第26話「魔銃エカテリナ」後編 5 予告状 同じ頃、椎野律子のマンションでは−− コンコン−− 玄関のドアをノックする音がした。 居間で人形姿のエリナとテレビを見ていた律子は最初は気のせい かと思ったが、再度ドアをノックする音でようやく気が付いた。 「−−誰かしら、今頃。美佳ならノックなんてするはずないし」 律子はソファから腰を上げた。 //律子さん、私も一緒に行きますわ エリナは人形から銃に変形し、律子の手に収まった。 律子は居間を出て、玄関に行くと、まずドアの小窓を覗き込んだ 。しかし、小窓には誰の姿もなかった。 //律子さん、気をつけてください 「うん」 律子は右手に黄金銃を手にし、左手でドアチェーンをしたまま、 鍵のロックを外して、そっとドアを開けた。 「誰もいないわ」 律子がドアチェーンを外し、ドアを大きく開けた。しかし、人の 姿はない。 //律子さん、足下 エリナの言葉で律子は足下を見ると、白い封筒が落ちていた。律 子はその封筒を拾い上げ、表裏を見てみた。 その封筒の表は椎野美佳様へとあり、裏には怪盗クロノスという 名前があった。 「怪盗クロノスって、この間の−−」 律子は椎野美佳宛の手紙にも関わらず、封筒の封を切って、中身 を取り出した。 封筒の中身は一枚のカードであった。そのカードには次のように 書いてある。 明後日の午前11時、東京Nデパートの12階催事場で行われる ロシア美術展出展の青銅銃エカテリナを頂きに参ります。つきまし てはファレイヌの所有者である椎野美佳さんにもご参加くださるよ うお願い申し上げます。 怪盗クロノス 「何、この手紙?」 //エカテリナ…… エリナは律子の手を離れ、銃から人形に戻った。 「エリナ、この銃のこと、何か知ってるの?」 //知ってるも何も青銅銃エカテリナは青銅のファレイヌ、ペト ラルカの俗称ですわ。 6 盗聴 「今の話、聞いたわね」 ジェシカは運転手に確認を求めた。 「はい、確かに」 運転手は答えた。 ジェシカは今日も運転手に黒いキャデラックを運転させ、律子の マンションの近くに、駐車していた。 車内には運転席に運転手。広い後部座席にジェシカが座っている 。運転席に取りつけられたスピーカーからは雑音の混じった声が聞 こえている。 「一週間、張り続けた甲斐があったわ」 「お嬢様はよく頑張りました」 「これもジム、あなたのおかげよ。ジムが律子の部屋に盗聴マイク を仕掛けてくれたから、できたことよ」 「とんでもございません。あれくらいで、お嬢様のお役に立てるな ら満足です」 「これからも頼りにしてるわよ」 ジェシカは運転手の耳元で囁くように言った。 「は、はい」 運転手は顔を真っ赤にして言った。 「それにしても、驚いたわね。まさか、クロノスから予告状が来る なんて」 「近頃は日本で盗みをしていると聞いていましたが、まさかファレ イヌを狙っていたとは。お嬢様、やっかいな敵が現れましたね」 「私はファレイヌに興味はないわ。フェリカとクレールが殺せれば いいの」 「クレールはともかくフェリカは強敵ですよ」 「勝算はあるわ。今度、私の前に現れた時が最期よ。そして、フェ リカを倒した時、クレールをじわじわといたぶって、父の仇をはら してやるわ」 ジェシカは力強く言った。 「しかし、お嬢様、エカテリナという銃はもしかして−−」 「その話は、後にしましょう。さあ、車を出して」 そういうと、ジェシカはシートにどっともたれかかった。 7 姉の訪問 椎野美佳は田沢と別れた後、自宅に戻らず牧田奈緒美の住むブル ーナイトマンションへ行った。最初は奈緒美のマンションに残して あったものを取りにいくのが目的だったが、珍しく奈緒美が帰宅し ていたので、美佳は夕食をご馳走してもらうことになった。 「やっぱりナオちゃんの料理っておいしいわ。特にこの肉じゃがが 最高」 美佳は料理を口にしながら、満足そうに言った。 「それほどでもないわよ。私なんかより律子の方がずっとうまいと 思うけど」 「駄目駄目」 美佳は手を振って、否定した。「姉貴のなんて味つけがいつも一 緒だから、三日食べるともう飽きちゃう。それでも、まだ料理にバ リエーションがあればいいんだけど、数えただけでもせいぜい七種 類。これじゃ、たまらないわよ」 「そういいながらも、食べてるわけでしょ」 「まあ、カップラーメンよりましだからね」 「そんなこと聞いたら、律子、怒るわよ」 奈緒美がくすっと笑って言った。 「いいの、いいの。でも、ほんとに驚いたわ、奈緒美さんがこんな に料理がうまいなんて」 「あら、それって私に女っけがないって意味なのかな」 「そういうわけじゃないけど、普段、仕事仕事の毎日でしょ。どこ で料理の勉強とかしたのかなと思って」 「父は普段から女は才色兼備でなければ駄目だとかいってね、武道 とか茶道とか、まあ、いやになるくらし仕込まれたのよ。料理もそ の時に習ったの」 「そうなると、奈緒美さんは結婚しても家庭的な奥さんになれるわ ね。いいな、そういうのって」 「美佳だって今からやれば、間に合うわよ」 「私は無理よ。根が怠け者だから。結婚しても旦那さんに家事、や らせちゃうな」 「あらあら、そんなことじゃ、誰も結婚してくれないわよ」 「いいもん、私、生涯ノーマルですごすから」 −−ピンポーン ちょうどその時、玄関のベルが鳴った。 「誰かしら」 「私がでるわ」 美佳は椅子から立って、玄関の方へ出向いた。そして、ドアの覗 き窓を覗き込む。 「姉貴−−!!」 除き窓には律子の姿が見えた。美佳は驚いて、チェーンを外し、 ドアを開けた。 「どうしたの、夕食食べにきたわけ?」 「美佳、ちょっと来て」 律子は美佳の手を引っ張って、部屋の外へ連れ出した。 「ちょっと待ってよ」 律子は美佳の言葉など無視して、黙ったまま、非常階段の方まで 美佳を引っ張ってきた。 「いったい何なの?」 美佳は律子の手を振り払った。 「大変なことになったわ」 律子はいつになく深刻な顔で言った。 「何かあったの?」 「今、うちにクロノスからの予告状が来たのよ」 「クロノスって……」 美佳は少し考えて「ええっ!あの、怪盗のクロノス?」 「そうよ」 律子は先程の事を美佳に詳しく話した。 「何で私に予告状を出したのかしら」 「そんなこと知るわけないしょ。ただクロノスの狙っている物がフ ァレイヌとわかった以上はほっとくわけにはいかないでしょ」 「それはそうだけど−−これって何か罠っぽくない。クロノスには この間もエリナを盗まれそうになったし。大体、ファレイヌってい ったら生きてるわけでしょ。なぜ展示品になんかなってるのかしら 」 「じゃあ、無視するの?」 「そうは言ってないけど、何かしっくりこないなぁ」 「何してるの」 その時、美佳と律子の後ろで声がした。二人はぎょっとして振り 向くと、そこには奈緒美がいた。 「律子−−」 奈緒美は律子の姿をみて、驚いた。 「あら、奈緒美」 律子が愛想のいい顔をする。 「どうしたの、夕食食べにきたの?」 「美佳と同じこと言わないでよ。それより、何?」 「美佳が突然、いなくなったから、心配になって出て来たのよ」 「あっそう。じゃあ、部屋へ戻りましょう」 律子は先に奈緒美を部屋へ向かわせると、美佳に耳打ちした。 「クロノスの予告状の件、美佳次第だからね」 「わかってるわよ」 美佳は迷惑そうな顔で、答えた。 8 夢 ジェシカ・フォードは夢をみていた。 幼い時。目の前に映る画像は十五年前の自分。まだ八歳。毎日、 学校へ行って友達と遊ぶのが楽しくて仕方のない頃だった。 画像のジェシカは学校の教室にいた。学校の名前はセント・ワデ ィントン・エレメンタリースクール。小さな学校だったが、この町 では一番歴史と伝統があった。 ジェシカは真ん中の一番後ろの席に座り、周囲の友達と笑顔で話 している。八歳のジェシカは後ろ髪をポニーテールにして、前髪は 眉の少し上辺りでカールさせている。顔の辺りにはまだそばかすが 残っている。 カラーン、カラーン−− 校舎の時計塔の鐘が鳴った。ホームルームの始まり。 ジェシカの回りにいた友達は驚いた雀のように自分の席へ戻って いく。 教室の引き戸が横に開いた。生徒たちの視線は真っ直ぐそちらへ 向けられる。頬髭をいっぱいに生やし、眼鏡をかけたアーサー・ジ ェファーソン先生がいつものように穏やかな顔で入ってくる。 −−教室内にざわめきが起こった。 生徒の視線は先生ではなく、先生の後についてくる一人の女の子 の方にあった。 「静かに」 先生が机を出席簿で軽く叩いて言った。とりあえず静かになる。 「今日から、このクラスで皆さんたちと一緒に勉強する新しいお友 達を紹介します」 そういって、先生は女の子の肩を軽く叩いて、自己紹介するよう に促した。 女の子は生徒の視線に恥ずかしがって、少しもじもじしていたが 、「今度、フ、フランスの学校から転校してきたクレール・ダビナ ックです……よ、よろしく、お願いします」とたどたどしい口調で 言った。 回りから一斉に拍手が起こる。 「クレールは早くから御両親をなくし、お兄さんと二人で暮らして います。今度の転校もお兄さんの仕事の都合で、またいつ転校する かわかりませんが、暫くの間でもクレールにとってこの町でいい思 い出が作れるよう皆さん、仲良くしてあげて下さい」 と先生が言うと、生徒たちから「はーい」という返事が出る。 「では、クレール。一番後ろの−−そうあの子の隣の席へつきなさ い」 先生はジェシカの方を指差した。 クレールは鞄を持って、机と机の列の間を通り、一番後ろの席に 着いた。 クレールが席に着くと、さっそくジェシカが声をかけた。 「わたし、ジェシカ・フォード。よろしくね」 「わたしこそ……」 クレールは照れくさそうに言った。 バサッ−− 何か物の落ちた音がして、ジェシカはぱっと目を覚ました。 ジェシカはリクライニングチェアにもたれていた。床には開いた 本が落ちている。 −−うとうとして、そのまま寝てしまったのね ジェシカは椅子に座って本を読んだまま、うたた寝してしまった ことにようやく気づいた。 −−それにしても、あんな夢をみるなんて…… ジェシカはやや寝覚めに不快感が残っていた。 ジェシカは床から本を拾い上げると、机に置いた。そして、ちら っと腕時計を見た。午前零時を回っている。日付はもうクロノスの 盗難予告の当日になっている。 ジェシカは椅子から腰を上げ、机の引き出しを開けた。中には黒 いケース。さらにケースを引き出しから取り出して、開けた。 そこには青色に鈍く光るリヴォルバーがあった。 「ふふふふ。エカテリナ、明日は存分に働いてもらうわよ」 ジェシカは青銅の銃を握りしめ、含み笑いをした。 9 待ち合わせ 予告当日−− 午前九時、JR−新宿駅西口の改札の傍にある伝言板の前で、椎 野美佳は待っていた。 まだ朝のラッシュ時間のせいか、乗降客が軍隊蟻の進軍のように ごった返している。美佳はただただ人の波に巻き込まれないよう、 伝言板に張りつくようにして立っていた。 「全く、待ち合わせなら喫茶店とかにすればいいのに」 美佳は愚痴った。 「美佳!」 どこからか呼ぶ声。しかし、三方が人の大群で、一方が伝言板で は何も見えない。 「美佳!」 また声がした。 ぞろぞろと歩いていく人の顔を見回してみると、数メートル先で 手を上げている律子の姿があった。 「姉貴−−」 美佳も手を上げて、合図した。 「今、そっちへ行くから」 と律子。 「大丈夫なの?」 美佳は何となく不安だった。 律子は必死で人を掻き分け、美佳の方へ行こうという意思はある ようだが、一向に近づいている気配はない。むしろ、どんどん改札 の方へ押し流されている感じだった。 「いやな予感するなぁ」 美佳は律子の様子を見て、呟いた。 「きゃあ」 律子がとうとう入場改札の方へ押し出された。 「私は乗らないの!」 と律子は反抗してるようだが、周りの環境がそれを許さず、結局 改札を通らされてしまった。 「やっぱりね」 美佳はやれやれといった様子で溜め息をついた。 午前九時三十五分−− ようやく美佳と対面した律子は、駅構内の喫茶店へ美佳を案内し た。 「ほんと、姉貴ってどじね」 美佳はメロンソーダをストローで飲んでから、言った。 「まさかあの時間でもこんでるとは思わなかったの」 「文句があるなら、朝、出る時、一緒に家を出れば、よかったのよ 」 「何言ってんのよ、こっちは徹夜で計画の準備、してたんだから」 「ほんとに頼りにできるの?」 「任せてよ。それより、姉貴、警察の方は?」 「警備してないみたいよ。奈緒美に探りを入れてみたけど、クロノ スの予告は知らないようだし」 「私たちが知らせると思って、警察には予告しなかったんじゃない 」 「だとしたら、今から警察に知らせた方がいいかしら?」 「別にいいわよ。これまで警察が何度、警備したって盗まれたんだ から、いなくても同じよ」 「そんなこと聞いたら、奈緒美、怒るわよ」 「事実だもん、仕方ないでしょ」 「ところで、ロシア美術展に関する情報を仕入れといたわ」 「どんな情報?」 「ロシア美術展ってね、何だか評判悪いみたいよ」 「インチキなの?」 「そこまではっきりいうほどじゃないけどね、当初、Nデパートと A新聞社ではロシア美術展を開催するにあたってソ連から美術品を 貸してもらえるはずだったんだけどね、これが土壇場で断られたら しいの」 「なぜ?」 「政治的な問題じゃないの、わからないけど。でね、主催者側とし ては既に前宣伝を大々的にしたために中止できなくなってしまった わけ。そこで主催者側は日本人やその他の国の人の中でロシアの骨 董品を所有している人を捜し出して、そういった人達から借りて、 展示するということにしたらしいの」 「そんなことしたらソ連から文句が来るんじゃない」 「そこまで私は知らないわよ。でも、これはあくまで噂よ」 「まことしやかな噂ね。まあ、偽物を展示されるよりはましか」 美佳はやっとメロンソーダを飲み干した。 律子の方はコーヒーにほとんど手をつけてない。 −−カラン 入口のドアが開く。 「いらっしゃいませ」 とウェイトレスの声。 「あら、田沢君、遅かったのね。こっちよ、こっち」 律子が入口の方に手を振った。 「え?」 美佳は律子の言葉に思わず顔を上げ、入口の方を見る。 「タキチ……」 店に入ってきたのは紛れもなく田沢だった。赤いTシャツに黒い ジャンパー姿で、松葉杖はもう使っていなかった。 田沢はゆっくりと美佳たちの席の方へ歩いてくる。 「いったいどうして?」 美佳の顔が珍しく強張った。 「そんなに驚くほどのことじゃないでしょ」 と美佳に言ってから、田沢の方を向き、「さあ、座って。美佳の 隣でいいわね」 「私はいやよ」 美佳はそっぽを向いた。 「美佳−−じゃあ、私の隣にどうぞ」 律子が言うと、田沢は律子の隣の椅子に座った。 「何で来たのよ」 美佳はとがった口調で言った。 「私が呼んだの。もしクロノスと戦うことになった時、男手が必要 でしょ。田沢君ならこの間の倉庫での一件以来、私もよく知ってる し、喧嘩も強いから信頼できると思って」 「こんな奴、あてにならないわ。計画に邪魔なだけよ」 「美佳!」 律子は美佳を叱った。 「ふんだ」 美佳はまたそっぽを向いた。 「田沢君、ごめんなさい」 律子は田沢に謝った。 「いいえ、気にしてません」 田沢は静かに言った。 10 怪盗、現る 午前十時三十分−− Nデパートが開店して、三十分が過ぎた。 Nデパートは新宿駅に隣接していて、駅の地下通路から直接行く ことができる。十四階建ての建物で、この町では一番大きいデパー トである。 ロシア美術展は十二階の展示会場で今日土曜日より開催される。 店内はまだ開店したばかりか、客の姿は少なかった。美佳たちは まっすぐ会場に行ったおかげで、一番の入場となった。 十二階はデパートとは言え、催物専用だけあって、他の階とはや や造りが違っている。天井の照明はシャンデリアで、壁や床の色調 も茶系の落ち着いた色になっている。 会場とロビーとは壁ではなく、頑強なボード・フェンスで区別さ れている。 会場の入口と出口は同じ場所にあり、そばの受付カウンターで入 場券やパンフレットが売られている。 美佳は早くからパンフレットを買って、会場に入り、展示物を見 て回った。 展示品は中世の絵画が中心だった。薄暗い館内で、展示品にだけ オレンジ色のスポットライトが当てられている。 美佳は美術のことはほとんどわからないので、絵画を見て、どう 感じたらいいのか悩むところもあったが、食器や燭台、装飾品に関 してはその美しさに心ひかれるものがあった。 「あっ、これは」 数ある美術品の中でやっと美佳の興味の対象を見つけた。ガラス のショーケースに一つだけ飾られている青銅の銃。表示板には「E katerina」と記されている。 美佳はパンフレットをめくって、青銅の銃の説明を読んだ。 −−Ekaterina。口径.22。全長25cm。装弾数6発 。重量1.5kg。 18世紀前半、ロシアの女帝エカテリーナの時代にモスクワ市民 を恐怖に陥れた殺人鬼モルトフの使用した輪胴式拳銃。モルトフ処 刑後、エカテリーナが護身用に所持したという事でこの名が付いた 。なお本展示品はその複製品。 「複製品?」 美佳は眉をひそめた。 −−クロノスはこの銃が複製品と知ってるのかしら。 「美佳、こんなところにいたの」 律子が美佳のところへやってきた。 「ねえ、見て、これがそのエカテリナよ」 美佳はショーケースを指差した。 「へえ、これが、エカテリナ。ファレイヌに比べると、小さいわね 」 律子は青銅銃はまじまじと見つめた。 「でも、レプリカよ」 「え?」 律子は驚いて、美佳を見た。 「パンフレットに複製品って書いてあるの」 「そんなのおかしいじゃない。じゃあ、クロノスは偽物を盗もうと してるわけ?」 「そうじゃないの。他に拳銃はないし」 「クロノスはこれが偽物だと知ってるのかしら」 「さあ?」 「いいかげんね、少しは推理しなさいよ」 「時間になれば、わかるわ。あと十五分よ」 美佳は腕時計を見て、言った。「警備の方はどう?」 「警備は警察ほどでないにしろ、固いわ。会場内で盗めても、外へ 出るのは不可能ね」 「クロノスが警備員に変装してたら、どうする?」 「美術品は少しでも動かすと、防犯ブザーが鳴るの。だから誰が盗 んでも、同じ」 「なるほど。だったら、後は私たちがここで見張っていればいいわ ね」 「美佳、案外、落ち着いてるのね」 「どうせ偽物なんだから、盗まれても関係ないでしょ。それにクロ ノスの狙いはエカテリナではなく、他にあるような気がするの」 「他に?」 「それより、タキチはどうしてるの?」 「田沢君なら会場の外にいてもらってるわ、何かあった時のために 。でも、田沢君、今日はちょっとおかしかったな。美佳、彼にちゃ んと謝った?」 律子の言葉に美佳は首を横に振った。 「どうして?あれほど言ったのに」 「私にもよくわからないの。あいつの前に出ると、どうしても素直 になれなくて」 「しょうがないわね」 「姉貴に似たのね」 「どこが似てるのよ」 「ほら、後一分よ」 美佳は腕時計を見せた。十時五十九分になっている。 「いよいよね」 律子が息を飲む。 ガタガタガタッ−−ブルン、ブルン−− その時、会場の外で、何かの振動音が聞こえてきた。 「外の方が騒がしくない?」 美佳が尋ねた。 「そ、そういえば、エンジンのような音が−−」 律子がそう言いかけた瞬間、会場のフェンスが突然、バキッとい う大きな音を立てて、内側に倒れた。 「きゃあ」 律子が思わず悲鳴を上げる。 薄暗い館内にパッと光りが入る。倒れたフェンスの上に一台のバ イクが獣の荒息のような音をたてて、止まっている。 バイクに乗った男はヘルメットをかぶっていた。 男は美佳たちのいるエカテリナの展示場へ向かって、次々と飾っ てある美術品を蹴散らし、直進してくる。 「姉貴、どうすんのよ」 「エカテリナを盗ませるわけにいかないわ」 律子はそういうと、ハイヒールの片方を脱ぎ、そのハイヒールの 踵をエカテリナのショーケースに思いっきり叩きつけた。 ピシッという音と共に僅かな亀裂が入る。 「姉貴、急いで!」 美佳が急かした。 律子は靴を履いてる方の足でショーケースを蹴り上げると、その ままケースのガラスが砕け散る。律子は中の青銅銃を鷲掴みにして 取った。 「さあ、行くわよ」 「ええ」 律子と美佳はバイクと反対方向に走り出した。 館内に防犯ベルがけたたましく響きわたる。 律子たちは右往左往しながら、会場を出ると、すかさずそこに警 備員たちが待ち構えていた。 警備員たちは律子の手に青銅銃が握られているのを見て、律子の 取り押さえにかかった。 「ま、待って!」 律子の言葉など聞く余地は警備員になかった。 「姉貴!」 美佳が律子の背後を見て、叫んだ。 律子の後ろからバイクが物凄い爆音をうならせ、飛び出してきた 。 「うわああっ」 警備員と律子はその勢いに押され、床に横倒しになった。バイク の男はそれを逃さず、律子の手から一瞬の隙を突いて、銃を奪い取 ると、そのまま上への階段に向かって、走っていく。 「ちっ!」 美佳は倒れている警備員たちを冷やかな目でちらりと見て、急い で男の後を追う。 「美佳、頼んだわよ」 律子は美佳の後ろ姿を見て、呟いた。 「こらっ、銃を出せ」 律子の上に乗っかっている警備員がまだ律子にそんなことを言っ ている。 「あんたたち、馬鹿じゃないの。銃を盗んだ奴は上よ」 「上?」 「そうよ」 「とぼけても駄目だ。さっきはおまえが持ってただろう」 そう言って警備員が律子の手を掴もうとした拍子に、律子の胸を さわってしまう。 「あっ」 「変態!!」 律子は懇親の平手打ちを警備員に食らわせた。 11 魔法銃 −−はぁ、はぁ、はぁ 美佳は息を弾ませながら、ようやく屋上へ辿り着いた。 いくら階段を昇るバイクが遅いといっても、疲れがない分、追う 美佳より早かった。 美佳が昇降口から出ると、十数メートル手前に彼女を待っていた かのようにバイクが止まっていた。 バタッ−− 美佳の後ろの昇降口のドアが突然、閉まり、鍵がかかる。 「あなたがクロノスね」 美佳はバイクの男に言った。 男はバイクから降りた。 「……」 男は黙っていた。 「もう逃げ場はないわよ」 「ふふふ、逃げるか」 と言うと男はヘルメットを取った。 「!!」 その男の顔に美佳は愕然とした。その男は田沢吉行だったのであ る。 「悪いけど、彼の体を貸してもらったわ」 田沢は突然声の調子を変え、女のような言葉遣いになった。 「貸してもらったって一体−−」 「私は亜鉛のファレイヌ、ソフィーよ」 「ソフィーって、まさか田沢先生を殺した?」 「そう。あの時は迷惑かけたわね」 「一体、なぜあなたが?」 「エカテリナを盗むだけなら、警備員に乗り移ればよかったんだけ どね。目的はそれだけではないのよ」 田沢、いやソフィーは青銅銃をその場に捨てた。「どうやらこれ はペトラルカじゃなかったみたいね。まあ、それならそれでよかっ たんだけど−−」 田沢はそう言った時、彼の手に銀白色の銃が現れた。 「あなたの目的って私を殺すこと−−」 美佳がそう言った時、昇降口のドアを内側から強く叩く音がした 。 「開けろ、開けるんだ!」 警備員の声がする。 「そのドアは開かないから、安心していいわ」 「あなたとクロノスとはどういう関係なの?どうして私を−−」 //美佳さん、ソフィーにそんなことを言っても無駄ですわ その時、美佳の首にかかった十字架が変化して、黄金銃になり、 美佳の手に収まった。 「無駄とは随分ねえ、エリナ。美佳、質問には答えてあげるわ。私 とクロノスとは同盟関係よ。あなたと椎野律子を殺すことにおいて ね。そして、あなたを殺す理由はあなたがクレールだから。いえ、 正確にはあなたがバフォメット復活を企む悪魔の手先だからよ」 「バフォメット−−」 「さあ、お話はこれで終わりよ」 田沢は亜鉛銃の激鉄を起こし、銃口を美佳へ向けた。「すぐに楽 にしてあげるわ」 グォーン−− 亜鉛銃が火をふいた。 美佳は一瞬のことで、体が堅くなって動けない。その瞬間、美佳 の体に体当たりするように何かが脇から飛びかかった。美佳はその 勢いで、地面に倒される。同時に美佳の手にした黄金銃が遠くの地 面へ飛ばされ、さらにソフィーの放った火炎弾は空を切って背後の ドアに炸裂した。 「むっ」 田沢は顔をしかめた。 「ジェシカ−−」 美佳は自分の体に覆い被さっている女の顔を見て、言った。 「あなたに美佳は殺させないわ」 ジェシカはゆっくりと立ち上がり、ブロンドの髪をかきあげた。 「おまえは誰だ?」 田沢は尋ねた。 「どうやらあなたも美佳がクレールだと知ってるようね。でも、美 佳を殺すのは私よ」 「誰だか知らないけど、あなたには無理だわ」 田沢は人を見下したような言い方をした。 「どうかしら」 ジェシカは自分の左手をスカートにやると、パッと田沢に見える くらいに思いっきりめくった。 「ん!?」 田沢の目に白いパンティーが映った瞬間、ジェシカの右手には青 銅の拳銃が握られていた。 グォーン−− 妙な音と共に拳銃の銃口が光った。 「うわあぁぁ」 田沢は数メートル吹っ飛ばされて、地面に転がった。 ジェシカは素早く拳銃を右太ももに装着したホルスターに戻す。 「これが本物のエカテリナよ」 ジェシカは勝ち誇ったように微笑んだ。 「無気体破壊弾か」 田沢の服はかまいたちにでもあったかのようにぼろぼろに引き裂 かれ、彼の胸の辺りにも切り傷があった。 「どうやら、本物みたいね。いいわ、その仕事、あなたに譲りまし ょう」 ソフィーはそう言うと、粉末に変化し、田沢の体から抜け出した 。そして、小型の飛行機に変化して、飛び上がり、すぐに大空の彼 方に消えた。 田沢は気を失ったまま、地面に倒れている。 ジェシカはソフィーがいなくなると、美佳の方へ視線を変えた。 美佳はエカテリナの恐ろしさを目の当たりにして、顔が真っ青にな っていた。 「ふふふ、恐い?そうよね、恐いわよね」 ジェシカは愉快に笑った。しかし、その目は憎しみに満ちている 。 「父は何十倍も苦しんで死んだのよ。あんたにも同じ苦しみを味合 わせてやるわ」 ジェシカは青銅銃の銃口を美佳へ向けた。 美佳は黙ったまま、ジェシカを見つめた。 「うっ」 その時、地面に倒れていた田沢が意識を回復した。 「あれ、俺はどうしてここに……」 田沢が頭を強く振って、周囲を見回すと、ジェシカに拳銃を向け られている美佳がいた。 「チャッケ!」 田沢は思わず叫んだ。 「タキチ……」 美佳はちらっと田沢を見た。 ジェシカは慌てて激鉄を起こし、引き金に指をかけた。美佳は目 をつぶってぎゅっと肩をすくめる。 「やめろぉ!!」 田沢はジェシカに飛びかかった。 −−グォーン 銃声が一発轟いた。と同時に田沢が体ごとジェシカの体にぶつか って、地面に突き倒した。そして、そのままの勢いで二人は交錯し ながら、一メートル転がった。 一方、美佳を襲ったジェシカの弾丸は美佳の目の前に現れた金色 のシールドによって跳ね返された。 田沢はジェシカの頬を一発ひっぱたいてから、顔を上げ、美佳の 方を見た。 「美佳……」 田沢の目が涙で潤んだ。 美佳は−−茫然としてその場に立ち尽くしていた。全く外傷はな い。 「確かに当てたはずなのに−−」 ジェシカも美佳に異状がないのを見て、驚いた。 「さあ、貸せ!」 田沢はジェシカから青銅銃を奪い取った。 そして、田沢は立ち上がって、美佳のところへ歩み寄った。 「タキチ……」 美佳は泣きそうな顔で、田沢を見上げている。 「よかった、怪我しなくて。俺さ、もしチャッケが……」 田沢はそう言いかけた時、美佳が田沢の胸に顔を寄せた。 「ごめん−−それから、助けてくれてありがとう」 「俺の方こそ−−」 田沢は美佳を強く抱きしめた。美佳も抵抗することなく田沢の胸 のぬくもりを感じていた。 昇降口のドアが破られた。警備員が一斉に入ってくる。 しかし、今の二人の間を邪魔する者は誰もいなかった。 律子も後から昇降口に出てくる。 ジェシカはまだ茫然と地面に座り込んでいる。 「ジェシカ」 律子はジェシカに手を差し延べた。しかし、ジェシカは手を借り ようともせず、ぶつぶつと呟いていた。 「確かに撃ったのに……私の射撃は正確だった……」 エピローグ Nデパートの隣のビル。そのビルの屋上に一人の男がいた。 その男は顔の肌が白く、それでいて真っ黒なサングラスをかけて いる。そして、髪はぼさぼさで、口には煙草をくわえている。 地面につきそうなほど大きなトレンチコートを着込み、右手には ライフル銃。 その男は一段高いそのビルの屋上から、Nデパートの屋上を眺め ていた。 椎野姉妹と田沢、そして、ジェシカが警備員に連行されて、昇降 口に入っていく。 「ジェシカを始末し損ねたな」 男はライフル銃を革のケースにしまった。 //フェリカ! 男の後ろで声がした。男が驚いて振り向く。 「エリナか……」 男は黄金のフランス人形を見て、言った。「ジェシカの撃った弾 丸をよく防いでくれたな。礼を言う」 //そんなこと、当然のことですわ。それより、フェリカに聞き たいことがあります。 「聞きたいこと?」 //バフォメットって何ですの? 「バフォメット−−」 フェリカの表情が一瞬、曇った。 //ソフィーは美佳さんをバフォメット復活を企む悪魔の手先だ と言ったわ。バフォメットって確か悪魔の名前でしたよね。一体、 どういう意味なんですの 「答えられんね」 //フェリカ 「エリナ、君は僕を信じてさえいればいい。余計なことは考えるな 。あまり詮索するようだと君にも壺へ入ってもらわなければならな くなるよ。いいね」 フェリカはそう言うと、煙草をぷかぷかとふかしながら、のんび りとした足取りで昇降口へ去っていった。 「魔銃エカテリナ」終わり