殺し屋K・Dシリーズ2 暗闇の殺し屋 1 真昼のうだるような暑さが夜にまで引き継がれた感じで蒸し暑か った。時々、そよぐ風もほんの気休め程度。 草むらの中では季節外れの虫が鳴き、うっそうと生えた林の奥の からはカサカサと枝の搖れる音がする。 また、ぼんやりと灯る街灯には蛾が目まぐるしく動き回っている 。 真夜中は全ての万物の憩いの場。昼間、子供に散々痛めつけられ たブランコも滑り台も今は静かに眠っている。 「暑いわね」 渡辺栄子は右手で額の汗を拭った。 彼女は先ほどから公園内をウロウロとしていた。彼女の興味は浮 浪者にあるようだった。歩きながら、ベンチや木のそばに転がって いる浮浪者を見つけると、遠くからそうっと歩み寄って、顔を覗き 込んでいる。ちょっと他人から見れば、彼女の行動は奇妙に思われ ても仕方がないが、彼女自身は全く気にならない様子であった。 「これじゃあ、きりがないわ」 栄子の口から溜息がもれた。さすがに浮浪者捜しを二時間も続け ると、いい加減疲れてくる。 栄子は近くのベンチに座った。 とその時、足で何かを踏んだ様な気がした。栄子はそっとベンチ の下を覗き込んだ。−−そこには気持ち良さそうに眠っている男が いた。 「いたわ」 彼女の口元に笑みがこぼれた。 栄子はベンチから腰を上げ、さっそく男をベンチの下から引っ張 り出そうとした。 「ん?何だぁ」 男は寝ぼけた声を出した。 「ちょっと重いわね。早く出てよ」 栄子は足を踏ん張って男の服を引っ張りながら、言った。 「うるせぇなあ」 男は仕方なくごろごろと転がって、ベンチの下から出てきた。 「さぁ、起きて」 栄子は男の背中を叩いた。 「あんた、誰?」 男は重たそうな目で栄子を見ながら、尋ねた。 「依頼人よ。−−それより臭いわねぇ」 栄子は鼻をつまんで「少しはお風呂に入ったら」といった。 「大きなお世話だよ」 男はふてくされて言った。 「悪かったわよ。それより、あなた、お金欲しくない?」 「いらねぇよ。毎日、寝てられりゃ満足さ」 男は栄子に背中を向けた。 栄子は少し考え込んで 「ふぅん、ずいぶん人がよくなったのね、Dさん」 「何だ?」 「十年前、香港マフィアから恐れられたあなたも今は浮浪者とはね 。最初に知った時は絶望したわ」 「絶望したんなら、とっとと消えてくれ」 「そうもいかないのよ。あなたを捜すために時間と費用がかかって んだから」 「無駄足だったな。他をあたってくれ」 「冷たいのね。昔のあなたなら、報酬次第で誰でも殺したのに」 「時代が変わったんだよ」 「ただのゴミになったのね」 栄子は皮肉っぽく言った。 「何だと」 男は起き上がって、栄子を見た。 「だって、そうじゃなくて。あなたから殺しをとったら何が残ると いうの」 「ずいぶんなこと、言ってくれるじゃないか」 「私はあなたを信頼してるのよ。それだけはわかってほしいわ」 というと栄子はゆっくり歩き出した。 「おい、待てよ」 男はややあっけに取られて、栄子の後を追うように立ち上がった 。 「引き受けてくれるの?」 栄子は立ち止まった。 「ああ……引退試合はやってなかったからな。仕事納めだ」 2 「あんたの名前は?」 K・Dはバスルームから上気した顔で出てくると、リビングルー ムのソファにくつろいている栄子に尋ねた。 ここは渡辺栄子の住むマンションの一室である。 「渡辺栄子よ」 栄子はグラスのウィスキーを口にしてから言った。 「俺の服、知らないか」 Dはバスタオルを腰に巻いたまま、キョロキョロと見回して服を 探している。 「服なら処分したわ。あんな汚い服、見てるだけで不愉快だわ」 栄子はソファから腰を上げると、寝室の方へ歩いていった。そし て、しばらく中にいた後、衣類を持ってリビングルームに現れた。 「弟の服と下着だけど、着てみて」 といってDに束ねた衣類を手渡した。 「ああ、済まんな」 「バスルームで着替えてね」 「わかってるよ」 Dはまたバスルームの方へ戻っていった。 程なくして、Dが服を着替えて出てきた。 「なかなか似合ってるじゃない。きっと体格のいいせいね」 「ちょっと袖のあたりが窮屈だが、新しい服はさすがに気持ちがい いぜ」 Dはまだ湿っている髪を無造作にかきあげて、機嫌よさそうにソ ファに座った。 栄子はDにも氷の入ったグラスを渡して、ウィスキーを注いてや った。 「弟はどうしたんだ?」 とDは尋ねた。 「死んだわ、去年」 「事故か?」 「車にひき殺されたのよ。まだ十八だったわ。初めての月給をもら って帰る途中でね」 「犯人は?」 「捕まってないわ。だから、あなたに頼むの。弟を殺した犯人を捕 まえて、私の前で殺してってね」 「何か手がかりはあるのか」 「ないわ、全然」 栄子は首を横に振った。 「それを俺に捜せっていうのか」 「そう、三日以内にね」 「無茶だ。俺は探偵じゃあない」 「約束は守っていただくわ。報酬は三千万。犯人を捕まえ次第、す ぐに私に連絡して」 「勝手な女だな」 Dはグラスのウィスキーを一飲みした。 「あなたは私の父を殺したんだから、それぐらいやって下さっても 当然だわ」 栄子はDをじっと見つめて言った。 「あんたの親父を?俺が?」 「十六年前だったわ。あなたは当時、商事会社の専務だった渡辺雄 一を殺したのよ。強盗を装ってね」 栄子の言葉には力が込められていた。「あなたは十年間、男手一 つで育ててくれた父を私の目の前で殺したわ。あなたにとっては所 詮、ただのビジネスの一つに過ぎないでしょうけどね」 「そんな俺に仕事を任せられるのか」 「過去は過去よ。私情を挟むつもりはないわ。ただあなたには確実 に仕事をやってほしいだけ」 「冷静な女だな、あんたは」 「そうね、覚悟を決めた時は得手してこういう気分になるものよ」 栄子はふふっと謎めいた微笑を浮かべた。 3 Dはマンションから出ると、路上を見回して人気のないのを確か めると、足早に近くの電話ボックスに入った。 そして、テレホンカードで電話をかけた。番号を押す指はかなり 手慣れたものがあった。 三度ほどの呼び出し音の後、電話がつながった。 「所長ですか」 とDは受話器を手で覆うようにしながら、低い声で話した。 「浜本か?」 「ええ」 とD−−ではなく浜本が言った。「あの女が接触を取ってきまし たぜ」 「それでどうした?」 「バッチリです。あの女の依頼を引き受けました」 「そうか、よくやった。女には疑われなかったか」 「わかりゃしませんよ。もともとDの顔なんて知っている人間なん か、いやしません。ましてDの行方や特徴を栄子に教えたのはうち の事務所なんですからね」 「そうだったな。あの女も馬鹿な女だ。興信所の報告をまともに信 じるとは」 「それを言っちゃあおしまいですぜ」 浜本は苦笑した。「でも、所長、一つ問題があるんですよ」 「何だ?」 「栄子は弟を殺した犯人を自分の目の前で殺してほしいといってる んです」 「身代りを使えばいいだろう。弟を殺した犯人なんて所詮見つかり っこない。まして栄子は犯人の顔を知ってるわけじゃないんだろう 」 「そうですね」 「それで報酬は?」 「三千万と言ってました」 「そいつは凄い。ぼろもうけだ。ふはっははは」 受話器の奥から堂島の高らかな笑い声が聞こえてきた。 4 三日後−−浜本は堂島興信所から英子のマンションに電話をいれ た。 「犯人を見つけてくださったの。それはご苦労様。じゃあ、さっそ くだけど、今晩十時、私のマンションの屋上に来ていただけるかし ら。管理人に見つからないよう、うまくマンションに入ってね」 そういうと、栄子は一方的に電話を切ってしまった。 「マンションの屋上だなんて妙ですぜ」 浜本は隣で電話のやりとりを聞いていた堂島に言った。 「気にするな。万一、偽者とばれたら、栄子を殺して報酬を奪って くるんだ」 「わかりました。ところで犯人の身代りは誰なんですかい」 「おい、山崎を連れて来い」 堂島は他の部下に命令した。 「山崎とは?」 「会社の金を横領した件でゆすっているカモの一人だ。死んだとこ ろで、自殺に見せかければ疑われることはない」 「さすがですね、所長」 浜本はニヤリと笑った。 「所長、連れてきやしたぜ」 部下が小柄で、いかにも気の弱そうな中年の男を連れてきた。 男は堂島に対し腰を低くし、上目使いに見ている。 「やぁ、山崎さん、あなたを呼んだのは他でもない。あなたにいい お知らせがあるんですよ」 堂島は愛想のいい口調で言った。 「何でしょうか」 山崎はややおびえた様子であった。 「仕事を手伝ってほしいんだ。無論、ただとは言わない。あなたの 横領の証拠はすべてお渡ししようじゃありませんか」 「本当ですか」 山崎は堂島の言葉に顔を輝かせ、何度も頭を下げて礼を言った。 「礼など及ばないよ。あなたには苦労をかけましたからね」 堂島は穏やかな声で山崎に言った。 5 午後十時−− 屋上に浜本が現れた。彼の脇には両手を後ろに縛られた小柄の男 がいる。 「時間、ぴったりね」 柵に寄りかかっていた栄子は体を起こして、ゆっくりと浜本の方 に歩み寄ってきた。両耳のピアスが夜の闇の中で神秘的な輝きを醸 し出している。 浜本はどうにも栄子の落着き払った態度が気に入らなかった。 「今日のために少し着飾ってきたの」 と栄子は言った。 彼女は紫のワンピースを着ていた。 「報酬は?」 「用意してあるわ。それより、犯人とはこの人なの?」 栄子は山崎を見て、言った。 「そうだ」 浜本は静かに答えた。 「ふぅん」 彼女は山崎の顔を見つめた。その目はいつになく優しかった。 山崎は栄子と視線が合うと、すぐに下を向いて目を外らしてしま う。 「あなたが私の弟を殺したの?」 「あ、ああ……」 山崎はぎこちない返事をした。 「さあ、仕事を始めようぜ」 「その前にどうやって犯人を捜し当てたの?」 「俺の裏の情報網さ」 「証拠はあるわけ?」 「こいつの車は事件があった翌日、傷の修理に出している。しかも 、こいつには事件時のアリバイがないしな。問いただしたら、はっ きりと弟を殺したことを認めたよ」 浜本は栄子に自動車修理工場の修理明細書を渡した。 「あなた、殺されるのよ」 栄子は山崎に話しかけた。 「え?」 山崎は浜本を驚いた様子で見た。 「さあ、死んでもらうぜ」 浜本は拳銃を懐から抜いた。 「ま、待ってください、私は何もしてません」 山崎は大きく首を振って、栄子に言った。 「往生際が悪いぜ、おっさん。証拠はちゃんと挙がってるんだ」 「そんな、あれは−−」 プシュッ−−山崎は額を打ち抜かれた。浜本の拳銃から硝煙が上 がっている。 「こういう奴はしゃべらせておくと、うるせえからな」 浜本は栄子に弁解するように言った。 「気の毒にね」 栄子は表情一つ変えなかった。 「これで仕事は終わりだ。あんたも満足しただろう」 「あっけないわね」 「約束は約束だ。報酬はいただくぜ」 「いいわ」 栄子はいったん金網の柵の方まで戻ると、柵のそばに置いておい たトランクを持って浜本の方まで両手で運んで着た。 「どうぞ」 栄子に言われ、浜本はトランクを開いた。 「これは……」 浜本は目を見張った。−−トランクは空だったのである。 「あんた、どういうつもりだ」 浜本は栄子を鋭い目でにらみつけた。 「人殺しにやる金なんてないわ」 「何ぃ!」 「あなたは約束を破ったわ」 「ふふふ、何を馬鹿なことを。あいつは間違いなく犯人だ」」 「そうかしらね」 栄子はクスッと笑った。 「何がおかしい!」 「私ね、弟なんていないのよ」 「いない?」 「そう、最初から弟なんていないの。だから、あなたが今、殺した のは犯人ではないわ」 「そんな……」 浜本は一瞬、言葉に戸惑った。 「だったらなぜ依頼なんかしたのかって知りたいんでしょ。それは あなたたちがインチキするのを見たかったから」 「どういうことだ?」 「まだ、わからないの、浜本さん」 「お、おまえ、どうして……」 「私が堂島興信所にK・Dを捜してほしいと依頼した時、あなたた ちはきっと私の計画に引っかかると思ったわ。あなたたち探偵は社 会に巣喰うダニですからね」 「じゃあ、公園で俺と会った時はもう偽者とわかっていたのか」 「ええ。だから、おなたが必死になって殺し屋を演じている姿はお もしろかったわ」 「ち、畜生、よくも……」 浜本の拳銃を握る手が強くなった。「なぜこんなことを?」 「あなたたち、つまり堂島とあなたに復讐したかったからよ」 「復讐?」 「そう。以前、父がDに殺されたことを話したわね。本当は父を殺 したのはあなたなのよ。あなたにとっては対象の一人に過ぎないけ どね」 「親父は何て名前だ」 「渡辺良次、それが父の名よ。父はルポライターでね、あなたの事 務所が恐喝をやっているのを暴こうとして殺されたのよ」 「そうか、思いだしたぞ。あのうるさい奴か。貴様はその娘だった のか」 「あなたは無実の人間を殺したわ。しかも、私という証人がいる。 これで終りね」 栄子はあざ笑うような目で浜本を見た。 「終わるのは貴様の方だ。貴様を殺せば、証拠なんてなくなる」 浜本は栄子に銃口を向け、歩み寄った。 「それでも、あなたは終わりよ」 栄子は強い口調で言った。 「あの世で親父が待ってるぜ」 浜本は拳銃の引金を引いた。−−栄子の胸から血が弾け飛んだ。 栄子はなだれ込むように柵にぶつかり、跳ね返ってその場に沈んだ 。 栄子は小刻みに震える右手で首にかけたロケットを手にした。そ のロケットを開くと、父の写真が現れた。 「お父さん……」 栄子は目に涙を浮かべて、かすれた声で呟いた。 その時、栄子の頭上に浜本が立ちはだかった。 「とっとと死ね」 浜本は栄子の後頭部に向けて三発の弾丸をぶち込んだ。 6 「遅いな、浜本の奴」 堂島は吸いかけの煙草を灰皿にすりつぶし、腕時計を見た。すで に午前零時を回っていた。 事務所には堂島以外誰もいなかった。 堂島はブラインドを少し上げ、窓から外の様子を見た。 五分ほど眺めていると、遠くの街灯の下に人影が映った。顔は暗 くて見えないが、背格好は浜本だ。その人影は事務所の方へゆっく り歩いてくる。 「やっと帰ってきたか」 堂島は安心してブラインドを閉めた。その時、事務所の電気がぷ つんと切れた。 「停電か?」 カツーン、カツーンと冷たい階段を昇る音が事務所の中まで聞こ えてきた。その音は一定だった。 靴音が止まった。事務所のドアが開く。そして、再び靴音。 「おぅぃ、浜本か」 堂島は所長室のドア越しに声をかけた。だが、返事はない。 靴音は所長室のドアの前で止まった。−−ドアがキィッと歯切れ の悪い音を立てて開いた。そこには浜本が立っていた。 「何だ、遅いじゃないか−−」 堂島は言葉を切った。浜本は目を見開き口をぽっかり開け、生気 のない無表情な顔をしていた。 浜本は人形のように前に崩れ落ちた。そして、その後ろにもう一 つの人影があった。 「だ、誰だ」 堂島は机の引出しから拳銃を取り出そうとした。 「−−K・Dだ」 次の瞬間、男の持っていた拳銃が火を噴いた。 堂島は首をふっとばされ、後ろの窓を突き破った。 「報酬の保険金はいただいたぜ」 男は拳銃をしまい込むと、静かに部屋を出た。後には鈍いドアの 閉まる音だけが残った。