殺し屋K・Dシリーズ4 侵入者を討て 登場人物 風沼ゆり / 黄龍会の組長の一人娘。Dの相棒? D / 殺し屋 川浪幸弘 / Dの相棒 金沢光子 / OL 1 ある薄曇りの日の午後。 今日もいつものように風沼ゆりは喫茶店「パドック」に現れた。 この店はゆりの馴染みの店である。 「おっはよう!!!!」 ゆりは思いっきりドアを開けると、カウンターのマスターに元気 良く挨拶した。 「おはようさん」 マスターも相変わらずの惚けた声で挨拶する。 今日のゆりは猫のマークの付いた白いTシャツにライトブルーの ジーンズという軽装である。 「あんら、ゆりちゃんの胸がスケスケ?」 マスターが額に手をやって覗く格好をしながら、言った。 「ウソばっか。今日は厚手のTシャツだもん」 ゆりはカウンターの席に座った。 「ご注文は?」 「コーヒー。それもうんと濃いの!」 ゆりは力強く言った。 「はいよ」 マスターはさっそく、冷蔵庫の方へ歩いていった。 ゆりはとたんに嫌な顔をした。 「あたし、やだかんね」 ゆりの言葉も無視して、マスターは冷蔵庫からカラフを取り出し た。 「今日は絶対普通のコーヒー、飲むんだから」 ゆりはテーブルを叩いた。 しかし、マスターは素知らぬ顔で、カラフを持ってくると、コー ヒーカップに中身を注いだ。 「はい、どうぞ。今日のはうんと濃くしておいたよん」 マスターはカップ一杯に入ったコーヒーをゆりの前に置いた。 「ま、ま、まぁた、アイスコーヒー。し、しかも、ミルク山盛りバ ージョン。もう、やだあ」 ゆりは首を振って、拒絶した。 「あのね、ミルクティーって、結構おいしいんだよ」 「おのれはあたしを馬鹿にしてんのかぁ。あたしはこれでも黄龍会 の組長の娘よ。わかってるの?」 「だったら、他の店で飲めば?」 「うちの組の連中が店を明け渡せとかいって押し掛けてきたの、ま だ根に持ってるわけ?」 ゆりは不機嫌な顔で言った。 「いいえ、私はそんなこと、全然気にしてませんよ」 そういいつつも、マスターの皿を拭く手には力が入っている。 「うそばっかり」 ゆりは呟いた。ゆりは諦めてミルクコーヒーを飲むことにした。 「ところでさ、ゆりちゃん」 「なあに」 ゆりがカップから顔を上げて、言った。 「お客が来てるよん」 「あたしに?」 「そう。ほら、あっちの隅の席−−」 マスターが親指で示した。 店内の隅の二人席に女性が座っている。まだ20代半ばくらいで 、そこそこの美人。体つきは細身で、スラッとしている。髪は長く 、つやつやとしている。化粧は少し濃いが、厭味になるほどでもな い。しかし、目の下に隈ができていて、やや窶れている感がある。 そのせいか、全体的には暗い印象で、何かを思い詰めたふしがある 。 「−−という感じね」 「あまり自分の台詞を作者に任せちゃ、駄目だよ」 「いいの、いいの。それより、呼んで、呼んで」 ゆりがマスターにせがんだ。 「お客さん、御用の品が届きましたよ」 マスターがその女性の方へ向かって呼び掛けた。 「誰が御用の品よ、誰が−−」 ゆりはふくれっ面になった。 ともあれ、女性の方はマスターの呼び掛けに気付き、席から立ち 上がると、カウンターの方へ歩いてきた。 「あのう、どこにいらっしゃるんでしょうか」 女性は周囲を見回して、マスターに尋ねた。 「この子ですよ」 マスターは女性のすぐ近くに座っているゆりの方を見た。 「この子が殺し屋?」 女性はゆりの顔を見ながら、信じられないといった顔つきをした 。 「あたしは仲介人よ。風沼ゆり、よ・ろ・し・く・ね」 ゆりはニコッと笑って、会釈した。 「−−仲介ですか」 女性はまだ信じられない様子で、マスターに確認を求めた。 かくして、五分後−− ゆりと女性はカウンターで話すことになった。 「さっきは失礼なこと言って、ごめんなさい」 女性は謝った。 「まあ、毎度のことだかんね」 とゆり。 「私は金沢光子と言います。N銀行の新宿支店に勤めています」 「あたしは−−さっき自己紹介したからいいわね。一応、Dの仕事 の依頼は全てあたしを通して、その依頼内容に応じてあたしが判断 を下すことになってるから、まず依頼内容を話してみて」 「風沼さん、Dさんはどんなことでも引き受けてくれるんでしょう か」 光子は真剣な表情で尋ねた。 「まあ……基本的には殺し以外でもOKよ」 ゆりはちょっと考えてから、言った。 「そんなに難しいことじゃありません。ただ、部屋を調べてもらえ るだけでいいんです」 「部屋?なぜに」 「誰かがいるみたいなんです」 「部屋に?」 「ええ。時々ソファに座って、うとうととしていると、ふっと人の 気配を感じるんです。それでびっくりして、目を覚ますと、回りに は誰もいなくて」 「それはソファに座っているだけ起こるの?」 「いいえ、ベッドで寝ている時とか、考えると、部屋にいる間ずっ と人に見られてるような気もします。私、怖くて、友人や同僚の人 に相談したんですけど、誰も信じてくれないんです」 「あなたは独り暮らし?」 「ええ。両親は静岡の方に住んでます。私は大学の時に上京してか ら、ずっと東京で暮らしてるんです」 「何年くらい?」 「8年くらいです。今のマンションは3年前から住んでいます」 「ふうん」 ゆりはうなずく。 「はい、コーヒー」 マスターが光子の前にカップを置いた。 「あたしには?」 ゆりがきいた。 「あんたはさっきを飲んだでしょ」 「ちぇっ、つまんないの」 ゆりが舌打ちした。 「あのぉ、よかったら私の−−」 光子が遠慮して言うと、 「ああ、いいの、いいの。あなたのをもらおうなんて思ってないか ら。それでさ、人の気配を感じたのはいつからなわけ」 「一月程前です」 「随分たつのね。何かきっかけとか、心当たりみたいなものは?」 「い、いいえ、全然」 光子の顔に一瞬戸惑いがあったが、すぐにもとの表情に戻った。 「一度、警察に知らせたらどうですか」 「いやです、警察は!」 光子は強い口調で拒否した。 「金沢さん……」 ゆりはちょっと驚いた顔で、光子を見た。 「ごめんなさい。でも、警察には来てもらいたくないの。お願い、 私を助けてください」 光子は思い詰めたような表情で、ゆりに懇願した。 「弱いなぁ、そういう顔されるの。でも、Dの仕事にしてはちょっ とね」 ゆりは苦笑して、言った。 「駄目ですか?」 「−−取り合えずあたしがあなたの家に行きましょう。それから考 えるってことで」 ゆりははっきりと答えた。 「お願いします」 光子の顔が心なしか明るくなった。 「でも、実際、あたしも怖いのは、苦手なのよね」 2 東京港区の金沢光子の住むマンション。 「ここです」 光子は自分の部屋のドアまで来ると、ゆりの方を見て、言った。 ゆりはドア横の表札を見た。「805号室 金沢光子」とある。 光子はバックから鍵を取り出し、ノブに鍵を差し込んで、錠を外 し、ドアを開けた。 「どうぞ」 「じゃあ、失礼して」 ゆりは先に部屋へ入った。 「いきなりキッチンですね」 5LDKのマンションに住んでいるゆりには少しばかり驚きだっ た。 「1DKですから」 光子は言った。 部屋は六畳ほどの広さの部屋が二つあった。玄関を出て、すぐ両 側にバスルームとトイレがあり、そのまま前に進むとキッチン。そ して、右側にリビングルーム。 ゆりはリビングルームを覗いた。 リビングルームはベッドと机で半分が埋まっている。 「今、紅茶を入れますから」 光子は食器棚からカップなどを取り出す。 ゆりはきょろきょろと部屋を見回した。 「この広さの部屋ならどこに人がいるかくらい、わかるんじゃない ?」 「でも、怖くて確かめる気になれないんです」 光子はカップを並べていった。 「そっか。もし見つけでもして、逆に襲われたりしたら怖いもんね 」 「ええ」 光子はカップにティーパックを入れた。 「今のところ、人の気配は感じないわね」 ゆりは椅子に座った。 「人と話してる時には意識してないから感じないのかもしれません 」 光子はカップにポットの湯を入れた。 「それじゃあ、今もこの部屋に誰かいるってわけ?」 「わかりません。いるような気もしますし、いないような気も」 「あいまいね」 「すみません」 「別に謝らなくてもいいけど」 ゆりは何となく天井を見上げた。 「砂糖はいくつ入れます?」 「えっとね、三つ」 ゆりは光子を見て、言った。 光子は出来上がった紅茶に角砂糖を三つ入れ、スプーンで掻き混 ぜた。 「どうぞ」 光子はカップをゆりの前に置いた。 「ありがと。ねえ、いっそのこと、引っ越したら?」 ゆりはふと思いついて、言った。 「そうしたいのですけど、今の家賃よりも安くて、会社から近いと ころとなると、なかなか見つかりません」 「東京は地価が高いからね。あたしのマンションだって、5LDK なのに三億円もするのよ、信じられる?」 「は、はあ」 光子はぎこちない返事をした。 「いずれにしても、今日はあたしがここへ泊まってあげる」 「本当ですか」 「今、調べたところで、賊はいないに決まってるし、現れたところ を取り押さえるしかないでしょ」 「でも、取り押さえるなんて……相手は誰だか分からないし」 光子は心配そうに言った。 「大丈夫よ。あたしはこれでもDの相棒なんだから、まあ任せて」 とゆりは強気で言って、紅茶を飲んだ。 3 その夜。 ゆりはリビングルームのベッドの下に隠れ、賊が現れるのを待つ ことにした。 「風沼さん、本当に大丈夫でしょうか」 光子はゆりに尋ねた。 「大丈夫だって言ってるでしょ。とにかく金沢さんは何かの気配を 感じたら、ベッドを二回叩いて、教えて」 ゆりは小声で言った。 「はい」 光子は小さく頷いた。 光子は時計を見た。午後十一時。光子は部屋の電気を消し、ゆっ くりとベッドに入った。 部屋は静かになった。 真っ暗な部屋の中で、時計の秒針の音だけがはっきりと聞こえる 。 ゆりはうつ伏せの姿勢で、目を開け、息を殺し、周囲の音にじっ と聞き耳を立てていた。 三十分が過ぎた。 ベッドの上から寝息が聞こえてくる。 −−金沢さん、寝ちゃったのかぁ ゆりは心の中で呟いた。 依然、静寂は続いている。 二時間が過ぎた。 −−うう、腰が痛くなってきたぁ ゆりもうつ伏せの姿勢がいい加減、苦しくなってきた。 −−全く情けないなぁ、もう ベッドの上ですやすやと寝ている光子のことを考えると、ゆりも 今の自分の姿が空しかった。 −−こんなに疲れるんなら、最初からDさんに任せるんだったわ 。本当だったら、今頃、羽毛の布団でハイホーちゃんと寝てるのに 。 ハイホーちゃんとはイルカのぬいぐるみである。 −−もうやだ、二度とこんな仕事、やらないんだから ゆりは心の中で不満が爆発していた。 もともとわがままで苦労をしたことのないゆりがこんな忍耐力の いる仕事を受けること自体間違っていた。 −−やめた、やめた 三時間後、ゆりはとうとう音を上げ、痺れ切った体を引きずって 、ベッドの外へ出ようとした。 その時だった。ベランダの方で何やら物音がした。 ゆりは動きを止め、じっとベランダを見た。 ベランダの窓に人影が映った。 人影は窓を開けようとしているが、鍵が掛かって窓は開かない。 −−ふふ、窓には鍵をかけておいたのよ。ようし、正体を暴いて やるかぁ ゆりはしめたとばかりにベッドの下から這い出た。ゆりの姿にベ ランダの人影も慌てたようだった。ゆりは素早く部屋の明かりのス イッチのある壁際へ駆け寄り、スイッチを押そうとした。 だが、その時、背後から太い腕がゆりの右手首をがっしりと掴ん だ。 −−え!? ゆりは驚いて、振り向いた。と同時に鋭い痛みがゆりの腹を襲う 。何者かの拳の一撃が入ったのだ。 「うっ」 ゆりは呻いて、その場に体を二つに折って、倒れ込んだ。 −−かなざわさん…… ゆりは助けを呼ぼうとしたが、声にならなかった。 賊はさらにゆりのジーンズのベルトを掴んで、ゆりを荷物でも持 つように持ち上げると、そのままベランダまで行き、窓の鍵を外し 、窓を静かに開けた。その間、激しい物音はほとんどなく、ベッド の光子は目を覚まさなかった。 「ど、どうする気……」 ゆりはかすれた声で言った。 だが、賊は黙っていた。 ゆりは賊の姿を見ようとしたが、宙ぶらりんの姿勢では、上を見 ることができなかった。 賊は最初にベランダにいた賊に戻るように指示すると、ゆりを片 手で持ちながら、ベランダに出た。 −−畜生…… ゆりは何とか逃げ出そうともがいたが、男の力強い手から逃れる ことは出来なかった。 賊は黙ったまま、ゆりを今度は両手で頭上へ持ち上げた。その上 がる瞬間にちらっと見た賊の顔は黒いマスクで覆われていた。 ゆりは恐怖を感じた。生まれて始めての恐怖だった。 −−まさか、まさか ゆりは恐怖を跳ね退けようと頭を強く振った。 だが、次の瞬間、賊はゆりをベランダから投げ下ろした。 「きゃあああ」 悲痛な悲鳴が闇の中に轟いた。 4 一週間後。午前七時。 金沢光子の住むマンションが見える住宅街の路上に一台の外車が 止まっていた。それは黒いボディのマセラッティーメラクだった。 「あれか、ゆりが投げ落とされたマンションっていうのは」 運転席のDがメロンパンを食べながら、言った。 「ああ。確かあの八階だ」 助手席の川浪幸弘がカレーパンを食べながら、言った。 「ゆりもさすがに今回は懲りただろうな」 と言って、Dはくくっと笑った。 「まあ、天罰だな。あれだけ、わがままやってて、何もないって方 がおかしいよ」 「そうだな。俺が神様ならあのまま、殺してたんだけどな」 「そう、悪運が強いって言うのか。ちゃっかり助かっちゃってなぁ 」 川浪もにやにやと笑って、言った。 「次は絶対死ぬな」 「いくら賭ける?」 「五百円!!」 「乗った」 川浪が声を上げる。 「コラァ!!!」 二人の会話に割り込むように後部座席から怒声が上がった。 「何だ、ゆり、起きてたのか」 Dが後ろを向いて、言った。 「何だとは何よぉ。人事だと思って、よくそこまで言いたい放題… …いたたた……」 体中包帯のゆりが痛そうに腕を抑えた。 「だから、入院してろって言っただろ」 とDが言うと、 「そうはいかないわよ。これはあたしが請けた仕事なんだから」 後部座席のゆりは全身の包帯やギブスで体の各部分を固定されて いるため、マネキン人形を横に置いてあるような感じであった。 「体中に包帯巻いて、何ができるって言うんだよ。おまえが受けた 傷、教えてやろうか。右手首、右肘、左足、骨折。左右両肩脱臼、 腰部打撲、右足首捻挫。首の鞭打ちで全治三か月」 Dが感心して、言った。 「あたしはくやしいの!!あんな、覆面野郎に……いたた、こ、こ んな目に会わされたのよ」 ゆりは興奮して言った。 「相変わらず意気込みだけは立派だな」 「ま、とにかく、運がよかったよな、五階だけベランダが他の階よ り長くなかったら、こんなにわめくことも出来ないしな」 と川浪が言った。 「運だけじゃないわよ……いつつっ。落ちた時、何とか下の階のベ ランダにつかまろうとして……七階と六階のベランダの柵をつかん だんだから」 「それで右腕を骨折したのか」 「そうよ、でも、そのおかげで落下スピードが落ちて、このくらい で済んだの」 「このくらいね……」 Dは痛々しい包帯姿のゆりを見て、言った。 「おい、D、そろそろ彼女と会う時間だ。その前に依頼のことをも う一度検討してこうぜ」 川浪が時計を見て、言った。 「そうだな。全くゆりのせいで、こんな安い仕事をやるはめになっ ちまったよ」 Dの言葉にゆりは黙っていた。 「まず金沢光子の依頼だが、一月前から部屋を監視されてるようだ から、調べてほしいってことだよな」 「そうよ」 とゆりが答えた。 「だが、彼女はその件で警察が介入するのを恐れた」 「ええ」 「もっとも警察に知らせたところで、監視されてる気がするという くらいでは、調べてくれなかったろうがな」 とD。 「そこで、彼女に関して俺なりに調べてみたんだが、どうやら彼女 は家出娘らしいぜ」 川浪が手帳を見ながら、言った。 「どういうことだ」 「彼女の出身は静岡ではなく、大分だ。名前も金沢光子ではなく、 金沢幸代だ」 「よくわかったな、そんなこと」 「警察の知り合いにそれとなく彼女の写真を渡して、調べてもらっ たんだよ。そうすると、八年前に大分の両親から捜索願いが出てい ることが分かった」 「彼女の歳は?」 「二八だ。大学受験に二度失敗して、両親と喧嘩になり家出したん だな」 「そっか、それであんなに警察を嫌がったのか」 ゆりが思い起こすように言った。 「彼女に何か狙われるふしは?」 「ないな。上京して、美容師の道を目指したが、失敗し、以後は銀 行に真面目に勤めている。恋愛中の男性はいない」 「すると、賊の目的は何だ?ただの監視にしては、ゆりを殺そうと したりするし」 「わからんな。少なくとも彼女自身が狙いではないと思うんだが」 「僕もそう思うね。僕の方はどうやって賊が金沢光子の部屋に進入 したかを調べてみた。実際、マンションの中は見てないが、ゆりの 話から総合すれば、隣の部屋からしかないと考えられる。そこで、 彼女の隣の部屋を調べてみると、まず右隣は三年前から住んでいる 単身赴任の会社員で、特に問題はない。だが、左隣は実に怪しいね 。ちょうど一月ほど前からその部屋に引っ越してきてる。しかも、 前の住人はその男が引っ越してくる二月前に駅の階段から落ちて、 死んでいる」 「タイミングが良すぎるな」 「恐らく前の住人を殺し、その上で部屋に引っ越したと見るべきだ な」 「そうなると、賊は彼女の部屋に忍び込むために隣に部屋を借りた って事か」 「いや、違うな。前の住人は杉本という新聞記者をやってる男なん だが、死ぬ一週間ばかり前に情報屋からあるネタを仕入れたらしい い」 「あるネタとは?」 「さあな。だが、同僚には成功すれば大スクープだともらしていた そうだ」 「となると、賊はなぜ彼女の部屋に忍び込んだりしたのだろう」 「はっきりはしないが、杉本の部屋に目的のものがなかった。それ ゆえ、隣の彼女の部屋に狙いを付けたというところか」 「今のところ、そう判断するしかないな」 川浪は腕を組んで、考え込むように言った。 「それで今の左隣の部屋の住人は何者なの?」 ゆりは二人の話に割り込んだ。 「国立直人という男だが、多分偽名だろう。職業は会社員という事 になってるが、これも今のところ、不明だ。管理人の話では、一度 しか姿を見せたことがないそうだ」 「そうなると、どうやら犯人はその国立という男になりそうだな」 「今のところ、証拠はないが、賊の一味であることは確かだな。恐 らく彼女の部屋のベランダから忍び込んだ奴が国立だ。管理人によ ると、国立は中肉中背でそれほどたくましい体つきの男ではなかっ たということだ」 「すると、ゆりをぶん投げた男は別の男か」 「そうだな」 「一つ疑問に思うんだけどさ、国立って奴がベランダから来たのは 確かなんだけど、もう一人の男は一体どっから現れたのかなぁ」 ゆりはけが人とは思えないほど話す口調は滑らかだった。 「何だ、そんなこともわからないのか」 Dが馬鹿にしたような口振りで言った。 「Dさんにはわかるって言うの?」 「いいか、彼女は部屋にいる間、監視されてる気がするって言った んだろ」 「うん。あたしは感じなかったけどね」 「それはおまえが鈍感だからだ」 「そこまで言うわけ」 「とにかく、部屋には一日中、誰かが隠れていた。恐らく最初は隣 の部屋のベランダから彼女の部屋のベランダへ渡り、窓を開けて、 忍び込んだのだろう。しかし、普通の人間が二四時間、食も取らず 、休みも取らないで、監視することは不可能だ。それはわかるだろ 」 「うん」 「そこで、交代の必要性が出てくる。だが、彼女が警戒するように なると、部屋の戸締りが厳重になり、ベランダからの侵入も難しく なる。そこで交代は彼女の留守や寝静まっている時に、部屋に忍び 込んでいる者が手引して、行うことにしたんだ」 「じゃあ、あの晩、ベランダに現れた男は中にいる男と交代しに来 たってわけかぁ」 「そういうことだ」 「ああ、くやしい。そうだとわかってれば、こんなへましなかった のに」 顔だけ悔しがっても、体が動かせないため、悔しさを表現できな いゆりであった。 「D、彼女が来たぜ」 川浪が言うと、Dはフロントガラスの方を見た。 向こうからメラクの方へ一人の女性が歩いてくる。 Dは合図にクラクションを鳴らした。 光子も気付いたようで、足取りが少し早くなった。 「あんたが金沢光子さんだね」 Dはリアウインドから顔を出して、歩いてきた光子に挨拶した。 「はい。あなたがDさん?」 光子はまだ信じられないといった様子で尋ねた。 「後ろにゆりが乗ってるぜ」 Dの言葉で、光子は後部座席を見た。 「風沼さん!!」 光子は驚きの声を上げた。 「はは、こんにちは」 ゆりは苦笑いをして、言った。 「大丈夫なんですか」 「まあ、何とか……」 「ごめんなさい、私がこんなことを頼んだばかりに。病院へは今日 、伺おうと思ってたんですよ」 「気にしないでください。この女はマンションから落ちたくらいで くたばるような欠陥品じゃないですから」 Dが代弁するように言った。 「もう、あたしが動けないからっていい気になってぇ」 ゆりは泣きたいような心境だった。 「ところで、金沢さん、ちょっと話を伺わせてもらって宜しいです か」 Dは車を降りて、光子に尋ねた。 「はい」 「あなたのことは一応、調べさせてもらいました」 「え?」 光子の顔が一瞬、強張った。 「あなたが警察に関わりたくない理由はわかっているつもりです」 Dは遠回しに言った。 「−−そうですか」 光子は目を伏せていった。ちょっと「調べてみればわかることで すものね」 「今回、ゆりがベランダから投げ落とされた件は、ゆりの機転で警 察沙汰にはなりませんでしたが、しかし、事件そのものは極めて危 険です」 「警察に知らせるということですか」 「ええ。相手は恐ろしい連中です。いずれはあなたにも危険がふり かかる恐れがあります」 「いったいどういうことなんでしょうか?」 「賊はあなたの部屋にある何かを狙って、常にあなたの行動を監視 し、あなたの留守を狙って部屋を物色しているのです」 「何かとは?」 「それはわかりません。そこで尋ねたいのですが、あなたは以前、 隣に住んでいた杉本という男から何か受け取りませんでしたか?」 「い、いいえ。お隣とは言いましても、引っ越しの時に挨拶しただ けで、後は生活時間が違うのかほとんど会うことはありませんでし た。そういえば、あの方、二月くらい前に亡くなったと聞きました けど」 「ええ。それでは、彼に関することで何か知ってることはありませ んか。ほんのささいなことでも結構です」 「ささいなこと……」 光子はしばらく考え込み、「一つだけ、あります。今の隣の人が 引っ越してくる少し前に杉本さん宛に宅配便が届いたんです。配送 員の方は杉本さんが亡くなっているのを知らないらしく、不在だか ら預かってほしいといって、説明する暇も与えず宅配便を私に押し つけていったんです」 「それはどういう物ですか」 「コーヒーのギフトセットです。デパートの包みがしてありました から、杉本さんに来た御歳暮だと思いました」 「それをどうしました?」 「実は私、悪いとは思ったんですけど、開けてしまったんです。も ういない人だし、不在通知を剥がしておけば、わからないと思って 」 「それで」 「ところが、今、住んでる隣の方が引っ越してきた翌日、私の部屋 を訪ねて、杉本さん宛の届け物はなかったかって聞くんです。私は 驚きました。時期もたっていましたし、その方の目付きが鋭かった ので、もし本当のことを話したらと考えると怖くなって、届け物の ことは知らないって言ったんです」 「その男は納得しましたか」 「いいえ、疑り深い目で私を見ていましたが、一度、念を押しただ けで帰ってゆかれました」 「なるほどね」 Dはふんふんと頷いた。「よく話してくれました」 「何かお役に立ちましたでしょうか」 「ええ、非常に重要です。金沢さん、そのコーヒーセット、今、お 宅にありますか」 「クリープとコーヒーの瓶が二組ありましたので、一組を友人にあ げました」 「後でその友人のところへ案内していただけますか」 「はい」 「それから、お手数ですが、もう一つあなたにやってもらいたいこ とがあるのです」 「私にできることなら」 「よろしい。今日、会社から帰ったら、友人に電話を入れ、大きな 声でその友人の家に三日間ほど泊まる約束をなさってください」 「それだけでいいんですか」 「ええ。それとこれは覚悟していただきたいことなんですが−−」 「警察に知らせるということですね」 「そうです」 「わかりました。風沼さんをこんなひどいめに遇わせてしまったの も私のせいです。警察でも何でも呼んでください」 光子は決心して言った。 「川浪、警察へはおまえの知り合いを通じて手配してくれ」 Dは助手席の川浪に言った。 「オーライ」 川浪は気前よく返事をした。 「さぁて、明日の晩は面白いことになるぞ」 Dは期待に胸膨らます子供のように笑った。 5 翌日の深夜−− 真っ暗な光子の部屋に明かりが灯った。 キッチンには一人の体格のがっちりとした男が立っていた。 男はベランダの窓のロックを外し、静かに窓を横へスライドさせ て、開けた。 窓から体を半分だし、隣のベランダにいるもう一人の男に、来い という合図を送った。 向こう側の男は軽快な身のこなしで光子の部屋のベランダへ乗り 移る。 「本当に今夜は帰らないんだろうな」 中肉中背の男、国立は心配ならしく、念を押すように尋ねた。 「間違いない。あの女が電話で三日間、友人の家に泊まるという話 をしてたのを聞いたんだ」 と体格のいい男が言った。 「それならいいがな。いずれにしても、この数日中で決着をつける ぜ。もし今夜捜してアレがなければ、あの女から直接聞き出す」 「オーケイ。その時は俺にやらせてくれよ。俺は女はいたぶるのが 好きなんだ、ヘッヘッヘ」 「わかったよ。それより、今夜は女のことを気にかけなくていいか らな、片っ端から物色するぞ」 二人の賊は部屋に入った。そして、早速物色を始めた。箪笥や机 のひきだしを片っ端から開けて、中の物を全てだし、さらにベッド やテーブル、箪笥などを引っ繰り返し、下にひいてあるカーペット まで捲り取り、しまいには戸からドア、窓まで外してしまい、数時 間後には部屋は完全に解体され、ガラクタ置き場と化していた。 「はあ、はあ」 一段落して、国立が床に座り込んで、一息ついた。 「見つからねえな」 体格のいい男はまだ体力がありあまっている様子で、言った。 「畜生、どこへ隠しやがったんだ、あの女」 国立はやけになって言った。 「これだけ捜してねえんだ。恐らくあの女が持ってるに違いねえ」 「この一月、天井裏からずっと監視してきたが、あの女は全くブツ を隠した様子もないし、持ち出した様子もない」 「俺たちが来る前に誰かに渡したんじゃねえか」 「だったら、今頃、俺たちは刑務所だ」 「そうか……ちっ、写真を撮られた時、すぐあの新聞記者をとっつ かまえて、始末しとけば、こんなことにならなかったのに」 体格のいい男は柱を殴った。 「町中に逃げ込まれたんだ、仕方ねえだろ。それに見失ってから三 時間後には始末したんだ。人手に渡っているはずはねえ」 「だったら、どこにあるんだよ。杉本を殺し、部屋に引っ越してき てはみたが、奴の部屋にはない。隣の女の部屋も一月監視したが、 手掛かりなしだ」 「だが、奴の持ち物にフィルムはなかった。駅のロッカーに預けた んなら、今頃警察にばれてるはずだ。となると、奴は自分の家にフ ィルムを送ったとしか考えられねえ。そうだろ」 「現実には着いてねえじゃねえか」 「ばぁか、フィルムが自宅に届いた時には奴はもういないんだ。そ うなった場合、宅配員は隣に預けるはずだろう。あの女が持ってる のは確かなんだ」 「畜生!これじゃあ、いつになったら盗んだ金を使えるんだよ」 体格のいい男はわめいた。 「あの時、新聞記者に尾行されるとは考えてもみなかった。あれさ えなければ、現金輸送車強奪は完璧だったんだ」 国立は床を叩いた。 『なるほど、そういうわけかい』 その時、どこからか声がした。 「誰だ!」 国立は立ち上がった。 『ここだよ、ここ』 男の声はベランダから聞こえてきた。 二人の男がすぐさま、ベランダに飛び出すと、足もとにトランシ ーバーがあった。 国立がトランシーバーを手に取った。 その途端、 『わっ!!!』 という大きな声がトランシーバーから発せられた。 「うわっ」 国立は突然のことに驚いて、トランシーバーを落としそうになっ た。 『驚いた?』 トランシーバーから声が聞こえた。 「ふざけるな!貴様、何者だ」 国立は怒鳴った。 『まあまあ、そう興奮しないで。大声出すと、近所迷惑だよ』 トランシーバーの男の言葉に国立は声を低くした。 「どこから話してる?」 『三〇〇メートルほど先のビルをご覧よ。トランシーバーの側に双 眼鏡もあるだろう』 国立は双眼鏡を拾い上げ、それで向かい側に見えるビルを見た。 マンションと同じ階の窓から男がトランシーバーを持って、手を 振っている。 「何の真似だ」 『ふふふ、盗んだ現金輸送車から降りた時の写真、それから、輸送 車から金を別の車へ移した時の写真とか、いろいろ見せてもらった よ』 「貴様、写真を持ってるのか」 『持ってるよ』 「か、返せ!」 国立は興奮気味に言った。 『いいとも。そのかわり、奪った現金の場所を言いたまえ』 「何だと」 「ふざけるな」 『いやならいいんだぜ。写真を新聞社へ送るまでだ』 「ま、まて。そのことは場所を改めて、話し合おう」 『駄目だね。今、言わなければ、交渉は決裂だ』 「こ、この野郎、金を独り占めする気か」 『君らはミスを犯したんだ。捕まらないだけ、いいと思って、話す ことだね』 「くっ!」 「山川、どうする?」 「言うしかねえだろ」 『話す気になったかね』 「わかった。その代わり先に写真を戴いてからだ」 『君達にそんなことをいう権利はない。五秒以内に言うんだ。五、 四、三、二、一』 「JR線浜松町駅のコインロッカーだ。番号は三〇六と三〇七。だ が、鍵は俺たちが持ってるぜ」 『鍵などいらんよ、壊せばいいだけだから』 「写真はいつ渡してくれるんだ」 『そうだな、刑務所にでも送るよ』 「なにぃ」 その時、向かいのビルの男がライフルを構えた。 シュッという風を切る音とともに何かが二人の男の間を過った。 ガシャン−− その瞬間、玄関のドアノブが砕け散った。 「どうなってんだ」 茫然とする二人をよそにドアが激しく開いた。そこには刑事と複 数の警官がいた。 「警察の者だ」 刑事は警察手帳を開いて見せ、「貴様等を住居不法侵入、及び器 物損壊の現行犯で逮捕する」 刑事と警官がどっと部屋に入ってくる。 「馬鹿な、違うんだ」 国立が驚いて、双眼鏡でビルの方を見た。 だが、男の姿はすでになくなっていた。 6 数日後、金沢光子、いや金沢幸代が風沼ゆりの入院する病院に見 舞いにきた。 病室に入るなりに黒い背広の男たちににらまれ、幸代が恐縮して いると、ゆりはベッドから体を起こし、組員に病室を出るように指 示した。 「風沼さん、暴力団の組長の娘さんだったんですね」 幸代は果物の詰め合わせをテーブルに置いて、言った。 「ごめんね。あいつら、顔は怖いけど、中身も……怖いんだけどね 」 ゆりは苦笑して言った。 「うふふ」 幸代もつられて笑った。 「座ったら」 ゆりの言葉で幸代はベッドの側の椅子に座った。 「風沼さん、お体の方はどうですか」 「まだ最悪だけど、まあいずれは治るでしょ。でもさ、これだけ動 けないと、トイレに行けなくてさ。いちいちトイレに行きたいなん て言うのが、恥ずかしくって」 「今度のことは本当にごめんなさい」 幸代は頭を下げて、詫びた。 「あなたの方こそ、部屋中、目茶苦茶にされて。全くDったら、配 慮がないんだから」 「いいえ、そのことは気にしてません。犯人を捕まえるためだった んだし、それにお金も戴きましたから」 「お金?」 「ええ。本当はこちらから払わなければいけないのに、Dさんはい いとおっしゃって」 −−さてはあの野郎、強盗が強奪した金、着服したな ゆりはすぐぴんときた。 「しっかし、金沢さんの部屋を監視してたのが強盗だったなんてね 」 「私も今考えると、ぞっとします」 「これからはうかつに宅配便なんか受け取れないね」 「ええ。でも、友人もコーヒーの瓶からフィルムが出てきた時には さすがに驚いてましたよ」 「とにかく、一件落着してよかったわね。金沢さん、御両親の方は ?」 「はい、そのことですけど、一度、大分へ帰ることにしました。い つまでも隠し通せるものでもありませんし、両親も許してくれたの でしばらく大分で暮らしたいと思います」 「そうね、孝行したい時に親はなしっていうしさ、大事にしてあげ て」 「ありがとう、風沼さん」 幸代はゆりの手を握った。 「また何かあったらあたしに相談してよ、力になるから」 「はい」 幸代は小気味よく返事をした。 その時、開いた窓からすうっと日が差し込んだ。それに呼応して 、白の病室がパアッと明るくなった。 「お日様もあなたを歓迎してるわ」 ゆりは幸代を見て、いった。 「ええ」 幸代は微笑んだ。その笑みは心の底から発せられたかのように、 きらきらと輝いていた。 終わり