたアエローがニヤリと笑って言った。 「精神弾なんかなくても、あんたなんか倒せるわ」 「そう、残念だわ。せっかく、この石を返してあげようと思いまし たのに」 アエローは黒いヘアバンドを美佳に見せた。 「あっ、それは」 「欲しい?」 アエローは悪戯っぽく笑って、言った。 「そんなもの、いらないわよ」 美佳は突っぱねた。 「いいのよ、遠慮しないで」 アエローがそう言うと、黒いヘアバンドが槍に変形した。 「!!!」 「魔法石にもファレイヌと似たような力があってね。このように槍 にも変えられますのよ。この槍でゼーテースの仇は討たせてもらい ますわ」 アエローは槍を構えた。 「えい!!」 アエローは槍を美佳に向かって投げた。 「チェンジ、リヴォルバー!」 美佳が叫ぶと、ブレスレットが銃に変化する。と同時に美佳が地 上に落ちた。 槍が美佳の頭上をかすめた。 「この時を待っていましたよ。バルディアント!!」 アエローの右手に炎の玉が現れた。 「くらえ!!」 アエローは炎の球を投げた。 さらにアエローは続けて何度も炎の玉を作り出し、さらに美佳に 向かって投げた。 いくつもの炎の玉が美佳を襲う。 下では悪魔にとりつかれた少女とぬいぐるみの集団が待ちかまえ 、上からは炎の玉が迫ってくる。まさに椎野美佳、絶体絶命のピン チだった。 「マシンガン ストーム」 落下しながら美佳が叫ぶと、黄金銃のシリンダーが激しく回転し 、マシンガンのように弾丸が連射された。 ガシャ、ガシャ、ガシャーン 光弾が天井や壁にある照明を次々と破壊していく。そして、美佳 が少女とぬいぐるみたちの群の中に落ちた時には、店内は真っ暗に なった。 だが、すぐに炎の玉が次々と地面に命中し、燃え上がった。 「美佳を捜すのよ」 アエローはしもべたちに命令したが、下ではそれどころではなか った。美佳を狙ったはずの炎の玉がぬいぐるみや少女たちにも命中 し、パニックに陥っていたのだ。 「美佳はどこ、美佳は?」 アエローは空を飛び回り、炎に包まれた店内で美佳の姿を探した 。 「おかしいですわ、店内が広いと言っても、隠れる場所なんてない はずなのに」 アエローはいらだった。 店内では既に天井のスプリンクラーが作動し、鎮火が開始されて いた。 「そういえば、エリナもいませんわ」 アエローは地下室に通じる事務室の入口の前で倒れている少女を 見て、呟いた。 「そ、そうだわ、地下室!」 アエローは事務室のドアを開けた。そして、中に入った。 「やはりそうですわ」 アエローは地下室への階段を覆っていたはずの扉が開いているの を見て、言った。 アエローはゆっくりと地下への階段を降りていく。 地下室は上の店と違って、水を打ったように静かだった。 アエローは通路を歩きながら、地下牢を一つ一つ覗いていく。 「いない……」 アエローは三つ目の地下牢まで来た時、呟いた。 そして、次は最後の地下牢だった。 アエローはいつでも魔法を出せる体勢で、歩を進めた。 さあ、もう後がないですわよ アエローは最後の地下牢を覗き込んだ。 「エリナ」 地下牢の奥にはエリナが体育座りをして、顔を両膝に埋めていた 。 「彼女はどこ?」 アエローがエリナを見て、言った。 「……」 エリナは押し黙っている。 アエローは地下牢の扉を開けて、中へ入った。 「キティはどこにいますの?言わないと、命はありませんわよ」 「……」 エリナは答えない。 「答えなさい、エリナ!」 アエローがエリナの頭を足蹴にした。エリナの頭が後ろへ垂れる 。 「これは……」 エリナの顔はのっぺらぼうだった。アエローがエリナだと思って いたのは、エリナではなくエリナの服とカツラをかぶせた人形だっ たのだ。 「おのれ!」 アエローは地下牢を出ると、通路を駆け抜け、さらに階段を上り 、地下室を出た。 「ああっ」 アエローはまたまた驚かされた。 ゲームセンター内には明かりが灯り、そこには一人の少女を除い て誰一人いなかったからである。 「待ってたわよ、アエロー」 白い戦闘服をまとい、白いヘアバンドをしたエメラルドの髪と瞳 を持つ少女が言った。 「あなたは誰?」 アエローは尋ねた。 「善と悪のバランサー、キティセイバー。悪魔にとりつかれた女の 子たちは全員助けたわ」 「おまえがキティ……しかし、どうやって」 「この魔法石の力で浄化したのよ」 キティは頭のヘアバンドを指差した。「今頃はエリナがそれぞれ の自宅へ帰してるわ。ついでに、ぬいぐるみの方も全滅させたわ」 「おのれ……」 アエローは歯ぎしりをした。 「今度はあなたが消える番よ」 キティは黄金銃をアエローに向けた。 「殺してやるわ」 アエローがキティに飛びかかった。 だが、そのアエローの前に誰かが立ちふさがった。それはカライ スだった。 「落ちつけ、アエロー」 カライスが言った。 「お兄様!」 「おまえの負けだ。これだけの騒ぎを起こせば、人が来る。その前 に引き上げよう」 「お兄様、止めないで。キティを倒すのは私の任務ですわ」 アエローは突っぱねる。 「私の命令が聞けないのか」 「お兄様……」 「引き上げるぞ」 「はい」 アエローはそう言うと、その場から消えた。 カライスはキティの方を見た。 「キティセイバー、勝負はお預けだ。今度会う時を楽しみにしてる ぞ」 カライスはそう言うと、その場からふっと消えた。 「やれやれ、また逃げられたか」 一人ゲームセンターに残ったキティは呟いた。 「はっくしょん!!」 キティは大きなくしゃみをした。 「さっきのスプリンクラーの雨でまた風邪ひいたかな。早く帰って 寝よ」 キティはそう言うと、頭を押さえ、ゲームセンターを出ていった 。 エピローグ ゲームセンターでの対決から2週間後、容態の回復した恵美を見 舞いに美佳が病院を訪ねた。 「一時はどうなるかと思ったけど、助かって良かったわ」 美佳はベッドのそばの椅子に座って、言った。 「はい……でも、あたしにはもう両親も弟も……」 ベッドの恵美は涙ぐんだ。 「私が撃たなければ、お母さんは助かったかもしれないのにね」 「いえ、あれは椎野さんのせいじゃありません」 「私、何て言ったらいいかわからないけど、絶対に死ぬなんて考え ちゃ駄目よ。私だって、両親いなくても生きてるんだから」 美佳は真剣な顔で言った。 「大丈夫です。お父さんが守ってくれた命をそんな簡単に投げ出せ ませんから」 恵美は笑顔を作った。 「そう、そうよ。頑張って家族の分も生きなきゃね」 美佳は恵美の左手を握りしめて、言った。 「はい」 恵美は力強く返事をした。 「ようし、こうなったら、恵美さんを元気づけるために歌を歌っち ゃうぞ」 美佳が立ち上がった。 「う、うた?」 恵美が目を白黒させる。 「そう、私のアルバムの3番目の曲『根性哀歌』。とってもいい曲 よ」 美佳はそう言うと、どこから持ってきたのか突然、マイクとラジ カセを用意した。 「あ、あの、歌は別に……」 恵美は断ろうとしたが、美佳には恵美の言葉など全然入らない。 「では、行きます」 美佳はラジカセの再生スイッチを押した。メロディが流れてくる 。 「どんなに辛くたってぇ、あの空だけは知っているぅ−−」 それから5分、美佳は恵美の迷惑も省みず、自分の曲を歌い続け たのであった。 終わり