ファレイヌ2 第3話「失われた記憶」 登場人物 椎野美佳 声優。魔法銃ファレイヌの所有者 魔法のヘアバンドでキティセイバーに変身する さつき 記憶喪失の女 早見 刑事 プロローグ 深夜、一人のパジャマ姿の女が凍りついたアスファルトの路上を 駆けていた。女の表情は、見るからに何かに怯えていた。 「はあ、はあ、はぁ」 女の心臓の鼓動は激しく高まり、破けんばかりであった。 しかし、止まることは許されなかった。何かが追ってくる。 女は呼吸を乱し、胸を押さえながらも、懸命に走った。 女の背後から二つの黒い影が迫ってくる。 女は目の前の視界にあった歩道橋の階段を上った。途中、つまず きそうになりながらも、何とか上まで登り切った。 「はあ、はあ……あっ」 だが、歩道橋の上にはもう一つの影が立っていた。 「ようやく追いつめたぜ」 女の目の前の追跡者が言った。 黒い皮ジャンパーにサングラスという出立。 その時、女を追跡していたもう一つの影が女に追いついた。 女は怯えた表情で二人の追跡者を交互に見る。 女は完全に歩道橋の上で挟み撃ちにあっていた。もう逃れるすべ はない。 「もう逃げられないぜ、お嬢さん」 二人の追跡者がじりじりと女に迫る。 「あ、あなた達は誰なんですか」 「ふふ、誰でもいいさ。おとなしく最初に死んでいりゃあ、いいも のを」 「何をするつもりですか」 「なぁに、あの世へ送ってやるのよ。死神に代わってな」 二人の追跡者が女の両腕を掴んだ。 「いや、はなして」 女は体を振ったが、追跡者たちに両腕を後ろにとられ、手すりに 押さえつけられた。 「ここから自殺を図ってもらおうか。走ってくる車に飛び込んでな 」 追跡者は女の耳元で囁くように言った。 「お願い、助けて」 女はか細い声で言った。 「どうせ一度は死んだ身だ、今更、恐くあるまい」 追跡者たちは車が歩道橋の下を通過するタイミングを計っていた 。 「誰かぁ!」 女は必死に声を上げた。 「うるさい、黙ってろ」 賊は女の口にハンカチを詰め込んだ。 その間に最初の車が歩道橋の下を通り過ぎてしまった。 「いいか、時間がない。トラックが来たら、この女を一気に落とす ぞ」 「わかった」 数台の乗用車が通り過ぎた後、大型トラックが走ってきた。 「んん!!」 女はもがいた。しかし、追跡者たちの力に歯が立たない。 「さあ、お別れだぜ」 「んん、んんん!!」 女は恐怖に顔がひきつり、懸命に声を出そうとした。 トラックがエンジン音を上げ、歩道橋の方へ走ってくる。 −−誰か、助けて!誰か! 女は心の中で叫んだ。 「それ、今だ!」 追跡者たちは女の足を抱え上げ、女を歩道橋から投げおろした。 −−いやあぁぁぁ 女の体が固いアスファルトに吸い込まれた。さらに目前にはトラ ックが迫る。 絶体絶命の危機だった。 シュン! だが、その時、エメラルドグリーンの人影が歩道から車道へ飛び 出し、トラックの目の前で素早く女を抱き留めると、反対側の歩道 へ風のように駆け抜けた。 トラックは通常スピードで何事もなかったかのように歩道橋の下 を通り過ぎた。 「やったか」 追跡者たちは歩道橋の下を見た。 「何!女の死体がない!」 追跡者たちは愕然とした。 「バカな、確かに落としたはずだ」 彼らはまだ歩道橋の下を見ていた。 「彼女なら、私が助けたわ」 その時、歩道橋の階段の方で声がした。 「むっ」 追跡者たちは顔を上げ、声の方を見た。 「お、おまえは」 声のした方に立っていたのは椎野美佳だった。美佳の右手には金 色の拳銃が握られていた。 「何者だか知らないけど、人を突き落とすなんて悪い趣味だわ」 「拳銃持ってるぜ、あの女。どうする、兄貴」 追跡者の一人がもう一人に言った。 「おまえは先に行ってろ。こいつは俺が口をふさぐ」 「わかった。頼んだぜ」 追跡者の一人が逃げた。 「待て!」 美佳が足を一歩踏み出した。その時、美佳の足下で弾丸が跳ね返 った。追跡者が発砲したのだ。 「私には拳銃を使おうってわけ」 美佳は追跡者をじろりと見た。 「貴様、何者だ。刑事か」 「あんたに名乗る必要はないわね。おとなしく警察に自首した方が いいわよ」 「へっ、馬鹿なこと言うぜ。立場、わかってんのか」 追跡者は拳銃の銃口を美佳に向けた。「そんな細腕でそんな銃が 撃てるのか試してやるぜ」 追跡者が拳銃のトリガーに指の力を入れた瞬間、美佳は拳銃を下 ろしたままで、引き金を引いた。 グォーン! 発射された光の弾丸は地面に当たるすれすれで急上昇し、まっす ぐ追跡者に向かって飛んだ。 「うわあ!!」 追跡者の拳銃が砕け散った。 「そんな、馬鹿な。銃口を下に向けたままで撃つなんて−−」 「この次はないわよ」 美佳はゆっくりと腕を上げ、拳銃の銃口を追跡者へ向けた。 「ちいぃ」 追跡者は思いきって歩道橋から飛び降りた。そして、タイミング よく着地すると、そのまま歩道の脇道へ走り去っていった。 美佳はそれを黙って見送っていた。 「やれやれ」 美佳は黄金銃をペンダントに変化させると、首にかけた。 「あ、あの」 女が歩道橋の階段を上って、美佳の方へ歩いてきた。 「危なかったね」 「助かりました」 「ほんと、間にあってよかったわよ。私が偶然通りかからなかった ら、あの世行きよ」 美佳は大きく息をついた。「一体、あいつらは何者なの?」 「わかりません。でも、私を殺そうとしてるんです」 「殺そうと?どうして?」 「わかりません。私、記憶喪失で過去の記憶がないんです」 女は静かにそう言った。 1 記憶喪失 「まあ、入って」 美佳は女を自分のアパートに招き入れた。 「すみません」 女は遠慮がちに言った。 美佳は居間に案内すると、そこの座布団に彼女を座らせ、自分は コーヒーを入れに行った。 5分ほどして美佳はコーヒーを入れて、居間に戻ってきた。 「どうぞ、あったまるわよ」 美佳は女の前のテーブルにコーヒーの入ったカップを置いた。 「すみません」 女はすぐにカップを手に取り、すするようにして飲んだ。 「あったかい」 先ほどまで緊張していた女の顔が少し柔らかくなった。 女はまだ20代前半で、髪は黒でショートヘア。化粧はしていな いが、面長な顔立ちの美人である。 「落ちついた?」 美佳は女がコーヒーカップを置いてから、尋ねた。 「はい」 「一応、自己紹介しとかなきゃね。私は、椎野美佳。あなたは−− そっか、記憶がないんだっけ」 「病院ではさつきって呼んでもらってました」 「じゃあ、さつきさんって呼ぶわね」 「はい」 「さっそくだけど、あなたのこと聞いていい?」 「ええ」 「あなた、記憶喪失って言ってたけど、どういうことなの?」 「それが……目が覚めたら、病院だったんです。私が起きたときに は、過去の記憶が何もありませんでした。私に話を聞きに来た刑事 さんの話だと、二月前に私は車にはねられ、意識不明の重体だった んだそうです。私の持ち物はみんな誰かに持ち去られたみたいで、 私が誰なのかを知る証拠は何もありません。警察でも捜索願が出て ないか調べてくれましたが、駄目でした」 「二月も捜索願が出ないのは変よね」 「ええ」 「あなたをはねた車の犯人はまだ捕まってないの?」 「まだのようです」 「その犯人があなたを狙ったという可能性はあるわよね。そういえ ば、あなた、どうしてあんな時間に追われていたの?」 「病室で寝ているときに突然、あの男たちに起こされて、ナイフで 脅かされたんです。そして、男たちにナイフを突きつけられたまま 、病院の外まで連れて行かれました。でも、車に乗せられるときに 隙を見て逃げ出したんです」 「それでパジャマ姿なのね。あの男たちには全く心当たりはないの 」 「ありません。ただ病院にいる時、いつも誰かに監視されているよ うな気がしました。はっきりとはわからないんですけど」 「このこと、警察に言って、守ってもらった方がいいわね。あいつ ら、ただ者じゃないわよ」 「はい」 「警察に連絡してあげるから、そこで待ってて」 美佳が立ち上がろうとすると、さつきは美佳の腕を掴んだ。 「あの、今夜だけでいいですから、泊めてもらえませんか」 「え?」 「病院に帰るの恐いんです」 さつきは不安げな顔をしていった。 美佳は少しさつきの顔を見ていたが、 「わかったわ。警察に知らせるのは明日にしましょ」 とにっこり微笑んで言った。 2 襲撃 翌朝、美佳は警察に連絡して、さつきをアパートまで迎えに来て もらうことにした。 アパートの前の道で二人は立っていた。さつきは美佳から借りた 服を着ている。 「昨日はありがとうございました。私、初めてです。あんなに安心 して寝られたの。記憶を失ってから、ずっと一人で病院のベットだ ったし、不安だったんです」 「大したところじゃないけど退院したらいつでも来ていいわよ」 「本当ですか」 さつきの顔が明るくなる。 「ええ」 「もしよかったら、椎野さんも病院に見舞いに来て下さいね」 「ふふ、毎日とは行かないけど、きっと行くわ」 美佳は笑顔で言った。 「それにしても、警察が来るの遅いわね」 美佳は腕時計を見た。 その時、一台の車が走ってきた。 「あれかしら?」 美佳は車の方を見た。 車は猛スピードで走ってくる。 「ちょっとおかしいわ」 美佳は直感的に何かを感じとった。その車はまっすぐ二人へ突っ 込んでくる。 「さつきさん、逃げるのよ」 「え?」 美佳は先にさつきを道の端へ押し倒すと、自分も車の迫ってくる 寸前で横へ逃げ、車の体当たりをかわした。 キイィィィ! 車は二人から数十メートル通り過ぎたところで急停車した。そし てすぐさま車はバックする。 「あれは−−」 その時、車の助手席の窓から、黒い帽子の男が顔を出した。男は さつきを見つけるや、サブマシンガンを持ち出し、その銃口を彼女 向けた。 「危ない!」 美佳はとっさに金のクロス・ペンダントを男に向かって、投げた 。 ペンダントは途中でブーメランに変化し、男のマシンガンに命中 する。 「うあっ」 同時に男の手にしたマシンガンが火を噴いた。 しかし、間一髪銃口がずれたため、最初の銃弾は別の方向へ飛ん だ。 「くそぉ」 だが、男もすぐに体勢を立て直して、さつきを狙う。 「チェンジ キティセイバー」 この瞬間に美佳は魔法の白いヘアバンドを装着した。彼女の髪と 瞳がエメラルドグリーンに変化し、体が白い戦闘服に包まれる。彼 女は魔法のヘアバンドを装着すると、中立神ガイアールの力を得て 、キティセイバーに変身するのだった。 「やめて!!」 さつきが悲鳴を上げたとき、キティが男が持つマシンガンの銃口 の前に立ちはだかった。 「貴様、何者だ!!」 「善と悪のバランサー キティセイバー」 「ヒーロー気取りが、ふざけるな」 男はマシンガンの引き金を引いた。 それと同時にキティは両手を前に突き出し光のバリヤーを張った 。 ダダダダダダッ!! 男の放ったマシンガンの銃弾は次々とバリヤーの前に跳ね返され る。 「ど、どうなってんだ」 男はマシンガンを抱えたまま、愕然とした。 「畜生、しくじりやがって、逃げるぞ」 運転手の男は車を前に発進させ、あっという間に走り去った。 「あなた、一体……」 さつきは呆然としたまま、キティを見た。 「こういうことよ」 キティはヘアバンドを外すと、もとの美佳に戻った。「さっきの 男も言ってたけど、ただのヒーロー気取り」 3 刑事との会話 10分後、美佳は警察にさつきを引き渡した後、知り合いの刑事 早見と覆面パトカーの中で二人きりで話した。 「君は事件に首を突っ込むのがよっぽど好きなんだね」 運転席の早見はタバコをぷかぷかと吸いながら、言った。 「大きなお世話よ。それより、タバコはやめてくれない」 助手席の美佳はタバコの煙にムッとした顔をしながら、言った。 「おっと、失礼」 早見は灰皿にタバコをすりつぶした。 早見はD署の刑事で、29歳。ブラックライダー事件で美佳に助 けられたことがあり、それ以後、何かにつけ事件で顔を合わすのだ った。 「警察の中にも犯人がいるわね。あいつらは私の家、知らないはず なのに警察にさつきさんのことを通報した直後に来るなんておかし いもん」 美佳は腕を組んで、言った。 「よくわかったな、俺が呼んだんだ」 早見はすました顔で言った。 「へえ、そうなの……って、何ですって!!」 美佳は驚いて早見を見た。 「君がよけいなことをしてくれたおかげで、2度もチャンスを失っ た」 「二度もって、まさか、昨日の夜も」 「ああ、見てたさ。もう少しのところだったのにな」 「あんた、むかつくけど、少しはいい刑事だと思ってたのに、もう 許せない。この場で片づけてやるわ」 美佳は黄金銃を早見に突きつけた。 「おい、待て、話を聞け」 早見は慌てた。 「聞く必要ないわ。あんたも犯人の一味でしょ」 美佳は今にも銃の引き金を引く勢いである。 「違う。彼女を狙ったのは関東轟組の者さ」 「関東轟組?」 「そう」 「どうしてそいつらが彼女を狙うの?」 「それは彼女が組長を暗殺しようとした殺し屋だからさ」 「うそっ。彼女、まだあんな若いじゃない。あんた、いい加減なこ と言って、私をごまかそうとしてるでしょ」 美佳は早見のネクタイを締め上げた。 「本当だって。こいつを見てみろ」 早見の一枚の写真を美佳に見せた。そこには化粧や髪型、髪の色 で雰囲気がちょっと違うが、さつきが写っていた。 「この写真は?」 「国際的殺し屋、レディ・カイゼルの写真だ」 「殺し屋?」 「そう、3年前の写真だ。彼女に似てるだろう」 「似てるけど、さつきさんは車にはねられて記憶喪失なのよ」 「その彼女を車ではねたのが、轟組だとしたら」 「え?」 「俺の情報じゃ、二月前、彼女は組長暗殺のため、顔を変え日本に 来日してる。恐らくその時、組長暗殺に失敗し、逆に組にやられた のだろう。俺が彼女のひき逃げ事件の担当者じゃなかったら、見逃 すところだったよ」 「それで捜索願も出されず、身元を証明するものも出なかったのね 。それなら、どうして彼女を逮捕しないの?」 「カイゼルを示す唯一の証拠はこの写真だけなのさ。つまり、彼女 が記憶喪失である以上、調べようがないんだ」 「でも、さつきさんが殺し屋だなんて信じられないわ」 「それは彼女が記憶を本当に失ってるからだろう。俺はこの一月、 ずっと病院をマークしてたんだ。彼女の関係者が現れないかとね。 そうしたら、なぜか轟組の組員の出入りが多くてね。組員の一人を 締め上げたら、案の定、組長の仇のために彼女を狙っていた」 「そこまでわかっているなら、轟組の奴等をどうして逮捕しないの よ」 「証拠がないさ。現場を直接押さえないとね」 「直接って言うけどね、彼女は私が助けなかったら、二度とも死ん でたわ」 「それならそれでいいじゃないか」 「え?」 「奴は記憶喪失になったって殺し屋は殺し屋さ、死刑になっても当 然の女だ。それより、俺としては轟組の連中を殺人罪で捕まえたい んでね。傷害程度じゃ大した罪にならん」 「何ですって」 美佳は早見の言葉を聞いた途端、カッとなって早見の頬をひっぱ たいた。 「いてえ、何すんだよ」 「人の命をなんだと思ってるの。殺し屋にだって命はあるわ。あん たなんか最低よ」 「何とでもいえ。あの女をカイゼルだと証明する方法はそれしかな いんだ」 「冗談じゃない。私は絶対に彼女を守るからね」 美佳はそういうと、憤然として車を出ていった。 4 黒幕 その頃、都内のあるビルの一角にある事務所では、さつきを襲っ た二人組の男たちを大きなデスクの前に立たせ、一人の小柄な男が 叱りとばしていた。 「女を取り逃がしただと−−」 その小柄な男はデスクを強く叩いた。その音に二人組の男は肩を すくめる。 その小柄な男は、年齢40前後、白髪交じりで一見サラリーマン 風だが、背筋がぴっと張っていて、くたびれた様子はなく、体つき も太っていると言った感じはない。顔つきは悪人顔と言うわけでは ないが、どこか裏街道を生きてきたような独特の雰囲気が顔に表れ ていた。この男、関東轟組の若頭で、名を岡部といった。 「昨日の今日やないけ!」 「すみません。妙な女が現れまして」 「妙な女だぁ!」 「へえ、こんなでかい黄金銃を持つ女です」 二人組の一人が両手でその大きさを示した。 「おまえら、女にやられたのか!」 岡部は怒鳴った。「おまえらも拳銃、持ってんだろうが」 「それが凄い腕の奴なんです。銃口にしたに向けたまま、銃を撃っ たり、銃弾を跳ね返したりと」 「あほんだら!!!」 岡部は二人組の頭をそれぞれ背伸びして、ひっぱたいた。 「すみません」 二人組は頭を下げる。 「その女ってのは何者なんだ?」 「さあ、今のところは何も−−」 「何だと。だったら、さっさと調べんか」 岡部はますます頭に血が上り、今度は二人組のすねを蹴った。 「ひいいぃぃ」 二人組の男たちは痛そうな声を上げた。 「組長はな、あの女が生きてる限り、枕高くして眠れんのじゃ。お まえらにそのことがわからんのか」 岡部は二人組の顔を睨み付けた。「全く、女にやられて、尻尾巻 いて逃げてくれるとは関東轟組の組員も落ちたもんや。もう、おま えらには頼まん。鮫島!」 岡部は部屋の隅で腕を組み、壁によりかかっていた一人の男を呼 んだ。その男は長身でがっちりとした体格。背広姿で、髪は五分刈 り、厚い唇で、肌は浅黒く、色の濃いサングラスをかけていた。 「ようやくあっしの出番ですかい」 鮫島は一歩前に出た。 「やってくれるか」 「ええ。あっしは女だろうと子供だろうと、容赦しません。その仕 事、引き受けましょう」 鮫島はそう言うと、にやりと笑った。 5 エリナとの会話 その夜、美佳の仕事の打ち合わせで金沢に出張していたエリナが 美佳のアパートに帰ってきた。 美佳は待ってましたとばかりに、これまでの出来事を話し、エリ ナに今後のことを相談した。 「そんなことがあったんですか。全く美佳さんはつくづく不幸な人 生ですね」 エリナは紅茶を飲んでから、言った。 「私のことなんかどうでもいいわよ。それよりどうしたらいいと思 う。あのままじゃ、さつきさん、殺されちゃうよ。あの刑事、本当 にさつきさんを見殺しにする気なんだから」 美佳は真剣な顔で言った。 「わたくしは反対ですわ」 エリナは美佳の方を向いて言った。 「え!?」 「人を守る大変さは美佳さんが一番知ってますでしょ。美佳さんは 仕事があるのに、一日中、いつ来るかわからない敵に対して彼女を 守っているつもりなんですか」 「それは−−そうなんだけど」 美佳は下を向いた。 「早見さんのことはよく知りませんけど、警察だって狙われてると わかった以上はきっとガードしてくれますわ。それよりも、明後日 は金沢へ行くんですから、準備お願いしますね」 「はい」 美佳はすげない返事をした。 6 電話 それから、二日後。美佳のアパートに一本の電話がかかってきた 。 金沢へ行くため、アパートを出ようとしていた美佳は、慌てて部 屋に戻り、電話を取った。 「はい、椎野ですけど」 「さつきです」 と聞き慣れた声。 「さつきさん?どこからかけてるの?」 「病院からです。椎野さん、私、刑事さんと相談して、囮になるこ とを決めたんです」 「囮!」 「ええ、このまま狙われるのを待つよりも、奴等をおびき寄せて逮 捕した方がいいって刑事さんが。私も悩んだんですけど、その方が いいと思って」 「ちょっと駄目よ、そんなこと。危険すぎるわ。一体、誰よ、そん なこという刑事は?」 「早見って刑事さんです」 −−早見。あいつ…… 「駄目よ、絶対」 「大丈夫ですよ、何人もの刑事さんが見張っててくれるって言うし 」 「い、いつやるの?その囮捜査は?」 「今からです。N公園の方へ」 「わ、私もそこへ行くから、なるべく時間を稼いで。いいわね」 美佳は受話器を置いた。 「エリナ!」 「はい」 「私、金沢へ後からタクシーで行くから、先に行って」 美佳は慌てて玄関を出る。 「そんな、どこへ行くんですの?」 「N公園よ」 美佳はそう言うと、エリナを残して、急いでアパートを出ていっ た。 7 襲撃 それから1時間後、さつきはN公園を訪れた。 彼女のまわりには誰一人いないが、遠くからは刑事が隠れて監視 していることになっている。 N公園は円形で、中央に円形の広場があり、広場の回りを森林が 覆っている。そして、百メートル程の道がそれぞれ東西南北にある 各入口から広場へと森林を突き抜けて繋がっているのである。 さつきはちょうど南口の並木道を散歩するようにのんびりと歩い ていた。7月という季節にふさわしく、空は青一色の天気で、それ に応えるように木々の緑が青々と茂っている。 「いい天気ね」 さつきは太陽の光に目を細めながらも、青空を見上げた。 −−こうしていると、狙われているなんて嘘みたい。普段、こう やって歩けたらいいのになぁ。 さつきは歩いているうちに寂しくなった。 いつしかさつきは中央の広場にたどり着いた。あたりは人影もな くシーンと静まり返っていた。 広場の中央には人工池があり、その池の真ん中にルネサンス期の 彫刻を真似た石像が立っている。昼間はこの池から噴水が出るのだ が、今朝はまだ水を止められている。 「椎野さんが来てくれるって言ってたけど……」 さつきは池のそばのベンチに座った。 「誰もいないというのは、何か不安だわ」 さつきは呟いた。刑事が見張っているのは間違いないが、その気 配はまるでさつきには感じられなかった。それだけにさつきは突然 、狙われたときのことを思うと不安だった。果たして突然、襲って こられたときに間に合うのか。本当に警察は守ってくれるのか。 さつきはしばらく池を見つめていた。 カサッ、カサッ ふっと何かの物音にさつきは顔を上げた。 さつきの目の前に鮫島とさつきを襲った最初の二人組の追跡者が 歩いてくる。彼女は突然のことに動くことすら出来なかった。 −−刑事さん、早く来て。早く彼らを逮捕して さつきはとっさに緊急用の発信器のボタンを押した。早見刑事の 話では、このボタンを押すと、刑事の持つ受信機に電波が送られ、 隠れていた刑事が彼女のもとに一斉に駆けつけるというものだった 。 だが、刑事が駆けつけてくる様子はない。 「狙われてるのがわかってて、表を歩き回るとは大した自信だな」 鮫島は低い声で言った。 「あなたたち、誰なんですか」 さつきは震えた声で言った。 「ふふふ、組長に怪我を負わせた礼に来たのさ」 「そんな、私、何も知りません」 「知らないのなら俺が教えてやる。おたくは殺し屋レディ・カイゼ ルだ。おたくは二月前、うちの組長を射殺しようとしたのさ」 「そんな、嘘です。私が殺し屋だなんて」 さつきは首を激しく横に振った。 「本当さ。逃げるおたくを車ではねたのは俺だからな。本当はあの 場でとどめを刺すはずだったが、運悪く人が来て失敗した。だが、 今度は逃がさねえ。地獄へ行ってもらうぜ」 鮫島がさつきのそばに歩み寄る。 「刑事さん、早く来て!!」 さつきはついに大声を上げた。 「刑事だって」 鮫島の子分たちが動揺する。 「うろたえるな。刑事が来るなら、とっくに来てるはずさ。さあ、 死んでもらうぜ」 鮫島がさつきの肩に手をかけた。 −−もう駄目、殺される 「椎野さぁーん!!!」 さつきは衝動的に叫んだ。 グォーン!!! その時、光の弾丸が鮫島の肩をかすめた。 「なにっ!!」 鮫島は後ろを振り向く。「誰だ、今、撃ちやがったのは」 「私よ」 林の中から黄金銃を手にした椎野美佳が現れた。 「あんたか、うちの組員をかわいがってくれた女っていうのは」 鮫島は美佳を見下ろして、言った。 「その子に少しでも触れたら、この私が許さないわ」 美佳は鮫島を睨みつけた。 「ほお、随分度胸のいいお嬢さんだ」 鮫島は背広を脱いだ。彼の肩には銃を収めたホルスターが備え付 けられている。「どうです、あっしと対決してみては」 「勝負しようってわけ?いいわよ」 美佳もジャンパーを脱いだ。 「椎野さん!」 さつきが不安げに美佳に声をかける。 「安心して。すぐに助けてあげるから」 「でも……」 「まあ、任せなさいって」 美佳はニコッとさつきに微笑みかけた。 「おじさん、勝負は受けるわ。その代わり、私が勝ったら、その子 からは手を引いてもらうわ」 「勝てたらな。おまえら、今からこのお嬢さんと勝負する。勝負が つくまで手ぇ出すなよ」 「へぇ」 鮫島の言葉に二人の組員は従い、後ろへ下がる。 「さあ、行きましょうか」 鮫島は美佳を見た。 「いいわ。さつきさん、後ろへ下がってて」 美佳の言葉でさつきは数メートル後ろへ下がった。 鮫島と美佳は5メートルの距離を置いて対峙した。 「そいつが黄金銃か。そんなどでかい銃をお嬢さんの細腕で撃てる のかな」 「そっちのコルト・キングコブラだって早撃ちには適さないと思う けど」 「ふふ、大した度胸だ。その落ちつき、うちの組員に欲しい人材だ 」 「つまらないこと言ってないで、やるなら早くやりましょ」 「いいだろう。勝負はこの五円玉が地面に落ちた時だ」 鮫島は五円玉を美佳に見せる。 「いいわ」 「いくぜ」 鮫島は指で五円玉を弾いて、頭上に上げた。 椎野さん、頑張って!! さつきは祈るように手を合わせながら、二人の対決を見守った。 五円玉が放物線を描いて、落下する。鮫島と美佳の目の色が変わ る。 五円玉が地面に落ちた。 よしっ!! 鮫島は素早くホルスターからコルト・キングコブラを抜き、銃口 を美佳に定めた。 なにっ! グォーン!! 鮫島が引き金を引きかけた時には、美佳の黄金銃ファレイヌが火 を噴いていた。 「ぐあっ」 ファレイヌから放たれた光弾が鮫島の右腕を貫く。 「鮫島さん!」 子分たちが鮫島に駆け寄る。鮫島は銃を落とし、腕を押さえて膝 を着いた。 「くっ、あの銃は……」 鮫島は子分たちに体を支えられ、苦しそうに呻いた。 「撃ち慣れてないわね、銃を」 美佳は鮫島に歩み寄った。 「貴様ぁ」 子分たちが懐から拳銃を抜こうとする。 「やめねえか」 鮫島は苦しそうな声で言った。「おまえたちのかなう相手じゃね え」 「すぐに救急車を呼んであげるわ」 美佳は鮫島にそう言うと、林に向かって、大声で叫んだ。「早見 !早見!いるのはわかってんのよ。出てこなかったら、承知しない わよ」 しばらくして、林の陰に隠れていた早見がふてくされて出てきた 。 「全く君の世話好きには頭が下がるよ。3度もチャンスを潰しやが って」 美佳たちのところへ来た早見が愚痴った。 「ぐだぐだ言ってないで、彼らを逮捕して。ちゃんとさつきさんを 襲うところ、見てたでしょ」 「わかったよ」 早見が背広のポケットから手錠を取り出すと、組員たちが慌てて 、逃げようとする。 「待ちなさい!あんたら、一歩でも動いたら射殺するわよ」 美佳が鋭い声で言うと、組員は足を止め、両手をあげた。 「これでいいわね。早見、お手柄、お手柄」 美佳は早見の背中を叩いて、笑顔で言った。 「ちっ、馬鹿野郎」 早見は組員たちに手錠をはめながら、まだ愚痴っていた。 「椎野さん」 美佳のもとにさつきが歩み寄った。 「大丈夫?」 美佳が優しく聞いた。 「わ、わたし……ううっ」 さつきが突然、目に涙をいっぱいにして、泣き出した。 「さつきさん、どうしたの?」 「わたし……嬉しくて。記憶を失ってから、ずっと不安だったの。 もう自分には頼るものが何もないんだって。そんな私に椎野さんは 3度も命を懸けて守ってくれた。何の関係もない私のために」 さつきは涙を手で拭いながら、精一杯の笑顔を浮かべて言った。 「何言ってるの、そんなこと当たり前じゃない。何の関係もないっ て言うけど、私たちはもう立派な友達よ」 美佳が明るく言った。 「友達……」 さつきが美佳を見る。 「そうよ。あなたは、さっき、奴等に襲われたとき、私を呼んだで しょ。大きな声で。だから、私もそれに応えた。それってお互いの 信頼関係じゃない。あなたが私を信頼してくれたから、私も勇気を 出して奴等と戦えたの。ねっ」 「椎野さん……ありがとう」 さつきはまた涙が出てきた。 「あの、これ」 さつきは鍵のついたハートのマスコットのキーホルダーを美佳の 前に差し出した。 「これは?」 「私が病院に入院したとき、手に握りしめていたものなんです。私 のただ一つの持ち物です。これを美佳さんにさしあげます」 「でも、この鍵は、さつきさんの過去を知る手ががりになるかもし れないのよ」 「いいんです、もう過去のことは。過去にこだわるより、未来で椎 野さんのようなすばらしい人たちと出会うことの方が大事だとわか ったんです」 「さつきさん−−」 「もし将来、この鍵が必要になったら、椎野さんのところへもらい に来ます。その時まで預かってて下さい」 「わかった。この鍵は大事に預かっておくわ」 美佳はさつきから鍵を受け取り、ぎゅっと握りしめた。 「お二人さん、いつまでラブシーン、やってるんだ」 早見が二人の間に割り込むように言った。 「誰がラブシーンよ。救急車は呼んだの?」 美佳が顔を真っ赤にして、言った。 「携帯電話で呼んだよ。全くうるせえな」 「何よ、その態度は!」 美佳は早見の顔をひっぱたいた。 −−いてえ、こいつ、いつか絶対逮捕してやるからな 早見は頬をさすりながら、心の中で呟いた。 8 記憶 2週間後−− ピルルルル、ピルルルル、ピルルルル…… 深夜、美佳のアパートの電話が静寂を切り裂くようになった。 「ううん−−」 美佳は寝返りを打った。 美佳は無視しようとしたが、鳴りやまない。 「もう!こんな時間に」 美佳は布団に入ったまま手を伸ばして、手探りで近くにある電話 の子機を取った。 「はい、もしもし」 美佳はぶっきらぼうに言った。 「美佳か……」 早見の声だった。しかし、いつになく小さく弱々しい声だ。 「は、早見。何よ、こんな遅くに。私、明日仕事なんだからね」 美佳は文句を言った。 「……」 「何黙ってるのよ、用があるなら、早く言ってよ」 美佳は口悪く言いながらも、少し心配になった。 「−−ふふ、その憎たらしい声を聞くのも後ちょっとだな」 早見の掠れた低い声がした。 「どうしたの、何かあったの?」 美佳は体を起こし、子機を持ち直して心配そうに聞いた。 「彼女の記憶が戻った−−」 「え?」 「気をつけろ……。あいつは……君の持つ鍵を狙ってる」 「早見……あなた、何かされたの?」 「無様なもんさ。腹ぶっさされて、拳銃まで奪われちまった……」 早見は苦しげに笑った。 「どこにいるの?救急車は呼んだの?」 美佳は真剣な顔になった。 「美佳、俺はあの時、言ったはずだぜ、殺し屋は所詮殺し屋だって ……もう俺には奴を止められねぇ……うぐっ−−」 「早見、早見!!」 美佳は懸命に呼びかけたが、受話器からもう早見の声は聞こえて こなかった。 「美佳さん、どうかしましたの?」 エリナが美佳の声で目を覚ました。 「エリナ、外へ出ちゃ駄目よ」 美佳は立ち上がる。 「どこへ行くんですの?」 エリナの質問に美佳は答えず、パジャマ姿にコートを上に羽織っ て、美佳は黙って部屋を出ていった。 アパートから少し離れた人気のない路上に美佳は一人、立ってい た。だぶだぶのコートのポケットに両手を突っ込み、じっと一点を 見つめている。 空は暗雲で立ちこめ、今にも雨が降りそうであった。空気は乾き 、風一つない。 カツーン、カツーン…… 遠くに一つの影が現れた。その影はまっすぐ美佳の方に向かって 、歩いてくる。 美佳は黙ってその影を見つめていた。 影は美佳より十数メートル手前で立ち止まった。街路灯の光で女 の姿がはっきりと浮かび上がる。 「さつきさん」 美佳は呟いた。 「ふふ、待っていると思ってたわ。あの男は電話をかけさせるため にわざと一撃で始末しなかったのよ」 さつきは冷たい口調で言った。さつきの顔は同じであるにも関わ らず、公園で見た時の印象と全く違っていた。その獲物を追うよう な鋭い瞳、凍り付いた唇、きゅっと引き締まった頬。そこには以前 の優しさのかけらもなかった。 「記憶が戻ったの?」 「そう。突然にね。これもあなたのおかげよ」 さつきは笑った。 「あなたの目的はこれね」 美佳は左のポケットから手を出すと、鍵のついたハートのマスコ ットのキーホルダーを見せた。 「そうよ、返してくれるわね」 「いいわ。でも、一つだけ聞きたいことがあるの?」 「何かしら」 「なぜ早見を刺したの?」 「なぜかって。決まってるじゃない、彼は私を3度も見殺しにした 上に、私を執拗にマークしていた。もし私の記憶が戻ったとわかれ ば、あの男はすぐにでも私を捕まえようとするわ。だから先手を打 ったの」 「この次は私を殺すの?」 美佳はさつきを見て、言った。 「ふふ、あなたは命の恩人だもの。そんなことするわけないじゃな い。私たちは友達でしょ。さあ、鍵を渡して」 「わかったわ」 美佳は鍵をさつきに投げた。さつきはダイレクトにそれを受け取 る。 「ありがとう。あなたの恩は忘れないわ、永遠に」 さつきは突然、白いコートの懐から拳銃を抜くと、美佳に向けて 発砲した。 プシュッ!! 「あっ」 弾丸が美佳の左太股を貫通し、美佳は膝を折った。美佳のパジャ マのズボンが太股から血で真っ赤に染まっていく。 「ど、どうして」 美佳は左手で太股を押さえながら、言った。 「あなたは私のことを知りすぎたわ。あなたには悪いけど、死んで もらうしかないの」 「あなたはもうさつきさんじゃないのね……」 「そうよ。私はレディ・カイゼル。さつきなんて人間はもともと存 在しないのよ。さあ、この次は一発で死なせてあげるわ」 カイゼルは拳銃の引き金を引いた。 グォーン!! その時、美佳のコートを突き破って、光の弾丸が発射された。光 弾はカイゼルが引き金を引き終わるより一瞬早く、彼女の左胸に命 中した。 「うっ」 カイゼルは引き金を引いたが、拳銃の弾道はずれ、美佳の頭上を 通り過ぎていった。 カイゼルは後ろへ二、三歩よろめいたかと思うと、ぐっと胸を押 さえ、前のめりに倒れた。 その時、ポツッ、ポツッと雨が降り始めた。雨は数分もしないう ちに、強い降りになる。 美佳は足を引きずりながら、倒れたカイゼルのところへ歩み寄っ た。カイゼルは既に息がなかった。 美佳は右のポケットから黄金銃ファレイヌを取り出すと、それを ペンダントに変形させた。 「殺し屋にだって命があるのに、わたしは……」 美佳はペンダントを握りしめ、空を見上げた。冷たい雨が美佳の 涙を洗い流すようにいつまでも降り続いた。 終わり