風のとても強い日だった。   「あのう、・・・。」   「はい?」   「もしよろしければ、すこしだけ、時間いただけませんか?」   それは、とても目元のくっきりとした私好みの女の人であった。私は、そういっ た人にしばしば心誘われたことがあった。ただ、瞳がきれいだといっても、目の 大きな人だけは、当世では、変わり者といわれるかもしれないが、御免被りたい。 私は、幼稚園へ通っていた時分、もしくはそれ以前に、お人形なるものを大変こ わがっていたのを、大きな瞳をもつ人を見かけるたびに、思い出す。    彼女の目は、おおきくも、かといって小さくもなく、それでいてどことなく、  猫を思い出させるのだった。      「はい、よろこんで。」   初対面なのに、それに加えていつも優柔不断な私は、自分でもあきれるくらい素  直に彼女の促す方へと、足を運んでいった。   後ろから、付いてくる私を彼女はどのようにおもっていたのか?風になびくその  長い髪は、彼女の踊る胸中を私に、知らしめていたのだろうか?   私たちは、大学の構内の人込みを避けるようにして、歩を進めた。彼女が足を止  めたのは、もう誰の目にも、とまらなくなった花の散り切ってしまった桜の木で あった。彼女は、そこで振り返ると、黙って私の瞳を覗き込んだ。   「・・・・・・・・・・・・。」   こういう時、男の方から声をかけてあげるのが、道理だろう。しかし、残念なこ  とに、私はごく当たり前の、その性分を持ち合わせてはいなかったのだ。女の人と  は、平生口をきかないこともあり、その時の私の頭の中といったら、ただただどこ  までもつづく四次元のまっしろい空間を漂うとんぼのさながらであった。緊張感 は、極度に達した。なぜ、そうなるのか?私には、ようやく合点が付いた。彼女に 声をかけられて、その瞳に、吸い込まれそうになったその刹那に、私は彼女に恋し  ていたのかもしれない。電光石火とは、このことをいうのか。   ええい、どうにでもなれ。   「どんな御用ですか?」   ああ、この私は何を言っているのか。聞くまでもないじゃないか。だめだ、完全  に舞い上がってしまった。いやな性分だ。と、   「こんなところへ来てもらって・・・」   「あっ、いいのいいの、」   「わたし、好きなんです。」   「・・・・・・・・・・・・。」                     人を好きになるって、一体どういうことをいうのだろうか?もしそれが、ある人  に好意を他の人以上に抱くことだとしたら・・・・。   何故好きになるのか? やはり第一印象だろうか? そうすると顔か、それとも  スタイルか? どちらも否定はできないが、なんといってもその人のしぐさや表情  であろう。   ある人を好きになって、半ばで嫌いになった、などといったことをよく聞く。原  因は、その人の思いがけない面が、露呈することに大半がある。だが、本当にそれ  だけであろうか?嫌な部分が出てくる前に、それを補ってもまだお釣りを残すよう  なその人の素晴らしさを発見する事が、出来なかった方にも、原因があるように思  われる。発見とは、創造だ。想像であってはならない。−−−それは無論、ひの人  と向かい合った時のことである。−−−そして、好きな人を、思い出す時にのみ、  想像は許される。     「・・・・・・・・・・・・。」   私は、返答に窮したままである。このままでは、彼女が悲しむことは、目に見え  ている。はっきり言って、非常に贅沢な悩みである。男としてこれほどうれしいこ  とはそうないだろう。しかし、選択は火急のものだ。選択・・・?   我々の人生に、幾度となく現れるあの選択だ。人生というものが、すべてこの時  には些細なことであり、また時には非常に大事なものだと感じられる選択に、支配  されているとしたら・・・、我々は何をすべきか? そう、選択の幅を拡げられる  よう努力すべきなのではないだろうか?   人は、こう言うかもしれない。人生なんてものは恋人たちが、赤い糸で結ばれて  いるのを感じたときのその糸のようなものによって、すべての人間が支配されてい  るのに、誰でも一度は、自分の意志の反映だと感じたことだろう。   そうだ、それが人間にとって大切なことなのだ。人生を自分の意志の反映である  と思うことは、裏がえせば、悲観かもしれないが、−−−というのも、往々にして  そうなのだから仕方がない−−− より、能動的な生き方、つまり人生の満足感に  繋がることだろう。   「そうですか。ありがとう。」   これから、どうしたものか? ・・・・・・・・・・・。何も考えが浮かばな い。何かつづきを・・・・。えーと、えーと、・・・・・・・・・・・。   彼女にとって、私の次の言葉を待つのは当然である。このままだと、優柔不断な  奴だとレッテルを貼られてしまいかねない。といっても、気は急くばかり・・・・  ・。思春期を迎えてから−−−当然それ以前も −−− 女の人と一度も付き合っ  たことのない私にとって、こんなのぼせ上がるような、嬉しい気持ちは、はじめて  だ。これが、普通の、年頃の男達が女の人を追う、最大の所以なのかもしれない。   「どこか、落ちついた所でゆっくりとお話しましょう。」   い、言えた!   「はい。」   彼女の声は、弾んでいた。      とりあえずは、うまくいったという感じだ。これから、何を話そうか?我なが  ら、贅沢な悩みだ。だが、やはり、ここで自分の心を確かめなくてはならない。私  が、今彼女のことをどう思っているかを。   好きなのか、それとも嫌いなのか、やや性急な問いかもしれない。しかし、よく  よく鑑みれば何ということはない。今、私が答えねばならない問いとは、私が、こ  れまで、人に会う度におこなってきた、第一印象からの判断というものであり、そ  れは、人が社会に出て、人ずれを繰り返す毎に、否応なしに培われていくものなの  だ。何か、とても悲しい面−−−人を外見で判断するといったこと−−− が、感  じられるかもしれない。だが、強調すべきところは、そこではない。背徳だと、思  われるかもしれないが、外見から見た第一印象こそ、我々が、好むべき直観的な、  素晴らしいものであるといえるだろう。   社会では、「人を外見だけで、判断してはいけない。」と教化している。もちろ  ん一理そこにあり、否定するつもりは毛頭ない。その上で、「人間は、順応するこ  とに秀でた生き物である。」ということを、考えてみてほしい。しかも、その順応  することのよって、我々は最初の直観を忘れ去り、そこに甘んじ、さらにはそれを  欲するようになる、言い換えれば、その状態の継続を要求するようになり、あげく  の果てには変化を恐れるようになるということが、可能性として大なのだ。      私たちは、近くの喫茶店で、向かい合った。   「ところで、僕の名前知ってるの?」   「いいえ。」   「じゃあ、何か知っていることがあったら言ってみて。」   「ごめんなさい。私なにも知らないの。」   「いや、謝ることはないんだけど・・・。」   「私、電車の中で初めてあなたをみたの。」   「それから?」   「時々、学校の中で見かけたりしてたのだけれど、去年、実を言うとあなたと同  じ講義をとっていて、いつも見てたんです。それだけです・・・。」   「・・・・・・・・・。」   「これじぁ、いけませんか。なにか変ですか?」   「いや、ふと人を好きになるって、いったいどんなことなのかな、と思って・・  ・・・・・・・。」   「あっ、そうだ!名前言うの忘れてた。」   もう、すでに心臓の鼓動が聞こえるような緊張感は、そこにはなかった。彼女の  性格が、そうさせたのか。彼女と私が、同じ空間を初めて共有した時、私に声をか  けてくれて、私がそれに答えた時の不安というか、戸惑いというのか、件のゆう  な、つまり血液の流動を感じることはもうなく、私はもう彼女の心に自分の心を近づ けようとしていた。不思議な気分だ。   「私、早乙女 綾 といいます。」   「僕・・・・、じゃなくて俺、古賀 武 。」   「僕と俺、どっちが好きなの?」   「へっ、あぁ。」   まいったなぁ、どうしようか。ええい、情けないがいいだろう、しゃべってしま  えー!   「それはね、長くなるけど聞く?」   「ええ、もちろん。」   「あれは・・・、はっきり言うと悩んでるんだ。」   「どうして?」   「女の人の前で、俺って言うとなんかかっこつけてるみたいで・・・・・・・。  それで仕方なくっていうのは、おかしいけど僕って言っているんだ。でも、僕とい  うのにも違和感をすごく感じているんだ。というのも自分で「僕」の中に、ある形  の甘えのようなものを実感しているからなんだ。」   「ふうん、大変ね。」   「情けないよ、我ながら。」   「そんなことないよ。」   へっ?あぁよかった。小学5年生の時のことをいわないで・・・。あれは、忘れ  もしない8年ぐらい前の小学校での出来事である。   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   「こらーっ、まてーっ。」同じクラスの数人の女の子の声である。   私は、何故かその些細なケンカの原因と思われる男の子と一緒に階段を駆け下り  ていたが、賢かった?私は、自分は全くの部外者であることに気づき足を止めたの  である。女の子達は、私を通り過ぎていき、なんのこっちゃ、と私が思っている  と、一人、−−−私は別にその子が好きであった訳ではない−−−クラスで一番頭  がよくて、かわいく、とても品のある女の子が私の前に立ちはだかったのである。  私は、臆していたのだろう、いつも「俺」と、女の子と話していたのに、「僕じゃ  ないもん。」・・・・、あぁ、これがすべてだ。そこには、もしかしたら、照れく  ささがあったのかもしれない。これがいけなかったのだ。これで何もなければ、こ  れ以降わたしが「僕」について、何も悩むことはなかったのだが。彼女は、「僕  じゃないもん、僕じゃないもん」と繰り返したのである。パニックだった。・・  ・以上である。「僕」の中に、女の子に対する甘え、照れくささ、その他のもろも  ろの要素が含まれているのに気づいたのは、そのときである。   こんなことで、−−−私にとっては、死活問題だが−−−悩んでいる男は、この  世に私の他、何人いるか・・・・ふぅ。阿呆らしいよなぁ・・・。   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   でも、不思議だ。もう私の心は彼女に近づきたがっている。自分のことを、もう  こんなにも、暴露してしまうとは・・・。    「でも、女の人っていいよね。だっていっしょう「私」なんだから。」   おいおい、情けない己だけの不満をぶつけてどうする気なんだこの私は。   「そうかもしれないね。」   そう言うと彼女は、笑みを浮かべ、メロンソーダーの入ったグラスのストロー  に、手をかけた。そのメロンソーダーは、私が最初にオーダーしたのを彼女が真似  たものである。メロンソーダー・・・・、そう、思い出がたくさん蘇るメロンソ  ーダー・・・。60円の瓶の、瓶を返しても10円返ってこなかったメロンソー  ダー・・・。あのチェリオは、返ってきたのに、10円返ってこなかった、けど  60円に少ない小遣いから、心引かれたメロンソーダー。   「あぁ、おいしい!」   私は、彼女がもう愛しくなっていた。   「あの・・・」と、私が言おうとすると、   「メロンソーダーなんて、ちょっと変わってるね。別に変な意味じゃないのよ。  でも、何かいわくあいそうね。」   ギクー、ギクー。   「そ、そうかなぁ?」   「あーっ、何か隠してるー!」   もう彼女にとって私は、同じ空間を認め合っている一人の人間として意識されて  いるのだろう。   人と人が、同じ空間を共有するとは、いかなることか。我々は、一人一人個別に  知覚活動その他をおこなっている。しかし、言葉や思想を持っている以上は、それ  が他の人とのかかわり合い以外の所から生まれ出ることは希有であり、0とも言え  るだろうから、真に個別的である人は、たとえ仮に今没交渉であろうとも、過去に  おいて否定できないだろうから、存在しないといえる。がしかし、やはり面識を持  たない何億という地上の人々が存在する点で、またその限りにおいて、我々はその  人達と空間を異にしているといえる。俎上に載せたところの趣旨はたったそれだけ  のことなのである。見知らぬ人と初めて声を交わしたとき、我々を包み込む清らか  な気分はどうだろうか?無論、残念ながら我々の中にはそういった心をもたないも  のが大勢いる。例えば、無意識のうちに、人を無視している者である。これは、  けっして気が付かなかったというものではない。いうなれば、気づこうとしない、  あるいはその力をもう失ってしまったのか、哀れな存在と化した人間である。   心と心が、触れ合った刹那から互いの空間は、次元を同じくする。いつも、いら  いらしている人間には無理だろう。その素晴らしさに、自分で気づくまでは・・ ・。何故かといえば、その人はもう常にいらいらしていることに慣れてしまってい  るのだから・・・。我々は、慣れっ子だ。が、それが良くても悪くても、一度慣れ  てしまうと・・・。   「べ、別に何もかくしてなんかいな・・・」   「うそだっー!」   もう、お手上げだ。勘弁してくれよ。私の顔を伺いながら彼女は、ストローに口  をつけている。私の好みかもしれない。好みって何だ?こんな言葉があったっけ。     「我に似なば、非も是とし、                 我に異ならば、是も非となす。」(マルセル)     そう、私が好む人、心引かれる人、それは男であっても女であっても、その人の中  に私が感じらける−−−過去、現在どちらでも−−−人なのだ。心引かれた人をよ  く見ると、その人に今はもう失ってしまった自分を見たり、あるときは自分に目元  が似ているといったことが、よくある。   「と、ところでさあ・・・」   「ところでなによ。」   な、なんなんだ?私が何をしたっていうんだ。   真っ黒なテーブルの上に、緑色の液体が二つグラスに入っている。グラスの底か  ら円い形の無数の泡が、とめどもなく出てくる。泡・・・、あ・わ・、といえば、  シャボン玉って泡なんだろうなぁ、やっぱり。でも、シャボン玉をはしゃいで飛ば  していたころは、歯がゆい・・・・何が?・・・・・シャボン玉のうたが・・・。  本当の意味も知らずに、その一番を口ずさんでいた私は、困った奴だよまったく。  子供だから云々は、したくもないし、されたくもない。ああいった「うた」には、  裏・・・子供には気づかない・・・が多い。とすると、子供には哀愁がないのか?  すべてが、経験つまり、生きている長さによって、感じ、思い、悩むことができる  ようになるのか?純粋さの中には、求められない物なのだろうか・・・・哀愁を。   そう、私が彼女に今感じているのは哀愁。誰の?誰だろう、自分でもよく分から  ない。もしかしたら、自分の追い求めていた影も形もない、虚空の人・・・なの か。   「ねぇ、ところでなによー。」   「へっ?」   「どうしたの?」   「何が?」   「もう、いいわ。」   「ああ、よかった。」   「そうみたいね。」   「はっはっはは。」私たちは、所を忘れて笑い続けた、が、彼女が   「しーっ!」と言うと一瞬の沈黙が私たちを包みこんだのである。   出会って初めての共感。それは、笑いであった。でも笑いといえば、嫌なことも  あった。おっと、また口を滑らす所だった。   哀愁とは、思い出かもしれない。この時に限ってのことだが。初対面の人を見て  ある程度、自分の方が異性を欲している、己のうちなる性のエネルギーが高まって  いる、心の状態が静かであり理性などといった所任せのものに支配されていない人  間としてもっともらしい状態である時に、異性に心引かれることがある。その時の  イメージは、我々の心に住みつくのである。このイメージとは一体、何であろう?  美しさ?愛らしさ?悲しみ?憎しみ?楽しさ?見下し?畏怖?驚き?それとも、思  わず抱きしめたくなるほどの気持ちだろうか・・・?それが、いずれにせよ、心に  残る。我々のこの一つ一つの経験は、それぞれが一回きりであり、同じイメージが  脳裏に描かれたとしても、あくまでそれは以前の経験との比較に過ぎない。言い換  えれば、初めてのイメージ・・・何とも表現のしようがなかった心の動きは、二度  と現れてはくれない。我々はいくつくらいのこういったイメージを持っているのだ  ろうか?このようなイメージに至るような心の動きを、創造という言葉に換言して  みるならば、イメージの数が数えられるとしたら、その増加にともない創造ができ  なくなるという場合が考えられるだろう。しかし、認めたくはなかろう。創造は、  発見だ。そうとも、もう地上のありとあらゆるものを発見してしまったよなどとい  う人がいるはずはない。でも、ここで落胆から逃れられたわけではない。まだ、創  造において、その力とイメージの我々の内部での働きの疑問が解決されてない。   その力には、個人差がある。だが、これは生来のものなのか?それとも、環境の  せい?じゃあ運命か。こればっかは、ここまで書いたがなんともいえない。不毛の  理論に終止してしまいそうだ。   イメージ、つまり第一印象だ!それが、神秘的でもっとも純粋なもの!それを、  携えて−−−人を何らかのものと、目にも心にも見えず曖昧なイメージで比較しよ  うと、意図に関わらず待ち構えている−−−人と接することしか我々には出来ない  のであろうか?第一印象−−−これは、比較でない−−−の素晴らしさは、ここよ  り生まれ、ここに在る。   つまらない例を挙げよう。学校の先生が生徒にある物語を読ませて、感想を書か  せた。初めて読んだ感想を第一感想文、それ以降を二、三・・・としていく。が、  この時の、第一感想に当たる物を、私のいうイメージと捉えてもらっては困る。こ  の時、生徒はどうやって感想を書いただろう。そう、書く以上それは彼の経験との  比較であり、回数が増すにつれて、それがより正確になるだけだ。   じゃあ、イメージって一体・・・?何なんだ?   彼女に出会って、以前−−−いつからかは、知る由もないのだが−−−から私の  中でじれていたイメージが、はっきりとわかったのだ!そして、今彼女を見る時、  彼女に映し出されたものが、イメージ・・・、私は、彼女に誰をみたのか?   「ねえ、私のこと今どうおもってる?」と彼女。   「うーん・・・。」故意に間を置く自分が幼稚に思えた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・。」彼女は黙ったままである。   「そうだなあ、どう答えたらいいのかわからないというのが正直なとこかな。」   「・・・・・・・・・・・・・・・・。」彼女は賢い・・・私は思った。よく、  こういつたケースでは何を思ったか、いきなり「好き?嫌い?」などと問い詰める  ことがあるようだが。彼女は違った。いや、むしろそれが普通であって他が尋常で  ないだけかもしれない。でも、少なくとも今私の脳裏を巡った考えは、彼女を何ら  かの形で美化しようとしている自分を如実に物語っていた・・・。好きなのかもし  れない。が、本当にそうなのか。   私にはいつも女の人に興味を引かれた時、その原因となるものに共通するところ  があるのを自覚している。それは、こういうことである。その人の老いた姿が想像  することができない、ということなのだ。それは何も顔が若作りだとかいうことに  よることは、皆無に等しいであろう。   彼女には、それがいえた。だが、もっと確実なものを心に留めて置きたいのが私  の性分なのである・・・。   こうだから、いつまでたっても・・・なのかもしれない・・・トホホ。   「付き合ってもいいけど・・・」   「けど・・・?」   「君を後悔させないよう努力してみる。」ああ、なんてこと言ってるんだ。私は  刹那にこの言葉が、彼女の男を見る目を疑うことにもなることに気が付いた。   「ありがとう・・・」   よかった。彼女はいい方の意味でとってくれたみたいだ。ひねくれ者の私には少  しもったいない人かもしれない。   だが、私にとってはまだ、彼女に何かを見ることができたわけではない。何もそ  う焦らずともよかろうに、と読者は思うかもしれない。けれどこれも、私の性分な  のだ。一言でいえば心配性なのである。逆説めいてしまうが、この解決には、時間  か意志による忘却が一番であることを、私はしっている。   ここで、人の表に現れる性格等について考えてみたい。ここでは、他人に対して  の自分が発見するものについて。   我々が人と接しているとき、感じる物、それは何だろうか。それは相手の気持ち  であろうか、それとも己の気持ちであろうか。この区別には注意されたい。   相手の気持ちを我々が意識したとき、我々は何を思うか。   無論、この場合相手の気持ちをつかみ取ることができるか否かという点に大前提  を掲げることができよう。けれども、今はそれを除外し世間一般を残念ながら信用  することにして、つまり誰もが相手の心の動きを把握出来るものとして、その気持  ちと性格との関連性を考えたい。   例えば、目の前に平生心中穏やかでない人がいるとしよう。この人に我々は、何  を感じるか?嫌な人とか、近寄りたくない人とか、可哀相な人と感じてくれるので  はないだろうか。   しかし、それで彼の心理を見たなどと思ってもらってもこまる。あくまでも、そ  れは彼の心の動きのほんの一部が表に出てきただけであり彼の心の内奥を感じたこ  とにはならないのである。   では、彼の心の現れを見れば見るだけ彼の心理を知ったということになるのであ  ろうか。   そうではない。これを説明するのに、心理を勝手に定義してしまう。       (単に、語彙が足りないのを、隠すともいう。)   心理:ある人の、周りの環境がその人に影響を及ぼすといった時、それは何に対し てであろうか。そう、それが心理なのだ。 心理は人により千差万別、よってその人のその時における性格の手持ち、つまり、 表に出す可能性のある性格の数のようなものは、たとえ環境がすべて同じという人 がいたとしても全く等しいということはあり得ない。このことから、留意すべき点は 我々は決して、同じ状況に置かれている複数の人々をそれがために、同一視してはな らないということである。 また、よく、「近頃あの人変わったね」ということを耳にするが、人の性格というも のは、ある人の性格の一部の現れでしかないから、一個の性格がその人の全人格を支 配しているかのように考えるのは、どうだろうか。   ある日、わたしは「僕」「俺」「私」の決定的な違いに気付く。「僕」とは、自  我を自分の前面に全部さらけ出す、もしくは押し出すのをためらった状態であると  いうこと。自分が相手に対して、萎縮していたり、畏怖していたり、自己を卑下し  ている時に「僕」と言うこと。・・・・・・・・・・   「今度の日曜日?うん、大丈夫よ。ありがとう。」  生まれて初めてのデートだ。しかも自分からさそってしまった。万ざ・・い!?  異様に浮かれている自分に気付くのだった。    続く・・・・・・・、かなぁ?