第25話「魔銃エカテリナ」前編 登場人物 椎野美佳 高校生 椎野律子 美佳の姉 フェリカ 謎の男 エリナ 金のファレイヌ ソフィー 亜鉛のファレイヌ クロノス 怪盗 プロローグ 深夜のキリスト教会堂。 一人の女が闇に溶け込むことを拒否した黒い建築物の前にやって きた。女は教会堂の頭上に掲げられた十字架を一度、見上げた。 女は石段を上り、閉じられた教会堂の正面の扉に手をかけた。扉 はきしむような音をたてて、開いた。堂内は闇で何も見えなかった 。 女は持っていた懐中電灯をつけ、目の前を照らしながら、堂内に 足を踏み入れた。 「約束通り、来たわよ」 女は通路を歩きながら、叫んだ。声は堂内全体にこだまする。 「すぐに現れなきゃ帰るわよ」 女が堂の奥へ向かって叫ぶと、奥の祭壇の両脇の燭台に火が灯っ た。 女はそれを見て、懐中電灯を消し、祭壇の方まで歩いていった。 燭台の明かりは祭壇の中央奥にあるキリスト磔形像を浮かび上が らせていた。 女は祭壇から数メートル手前の交差廊で立ち止まった。 「そこにいるのはわかっているわ。隠れてないで出てきたら」 女の言葉で十字架像の右側の強大な円柱の陰から一人の男が姿を 現した。 その男は鼻の高い、眼光の鋭い男で、年の頃は三十後半。背は高 く、細身である。 「あなたね、私を呼んだのは」 「その通り」 男は女を見下ろすように十字架像の前に立った。 「一体、何者?」 「私か、私はクロノス。世間では私の名前の上に怪盗を付けて怪盗 クロノスと呼んでいるよ」 クロノスは内陣仕切りの上に手を置いた。 「クロノスね……名前だけは知ってるわ。そのクロノスが私に何の 用かしら。いえ、その前に私が誰なのかを知ってて、呼び出したの かを聞きたいわね」 「君はソフィーだろう。亜鉛のファレイヌの」 クロノスの言葉に女の顔つきが変わった。 「あなた−−」 「どうして私が君の正体を知っているのか、知りたいかね」 クロノスは人を見下すような笑いをして、言った。 「ぜひ教えてもらいたいわね」 「いいだろう。これだよ」 クロノスはポケットから黒石を取り出し、ソフィーに見せた。 「何、それは」 「魔法石」 「魔法石ですって−−」 ソフィーは疑るような目でクロノスを見た。 「そう。こいつを覗き込めば、13人のファレイヌの居場所がすぐ にわかる。どうだい、すばらしい石だろう」 「それじゃあ、答えになってないわ。なぜ私のことを知っているの ?」 「この石を見れば、わかると思ったがね。まあ、いいだろう。私の 本当の名はロベール・ボダン。私の祖先は魔女捜し屋で、君をファ レイヌに変えた張本人、フェリカ・ダビナックを死刑台へ送り込ん だ男さ」 「フェリカを……」 ソフィーは少し驚いた様子だった。 「私の祖先はフェリカを尋問した時の記録を詳細に日記に残してく れた。おかげで君達ファレイヌのことは全て知っているよ。例えば 、ソフィー。君は1580年7月12日の生まれで、母親は7歳の 時に病死。父親は農夫で真面目な男だったが、娘の君には無関心で 、君が教会に預けられると、年に一度も会いに来なくなった。それ から−−」 「やめろ!」 ソフィーが両手で耳を覆いながら、大声で叫んだ。 「ふふふ、人間だった頃のことは知りたくないか。それなら、こう いうのはどうだ。1590年、君達13人が生き埋めにして殺した はずのフェリカの妹、クレールが実は始めから死んでいたとしたら 」 「何!」 ソフィーはクロノスを見た。 「1580年、フェリカの父カローニスティと妻の間に双子が生ま れた。それがフェリカとクレールだ。だが、出産は困難を究め、母 親だけでなく、実際にはクレールも死んでしまった」 「そんな馬鹿な」 「事実だ。娘と妻を失った衝撃を隠せないカローニスティは司祭と いう神聖な職にありながら、魔女に相談を持ちかけた。娘を生き返 らせることが出来ないかと。魔女は答えた。魔法石を娘の口から体 内に入れれば、蘇らすことが出来ると。司祭はそれを喜んで受け入 れた。それが悪魔の卵だとも知らずに」 「悪魔の卵?」 「魔女の渡した魔法石は両性神バフォメットを培養するための石だ 。さて、魔法石によってクレールは生を取り戻し、数年は平穏な日 々を送った。だが、クレールの体内の魔法石はちゃくちゃくとその 成長を続け、悪の力を目覚めさせつつあった。ところが、1590 年、生き埋めによってその生を失ったクレール、いや魔法石はクレ ールの肉体を抜け出し、兄のフェリカに取りついた。それから、8 年、魔法石はフェリカの体内でさらに成長し、その石から抜け出る 日が間近となった。そんな折り、カローニスティがフェリカの正体 に気付くと、フェリカは彼を殺し、ついに司祭となった。後は分か るだろう。彼は自分の下僕を造るために君たちをファレイヌにした のだ。そして、私の祖先が彼を捕らえた時、既に彼はバフォメット となっていた。祖先は異端審問所の裁判官と相談し、彼を尋問した 後、裁判にかけずに即刻火炙りした。だが、奴は肉体が消滅する前 に空気となって体から抜け出した」 「ま、待って。あなたは何もかも知っているようね。だったら、聞 くけど、フェリカは私たちファレイヌにそれぞれの真の所有者と同 化すれば、人間に戻れるといったわ。それは事実なの?」 「事実も何も君はバフォメットが下僕にするために生み出された物 だ。今更、人間に戻れるはずはない。まだ君の肉体が存在する時な ら可能性もあったがね」 「そんな−−だったら、真の所有者とは何なの?現にエリナの所有 者である椎野律子には特殊な魔気を感じるわ。これまで私たちが殺 してきた真の所有者たちにしてもそうよ」 「椎野律子はバフォメットを育てるための母体だ」 「え?」 「私の祖先に肉体を滅ぼされたバフォメットは再び力を蓄えるため 再び自らを魔法石の中に封印したのだ。そして、成長するため再び 人間の体内にもぐり込んだ。それが君達のいう所有者のことだろう 。君らが奴の魔気に反応するのは君らが奴に造られたからだ」 「嘘だわ、そんなこと」 ソフィーはクロノスの言葉を信じたくないと言った様子だった。 「君がフェリカに真の所有者のことを教えられたのはいつのことだ ?」 「よくはわからないけど、私が粉末にされてから数年後よ」 「そいつはありえないね。その時にはフェリカはもう処刑されてい る」 「フェリカとクレールは幽体となって現れたのよ」 「そいつらは偽者だね。クレールは前に言ったように生まれた直後 に死んでいるんだ。仮に幽霊となっても君に接触してくることはな い。それから、フェリカだが、彼はファレイヌのことなど全く知ら ないバフォメットの哀れな犠牲者だ。君に真の所有者のことなど言 うはずもなかろう」 「そうはいっても私たちは今まであの兄妹と何度も戦ってきたわ。 これは紛れもない事実よ」 「だが、それがダビナック兄妹という証拠はあるまい」 ギイィィ!! その時、教会堂の入口から扉の開く大きな音がした。二人が入口 を見ると、そこには月の明かりを受けた人影があった。 「もう一人、客が来たみたいだな」 クロノスはシガレットケースから葉巻を取り出し、口にくわえた 。 「フェリカだわ」 ソフィーは呟いた。 「ほお、奴が君の言うフェリカかかい」 クロノスは人影の方を見ながら、葉巻の先端にライターで火を付 けた。 人影は二人のいる祭壇へ向かってゆっくりと歩いてくる。 「何者かは知らんが、神父なら明日まで戻らないぜ」 男は黙ったまま歩き続け、二人の数メートル手前で立ち止まった 。男は長身で肩幅の広いがっちりとした体格で、首から膝の下辺り までを包み込むような大きなトレンチコートをはおり、髪は黒くぼ さぼさで、濃いサングラスをしていた。 「フェリカ、何しに来たの?」 ソフィーは男を睨み付けながら、言った。 「ソフィー、この男に騙されるな。こいつはファレイヌの秘密を探 ろうとしている盗人だ。こいつと一緒にいると標本にされるぞ」 フェリカは低い声で言った。 「標本にしているのはおまえの方はじゃないのか。この数年ばかり 妙な壺を使って次々とファレイヌを封じ込めてるそうじゃないか。 狙いは何だ?」 「俺はこれ以上、ファレイヌ同士の争いで犠牲者を出さないために 一時的に封じ込めているんだ」 「争いだって。その原因は何だ?真の所有者を巡るものか。ふふふ 、馬鹿らしい。真の所有者なんてものは始めからいやしない。そい つはおたくが一番よくわかっていると思うが」 クロノスは葉巻の煙を大きく吐いて、言った。 「何のことだ」 「真の所有者と同化すれば、人間に戻ることが出来るなどとファレ イヌたちに吹き込んだのは元々おたくだろう」 「違う。それは−−」 「そんなことはどうでもいいわ」 ソフィーはクロノスとフェリカとの会話に割ってはいった。ソフ ィーの右手にはいつのまにか黒い拳銃が握られ、その銃口は男の方 に向けられていた。 「何の真似だ」 フェリカはサングラス越しにソフィーを見た。 「見ての通りよ」 「こんな奴の言うことを信用するのか」 「信用するもしないもあなたは私の敵だわ」 「無駄なことはやめるんだな。俺が不死身なことはおまえが一番よ くわかっているはずだ」 「それがどうした」 ソフィーは拳銃の引き金を引いた。 −−パンッ!! フェリカの額をソフィーの弾丸が貫き、フェリカの体はその勢い で後ろへ倒れた。クロノスはその様子を黙って見ている。 「ふっ」 仰向けに倒れたフェリカの口許に笑みがこぼれた。フェリカはむ っくりと体を起こすと、再び立ち上がった。 「ちっ」 ソフィーは拳銃の引き金を連続して引いた。 フェリカのコートに何発もの風穴が開く。フェリカは弾丸を受け るたびに後ろへよろめくが、倒れることはなかった。 やがて、ソフィーの拳銃に弾丸がなくなり、カチッ、カチッとい う空しい音だけが聞こえるようになった。 「これで終わりか。得意の火炎弾を使ったらどうだ」 フェリカは笑った。 「だったら、お望み通りにしてやるわ」 ソフィーはキッとフェリカを睨み付けながら、言った。 「ソフィー、やめろ!」 クロノスが強い口調で言った。 「貴様は黙れ!」 フェリカはクロノスの方へ体を向けた。 「むっ!」 その時、フェリカのコートの陰から銃口のような物が見えた。ク ロノスはそれを察知すると、すぐに横に飛んだ。 ドオォーーン!! フェリカのコートの奥から怒音が飛び出した。 その途端、祭壇の花瓶が砕け散り、燭台が吹き飛び、さらに内陣 仕切りに弾丸が数発、食い込んだ。 「散弾銃!!」 クロノスは呟いた。 「貴様はしゃべり過ぎだ。その石と日記さえ見つけなければ、生か しておいてやったものを」 フェリカはコートを脱いだ。彼の右手には硝煙の立ち昇る散弾銃 があった。 「やはり、おまえだな、我が父と母を殺したのは」 「ふふ、その通りだといったら」 「この場で葬ってやる」 「馬鹿めが。先に死ぬのは貴様だ」 フェリカは散弾銃を構え、クロノスに銃口を向けた。 グォーン!! その時、銃口がしたと思うと、フェリカの体が背後から突然、炎 に包まれた。 「うあっ」 フェリカの体が激しく燃え上がる。 「私のいることを忘れてもらっては困るわね」 銀白色のリヴォルバーを手にしたソフィーが言った。 「別に忘れたわけじゃないさ。そうやって、君が体の一部を表に出 すのを待っていたのさ」 「何!」 炎に包まれたフェリカはソフィーの方へ向き直ると、どこからと もなく銅製の壺を取り出し、その壺の蓋を取った。 「暗黒神メルクリッサよ、ソフィーを永遠の闇へ封印したまえ!」 フェリカはそういって、呪文を唱えた。 「ああっ」 壺の底から巨大な吸引力が発生すると、掃除機のようにソフィー を吸い込み始めた。ソフィーは何とか銃を自分の体に押し込めよう とするが、吸い込まれるのは時間の問題だった。 「やもえん」 クロノスは手に持っていた黒い石を一瞬、ためらいながらも思い 切ってフェリカに投げた。 黒い石が燃えるフェリカの背中に張りついた。 次の瞬間、黒い石が青白い光を発した。 「何だ……」 フェリカが自分の体に異常を感じ取り、ふと呟いた瞬間、彼の体 は消滅し、黒い石だけが地面に落ちた。 「はぁ、はぁ……どうなってるの」 かろうじて壺に封印されるのを免れたソフィーは少し呼吸を乱し ながら、クロノスの方を見た。 「どうやら魔法石は無事だったようだ」 クロノスは落ちた石を拾い上げ、安心したような表情を見せた。 「私が人間に助けられるなんて思ってもみなかったわ」 「君だって心は人間だろう」 「さあ、どうかしらね。でも、助かったわ」 「私の計画のためにはどうしても君を失うわけにはいかんのでね」 クロノスは再びシガレットケースから葉巻を取り出した。 「ねえ、クロノス、一体、フェリカはどうなったの?」 ソフィーはフェリカの消えた辺りを見ながら、言った。 「遠くへ飛ばした」 「飛ばした?」 「この石は応用の仕方によって様々な魔法が使える石なんだ。今は 、奴をこの場から消せと念じて、奴の体に石を投げた。それで奴は いなくなったのさ」 「そんな不思議な石、見たことないわ」 「どこにでもある代物ではないからね。こいつはその昔、私の祖先 が火刑にしたフェリカの死体から取り出した石、つまりバフォメッ トの培養石だ。こいつと同じものが今、恐らく椎野律子の体内にあ る」 「まことしやかな話ね」 「疑ってたのか」 「まあね。でも、今のを見て、少しは信じてみる気になったわ」 「そいつは嬉しいね」 「これからどうするの?」 「君には私の仕事を手伝ってもらいたい」 「断るといったら?」 「命の恩人の頼みを断るのかね」 「私は助けてくれとは頼んでないけど。もともとあなたが私を呼ば なければ、こんなことにはならなかったのよ」 「それもそうだ。だが、私の計画は君にもメリットがあることだ」 「その計画というのは?」 「椎野律子の体から魔法石を取り出し、バフォメットが再生する前 に破壊する」 「それが私の何のメリットになるの?」 「バフォメットが死ねば、君の魔法は解ける。つまり、その亜鉛の 体から君の魂は解放されるんだ」 「私が死ぬってことね」 「化け物になってまで生きていたくはあるまい」 クロノスの言葉にソフィーはしばし考え込んだ。 「バフォメットは神でしょ。神を倒すことが出来るのかしら?」 「そいつはやってみなければわからんね」 「……いいわ。協力しましょう」 「決まりだな」 クロノスとソフィーは握手を交わした。 「差し当たって、何をすればいいの?」 「そうだな、後もう一人仲間をそろえよう」 「仲間?」 「そう。青銅のファレイヌ、ペトラルカだ」 1 仲違い 九月の中旬。凌雲高校はいつもと変わらぬ朝を迎えていた。 しかし、椎野美佳の方はいつもと変わって朝早く登校した。 一年C組の教室に入ると、教室にはまだ誰もいなかった。 美佳は教室の電気を付けて、自分の席に座った。 黒板の右上のかけ時計は七時二十分を指していた。 美佳はノートと筆記用具を机の上に用意すると、頬杖をついてぼ んやりと窓の景色を眺めた。美佳にとっては自分一人だけの教室と いうのは多少孤独感はあるものの、自分の部屋にいるより開放的な 気分になれた。 しばらくしてガラッと教室の戸が開いた。 見ると田沢吉行が松葉杖をつきながら、教室に入ってきた。田沢 の右腕や腹部にはまだ痛々しく包帯が巻いてある。 田沢は黙って美佳の席まで来ると、松葉杖を机に立て掛け、美佳 の席の前の椅子に座った。 二人の会話はしばらく始まらなかった。 「体、大丈夫なの」 美佳は窓を眺めたまま、呟くように言った。 「ああ。体だけは丈夫だからな。それより、悪かったな」 田沢は決まり悪そうに言った。 「最高に悪いわよ。あんたのせいで試験勉強、できなかったんだか らね」 美佳は田沢を睨み付けた。 「言いわけはしねえ。俺を煮るなり、焼くなり、何とでもしてくれ 」 「今更遅いわよ」 「昨日、チャッケの姉貴が病院に見舞いに来てくれた」 「姉貴が?」 「おまえの姉貴、優しいな。俺とは全く関係なのに、見舞いにきて くれて」 「私にもそうしろっていうわけ」 「そんなこといってねえよ!俺はただ……」 「どうせ私は意地の悪い女ですよ」 「そんなこと、言ってねえつってんだろ!」 田沢は思わず声を上げた。 「私はね、迷惑なの。あんたがまとわりついてくるから、私があん たの恋人と間違われたんでしょ。あんたの顔なんか、見たくない。 とっとと消えて」 「美佳……」 初めて田沢は美佳の名を口にした。 「帰んなさいよ!」 美佳は厳しい口調で言った。 「わかったよ」 田沢は立ち上がると、黙って教室を出ていった。 田沢がいなくなると、教室はまた静かになった。 「全く……馬鹿なんだからぁ」 美佳はなぜだか心の中が苛ついた。 2 夕食 「そんなこと言ったの!」 律子は驚いた顔で言った。 「うん……」 美佳は小さく頷いた。 ここは椎野姉妹のマンションである。夕食の席で、美佳はちょっ としたことから律子が田沢の見舞いに行った話を口にしたため、今 朝の学校での口喧嘩の話にまで発展していってしまったのである。 「彼には責任はないわよ。美佳は田沢君の恋人と間違われて誘拐さ れたかもしれないけど、でもちゃんと田沢君は助けに来てくれたじ ゃない。美佳が恋人じゃないとわかっていたって」 「そんなこと、わかってるわよ」 「だったら、謝りなさい。彼は悪い子じゃないわ」 「でもさ−−」 「成績が悪いのはあんたの頭が悪いからでしょ。実力テストで二十 しか順位上げられないなんて−−全く。誘拐されなくても結果は見 えてたわね」 「そんなことないわよ。少なくとも百位ぐらいであがってたはずよ 」 「嘘も余りつきすぎると、口が今にひん曲がるわよ」 「そこまで言うか、姉貴」 「とにかく田沢君に謝るのよ」 「−−わかってるわよ」 美佳は渋々返事をした。 3 大使館 アメリカ大使館−− 駐日大使の部屋。 部屋には畳大の広い大きな机を挟んで、黒い革製の椅子に仰け反 るように座っている男と立っている女がいた。 男は高級スーツを着込み、顔立ちにも上品さがある。髪はブラウ ンで臭いが漂うくらいオーデコロンが塗ってある。瞳は青いが、そ の目には人を見下ろしたようなところがある。背丈は一九〇センチ ほどで、痩せ型である。 そして、女は上は赤いブラウスで、下は黒のディバイデッド・ス カートを履いている。ハイヒールの色は赤。髪はブロンドでさらさ らとしている。瞳は青。口紅は薄いピンク色。背は一六五センチほ どで、すらっとした滑らかなプロポーションをしている。 「ジェシカ、君はとんでもないことをしてくれたな」 駐日大使リチャード・ホフマンはジェシカを冷やかな目で見なが ら、言った。 「何のことかしら」 ジェシカは特に表情を変える様子はない。 「拳銃を発砲しただろう。しかも、民間人に怪我をさせた」 「何だ、もうばれたの」 ジェシカは平然とした顔で言った。 「当たり前だ。ここは日本だぞ。さっそく大使館にも警察から問い 合わせがあった」 リチャードは煙草に火を付けた。 「それで何とお答えになったの」 「私の姪が遊び半分に拳銃を撃ったなんて言えると思うか」 「遊び半分じゃないわ」 「じゃあ、理由を言え」 「父の仇討ちよ」 「まだそんなことを言っているのか。ジョニーを殺した犯人は警察 が十五年前に射殺したんだ。もうこの世にはいない」 「死んだのは体だけ。幽体を始末してないわ」 「幽体など存在しない。とにかく、いいか、今度、事件を起こした ら本国へ送り返すぞ。それから、拳銃は返してもらう」 「お断りよ」 「ふざけるんじゃない。今回は私の手回しで、おまえに疑いはかか らなかったが、二度目はないぞ」 「次は仕留めるわ」 「駄目だ。私はおまえが日本を観光したいと言うんで、特別に招待 したんだ。人殺しをさせるために呼んだんじゃない」 「いいわ。叔父様の顔をたてて、拳銃は預けるわ」 ジェシカはバッグから拳銃を取り出すと、リチャードの机の前に 置いた。 「最初からそうすればいいんだ」 「じゃあ、出てっていいかしら、叔父様」 「ああ」 「それでは、失礼します」 ジェシカは優しくリチャードに微笑んで、部屋を出ていった。 部屋に残ったリチャードはしばらく煙草をくわえて、考えごとを していたが、ふと机の上の拳銃を手にした。 「ん!?」 リチャードの眉がぴくんと動いた。「これは偽物……」 彼は拳銃の重みからそれを悟った。そして、正面のドアへ拳銃の 銃口を向け、ひき金を引いた。プシュというガスのもれる音と共に 、BB弾が発射され、ドアに当たって砕け散った。 「ジェシカめ……騙しおったな」 リチャードは怒りのあまり、くわえていた煙草を噛みちぎった。 4 複雑な気持ち 「謝るっていったってさ、今更、そんなことできるわけないじゃな い」 夜の街を散歩しながら、美佳はずっと呟いていた。 美佳としては自分が田沢に好意を持っていると思われるのが嫌だ った。実際、田沢が好きなのか、嫌いなのか、美佳にもよくわから ない。ただ、田沢にだけは弱いところを見せたくないという一種の ライバル視する気持ちが強かった。これまで、どんな相手に対して も分け隔てなく付き合う美佳だったが、田沢にだけはなぜか自分の 心を開くことは出来なかった。これは美佳にとって初めてのことだ った。恋人だった北条隆司に対してもこんな感情を持ったことはな かった。 外の冷え込みは一段と厳しさを増していた。まだ9月だというの に外はもう残暑のかけらもなかった。 美佳の足取りは鈍かった。足元に冷たい風が吹き抜けるためだ。 スカートから下は裸なので、風が当たるとかなりこたえる。これば かりは慣れの問題ではない。 「ふざけんなよ!」 美佳がうつむきかげんに歩いていると、先の方で大きな声がした 。美佳がふと顔を上げると、車道の脇に一台の乗用車とバイクが止 まっている。そして、そのすぐそばで男二人が何やら言い争ってい る。いや、男の一人が一方的に怒鳴り散らしているという感じだ。 逆にもう一人は肩をすくめて、相手の話にひたすら頭を下げている 。気の弱そうな男の方は小柄で大学生風、態度のでかい方は−− タキチ…… 美佳は一瞬、立ち止まった。 あいつ、なにやってんのよ 美佳は思わず二人の争っている所へ割ってはいる。 「どうしたの?」 「チャッケにはかんけいねえ。ひっこんでろ」 田沢は言った。 「そうはいかないわよ。この人、脅えてるじゃない」 「こいつに味方する気か。こいつはな、道の脇に止めといた俺のバ イクを車でぶつけといて、謝りもしねえんだ」 「すみません。気づかなかったんです」 男は弱々しく言った。 「気づかねえわけねえだろ」 田沢は男の頭をこづいた。「こうなったら、バイクの弁償しても らおうか。二十万だ」 田沢がそういっている間に美佳はバイクを見ていた。 「ねえ、タキチ、このバイクのどこにぶつけられたの?」 「フレームカバーとタンクカバーを見てみろよ。へこんでるだろ」 田沢の言うとおり、確かにバイクのその部分はへこんでいる。だ が、妙に不規則だ。 「タキチ、何でここにバイク、止めてたの?まだ体が悪くて、運転 できないはずじゃない」 美佳の言葉に田沢はギクリとした表情をした。 「もう治ったんだよ」 田沢は冷汗をかきながら、言った。 「へえ、今朝は松葉杖を使ってたのにね」 美佳はにやっと笑って、田沢の腹部をたたいた。 「いてえ!!」 田沢は体を折り曲げて、腹部を両手で押さえた。「なにしやがる んだ!」 「やっぱりね。あなた、もう行ってもいいわよ」 「え?でも−−」 男は当惑した様子。 「いいから、後は私に任せて」 「ほんとにいいんですか」 男は急に顔が明るくなった。 「ええ」 「それじゃあ、失礼します」 男は美佳の気が変わらないうちに、さっさと逃げるように車に乗 り込んだ。 「こら、待て!」 田沢が慌てて追いかけるが、時すでに遅く、車は勢いよく走り出 してしまった。「畜生!」 「わざとね」 美佳が田沢の後ろの方で言った。 「何がだよ」 「あらかじめカバーのへこんだバイクを止めておいて、脇に駐車し ようとした車にその都度、文句つけてお金巻き上げてたんでしょ」 「うるせえな、おまえには関係ねえだろ」 田沢はまだ腹を押さえていた。 「そんなことばかりやってると、進級できないわよ」 「どうせ俺は落第だよ。今朝、学校へ行ったのだって、その報告を 受けるためだったんだ」 「そう」 「わかったら、とっとと帰れよ」 「タキチ、今朝のことだけどさ」 「何だよ、謝る気になったのか」 田沢に先に言われて、美佳は急にその気をなくした。 「違うわよ。あんたになんか誰が謝るもんですか」 「……」 田沢は険しい目で美佳を見た。美佳は一瞬、たじろぐ。 「だってそうでしょ。あんたみたいな不良にどうして私が−−」 「チャッケ」 「な、なによ」 「もうおまえには近づかねえよ。それでいいんだろ」 田沢はバイクに乗って、ヘルメットを被った。そして、キーを差 し込んで、エンジンをかける。 「タキチ、まだ体、治ってないんでしょ」 美佳はちょっと心配になって田沢の傍に歩み寄った。 「寄るな!」 田沢は恐い顔で美佳を睨みつけた。「もう俺はチャッケには干渉 しねえよ。今まで悪かったな」 田沢はスロットルグリップを握って、エンジンをふかすと、一気 にバイクを走らせた。 「タキチ……」 美佳はバイクで走り去る田沢の後ろ姿を見ながら、元気なく呟い た。 続く