第1話「復讐の弾丸」 登場人物 椎野美佳 高校生 椎野律子 美佳の姉 フェリカ 謎の男 氷川英二 律子の恋人 北条隆司 美佳の恋人 1 ファレイヌ 雨の吹き荒れる深夜、椎野美佳は机の上に一冊の本を開いた。「 悪魔の粉」。それが本の題名だった。著者はJ・TANABEと記 されている。 美佳は慣れないフランス語の辞書を片手に、悪戦苦闘しながら一 つの項目を訳していた。 「FARINE・・十六世紀後半の魔女カローニスティの黒魔術で 粉化転生術という。人間を粉末に変えるというこの魔術の詳細は不 明。また一六一〇年、ブルボン朝のルイ一三世の即位を祝って、一 貴族より贈られた黄金銃になぜかこの名前がつけられた。製造者は 不明。グリップには紋章が埋め込まれている。ある文献によれば、 この銃は弾丸を込めることなく、弾丸を発射できたという。 なお、この銃はルイ一六世に渡るまで代々家宝として伝わり、一 七九二年、ブルボン朝がルイ一六世の処刑と共に滅びた頃、記録上 から消滅。銃の所在には様々な説があるが、どれも定かではない」 訳し終って美佳はため息をついた。 「これがそのファレイヌなのかしら」 美佳は机の左に置かれた黄金銃にそっと目をやりながら、呟いた 。 2 椎野美佳 2週間前−− 晴れた青空の午後、椎野美佳はベランダでうーんと大きく伸びを して、外の空気を存分に吸った。 今日は学校の創立記念日。美佳は日頃の睡眠不足を解消しようと 午前中ずっとベッドで眠り転けていた。しかし、時がたつに連れ、 さすがに美佳も空腹には勝てず、ようやくベッドを這い出て起きた のである。 「腹減った、腹減った、腹減ったー」 などと美佳は調子を付けて歌いながら、台所に戻った。そして、 テーブルの上のトーストを袋から二、三枚取り出すと、オーブント ースターに放り込み、くるりとダイヤルを回す。 「これで準備完了」 美佳は大きなあくびをしながら、椅子にどっと腰掛けると、朝の 新聞に目を通した。 その時、電話が鳴った。美佳が電話を取ると、相手はRTVのプ ロデューサー前原昌広であった。美佳はアルバイトで声優業をやっ ているのである。もっとも両親や友人には内緒ではあるが。 「あら、前原さん、今日は。今日はどうしたんですか」 といつもの愛想のいい口調で尋ねた。 「どうしたじゃないよ、美佳ちゃん。今日は十二時からアフレコの 仕事だろう」 と前原は呆れたように言った。 「やだー、そうでしたっけ」 「しっかりしてもらわなきゃ困るよ。君一人でスケジュールが動い てるわけじゃないんだから。」 「どうもすみません。必ず行きますから」 「すぐに頼むよ。場所はいつもの第五スタジオだから」 そう言って前原の電話は切れた。美佳は受話器を電話に戻すと表 情が緩んで 「自分で仕事のO.K出しといて、スタジオに行くのすっかり忘れ たわ。でも、前原さんが怒るのも無理ないわね。」 と呟きながら、一人で満足感に浸った。 「何をニヤニヤしてんの。気持ち悪いわね」 玄関から声がしたので、振り向くと姉の律子が立っていた。現在 、美佳と律子の姉妹はこのマンションで生活をしている。両親は東 京から離れた仙台に住んでいる。中学を卒業してすぐ都会に憧れて 東京に上京した美佳を一人にさせておくのは危険と心配した故郷の 両親が、先に東京で生活している姉のマンションに一緒に住まわせ たのである。 「姉貴、ちょっと出かけてくるね」 急いで着替えをしながら美佳が言うと 「駄目よ」 と律子は厳しい声で言った。 「どうしてよ。私の勝手でしょ」 「何が勝手よ。そう言う言葉はね、一人前の成績を取れるようにし てからいいなさい」 「え?」 「昨日、担任の先生から電話があったわよ。美佳の成績がこのごろ 下がってるっていうじゃない。おまけに宿題はやってこない、学校 はさぼるとも言ってたわよ」 「ははは、何かの間違いよ」 「まあ、いいわ。近いうちに美佳には仙台に帰ってもらいますから ね」 「そんなお姉さま。何もそこまでなさらなくとも……」 「急に言葉遣いを変えるな。気色悪い。とにかく、今日は一日中び っしりと勉強してもらいますからね」 「う、うん……」 美佳はすげない返事をした。本当のところ、スタジオへ行く時間 が気になっていたのだ。 「明日からやるから、今日は見逃して」 「駄目。今日は美佳のために会社を早退してきたんだから」 それこそ大きなお世話だわ、と美佳は心の中で舌を出した。 そんな時、玄関のベルが鳴った。 律子がでると 「美佳、隆司くんよ」 と言った。 「久しぶりね。何か用?」 美佳は玄関に出迎えると挨拶した。北条隆司は美佳のいわゆるボ ーイフレンドで、なかなか体格のいい好青年である。 「人を誘っといてそれはないだろう」 「ええっ、嘘だー」 美佳は目を丸くして言った。 「嘘なものか。先週、電話で今度の水曜日は休みだから、一緒にど こかへ行こうって言ったじゃないか」 「おかしいわ、そんなことを言った覚えないけどな……」 美佳がうーんと首をかしげて考えているところへ 「美佳、遅いぞ。わざわざ、みんなで迎えに来たのよ」 とがやがや言いながら数人の同級生が玄関に入ってきた。 「どこへ行くんだっけ……」 美佳も次第に言葉に力がなくなってきた。 「一昨日、開校記念日にはみんなでハイキングに行くって決めたで しょ」 と同級生の一人が言った。 美佳はどうにも困ってしまい、姉に視線を向けた。しかし、律子 の方はもう勝手にしなさいとばかり、そっぽを向いている。 「ねえ、みんな……」 と言って申し訳なさそうな顔をして、廊下に出ると「ごめんねー 」と大きく頭を下げて、逃げだした。 突然の美佳の行動にあっけにとられた同級生達は慌てて追いかけ たが、脱兎のごとき美佳の逃げ足には追い付く由もなかった。 3 訪れた男 東京のN町にT組系の事務所がある。八階建ての鉄筋のビルで表 向きこそ、栖本商事会社と看板を掲げてはいるが、裏では金貸し、 取立屋、あげくのはては麻薬から拳銃密輸にまで手を伸ばしている 暴力団であった。 そこに一人のコートを来た男が現れた。透き通った金色の髪とそ の青い目は明らかに日本人ではないことを裏付けている。男は取り 押さえようとするやくざを軽くあしらい、床に眠らせると、迷わず 八階の社長室までやってきた。ドアの前には護衛のやくざがいる。 「どけ」 男が低い声で言った。 「何だと!ふざけたこと言うな」 やくざの一人が飛びかかる。しかし、途端に腕を後ろに取られ、 激しい悲鳴を上げた。「早く病院へ運んでやれ。腕が折れたようだ ぜ」 男は床でうめいているやくざを見て言った。 「貴様!半殺しにしたる」 残った二人のやくざは懐から飛び出しナイフを取り出す。 「ふふふ」 男は微笑を浮かべ、ゆっくりドアに歩み寄った。やくざたちは男 との間を取りながら、じっと身構える。 ところが、男はやくざなどはまるで眼中にないようすでそのまま 部屋に入って行ってしまった。思わず顔を見合わせる二人のやくざ 。 部屋の中には黒皮のソファにのけぞって座り、机に足を投げ出し ている栖本哲二組長の姿があった。両わきにはサングラスを掛けた 強そうな部下を従えている。 「何者だ、貴様は。何か用か」 「返してもらいにきた」 「何だと」 栖本は厳しい顔をして言った。 「ファレイヌを返してほしい」 と言った。栖本は目をしかめて 「そんなものは知らんな」 と言った。 「とぼけるのか。だったら、あんたに頼まないよ」 と言うと男は右手をまっすぐ頭上に伸ばした。そして、栖本には ほとんど聞き取れないような意味不明な言葉を唱えた。 だが、しばらくは何も起きなかった。 「頭、おかしいんじゃないのか」 栖本が冷笑すると、まわりのやくざたちもつられて笑った。 ガダガタガタッ−−突然、部屋の壁にかけてあった大きな風景画 の絵が激しく横に搖れて、床に落ちた。そして、絵のかけてあった 場所からは壁に埋め込まれた鉄製の金庫が姿を現した。 「チッ」 栖本は舌打ちをした。 さらに金庫には不思議なことが起こった。ダイヤルが突然、回り 始めたのだ。右へ三回転、左へ五回転、右に三回転と規則正しくダ イヤルが回ると、やがてカチッという音がして、金庫がゆっくりと 開いた。 そして、金庫の中から青いケースがふわふわと宙に浮いて出てき た。ケースはシャボン玉のように不自然な動きで男の手に吸い寄せ られた。 「わしの銃をどうするつもりだ」 栖本は机から身を乗り出し怒りで肩を震わせた 「あんたのじゃないぜ。ファレイヌは選ばれた人間以外の使用は認 められないんだ」 男はケースを開けて、全身金色に輝く銃を取り出した。 「ふざけたことを言うな!選ばれた人間だと」 「その通り」 「ふん、何を考えてるか知らんが、わざわざわしの目の前で銃を盗 みにくるとはどじな奴だ」 部下のやくざがいつのまにか銃を片手に男を取り囲んでいた。 「どうする気だ」 「素直に銃を返せば許してやる」 「断わると言ったら」 栖本が部下に目配せで指図する。 「あんたには死んでもらうとしよう」 「なるほど。しかし、あんたはわかってるのか。このファレイヌが どんな銃かを」 「わかってるさ。全身黄金のこの世に二つとない銃だ」 「ふふ」 男は馬鹿にしたように笑った。 「何がおかしい!!」 「あんたは何もわかっちゃいない」 男は栖本に向けて金色の拳銃を向けた。 「愚かな。その銃では弾丸は撃てないぜ」 栖本は勝ち誇ったように笑った。 グォーン−−次の瞬間、男の黄金銃の銃口が光った。まだ、やく ざたちは銃の撃鉄も起こしていなかった。 栖本は額を打ち抜かれソファから吹っ飛ばされると、カーペット の上に転がった。 「組長!」 やくざたちが慌てて、栖本に駆け寄る。 「さっきも言ったようにファレイヌは人を選ぶ銃なんでね。残念な がら、おたくは不適格だ」 男は黄金の銃を背広のふところにしまいこむと大きく息をついた 。 「畜生!組長のかたきだ」 やくざの一人が銃を構えて、男に発砲する。 しかし、男はカッと睨み付けると、弾丸が止まって床に転がった 。 「やめとけ!おまえらが束になってもかなう相手じゃねぇ」 栖本の護衛に付いていた幹部格の男が言った。 「でも、宗方さん……」 やくざたちは納得が行かない様子。 「いいか、もしここで騒ぎを大きくして組長が死んだことが分かっ て見ろ。他の組に一斉に狙われるじゃねえか」 宗方が一喝すると部下は渋々うなずいた。 「俺は帰るぜ」 男は静かに部屋を出ていった。 「二度目はないぜ」 宗方はキッと鋭い目をしながら呟いた。 4 姉の姿 「おつかれさま」 午後六時、RTVの第五スタジオでは番組の吹替えが終了し、別 れの挨拶で賑わった。椎野美佳もその一人。スタジオの外の廊下で は声優やスタッフが皆で飲みに行く打ち合せなどをしながら、がや がやと歩いている。 しかし、美佳の方はそんなゆっくりしている余裕もなく、早く家 に帰ろうと急いで歩いていた。 「あんまり遅くなると、姉貴に怪しまれるもんね」 さて、四十分ほどして、マンションに着くと偶然にも入口で姉の 姿を見つけた。美佳は声をかけたが、律子には聞こえなかったらし く、小走りで行ってしまう。 「どこへ行くのかしら。あんな深刻な顔をした姉さん、初めてみた わ」 美佳は他人の行動を詮索すべきでないことは分かっていたけれど 、つい気になって律子の後をつけてしまっていた。 行き先はまっすぐ駅に向けられていることが美佳には途中で分か った。そこで美佳は姉の先回りをして、駅で待つことにした。 案の定、律子は駅にやってきた。しかし、電車に乗る様子はない 。誰かを捜しているようだ。 美佳はもう少し隠れて、姉の様子を見ることにした。 ほんのしばらくして、律子が手を振って電話ボックスの前に立っ ている男に走り寄っていくのが見えた。美佳には全く見覚えのない 男であった。 「見つけたぞ」 「きゃっ」 ふいに肩を誰かに触れられ、美佳は悲鳴を上げた。振り向くと北 条であった。 「なによ、驚いたじゃない」 美佳が向きになって怒ると、 「そう怒るなよ。大体、美佳が約束破ったからいけないんじゃない か」 「それとこれとは別でしょ。私、これでも心臓が弱いのよ」 「そうかな。心臓が弱いわりには、いつも大胆なことやって廊下に 立たされてるのどうしてだよ」 「精神を落ち着けるためにわざと廊下に立っているのよ」 「よく言うよ。それより、ここで何してるんだよ」 「うん、ちょっとね」 と言って電話ボックスに視線を投げかけたが、もう律子や男の姿 はなくなっていた。「隆司の馬鹿!姉さんの姿、見失ったじゃない 」 「俺に怒るなよ。今日のおまえ、どうかしてるぞ」 「そうかなぁ……とにかく隆司も一緒に姉さんを捜してよ」 「どうして?」 「だって姉さん、私の知らない男と会っていたのよ」 「そんなのいいじゃないか。律子さんだって立派な女性だし、恋人 の一人や二人いたっておかしくない」 「それはそうだけど……」 「少しは理解してやれよ。おまえがいるんで律子さんだって、気を 遣ってこっそり会うことしかできないんじゃないか」 「見て見ぬふりをするの?」 「そういうこと」 「わかったわ。素直に家に帰る」 「おいおい、せっかく駅で美佳の来るのを待っていた俺はどうなる んだよ」 「嘘だぁ。どうして私がここに来るのを知ってるのよ」 「愛があれば自ずと心は通じあうものさ」 「調子のいいこと言って。それなら私が今、何を考えてるかわかる ?」 「もちろんさ」 と自信ありげにうなずいて「腹が減って死にそうだって考えてる んだろ」 その言葉に美佳は複雑な心境だった。 5 別れ話 「私と別れたいって……うそでしょう?」 律子は信じられないという面もちで男に問いかけた。 「本当だ」 男は手を組んで、聞き取れないような小さな声でうつむきかげん に言った。 窓一面に夜景を映し出すレストランの一席で男と女の別れ話が静 かに行われていた。 「いやよ、そんなの」 律子は大きく首を振った。 「わかってくれ。僕は君のことを決して遊びでつき合っていたつも りはなかった。もし、今度の話さえなければ君との結婚も決意した かもしれない」 「社長の娘と結婚するっ話ね」 「そうだ。僕にとってはまたとない出世のチャンスだ。今まで大し た学歴もない僕がやっと手にいれた栄光だ」 「そんなの身勝手よ。あなたは愛よりも出世を選ぶと言うの。それ も実力でなく、他人の力を頼って」 「他人の力だって!冗談じゃない。僕は彼女の心を射止めるのに二 年を費やしたんだ−−」 男は余計なことを言ったと思い、慌てて口をつぐんだ。 「とうとう本音を出したわね。最初っからわたしは単なる遊び相手 に過ぎなかったのね」 「それは−−」 男は言葉に戸惑ったが、やがてくすくすと笑いだして「そうだよ 。君の言うとおりさ。僕はこれでもプレイボーイでね。清純で身持 ちの堅い女を見るとなんとかして自分のものにしようと独占欲にか られるのさ」 「あなたって人は……」 律子はぎゅっと肩に力をいれた。 「どうかな。やっと夢から覚めたご気分は」 彼は愉快そうに笑った。もう律子へのいたわりなどまるでなかっ た。 「あなたの将来を破壊してやるわ。絶対に」 律子に怒りに身を任せて言った。 「どうするんだ。僕の婚約者に私は僕の愛人でしたとでも言うのか い。残念ながらそれは無理だろうね。もしそんなことすれば、君は 自分を男に持て遊ばれた女としてまわりにさらすことになる。そう なって一番悲しむのは君の妹さんじゃないのかな」 「ううっ」 律子はうつむいて今の怒りを必死に抑えた。これもかわいい妹の ため。仮に今の怒りをなおもぶつけ、この男をあざけり罵ったとし て後には何も残らないことが律子には分かっていた。 「僕と別れてくれるね。そうすれば僕も君とのことはいっさい忘れ る」 男の問いかけに律子はうなずいた。「ありがとう。それじゃあ、 僕は帰るよ、なるべく君と会っているところは見られたくないんで ね」 男はレシートをテーブルの上から取ると、その場を去った。 その時、律子の隣の席ではサングラスをかけた金髪の男がワイン グラスを片手に二人の話を興味深げに聞いていた。 6 姉の帰宅 「姉貴、遅かったじゃない」 テレビを見ていた美佳はドアの開く音を聞いて早速玄関に出迎え た。 「ごめんね。久しぶりに友達と会って、話し込んじゃったの」 律子は笑顔で言った。しかし、その顔は涙で腫れ上がったように 真っ赤になっていた。 「そう……よかったね」 「うん。そんなことより、夕食はちゃんと食べた?」 「外で済ましてきたわ。姉貴、お風呂入る?」 「今日は寝るわ。はしゃぎ過ぎて疲れちゃったから」 その返事は心なしか元気がなかった。 律子は美佳にお休みと一言言って、寝室に入って行った。美佳は また椅子に座ってぼんやりとテレビを見た。 −−姉貴、やっぱりあの男と何かあったんだわ。 どうにも気になり美佳はすっと立ち上がって律子の寝室に足を寄 せた。そして、多少ためらいがちにノックして、 「姉貴、起きてる?」 とドアごしに尋ねた。しかし、返答はない。美佳はドアを少し開 け、中を覗き込んだ。中は真っ暗だった。 −−私の考えすぎだったのかしら 美佳が安心してドアを閉めようとした時だった。微かな声が闇の 中から聞こえてきた。 「姉貴……」 美佳のノブにかかる力が強くなった。 その声は律子の咽び泣きの声だったのだ。 7 忘れもの 「梶谷くん、おもしろいもの、見つけたよ」 レストラン「ハイウェイ」のウェイトレス森口麻里は店内で開店 の準備をしていたウェイターの梶谷を、手を振って呼んだ。 「なんだよ、さぼってると益田さんに怒られるぞ」 梶谷はめんどくさそうな顔をしながら、麻里のところにやってく る。 「今、掃除してたら、これが椅子のところに置いてあったの」 と言って麻里が見せたのは金色の拳銃であった。 「おい、これは!」 梶谷が目を丸くして驚いたのを愉快そうに笑って、 「やだ、梶谷くん。本物じゃないわ、ただのモデルガンよ」 「なぁんだ。それにしてもよく出来てるよ。これなんか本物の金み たいだ。グリップにダイヤモンドみたいなのが埋め込んであるぜ」 「馬鹿ね。それもきっと偽物よ。大体、これが本物だったら、平気 で外に持ち歩くと思う?」 「俺ならどこかに隠しておくな」 「そうでしょう」 「しかし、この銃が本物だったら一躍大金持ちなのに……」 梶谷はため息混じりに言った。 「夢は見ないの。それよりかこれを持ち主に返した方がいいわ。お もちゃでも本人に取っては大事なコレクションかも知れないし」 「そうだな。この席に座ってた客なら見覚えある。確か若い女の人 だ」 「それなら今度来たら渡してあげなさいよ。でも、それをきっかけ にその人と親しくなろうなんてことしたら承知しないからね」 「わかった、わかった」 「こらっ!掃除は終ったのか」 支配人の益田の怒鳴り声が聞こえてきた。 「いけね。さあ、早く終らせようぜ」 梶谷は慌てて調理場に戻って行った。 8 朝 翌朝の姉はいつもとかわらず元気であった。かえって美佳の方が 当惑してしまったほどだ。 「姉貴、大丈夫なの」 「何が?」 「何がって……」 言い返されると美佳には言葉がなかった。仕方なしに美佳はこれ 以上、姉に何かを聞こうとも思わず、食べることに集中した。 「美佳、行儀悪いわよ」 美佳の物凄い食べっぷりに律子が呆れて言った。それは、とても 高校生の食欲とは思えなかった。 「うちでくらい気の向いたように食べさせてよ」 「でもさ、よくあんた、こんなに毎日食べて太らないわね。ブラッ クホールじゃないの、美佳のおなかは」 「ふんだ、食べることの楽しさを知らない人にはこの気持ちは分か らないですよーだ」 「そんなものですかね。あ、ほら、もう四十分過ぎてるわよ。学校 に遅刻するわよ」 律子が慌てて言うと 「もう十回以上遅刻してるんだから、今更気にするほどのこともな いわ」 と遅刻常習者は平然としている。 さて、美佳の方はいらいらするくらいのんびりと食事を終え、着 替えをすると、ようやく学校へ出て行った。 「全くあの子は時間というものを知らないのかしら」 律子はすでに八時二十分をさしている時計を見ながら言った。 その後、軽く流し場の片づけや洗濯を済ませ、律子は家を出た。 −−早くあの男のことは忘れなきゃ。 律子はそう心には言い聞かせていたものの、職場への足取りはと ても重かった。たとえ彼と別れたとはいえ、これからも毎日のよう に職場で顔を会わさなければならないと思うと、律子はどうにもこ み上げてくる怒りを抑えることが出来なかった。 どうにか駅前まで来ると、律子はふと喉の渇きを覚え、昨日入っ たレストラン「ハイウェイ」に入った。この店は昼間は喫茶店のよ うに軽食を扱っているのである。律子もよくコーヒーを飲みに行く 常連であった。 窓際の席に座り、注文を済ませると、五分ほどでコーヒーが運ば れてきた。 「どうもありがとう」 「あのう」 ウエイターが問いかけた。 「なにかしら」 「昨日、忘れ物なさいませんでしたでしょうか」 「え?」 律子は考え込んだ。物を忘れた記憶はない。 「金色のモデルガンなんですが」 「モデルガン?」 ふと律子の目の色が変わって「ああ、そう言えば忘れてましたわ 」 「やっぱり」 「私の妹がどういうわけかモデルガン好きで昨日も頼まれたものを 帰りに買ったんです。だけど、途中でなくなって妹に散々叱られて しまいましたわ」 と律子は照れくさいそうに笑って言った。我ながら自分でもよく こんな白々しい嘘がつけると律子は驚いていた。 「それでしたらすぐおもちします」 ウエイターの方は律子の言葉をすっかり信じきって、すぐに銃を 持ってきた。 「悪いわね、お礼よ、取っておいて」 律子はバッグから紙幣を取り出して、ウエイターに渡した。 「よろしいのですか」 「ええ。拾ったものを大事に保管しておいてくれたという気持ちが うれしいの」 そう言うとウエイターは喜んで紙幣を受け取り、戻って行った。 9 決心 一人になった律子は改めて銃を見直した。律子自身、本物を見た ことはないが、この金色に光る銃身を見ていると本物のような気が してならなかった。 律子がウエイターに嘘を言ったのも、彼を殺したいという衝動が ウエイターのふともらした「金色のモデルガン」という言葉に反応 したのかも知れない。 「もしこれが本物なら……」 律子は銃のフレームから横に弾倉を取り出し、覗き込んだ。 「これは……」 律子は目を疑った。弾倉には弾丸が入っているではないか。それ もBBダンなどというものではなく、金色に光る実弾であった。 律子はすっと立ち上がると会計を済ませ、店を飛び出した。その 時、バックに入れた左手は銃を握っていた。 10 怒りの弾丸 椎野律子はいつもと全く変わらず、加茂川物産に出勤していた。 ビルの八階の庶務課に着くまで、彼女はいろいろな思いを巡らして いた。両親との思い出や妹の将来のこと、また彼とつき合っていた 頃の楽しい日々。 しかし、庶務課のドアを開け、あの男、氷川栄二の姿を見た時、 律子の心は復讐に燃え上がった。 「椎野くん、おはよう」 氷川はにやにやと笑いながら挨拶してきた。 律子はきゅっと唇を結んで鋭い視線を返すだけだった。氷川は別 に動じるようすもなく、ただ律子の横を通る際に、 「あまり恐い顔はしないでもらいたいね。同僚が変に思うだろ」 と言った。 律子は氷川が部屋を出てからもしばらく立ち続けていた。 「おい、椎野くん、何をぼんやり立っとるんだ。仕事につきたまえ 」 部長がいらいらしたように言った。 「はい、わかりました」 その言葉は相手の言った意味はどうあれ、律子にある決心をもた らした。人間の心理とは不思議なもので相手が自分の気持ちに同意 してくれると自分の決心は一層強くなるのである。 律子はぱっと発作的に飛び出すと、バッグから拳銃を取り出した 。そして、銃を構え、まだ先の廊下を歩いている氷川に向かって叫 んだ。 「氷川栄二!」 氷川は振り向いた。途端に律子は撃鉄を起こし懇親の力を込めて 引金を引いた。びゅっと風を斬り、弾丸は飛んだ。 「うわあぁっ」 氷川の悲鳴が上がった。律子は無意識のうちにつぶっていた目を 開けた。 氷川は死んではいなかった。ただ、遠くの廊下での銃声に驚き腰 を抜かしただけである。律子の弾丸を阻んだものは目の前に立って いた。 「あなたは……」 律子は力を失ったように銃を下に降ろし、男を見つめた。男は金 髪の青い目の男だった。彼の白いコートの胸の部分はびっしりと血 に染まっている。 彼はゆっくり律子に歩み寄り、今にも倒れそうな律子を抱き止め た。 「これで気が済んだかい」 彼は優しく問いかけた。 「どうして……あんな男をかばったのよ」 律子は男の胸で泣いた。 「君はあんな男のために人生を捨てるのか」 「人生……私の人生は総て彼だったのよ。両親でも妹でもない彼だ けだったのよ。だから、私の人生が終ると同時に彼にも消えてもら うの」 「それは君の本当の言葉じゃない。君は一時の衝動に自分を失って いるだけだ」 男は律子の肩に軽く方を乗せ、言葉を続けた。「この銃はおもし ろい銃でね。人が激しい感情を覚えた時だけ、撃てるんだ」 「まさか、銃に感情なんてあるはずないわ」 「だったらいま一度撃ってみるといい」 律子は男から離れ、銃を構えた。氷川は驚いて床を這って逃げる 。しかし、二度とその引金は引けなかった。 「な、なぜ……」 「君の復讐欲が薄れてしまったからさ。つまり君が自分の理性を取 り戻したっことさ」 男は律子を見つめた。優しい澄んだ瞳であった。「あの男は殺す にも足りぬ男だ。ここでやめとけば、ただの冗談ですむ」 「冗談……だってあなたの胸にはこんなに血が流れているのに」 男のコートから床にぽたんぽたんと垂れている血を見て、慌てて ハンカチで傷を覆った。 「俺の体など取るに足らないものさ。またすげ替えればいい」 「そんなこと、できるわけ……」 突然、男は律子を引き寄せ、唇で言葉を封じた。律子は驚いたよ うに男を見ている。 少しして男は律子を離し、律子の手にしていた拳銃を取ると元の バッグにしまい込んだ。 「消える前にちょっと楽しませてもらったよ」 「あなたは……いったい誰なんです。どうして私を助けてくれるん です」 「俺の名はフェリカ。君を助けたのは俺ではなく、拳銃さ」 男は背を向け、律子を残して去って行く。 「フェリカ……」 律子は呆然としたまま、立ち尽くしていた。 エピローグ 「へえ、これ本物?」 夕食の時間、美佳は台所で律子に手渡された金色の銃を見ながら 言った。 「ええ。いつのまにか私のバッグに入っていたの」 「でもそうだとしたら凄い価値よ。だって全部金でしょ。おまけに グリップにはダイヤモンドまでついてるし」 「だからといって売るようなことはしないわ。たとえ一億積まれて もね」 「なんで?」 「これを持っていれば、必ずまた彼に会えるような気がするの」 「彼?」 「そうよ。長身で、金髪で、かっこいい外国の男性よ」 律子は目を輝かせていった。 「ふうん」 美佳はこんな姉にそんな男がつきあってくれるはずはないと思い ながらも、律子の笑顔を見て、ちょっと安心した気分になった。 「復讐の弾丸」終わり