第17話「標的」後編 11 デス・ゲーム(2) 「あ〜あ、もう八時五十分になっちゃったよぉ」 再び神宮のM通りに戻った美佳は時計を見て、ぼやいた。 //これからどうなさいますの 「タクシー使いたいけど、さっきみたいなことになっても困るし。 電車なんか使ったら、それこそ私どころか他の人まで巻き添えにし ゃうし」 美佳は腕を組んで、考え込んだ。 「スコープで捕らえているとも知らずに−−」 吉田香苗はライフルスコープに美佳の姿を捉えながら、呟いた。 彼女は美佳のいる場所から三百メートル離れたビルの屋上にいた。 彼女は既に射撃体制に入っていた。地面に膝を落とし、ライフルの リコイルパッドをしっかりと右肩につけ、銃身を左手で支え、ひき 金を指にかけ、左目を瞑り、右目でライフルスコープを覗き込んで いた。 「結城さんの仇、取らせてもらうわよ」 美佳の胸の部分にスコープのターゲットの中心が重なった。 今だ! 香苗は唇をきゅっと結んで、ひき金を引いた。 ドォォーン ライフル銃が銃声を轟かせた。 //美佳さん、しゃがんで!! エリナが言った。 美佳は何も分からずにしゃがみ込む。それは素晴らしい反応だっ た。まさに美佳のエリナに対する信頼の強さを物語るものだった。 ライフル弾はかすかに美佳の髪をたなびかせ、アスファルトの地 面に掘削音を残して、命中すると、さらにくしゃっと潰れ、それが 跳ね返って、ブティックのショーウインドーに当たり、硝子を打ち 砕いた。 「な、何なの?」 美佳は目を白黒させた。 //すぐにその場を離れて! 「うん」 美佳はすぐに立ち上がって、その場を全力で駆け出した。 「そんな、なぜ狙っているのがわかったの」 香苗は今の出来事に愕然とした。これまで弾丸がそれたことはあ っても、寸前で避けられることは初めてだった。 「ちっ」 香苗は気を取り直し、スコープで美佳を追いながら、さらにライ フルを連射した。しかし、4、5発、発射したところで、美佳に地 下鉄の駅へ逃げ込まれてしまった。 「畜生!」 香苗はスコープから目を離すと、ライフル銃を地面に置いた。そ して、すぐにトランシーバーを手に取った。 「こちら、吉田、美佳の狙撃に失敗しました。申し訳ありません」 『わかった。本部に戻ってくれ』 トランシーバーから河野の声がした。 「副隊長、私に美佳を追わせてください。このままじゃ、納得でき ません」 『君の仕事は終わりだ』 「しかし、隊長!」 『通信を切る』 それだけ言って、通信は切れた。 「この私がミスするなんて−−」 香苗は思いっきりトランシーバーを地面に叩きつけた。そこには プロとしてのプライドを傷つけられた深い屈辱感があった。 12 マンションにて 「なるほど、そういうわけだったのね」 マンションの居間で島村智美から事情を聞き、牧田奈緒美はよう やく納得した。「これからはそういうことがあったら、すぐに警察 に知らせなきゃ駄目よ」 「私、捕まるんですか」 智美は心配そうに聞いた。 「そんなことで逮捕したりしないわよ。正直に話してくれさえすれ ばね」 「私、嘘なんてついてませんよ」 「わかってる。でも、どうして美佳のところへ逃げてきたの?」 「え?」 智美はちょっと戸惑った。「あれ、どうしてだろ。よくわかんな いけど、何か美佳のところへ行くと助けてもらえるような気がして 」 「へえ。あの子って結構、信望厚いんだ」 「どうかな。普段は勉強も運動も駄目なんだけど、何か頼りにしち ゃうのよね」 「それを聞いたら、美佳も喜ぶわよ」 奈緒美が苦笑して言った。「そういえば、美佳はどこへ行ったの ?学校?」 「ううん、学校じゃないと思う。何か急用があるみたいで、私を置 いて出てっちゃった」 「いつごろ?」 「おばさんの来る少し前。そういえば、その前に宅急便の人が来て たわ」 「何か美佳に変わったところはなかった?」 「別に、いつもの美佳だったけど」 「そう。美佳、どこへ行ったのかしら」 奈緒美はちょっと考え込んだ。 13 デス・ゲーム(3) 河野はバイクで美佳を追跡しながら、トランシーバーの周波数を 変え、倉庫にいるレニーと交信した。 「こちら、河野。第二次作戦も失敗に終わりました。申し訳ありま せん」 『やはりな。おまえの作戦の手緩さがよくわかっただろう』 「まだ倉庫までは時間があります。自分にお任せを」 『駄目だ。作戦を変更する』 「しかし、隊長。あなたの作戦では、多数の民間人をも犠牲にする 可能性があります」 『それがどうした。パキスタンでは、そんなテロは日常茶飯事だ』 「日本とパキスタンでは違います。日本でそんなテロを行えば、警 察は必ず組織の弾圧に力を注ぐでしょう。そうなれば、日本支部は 壊滅します」 『日本の警察如きに何が出来る。河野、おまえを任務から外す。こ れからは私が指揮をする、いいな』 レニーは一方的に通信を切った。 河野はバイクを止め、ガードレールに横付けした。 「あの女は世界がみんな同じ国だと思っているのか。こうなったら 、計画を阻止するしかないな」 //美佳さん、ここへ入るのはまずいと思うんですけど エリナは美佳が地下鉄の改札の前まで来てから、言った。 「だって、しょうがないでしょう。表にいたら、ライフルで狙われ るし、車も危なくて乗れない。他にどんな方法があるっていうの? 」 //でも、地下鉄は危険ですわ 「どこ行っても同じよ。とにかく、3時までに東京湾の倉庫へ行か ないと由加の命がないんだから」 //でも、地下鉄で銃撃戦があったら−− 「……」 エリナの言葉に美佳は苦々しい顔をして、「わかったわよ。引き 返せばいいんでしょ」 美佳は購入した切符をジーンズのポケットにしまった。そして、 もと来た入口の方へ向かって、地下通路を歩き始めた。通路内は混 雑という程ではないにしろ、人通りは多かった。 「全くもう」 美佳はぶつぶつ文句を言いながら、通路を歩いていた。そして、 地下鉄北口の長い上り階段に来た時だった。 //美佳さん 「今度は何よ」 //上を 「ん?」 美佳は階段を見上げた。上段から四人の男が並んで降りてくる。 その男たちは黒い背広に黒いズボン。黒いサングラスをし、おまけ に黒い帽子まで被っていた。男たちは一様に背広の内側に手を入れ ている。 「いかにも悪人って感じだけど−−」 //そう思いますか? 「うん」 //わたくし、やっぱり地下鉄で逃げた方がいいと思いますわ 「あら、支持してくれるの」 //ええ 「じゃあ、そうしましょ」 美佳は脱兎の如くもと来た通路をまた引き返した。男たちも歩速 を速め、美佳を追跡する。 「こうなったら、死ぬまで走ってやるわ」 美佳は通路の人を避けつつ、思いっきり走った。 そうこうしていると、反対側からも黒い背広の男たち三人が美佳 の方に向かって走ってくるのが見えた。 美佳は通路を左に曲がった。追跡する男たちはそこで合流して7 人になった。 美佳は自動改札に先程、買っておいた切符を入れ、素早く通って ゆく。男たちも通ろうとしたが、すぐに扉がしまり、足止めされた 。先頭の男が無理矢理、乗り越えようとしたが、後ろの男が止めた 。 「美佳を追い詰めるまで、騒ぎはまずい」 「わかった。ちっ、切符を買うぞ」 男たちは渋々、切符売場で切符を購入しに行った。 さて、美佳の方は階段を更に降りて、駅のホームに出ると、その まま端の方まで走り続けた。 //美佳さん、結構体力ありますね 「こんな時に褒められてもうれしくないわ」 美佳はようやくホームの端まで来ると、一息ついた。ちょうどそ の時、地下鉄がホームに入ってくる。 「早く、早く」 地下鉄がホームに到着し、ドアが開いた時、男たちが階段からホ ームに現れた。男たちは美佳を見つけると、一斉に向かってくる。 「どうしよう、エリナ」 //大丈夫。これだけの人がいるんですもの、手荒な真似は出来 ませんわ エリナの言うように、ホームにはかなり人がいる。 「助けを呼べっていうのね。ようし」 美佳は一度大きく深呼吸すると、思いっきり声を張り上げた。 「誰か、助けてぇ!あの男たちに殺されるぅ!」 美佳の叫びに人々の視線が最初は美佳に、続いて美佳に向かって くる7人の男たちに注がれる。 「あいつら、私を誘拐しようとしてるの。警察を呼んで」 美佳は男たちを指差して、捲くし立てた。 黒い背広の男たちは客の視線に足を止め、一瞬尻込みした。 「これで何とかなるかも」 美佳は相手がこれで逃げるかも知れないと期待した。 しかし、その時、仲間の一人が一歩前に出ると、突然、懐から拳 銃を抜くと、頭上に向けて三発、発砲した。 騒がしかった客が、一瞬にして静かになった。 「おまえら、どかんと頭、ぶち抜くぞ」 男のドスのきいた声に客は一斉に身を引いた。美佳と男たちの間 に一本の道が出来た。 他の仲間も一斉に拳銃、はたまたサブマシンガンを取り出した。 7人の男たちがゆっくりと銃を構えながら、美佳のところへ迫っ てくる。 「エリナ、こいつら正気だと思う?」 美佳は小声で言った。 //さあ…… その時、 <二番線のホーム、発車致します。ドアが閉まりますのでご注意 を> という駅のアナウンスが聞こえてきた。 一か八か。 美佳はアナウンスを聞いて心の中で決意を固めた。 「やれ!」 先頭の男の合図と共に7丁の銃器が一斉に発射された。美佳はそ の合図よりもワンテンポ早く横へ身を投げ出すと、そのまま体を回 転させて雪崩込むように地下鉄の車両に飛び込んだ。と同時にドア が閉まる。 やった、と美佳は思った。 だが、男たちは目げなかった。車両のドアや窓に向けて、一斉に 銃弾を浴びせた。車両内では銃声と硝子の割れる音が混じり合い、 不協和音が起こった。 //美佳さん、驚いてる暇はありませんわ エリナの言葉に美佳も頷き、体を半身にしながら、銃弾の嵐をす り抜けると、急いで地下鉄の反対側の車両へ向かって駆け出した。 地下鉄はゆっくりと動き始めた。男たちは射撃を止め、割れた窓 から次々と中へ入り込む。その間、僅か1分たらずの出来事だった 。 地下鉄がホームを出た後、ホームの人々はようやく事の重大さに 気付き、大騒ぎを始めた。 「救急車を呼べ」 「警察だ、警察!」 そんな声がホームにこだました。 ホームには硝子の破片が散らばり、銃弾で負傷した人々が転がっ ていた。駅員や客の一部は迅速に負傷者の救護にあたったが、ほと んどの客は茫然としていたり、逃げ出したり、あるいは負傷者を見 て、悲鳴を上げ、泣き出したりしていた。 そんなホームでの事態をよそに、地下鉄内ではもっと凄惨な事態 が起ころうとしていた。 美佳を追跡する7人の男たち。彼らは紛れもなくフォルスノワー ル日本支部、K部隊のメンバーである。この中には、A2作戦で河 野と行動を共にした前原、大久保、林がいた。特に前原は先程、銃 の一斉射撃を支持した張本人であった。 「ふっ、久し振りに戦いの血が騒ぐぜ」 前原はこの銃撃戦に快感を見出していた。後ろに六人の仲間を従 え、マシンガンを撃ちまくりながら、獲物を追い詰めるこの瞬間は 、前原にとっての「実戦」だった。彼は殺人狂ではなかったが、命 令には忠実だった。 邪魔する障害物を退け、前原は車内の通路を駆け抜けていった。 まさにレニーにとって、この男は彼女の計画にお誂え向きの男だっ たのである。 美佳は列車の反対側の車両に到達した。 「悔しいよ、わたし。こんなに人が傷ついているのに、何も出来な いなんて」 美佳は親指の爪を噛んだ。 //美佳さんがここで私を使えば、人に見られてしまいますわ 美佳は車両内を見回した。客が二十人ほどまだ事態に気付いてい ないのか、座席に平然と座っている。 「運転手さん!」 美佳は運転席のドアを強く叩いた。客が美佳の行動を奇異に思っ て、視線を投げ掛ける。 運転席の運転手がそれに気付いて、仕方なくドアを開けた。 「どうしたんですか」 「どうしたじゃないわよ。早く列車を止めて」 「何を言ってるんだ。そんなこと出来るわけないだろう」 その時、運転席の無線が入った。運転手はすぐに運転席に戻って 、無線を取る。何やら会話をしている。 「運転手さん、早く止めて。やつらが来るわ!」 美佳が急かした。 その時、三つ先の車両に男たちの姿が見えた。 「もう来たわ」 美佳は急いで貫通ドアを閉めに走った。 「みんな、座席にしっかりと身を寄せてるのよ」 美佳は客に指示した。 「一体、何があったんだ?」 会社員風の客が聞いた。 「銃を持った人殺しがやってくるのよ」 ダダダダッ その時、マシンガンの銃声が隣の車両で轟いた。さすがに客たち もようやくそれで美佳の言葉を理解し、座席に身を寄せたり、座席 の陰に隠れたりした。 「君、今、列車を止めるから手すりに掴まって」 運転手が運転席から出て、美佳に言った。 「わかったわ」 美佳は手すりに掴まった。 キイィィィー 運転手は地下鉄に急ブレーキをかけた。車内の客はみなその反動 で体が横になびく。 やがて、ガクンと激しく揺れると、地下鉄が止まった。 「エリナ、戦うわ。私だけならともかく、何の関係もない人を傷つ けるなんて許せない」 //もう何も言いませんわ エリナも決心を固めた。 「運転手さん、運転席から出ちゃ駄目よ」 美佳は運転席に向かって呼び掛けた。 「君はどうするんだ?」 運転手が言った。 「ここは私に任せて」 美佳はクロス・ペンダントを首から外した。 「チェーンジ リヴォルバー」 美佳が声を上げると、金色の十字架が光った。そして、大型のリ ヴォルバーに変形した。 ガシュッ 貫通ドアを美佳は開けた。僅か4メートル先に七人のK部隊がい た。 「あんたたち、もう許さないわ」 「ほお、戦おうというわけか」 リーダー格の前原がマシンガンを構えながら、言った。 「私はもうセーブしないからね」 「面白い、やれっ!」 前原が合図すると、七丁のマシンガンが一斉射撃を始めた。 「マシンガン・ストーム!」 美佳が精神を込めて、ひき金を引いた。リヴォルバーのシリンダ ーが高速回転を始めた。 ゴォォォーー 黄金銃が唸りを上げて、光弾を放出した。 地下鉄の一車両で激しい銃弾の衝突が起こった。車両は一瞬にし て硝煙で充満し、何も見えなくなった。 ものの三十秒、車両は音と煙に包まれていた。恐らくその状況は 、撃ち合う隊員にも美佳にもわからなかっただろう。 やがて、銃声がやんだ。そして、硝煙はゆっくりと窓から外へ抜 けていき、車内が段々晴れてくる。 はあ、はあ、はあ 貫通ドアのところでは美佳が荒い息遣いをしながら、立っていた 。両手にはまだ銃が握られている。 そして、K部隊の方は一人を残し、六人がその場に倒れていた。 その残った一人は前原だった。 「ば、馬鹿な」 前原は愕然としたまま、呟いた。彼が驚いたのは何百発という銃 弾が全て車両の床に転がっていたからだった。 「あんたの負けよ」 美佳が苦笑いをして言った。 「くそっ」 前原はマシンガンのひき金を引いた。しかし、もう弾丸は出なか った。 「どう?」 「大した者だぜ。だが、もうおまえはひき金を引くことも出来まい 。こっちはまだ拳銃があるんだ」 前原はホルスターから拳銃を抜いた。 「くっ」 美佳は前原を睨み付けた。しかし、もうファレイヌの銃口を前原 に向ける力もなかった。 「これで終わりだ」 前原は美佳に銃口を向け、ひき金に指をかけた。 パァン! 銃声が起こった。美佳は思わず目を閉じた。だが、痛みはない。 ふっと目を開けると、前原は目をカッと見開いて、前に倒れた。前 原の後ろには一人の男が立っていた。その男は拳銃を構えていた。 「間に合って良かった」 男は安心したような顔をした。 「あなたは……」 美佳がそう聞こうとした時、急に膝が折れ、倒れそうになった。 男はすかさず美佳を抱き止めた。 「大丈夫か」 「その声、トランシーバーの声ね。あなたもK部隊でしょ」 美佳は男の胸に顔を寄せながら、か細い声で言った。 「ああ」 「なぜ助けたの?」 「君には一度、命を救ってもらった借りがある」 「義理堅いのね」 美佳は男を見た。「ついでに由加も助けてくれるといいんだけど 」 「わかった。誘拐された子は俺が責任を持って助けよう」 「え、本当に?」 「嘘はつかん」 「だったら、私も連れてって」 美佳は男の腕を掴んだ。 「その体でか」 「大丈夫、栄養剤飲めば、すぐに回復するわ」 美佳はニコッと微笑んだ。 14 レニー・ヘンダソンの最期 午前11時、東京湾の第16番倉庫内では、K部隊隊長であるレ ニー・ヘンダソンと6人の隊員が他のメンバーの連絡を待っていた 。倉庫内は小さな体育館ほどの大きさで、北側に積荷が四分の一ほ どを占めていた。上田由加はその積荷の壁と背中合わせに椅子に座 った状態で縛られ、一人の隊員の監視のもとにあった。彼女は睡眠 薬の効果で頭を垂れたまま、眠っている。その倉庫内においてレニ ーのいる場所と由加のいる場所だけに照明が設置されていた。倉庫 内は僅かに外の光りが入るものの、入口の扉は閉めてあるため、こ の二箇所を除いては薄暗かった。 「遅い!」 椅子に座っていたレニーは、苛立たしげに言った。「椎野美佳は まだ見つからないのか」 「依然、見つかったとの連絡はありません」 連絡係の隊員が言った。 「一体、どうなっているのだ」 レニーはカップのコーヒーを飲みながら、呟いた。 既に地下鉄構内で銃撃戦が行われたという情報はレニーの耳にも 入っていた。前原隊は午前8時50分に作戦決行の連絡はよこして からは何の連絡もなく、その後、別動隊からの連絡で前原隊7人は 全滅、椎野美佳の消息が途絶えたことが伝えられた。 「河野との連絡はついたか」 「いいえ。副隊長とも連絡がとれません」 −−椎野美佳め、一体、何て女なんだ。いくらファレイヌの使い 手とは言え所詮は素人。暗殺のスペシャリストたるK部隊7人を相 手に全滅に追い込むとは……。秋乃やレイラがやられるわけだ。だ が、私は違う。もし美佳が生きているのなら、そろそろこの倉庫へ 来るはず。その時こそ、私の手で葬ってやる。 「全員、戦闘準備をしておけ。椎野美佳はこっちに向かってるはず だ。−−西田、他の隊員を全員、倉庫へ呼べ」 「はっ」 西田は通信機のマイクを取った。「K部隊全員につぐ。これより 、至急、倉庫へ戻れ。もう一度言う、全員、倉庫へ戻れ」 「さて」 レニーは倉庫の隅で由加を監視している隊員の方へ目をやった。 「谷、上田由加をこっちへ連れてこい」 「はっ」 上田由加の見張りをしていた隊員の谷は返事をした。谷は肩にか けていた突撃銃を積荷に立て掛け、由加を椅子ごと運ぼうとした。 だが、その時、何者かが積荷の上からすっと降りてきた。賊は谷の 背後に忍び寄ると、手にしたスパナで思いっきり谷の後頭部を殴っ た。 「うっ」 谷は呻いて、その場に倒れた。賊は素早く谷の体を引きずって積 荷の陰に隠す。そして、谷と同じ服装をした男が出てきた。 「何をもたもたしている」 レニーが再び由加のいる方に目をやった。 「申し訳ありません、すぐに運びます」 男は帽子を深く被り、低い声で言った。 レニーはホルスターから拳銃を抜いた。コルトM1917、これ が彼女の愛銃だった。シリンダーには常に6発の弾丸が装填してあ るが、実戦でこの銃を使用することはめったになかった。それは実 戦では、リヴォルバーよりもマシンガンや突撃銃の方が有効だから である。ところで、彼女は服装はグレーのタンク・トップにジーン ズという軽装だった。他の隊員は野戦服に、下は防弾チョッキとい う出で立ちだが、レニーはそういったものは嫌いだった。 ふふふ−− その時、上の方から女の笑い声が聞こえた。銃を見つめていたレ ニーははっとして、周囲を見回した。 「誰だ!」 レニーの声に他の隊員たちも一斉に機関銃を構え、臨戦体制には いる。 「ここよ、ここ」 その声は二階の足場から聞こえた。隊員の一人が照明を二階の足 場に向ける。 「むっ」 レニーは照明の照らされる方向を見た。 そこには一人の少女が立っていた。その少女は、アーチ状の二つ の目と三日月を横にしたような薄気味悪い口を持つ金色の仮面をつ けていた。 「何者だ!」 「何の罪もない少女を誘拐し、かつ罪もない乗客に銃を乱射するそ の悪行、この黄金仮面が許さないわ」 少女は仮面を取った。その黄金仮面が少女の手で金色の銃に変化 する。 「ついに来たな、椎野美佳」 レニーは銃をホルスターにしまい、ライフル銃を手に取った。 「悔いる気持ちがあるんなら、全員、自首しなさい」 美佳は鋭い口調で言った。 「馬鹿め、こっちには人質がいるのを忘れたのか」 「さあて、どうかしら」 「何ぃ」 レニーが積荷の方を見ると、そこには倒れた椅子とロープだけで 、由加の姿、そして、隊員の姿もなかった。 「いつの間に」 「さあ、観念しなさい」 「ふざけるな。全員、撃て」 レニーが合図した。 「チェーンジ シールド」 美佳が叫ぶと、銃が大きな楯へと変化する。同時に隊員たちの一 斉射撃が始まった。美佳はさっと楯の後ろに身を隠す。弾丸は雨の ように楯に命中するが、楯は全て跳ね返した。 「このままじゃ、埒があかない。野崎と西田は足場へ行け」 レニーが指示すると、二人の隊員が鉄の梯子を上り、二階の足場 へ行こうとする。 //美佳さん、敵が二階に来ますわ 「わかってる。こんな時に河野さんがいるんだから」 その時、積荷の方向から何かが飛んできた。美佳に集中していた 隊員たちは全くそれに気付かなかった。 カッ、カン、カン…… 何かが隊員たちの足下に来た。 「手榴弾」 真先に気付いたのはレニーだった。「逃げろっ!」 レニーはすぐに体を地面に投げ出し、両手で耳を塞いだ。 パーン!! 手榴弾が破裂した。 「うわぁ」 三人の隊員があちこちに吹っ飛ばされた。 「今だ。チェーンジ リヴォルバー」 美佳はすかさず楯から銃に変化させると、梯子を昇る二人の隊員 に発砲した。二人の隊員は弾丸をくらって、梯子から落ちる。 「少しセーブしといたからね」 美佳は呟いた。 「おのれ……」 レニーは地面をはって、地面に転がったライフルを掴もうとした 。だが、そのライフル銃の上に誰かがぐっと足を乗せて、押さえつ けた。 レニーはその足から上に視線を上げた。 「河野……なぜ、貴様が−−」 「復讐ですよ、隊長」 河野は静かに言った。「三年前、当時パキスタン支部K部隊の隊 長だったあんたは、ゲリラ組織襲撃の際、作戦に失敗し6人の犠牲 者を出した。失敗の責任を恐れたあんたは、当時、同支部情報部の 秋村理奈をゲリラ側のスパイに仕立て上げたばかりか、懲罰委員会 の審査を受けさせずゲリラ側に引き渡した。かわいそうな理奈は、 弁解の予知も与えられず、ゲリラによって薬漬にされ、俺が助け出 した時には既に廃人同様になっていた」 「私は何のことか知らない」 「惚けても無駄だ。俺はゲリラからあんたの名を聞き出したんだ」 「証拠はあるのか」 「ない。だが、俺はあんたを殺す」 「なぜだ?」 レニーはそっとホルスターに手をやる。 「それは理奈が俺の実の妹だからだ」 「妹……そうだったのか、おまえがパキスタン支部にいた時からど うも私に敵対心を持っていると思ったら−−」 「これでわかっただろう」 河野は銃の銃口をレニーの頭に向けた。 「ま、待て。早まるな。妹のことは済まなかった。おとなしく懲罰 委員会へ出頭する。おまえだって、私を殺せば死刑になるぞ」 「覚悟の上だ」 河野は銃のひき金に指をかけた。 「そこまでよ、河野副隊長」 その時、倉庫に入口から女の声がした。そこには銃を構えた吉田 香苗の姿があった。 「吉田−−」 河野が香苗の方へ目をやった。 「理由はどうあれ、上官を撃てば、ただじゃおかないわ。おとなし く銃を捨てて」 香苗は鋭い口調で言った。 「それは出来ない」 河野は首を横に振った。 その時だった。レニーが隙をついて、ホルスターから銃を抜いた 。 「河野さん、危ない!」 美佳が叫んだ。 パンッ! レニーのコルトが火を噴いた。 「ああっ」 河野の服の胸の辺りが血に染まった。河野は二、三歩、よろめく と、後ろへ大の字に倒れた。 「ふん、愚か者が」 レニーはとどめとばかりに河野の腹に数発の銃弾を撃ち込んだ。 「吉田、御苦労」 「はっ」 香苗は敬礼する。 「河野さん……」 美佳は足場の手すりをぎゅっと握りしめた。 「美佳、次はおまえの番だ」 レニーがにやりと笑った。 「私の番ですって」 美佳はレニーを睨み付けた。美佳の表情はいつになく怒りに燃え ていた。 −−私が仕留めてやる 香苗は拳銃を美佳に向けた。 美佳は黄金銃を下に下ろしたまま、ひき金を引いた。 グォーン!! 光の弾丸は足場を突き抜け、そのままカーブして、香苗の手から 銃を弾き飛ばした。 「そ、そんな」 香苗は右手を押さえながら、茫然と呟いた。 「やるな。だが、私も負けるわけにはいかん」 レニーはコルトをホルスターに収めた。そして、左上腕部を右手 でぎゅっと掴み、美佳に向けた。 「どうするつもり」 「こうするのよ」 レニーが右手を左上腕部から放した。 ドヒューン!! 次の瞬間、レニーの上腕部が肘から分離し、ミサイルのように美 佳へ向けて飛んでいった。 「ひえっ」 美佳は驚いてすぐに足場を駆け出した。 「逃げても無駄よ」 レニーは笑った。アームミサイルは逃げてもくるっと曲がって、 美佳を追跡する。 「私の腕は誘導ミサイル。簡単には逃げられないわよ」 美佳は梯子を降りずに、そのまま地面を飛び下りた。 「吉田も銃を拾え」 「はっ」 香苗はすぐに地面に落ちた銃を拾おうとした。 その時、パンッ!という銃声が起こった。 またしても凶弾が今度は香苗のこめかみを撃ち抜いた。香苗はそ のまま、一言もしゃべることなく前のめりに倒れた。レニーの手に は硝煙の立ち昇るコルトが握られていた。 「おまえは私の秘密を知ってしまったからな」 レニーは呟いた。 「あんたって、最、最、最低っな奴ね!」 美佳はアームミサイルから逃げるために、寸前でしゃがみ込んだ り、不規則な動きをしてミサイルを攪乱しながら、倉庫中を逃げ回 っていた。 「いつまで逃げられると思ってる。いい加減、観念したらどうだ」 「冗談でしょ。あんたみたいな女にやられてたまるもんですか」 とはいうものの、美佳は相当、へばっていた。 //美佳さん、どうするんですの。アームミサイルは目前ですわ 「うーん、そうだわ、いいこと考えた」 美佳はレニーに向かって、走り出した。 「私を道連れにする気か、そうはさせるか」 レニーはコルトの銃口を美佳へ向けた。 「甘い!」 美佳は黄金銃のひき金を引いた。 光弾が、レニーがひき金を引くよりも早く、コルトを破壊した。 「うわっ」 レニーは痛みで右手を振った。 「チェーンジ ネット」 美佳が叫んだ。銃が金色のネットに変わる。 「さあ、来なさい」 美佳は走るのをやめ、アームミサイルの方に向き直った。アーム ミサイルが勢いよく向かってくる。 「今だ」 アームミサイルが美佳の目前に来た瞬間、美佳はネットを広げて 、ミサイルを包み込んだ。そして、ネットで包み込んだミサイルを そのまま、レニーに向かって投げた。 「何ぃ」 レニーは一瞬、行動能力を失った。ただ立ち尽くしているだけだ った。 「エリナ、逃げて!」 美佳は体を伏せながら、叫んだ。 ネットがぱっと広がった。アームミサイルがくるくる回転しなが ら、レニーの方へ戻ってくる。 「いやあぁぁ」 レニーは最期になって女らしい悲鳴を上げた。 ドゴォーン!! アームミサイルが爆発し、レニーがその渦の中へ消えた。爆風が 地面を勢いよく払う。銃が、椅子が、死体がみな風で転がった。 美佳は両手で耳を押さえ、必死に地面にしがみついた。 エリナの方は爆風に乗って、うまく美佳の体に巻きついた。 やがて、爆風が収まった。倉庫内は積荷が崩れ落ち、銃や無線類 が散乱していた。 「これで終わったのね」 美佳はゆっくりと立ち上がった。エリナはいつの間にかクロス・ ペンダントに戻って、美佳の首に掛かっている。 美佳は真先に河野の死体に駆け寄り、腰を落として、抱き上げた 。 「河野さん……助けられなくてごめんなさい」 美佳は目に涙を浮かべながら、言った。 「いいんだよ」 「え?」 美佳は河野の顔を見た。 河野は目をつぶったままだったが、口は動いていた。 「防弾チョッキのおかげでね、命は助かったよ」 「だって、血が−−」 美佳は河野の服の血を触った。 「これは血糊のパックが破けたのさ」 「河野さん」 美佳の顔が輝いて、河野の体をぎゅっと抱きしめた。「もう心配 したんだからぁ」 「おい、苦しいよ。防弾チョッキを着たとは言っても、衝撃で肋骨 が折れたみたいなんだ」 「ごめんなさい」 美佳は素直に謝った。 「椎野美佳−−」 「なぁに」 「君は素晴らしい女性だよ」 河野が細めを開けて、言った。 「え、あっ」 河野の言葉に美佳は顔が真っ赤になった。「そんな、私、恋人が いるんですよ。やだぁ」 美佳は河野の胸を強く叩いた。 「いたっ」 「あ、ごめんなさい」 美佳は口に手をあてながら、また謝った。 15 作戦中止命令 午後2時、高級ビジネスホテルのミレーユ・ドナーの部屋に一本 の電話があった。 『総統、横田です』 「緊急の時以外は電話をかけるなと言ったはずよ」 水銀のファレイヌ、ミレーユはベッドで銀色の裸体のまま、電話 を取っていた。 『緊急です、総統。我が支部のK部隊が壊滅しました』 「何だと」 『情報部の報告では、今回の作戦でレニー殿ほか14名の隊員が死 亡。負傷者3名を出しました。これで前回の作戦の犠牲者を合わせ ますと、死者は17名となります』 「みんな、美佳にやられたのか」 『恐らく。S部隊によって特別病院へ運ばれた副隊長の河野の話で は、椎野美佳はとてつもなく強く、傷を負わすことも出来なかった そうです』 「後でその男に報告書を書いて、よこさせろ」 『総統』 「何だ」 『日本支部はこれ以上、美佳に介入することは出来ません。隊員育 成には1億円と十五年の期間が必要です。これ以上、非公式の仕事 で犠牲者を出すことは日本支部の死活問題となります』 「わかった。椎野美佳の暗殺は中止しよう」 ミレーユはあっさりと了承した。 『本当ですか』 横田は戸惑い気味に言った。 「ああ。済まなかったな、横田。その損害については後で報告書を 送ってくれ。本部の方で責任を持って補償しよう」 『感謝致します』 ミレーユは受話器を電話に戻した。 「椎野美佳め、いくらエリナの力を得ているとはいえ、これほどま でとは……」 ミレーユはベッドから降り、壁のハンガーにかけたガウンをはお った。 「やはり、私自らがやらねばならぬようだな」 ミレーユは銀色の目を輝かせ、決意を新たにした。 エピローグ 2週間後、椎野美佳は学校の駅前の喫茶店で河野と会った。 「久し振り」 先に店で待っていた河野に美佳は笑顔で挨拶した。 美佳はレジのところでウェイトレスにメロンソーダを注文してか ら、河野の向かいの席に座った。 「まだ学校、あるんだ?」 河野は美佳のセーラー服を見て、言った。 「期末試験は終わったんですけど、私は試験休み返上で補修授業な の」 「偉いな」 「いや、偉いって言われると、照れちゃうな」 補修授業は出来の悪い生徒に対して行われているものだとは、美 佳はとても言えなかった。 「でも、驚いた。河野さんから連絡してくれるなんて。もう会えな いかと思ってたんだもの」 「なぜ?」 「だって、河野さん、組織を裏切って追われてるんでしょ」 「まさか」 河野は笑って、否定した。 「え?違うんですか」 「俺は組織に戻ったんだ」 「どういうこと?」 「俺が裏切ったことを知る者はいないからね。俺も君にやられた犠 牲者という事で、最近まで組織の秘密病院に入院してたんだ」 「ひどぉい。それじゃあ、また河野さん、敵になっちゃうの」 「いや、当分は心配なさそうだ。今回、K部隊が壊滅したことで、 総統が計画中止命令を出した」 「本当!じゃあ、もう私、狙われないんだ」 美佳は喜んだ。 「ああ、少なくとも組織からはね」 「個人的にならあり得るってことか。まっ、いいわ。敵が少ないに 越したことはないから」 「君は楽天的だね」 河野は苦笑した。その時、ウェイトレスが注文のメロンソーダを 運んできた。 「ところで、誘拐された彼女の様子はどうだい?」 「もう、全然平気。誘拐されてる間も眠ってて記憶がないから、シ ョックもないみたい。実際、周りの大騒ぎに驚いてるくらいなんだ から」 「そうか、それなら良かった」 「河野さん」 「ん?」 「一つだけ聞きたいことがあるんだけど?」 美佳はメロンソーダを飲んでから、言った。 「何だい?」 「なぜ地下鉄で私を助けたの?」 「前にも言ったように、君に借りを返したかったからさ」 「でも、いくら借りを返すと言ったって、河野さんは私のために仲 間を殺ったのよ」 「仲間と言ってもK部隊として活動する時だけの仲間さ。幼い時か ら訓練所で組織のために戦うことだけを教えられてきた俺たちの間 には、友情なんてものは存在しない。ただ義務だけ。君の部屋で君 に銃を向けられた時、正直言って俺は死を覚悟した。『敵には隙を 見せるな。殺られる前に殺れ』。これが組織の教訓だったからね。 ところが、君は俺を殺すどころか、何も要求せず逃がしてくれた。 こんなことは初めてだった。正直言って心が震えたよ。だが、組織 の命令は絶対だ。だから、ぎりぎりまで決断できなかった。それに 比べれば、結城の奴は度胸があった」 「結城って?」 「タクシーの中で自爆した男だ」 「あの人が……」 「奴も恐らく君が自分を殺さなかったことに動揺して、自分が分か らなくなったんだろう」 「そんな……」 美佳は目を伏せた。 「俺は奴のように度胸はない。この先も組織で働き続けるだろう。 だが、もし今度、君を狙うことになったら、その時こそ俺は……」 「バカッ!」 美佳は突然、テーブルを強く叩いた。 「美佳……」 「どうしてそんなこと言うの。私はもうこれ以上、大事な人を失い たくない。せっかく友達になれたんじゃない」 「俺は所詮、組織の飼犬。戸籍もなければ、家族もない。君と同じ 世界では生きられないんだ」 「だったら、なぜ会ったのよ」 「わからない。ただ君に無性に会いたくて、気がついたら電話して いた」 「河野さん!」 美佳は河野の手をしっかりと両手で握った。河野は驚いて、美佳 を見た。 「私たちは友達よ。だから、希望を捨てないで」 美佳は河野の額にキスすると、そのまま席を立ち、店を飛び出し ていった。 「美佳−−」 河野は額にこれまで感じたことのない温かい何かを感じた。 「ありがとう。君はとてもいい奴だよ」 河野は目をきゅっとつむって、呟いた。その時、彼の頬を一筋の 涙がすうっと伝って、テーブルの上に落ちた。その涙は彼にとって 心を震わせた涙だった。 「標的」 終わり