道 僕は住宅街の一軒家に住んでる夫婦の長男なのだ。僕は一人っ子 で、甘えられるので、とっても幸せなのだ。 僕の名前は太郎と言うけれど、他人は僕をガキと呼ぶのだ。とっ ても失礼なのだ。 僕は今、とっても不満なことがあるのだ。それは僕の家の前の道 のことなのだ。その道は昼間でも薄暗いから、夜になると真っ暗に なるのだ。人と擦れ違っても、どこの誰だか全然わからない。 けど、そのくらいなら別にどうでもいいのだ。相手の顔がわから なければ、挨拶しないで済むから。 僕が気に入らないのは、自転車なのだ。最近の自転車乗りは夜で もライトをつけないのだ。それはとってもいけないことなのに、ポ リ公は取り締まってくれない。野放し状態。おかげで自転車乗りは いい気になって、ライトを付けないまま平気で夜道を走っている。 それが一台なら僕は許す。しかし、その数は十台や二十台ではきか ないのだ。この間など、僕は風呂帰りにアイスクリームを食べなが ら歩いている時に、後ろから自転車に衝突され、顔面、クリームに なってしまったのだ。僕は何もしてないのに、こんな横暴が許され ていいのだろうか。いいや、許せん。 これから、僕は担任の高木矢三郎が言った「攻撃は最大の防御」 という言葉通り、逆襲に出るのだ。 その作戦こそは「道の真ん中漬物石作戦」なのだ。要するに適当 な道の真ん中に夜だけ漬物石を置くのだ。ただそれだけ。しかし、 この作戦に僕は自信があるのだ。というのも、ライトを付けない自 転車乗りは馬鹿なのだ。だから、この程度で十分ひっかかる。 さっそく、一回目を実行したのだ。 おかんに黙って持ってきた漬物石を家から離れた道の真ん中へ置 く。 翌日、案の定、自転車が石に躓いて、こけよったという噂が流れ てきた。ざまあみさらせだわさ。 僕はこれに味をしめ、今度は石の置いてある道を見張ることにし た。深夜、こっそり家を抜け出し、道に石を置く。 酔っぱらいの乗る自転車がライトをつけないまま、さっそくやっ てきよった。結果は石につまづいて、横転。酔っぱらいは目の前の 石に当たり散らしながら、よろよろと自転車に乗って、去っていき よった。 結局、その夜は三人の自転車乗りがひっかかった。僕は自転車の ずっこける様子が面白くてたまらなかったのだ。何度見ても笑える 。これは下手な遊びよりやみつきになるのだ。 それからというもの、僕は見張りはしなかったが、石を毎夜、置 き続けた。そして、翌日の自転車乗りの失態を噂で聞くのが、楽し みになったのだ。使命感よりも遊びになってしまった。まあ、これ で自転車乗りもきちっと自転車にライトをつけるだろう、と僕は思 ったのだ。 ところが、十日ほどして石が道の真ん中からなくなるようになっ たのだ。僕が朝になって取りにいくと、いつも石がなくなっている のだ。僕はめげずに五日ばかり石を置き続けた。しかし、石も意地 になってなくなっている。 僕はおかしいと思ったのだ。それで、また見張ることにした。 そうすると、午前零時頃に娘がやって来て、石を両手に抱えて持 っていってしまった。娘は小学生で、僕と同じくらいだったのだ。 僕は跡をつけ、つい途中で声をかけてしまったのだ。 「君はどうして石を持っているんだ」 娘はこんな夜分に小学生に声をかけられて、妙な気分だったに違 いない。でも、娘は驚く様子は全くなかったのだ。 「わたしは道の真ん中にあった石をどかしているの」 「なぜに、君が?」 「暗い道にこんな石があったら、危ないから」 「でも、転ぶのは自転車にライトをつけない輩だけだ。そんなやつ らのことは心配する必要ねえと思うけど」 「父は帰り道にこの石でつまずいて、頭を打って、働けなくなって しまったの」 「君の父は自転車じゃなかったのか?」 「父は歩いていて転んだの。酒によってもいなかったし、目が悪い わけでもなかったの」 どうやら娘は僕が石を置いた犯人と見抜いているようだった。で も、なぜか娘はそれを咎める様子はない。 「それで、石をどかしているのか」 「そう。これ以上、不幸を増やしたくないから」 娘の目は悲しみに満ちていた。僕はすごく気が咎めたのだった。 僕は何の罪もない家庭を踏みにじってしまったのだ。 「君……実はこの石を置いたのは僕なんだ」 僕は正直に娘に告白した。 「そう」 娘は素っ気ない返事だった。 「怒らないの?憎まないの?」 僕は不思議でならなかった。 「もう終わったことだもの。それに、あなたにはあなたの考えがあ るし、わたしにはわたしの考えがある。だから、別に咎める気はな いの」 僕は娘の気持ちが理解できない。 「明日は来なくてもいいよ。もう置かないから」 「ふうん」 娘は顔色一つ変えなかった。 「ほんとにごめん。僕は一生かかってもつぐないきれないよ」 「償う気があるなら、父の見舞いにきて。深山病院の505号室。 緑川を訪ねるといいわ」 「君の名前は?」 「明日香よ」 「いい名前だね」 「あなたは?」 「石川太郎」 「そう。さようなら」 娘は石を抱えて、そのまま帰っていった。 僕は何だか明日香という子に恋した感じだったのだ。 一週間後、悩みに悩んで、僕は緑川氏の入院先の病院へ訪ねたの だった。緑川氏は頭を打ったショックで、下半身が動かなくなった という事だった。 緑川氏は明日香と性格が似ていて、僕が白状したのに、怒りもせ ず、気にすることはないと僕を励ましてくれた。 「君は君の使命感でやったんだ。それでよろしかろう」 「でも−−」 「失敗は恐れちゃ、駄目だ」 「はあ」 僕は何とも面食らうばかりだったのだ。 「ところで、明日香さんのことを聞きたいんですけど」 僕は一番聞きたいことを尋ねたのだ。 「娘は死んだよ」 緑川氏は普通に言った。 「え?」 僕は目を丸くした。 「三日前に夜道で自転車と衝突してね。その時に頭を地面に強く打 ってしまったんだ」 「そんな−−」 僕は茫然としてしまったのだ。あの子が死んでしまった。僕の心 に大きな穴が開いてしまったのだ。 「人生なんてそんなものだよ、太郎君。ひょっとして僕が君の置い た石に転ばなかったら、僕は自転車か何かと衝突して死んでいたか も知れないんだからね。だから、太郎君、君は君の考えで動きたま え。振り返る必要はない」 その夜から僕はまた決心したのだ。また夜道に石を置き続ける。 これがいいことか悪いことかなんてわからない。ただやりたいから やるのだ。今度は遊びではなく、使命感だった。