第49話「ミレーユの最期」後編 12 出会い 「ケイトが死んだ」 ミレーユは赤い宝石がどす黒く変化するのを見て、呟いた。「生 まれた時から特に目をかけ、育て上げた世界最強の魔法使いが、小 娘一人にやられるなんて」 「残念ですが、美佳はもうただの小娘なんかじゃありませんよ。中 立の神の力を託された戦士だ」 壁にもたれ腕を組んでいたゼーテースは静かに言った。 「魔法石の力でガイアールの力が目覚めたというのか」 「ええ。だからこそ、バフォメット様も我々に誕生の儀式を行うよ う促してこられた」 「我が息子も恐れているというのか」 「そうです」 「だが、魔法石なくしていかに息子を誕生させようというのだ」 「それなら心配はいりません。美佳は来ますよ、律子を助け出しに ね」 「随分な自信だな」 「あの娘はそういう娘ですよ。自分のことよりも他人のことを考え る」 「美佳が来たら、奴を倒して魔法石を奪うのか」 「そういうことになりますな」 「倒せるのか」 「それはミレーユ、あなた次第ですよ」 ゼーテースはミレーユを見て、言った。 「わたしに戦わせようというのか」 「息子を守るために親が戦うのは人間の世界も悪魔の世界も同じよ うなもの」 「自分は外から見物か」 「状況次第ですよ」 ゼーテースは床に寝かされた律子をじっと見つめ、言った。 「これで準備いいわね」 美佳はリュックの中身を確認して、言った。 美佳はケイトとの戦いの後、自宅のマンションに一度戻っていた 。時間は午後10時である。 //美佳さん、大丈夫ですか 「何が?」 //体のことです。今日一日で仙台から長野まで行ったり来たり しましたし、ご両親や北条さんがなくなられたショックとか…… 「エリナ、私のことなら大丈夫よ。今は姉貴を助けることだけ考え ましょう」 //美佳さん、本当にお気の毒です 「エリナらしくないわね。さあ、行きましょう」 美佳はリュックを背負い、部屋を出た。そして、エレベーターの 方へ向かって通路を歩いていると、向こうから二人の若い女性が歩 いてきた。美佳はさりげなく通りすぎようとしたが、その女性の一 人が美佳の肩をつかんだ。 「待ちなよ、美佳」 「え?」 美佳はその女性を見た。 「ペトラルカよ。肉体は前と違うけどね」 その女性はニッコリ笑って、言った。 「ペトラルカ」 美佳は笑顔になる。「どうしたの?」 「仲間をつれてきたのさ。それより、リュックなんかしょってどこ かへ行くのか」 「うん、それが−−」 美佳は二人のファレイヌに、歩きながら説明することにした。 「律子が誘拐された?」 人通りの少ない町の裏通りを歩きながら、青銅のファレイヌこと ペトラルカが言った。 「そうなの」 「どうしてミレーユが誘拐するんだ?」 「魔法石よ」 「魔法石?」 「姉貴の体内にいるバフォメットを誕生させるのに必要な石よ」 美佳は白いヘアバンドを見せた。 「なぜミレーユはバフォメットを誕生させようとしているんだ?」 「わからないわ。とにかく今は助けに行かなきゃいけないの」 「一人で行く気?」 「ええ。これは私の問題だもの」 美佳は俯いて、言った。 「美佳、そうやっていつまで一人で生きて行く気なんだい」 ペトラルカは空を見上げた。 「え?」 「ここに二人の頼もしい精鋭がいるってのに、私たちも甘く見られ たものね」 「ペトラルカ……」 美佳は顔を上げて、ペトラルカを見た。 「どうせ暇だし、手伝ってやるよ」 「ありがとう」 美佳は感激した。 「自己紹介、まただったわね。私のとなりにいるのが、ナタリー。 ナタリー・ロッソよ」 ペトラルカは隣の女性を紹介した。 「ミカといったネ、何が何だかわからないけど協力するヨ」 ナタリーは笑顔で言った。 「ナタリー、よろしくね」 美佳は出発前の緊張が切れて、頬が緩んでいた。 13 ミレーユの最期 「こんな森の中に本当に教会があるって言うの」 美佳たちは懐中電灯を頼りにほとんど道らしい道のない森の中を 奥深く突き進んでいた。 「気は感じるよ。ミレーユのね」 ペトラルカが言った。 「これで何もなかったら泣いちゃうわよ、私は」 真っ暗闇の森の中、美佳は情けない声を上げた。 三人は森に入ってから2時間ほど歩くと、ようやく空の見える広 い場所に出た。そこには一軒の教会が建っていた。 「やっと着いたわね」 美佳は闇の中にそびえ立つ教会堂を見上げて、呟いた。 「魔気を思いっきり感じるわ、ミレーユ、そして、ゼーテースのね 」 ペトラルカは呟いた。 「ゼーテース?」 美佳はペトラルカを見る。 「ああ、どうやらグルみたいよ、あの二人は」 「私も感じるネ」 ナタリーも同調する。 「だとすると、あなたたちは誘えないわ」 「何だよ、今さら」 ペトラルカは渋い顔をする。 「ゼーテースはメルクリッサの壷を持っているわ」 メルクリッサの壷とはファレイヌを封印する壷のことである。 「それがどうしたって言うのさ。奴がいるとわかった以上、この前 の借りがあるんだ。ほっとけないよ」 「ペトラルカ……」 「ミカ、この際、細かいことはいいから早く行こうヨ」 ナタリーが急かす。 「うん」 美佳は二人を従えて入り口の前の石段を上り、閉じられた教会堂 の正面の扉に立った。 「行くわよ、みんな」 //ええ 「OK」 「OKネ」 美佳は扉に手をかけた。 扉はきしむような音をたてて、開いた。堂内は闇で何も見えなか った。 美佳が懐中電灯で奥を照らそうとしたとき、奥の祭壇が明るくな った。 「よく来たな、美佳」 火の灯る燭台に囲まれた祭壇の司祭席には水銀のファレイヌ、ミ レーユが立っていた。彼女はローブを見につけている。 「姉貴はどこ?」 美佳が叫ぶ。 「この奥の地下だ。魔法石は持ってきたか」 「持ってきたわ」 「こちらへ来い」 美佳たちはゆっくりと祭壇の方へ向かって歩く。 燭台の明かりは祭壇の中央奥にあるキリスト磔形像を浮かび上が らせていた。 三人が祭壇から数メートル手前の交差廊に来たとき、 「止まれ」 とミレーユが言った。「そこにいるのはペトラルカとナタリーか 」 「久しぶりね、ミレーユ」 「何しに来た」 「美佳の助っ人よ」 「人間に味方するのか」 「悪魔に味方するよりはまし。ミレーユ、なぜゼーテースと手を組 んでいるのか聞かせてもらいたいわね」 「ふふ、聞きたいか」 ミレーユはローブの懐に左手を入れた。 「ペトラルカ、気をつけて」 美佳が小声で言った。 「ならば、壷に入ってからじっくりと聴かせてやろう」 ミレーユは懐からメルクリッサの壷を取り出した。続いてミレー ユの右上腕部から下が大砲に変わった。 「来るぞ」 ペトラルカたちが身構える。 グォーン、グォーン!! ミレーユの大砲が火を吹いた。美佳は左に、ペトラルカたちは右 に動き、素早く柱の陰に隠れる。 だが、弾丸は3人を追いかけるように曲がり、両側の柱に命中し た。柱はどろどろと溶け、表側が4分の1は削り取られてしまった 。 「あんなものに当たったら、ひとたまりもないわ。こうなったら、 こっちだって」 美佳はリュックからメルクリッサの壷を取り出そうとした。 //美佳さん、危ない 黄金銃になっているエリナが叫んだ。 ミレーユの溶解弾がカーブして美佳に飛んでくる。 「ひええ」 美佳は体をひねって、避けた。しかし、その時、弾丸が背中のリ ュックに当たり、リュックの表面が溶けてしまう。そのせいでリュ ックの中身がバラバラと落ちて、床に転がった。 「あっ、壷が!」 通路の中央に壷が転がる。 美佳が拾いに行こうとすると、エリナが止めた。 //今、出てったら狙い撃ちにされますわ 「じゃあ、どうするのよ。あれがなきゃ、ファレイヌは倒せないの よ」 グォーン、グォーン 再び溶解弾が飛んできた。今度はペトラルカたちの方だ。 「うあっ!」 間一髪避けたはずのペトラルカの肩に弾丸が命中した。シュッと いう音をたてて、ペトラルカの服が溶け始める。 「大丈夫、ペトラルカ?」 美佳は反対側の柱にいるペトラルカに声をかけた。 「大丈夫なわけないだろ。何とかしろ」 ペトラルカは腕を押さえて、文句をいう。 「あんたたちも反撃してよ、ファレイヌでしょ」 「悪いが、こっちは何発も弾丸を撃てないんだ、わかるだろ」 「うん……」 だから、来ない方がいいって言ったのに。美佳は心の中で呟いた 。 「どうした、かかってこないのか」 ミレーユは馬鹿にしたような口調で言った。 「ちょっとミレーユ、あんた、魔法石はいらないわけ?」 美佳は柱に隠れたまま、叫んだ。 「おまえを殺せば、手に入る」 ミレーユは砲撃をやめて、言った。 「私が今、持ってるかどうかわからないでしょ」 「悪いな。わたしにはおまえの持っている魔法石の魔気が伝わって くるのだ」 「それは便利でいいわね」 美佳は心の中でミレーユのバカヤローと叫んだ。 「死ね!」 ミレーユは再び砲撃を開始した。 光に包まれた溶解弾が次々と飛んでくる。 「ふざけんじゃないわよ」 美佳は柱を飛び出すと、ミレーユに向けて、黄金銃を乱射した。 グォーン、グォーン!! 飛んでくる溶解弾を逆に美佳の精神弾が撃ち落とす。 「今ネ!」 ナタリーも柱から出ると、ミレーユに向けてクリスタル銃を発射 した。 「ムッ」 発射された白い球体はミレーユのそばで破裂すると、彼女の周り は霧のようなものに包まれた。その途端、ミレーユの大砲から砲弾 が出なくなった。 「ちっ、やられたか…」 ミレーユは呟いた。 「何をしたの?」 美佳がナタリーに聞いた。 「呪文封じの幕を張ったネ。溶解弾はとっても恐いカラ」 「よくやったわ、ナタリー」 ペトラルカも柱から出てくる。 「あんたは気楽ね」 美佳が呆れて言う。 その時、美佳の方へ鋭い剣のようなものが伸びてきた。 「ミカ、危ない!」 ナタリーはとっさに美佳の体を押す。 グサッ! ナタリーの胸を銀色の鋭い剣が突き刺した。 「ナタリー!!」 美佳は思わず声を上げた。 剣は祭壇の方へ真っ直ぐに伸びている。そちらの方へ視線を移す と、その剣はミレーユの伸ばした左腕であった。 「戦いは遊びではない」 ミレーユはそういうと、剣を一気に下へ下ろした。ナタリーの体 が胸から下半身へまっぷたつに切り裂かれる。 ナタリーの肉体からクリスタルの微粒子が流れ出た。それと同時 にナタリーの肉体は前に倒れた。 //ミカ、後は頼んだネ 「え?」 ナタリーの言葉に美佳が戸惑った。 「暗黒神メルクリッサよ、ナタリーを永遠に闇に封印したまえ!」 その時、祭壇のミレーユが壷を頭上に掲げ、呪文を唱えた。 「しまった」 美佳は何とかしようと黄金銃をミレーユに向けて、撃った。しか し、弾丸はミレーユの寸前で消えてしまう。 「そんな……」 //いやあぁぁぁ ナタリーのクリスタル微粒子の体が一瞬にして壷へ吸い込まれた 。 「ナタリー……」 「美佳、ミレーユが溶解弾を撃てないのと同時に、こっちからの攻 撃も奴には通用しないんだ、気をつけな」 ペトラルカが冷静に言った。 「許せない!」 美佳はペトラルカの言葉など耳に入らない様子で、床の壷を拾い 上げた。 「暗黒新メルクリッサよ、ミレーユを闇に封印したまえ!」 美佳も壷を頭上に掲げ、呪文を唱えた。 しかし、ミレーユには何事も起こらない。 「そんな、どうして」 美佳は唖然とする。 「教えてほしいか」 ミレーユは剣となった左手を縮ませ、元の長さに戻した。 「教えてほしいわね」 「ふふ、よかろう」 ミレーユは祭壇から降り、美佳の方へ歩いてくる。「わたしにメ ルクリッサの壷が通用しないのは、壷を作ったのがこのわたしだか らだ!」 ミレーユは突然走りだし、剣を振り上げ、美佳たちに襲いかかっ た。 「チェーンジ、ソード!」 美佳の黄金銃が剣に変わる。 「うおおぉぉ」 ミレーユは美佳の頭上から剣を振り下ろした。 ガシッ! 美佳はその攻撃を剣を横にして、受け止める。 「よくもみんなを殺してくれたわね」 「それはわたしの台詞だ!」 美佳とミレーユは剣の押し合いになった。二人は激しいにらみ合 う。 「美佳、私は律子を助けにいくよ」 ペトラルカは祭壇の方へ駆けていく。 「頼んだわよ」 「うりゃあ」 ミレーユは剣で美佳を押し倒した。力では圧倒的にミレーユが上 である。 「おまえのような小娘に我が息子を取られてたまるか」 ミレーユは剣を振り回した。美佳はとっさに体を転がして、避け る。 「我が息子って……まさか、あなた」 美佳は立ち上がり、剣を構えたまま、ミレーユと間合いを取った 。 「その通り。わたしは昔、フェリカの体を乗っ取っていたバフォメ ットだ。そして、律子の体にいるのがわたしの息子」 ミレーユは剣を構えながら、じりじりと美佳に詰め寄る。美佳も それに応じて後ずさる。 「400年前、わたしはフェリカの肉体を失う前に自らの魔力を他 の女たちに分け与え、わたし自らもファレイヌになったのだ」 ミレーユは剣と化した左手をびゅんびゅん振り回し、美佳を自分 の射程内から逃さないようにする。 「何でそんなことを」 「それは今が一番、この大地に魔界を作りやすいからだ」 ミレーユはついに入り口の扉に美佳を追い詰めた。美佳は扉を押 したが、全く動かない。 「その扉はわたしを倒さぬ限り開かぬ」 ミレーユはローブをはぎ取った。全身銀色の体が現れる。 「この世界に魔界なんか作って、何が楽しいのよ」 「この世界では私が魔王だ!死ねい!」 ミレーユは剣を自分の手前に引いて、そこから真っ直ぐ美佳の胸 に向かって突き出した。 シュッ! ミレーユの剣が空を切った。そして、扉に突き刺さる。 「消えた?」 ミレーユはそう呟いた瞬間、頭上に殺気を感じた。 「やああぁぁ」 頭上からキティ・セイバーが黄金の剣を真っ直ぐ下に向けて、ミ レーユの脳天に突き刺した。 「ぐっ!馬鹿め、わたしは不死身だ」 ミレーユは脳天に突き刺さった剣を右手でつかむと、それを一気 に引き抜いてキティごと投げ飛ばした。 しかし、キティは数メートル飛ばされながらも体を反転させ、体 勢を立て直して着地した。 「ぬっ、おまえは誰だ」 ミレーユはエメラルドグリーンの髪をした少女を見て、言った。 「善と悪のバランサー、キティ・セイバーよ」 白いヘアバンドに白い戦闘服を纏った少女が言った。 「ふっ、それが魔法石で変身した姿か。ちょうどいい、ガイアール の力というものを見せてもらおうか」 ミレーユは扉から剣を引き抜くと、猛然とキティに襲いかかった 。 「ぬおぉぉ」 ミレーユは右手も剣に変え、二刀流でキティに切りかかった。し かし、キティは見切ったようにその攻撃を瞬時にかわしている。 「なぜだ、これまでとは動きが格段に違う」 ミレーユは焦りの色を見せた。 「ぐっ」 その時、瞬間的にミレーユの背後に回ったキティがミレーユの背 中に剣を突き刺した。 「くそぉ」 ミレーユは両手の剣で後ろのキティを挟み込もうとした。だが、 それも空振りとなる。 「全然遅いわ」 キティはミレーユの目の前に立っていた。 「貴様ぁ」 ミレーユはプライドを傷つけられ、怒りに狂って、剣を振り回し た。 魔法さえ使えれば、こんな娘なぞ。畜生、ナタリーめ ミレーユの執拗な攻撃にもかかわらず、キティには傷一つつける ことが出来なかった。それどころか、攻撃を重ねる度にミレーユに は次第に疲労の色が現れ始めた。普通のファレイヌに比べれば、数 十倍の体力を持っているとは言え、やはり限界があった。 くっ、ファレイヌなんて魔法がなきゃ、ただの木偶か ミレーユは初めて自分の体を呪った。その時、ミレーユは自分の 体にかかった魔法封じの呪文が消えていることに気づいた。 チャンスだ。魔法が使える。奴は魔気には鈍感だ。恐らく魔法を 使えることに気づいていまい 「諦めるのね、あんたに勝ち目はないわ。おとなしく姉貴を返して 」 キティは静かに言った。 「ふふ、よかろう。わたしも限界だ」 ミレーユは両手の剣を元の手に戻した。 「ようやく負けを認めたわね。姉貴のところへ案内してもらいまし ょうか」 キティがミレーユのところへ近づく。 射程内だ! 「ひっかかったな、くらえ!」 ミレーユが体を大の字にすると、全身が目映く光った。 「これは−−」 「フォース・キャノン!」 ミレーユの全身から光線が発せられた。 グイーン!! 光線がキティを襲う。 「もらったぁ」 ミレーユは高らかに笑った。 パシィン!! だが、次の瞬間、キティは剣でそれを打ち返した。跳ね返った光 線はそのまま天井に直撃する。 「これで最後よ」 キティの剣が黄金銃に変わった。 グォーン 黄金銃が火を吹く。 「馬鹿め。このわたしにはそんなものは−−」 その瞬間、ミレーユの体を精神弾が貫いた。 「わたしのからだが−−」 突然、ミレーユの体が崩壊し始めた。どろどろと溶けていく。 「そんな馬鹿な。わたしは不死身のはず……」 「世の中に絶対なんてものはないのよ」 キティはミレーユを見て、言った。 「うおぉぉ」 ミレーユは悲鳴を上げ、溶けていった。後には床いっぱいに広が った水銀が残る。 「後はゼーテース……か」 キティはぽつりと呟いた。 14 悪魔の誕生 キティは祭壇の奥に地下への階段を見つけ、降りていった。地下 は教会の内部からは考えられないくらい奥深い通路となっていた。 キティはひたすら長い一本道を進み、ついにドアの前に来た。 「ついに勝負のときね」 キティは息を飲む。 //わたくしには先に行ったペトラルカのことが気になりますわ 「そうね」 キティはドアを開けた。 「あっ」 キティは声を上げた。 地下室には燭台の蝋燭で照らされた祭壇があり、そこに描かれた ペンタグラムの上に律子が寝かされている。律子は全身裸だった。 他には誰の姿も見えない。 「姉貴!」 キティは思わず地下室の中へ足を踏み入れ、祭壇へ向かった。そ の時、キティの背後から何かがすっとキティの頭の上を通り過ぎた 。 //美佳さん エリナが声を上げる。 「なに?」 //ヘアバンドが! エリナの言葉に美佳は立ち止まり、頭を触った。−−ヘアバンド がない! 「ふはは、美佳、魔法石はいただいた」 祭壇から声がした。美佳はそちらの方を見る。 「あっ」 美佳は思わず声を上げた。 祭壇には鷲の巨大な翼をつけた一人の男が立っていたのである。 「あなたは−−」 「私は鳥人ゼーテース。人間で私の姿を見たのはあなたが初めてで すよ」 「ペトラルカはどうしたの?」 「彼女には死んでもらいました。私に弾丸を食らわせたのでね」 「死んだって……ファレイヌは不死身でしょ」 「人間界ではね。実体化した魔界族の私にとっては簡単なことです よ」 「でも、あなただって実体化したってことは、不死身じゃないわけ よね」 「ええ。でも、いますかね、人間界で私を倒せるのが。ケライノー とはケタが違いますよ」 ゼーテースは自信たっぷりに言った。 「私が倒すわ」 美佳は黄金銃をゼーテースに向けた。 「ほお、負けん気が強いですな。しかし、下手なことをすれば、律 子さんは死にますよ」 ゼーテースは寝ている律子の首筋にナイフを突きつけた。 「うっ」 美佳はぎゅっと拳を握り締めた。 「これから誕生の儀式を行います。あなたの持ってきた魔法石でね 」 ゼーテースの手にしたヘアバンドはいつのまにか前の黒い石に戻 っていた。 「そんなことはさせないわよ」 美佳が歩み寄る。 「おっと動かないでください。律子さんが死にますよ」 ゼーテースが律子の首筋にナイフを押しつける。 「あんただって姉貴が死んだら、バフォメットの復活は無理でしょ う」 「律子さんの肉体は換えがききますから、別に構いませんよ」 ゼーテースはしごく冷静に言った。 「くぅ」 美佳は悔しがった。 一体、どうすればいいのよ 「それでは儀式を始めますよ」 ゼーテースはまず律子の全身にまんべんなく瓶に入った透明な液 体を垂らした。それから、彼女の額と両手両足に札のようなものを 張りつける。それが終わると、今度は、彼女の腹部にナイフで模様 を描き始めた。 律子の白い肌にナイフで切った後から血がうっすらと浮かび上が り、模様を作っていく。美佳はどうすることも出来ず、それを見て いるしかなかった。 ゼーテースは続いて魔法石をその模様の中央に乗せた。そして、 呪文を唱える。 「うっ」 律子の表情に苦痛の色が現れた。ゼーテースは構わず呪文の暗唱 を続ける。 −−エリナ、どうしたらいいの //律子さんを殺すしかないですわ −−そんなぁ //悪魔が復活してからでは遅いですわ しかし、美佳にはそれが出来なかった。美佳が迷っている間に、 魔法石に変化が現れた。魔法石が律子の体内にずぶずふと入ってい くのである。 「ダメぇ!!」 美佳はそれを見て、思わず駆け出した。 呪文を唱えていたゼーテースを呪文をやめ、ナイフを美佳に向か って投げた。だが、瞬間的にエリナが美佳の手を離れ、そのナイフ にぶつかった。ナイフが地面に落ちる。 「ちいぃ」 その間にも魔法石はどんどん律子の体内に入っていく。 「姉貴!」 美佳が祭壇を上り、律子の体内に沈みゆく魔法石をつかんだ。 ピカーッ!! その瞬間、魔法石が閃光を放った。 「えーい、放せ!」 ゼーテースは美佳の頭を鷲掴みにした。 「嫌よ、姉貴を悪魔なんかにさせるもんか」 美佳は必死に魔法石を引っ張り出そうとした。 「だったら、殺してやる」 ゼーテースが美佳の頭に力を入れ始めた。 「うあぁ」 美佳が苦しげな声を上げる。 //美佳さんが危ない エリナはナイフに変形すると、勢いよく空を飛び、ゼーテースに 向かって飛んでいった。 「むっ」 だが、ゼーテースは向かってくるナイフのエリナを冷静に叩き落 とした。 「うああぁ」 美佳はゼーテースの力で次第に力を失い、つかんでいた魔法石が 再び律子の体内に沈み始めた。 //美佳さん、ごめんなさい エリナは意を決し、美佳の体内にもぐり込んだ。そして、彼女の 体を制御すると、黄金銃に変化した。 「そうはさせんぞ、エリナ」 ゼーテースは美佳の頭をつかんだまま、一気に放り投げた。 だが、エリナは飛ばされる瞬間、黄金銃の引き金を引いた。 グォーン! 精神弾が真っ直ぐ律子のこめかみを打ち抜いた。 「貴様ぁ!!」 ゼーテースが鬼のような形相に変わり、逆上した。 美佳は地面に叩きつけられる。 「ううっ」 エリナの制御から解放された美佳がうめいた。 「バフォメット様、復活を!」 ゼーテースは律子が息を引き取る前にと、強引に魔法石を律子の 体内に押し込んだ。 〈ぐぎゃあああ〉 その瞬間、律子の体内で悲鳴が起こった。 「!!」 ゼーテースに当惑の表情が浮かぶ。 〈ぐぎゃあああ〉 続いて律子の腹部から押し込んだ魔法石が飛びだし、その穴から 血が勢いよく吹き出した。 「一体、何が−−」 美佳は呆然とその様子を見つめた。 やがて血の噴出が止まると、今度は律子の腹を内側から突き破っ て黒い何かが現れた。 「あれは−−」 美佳は息を飲む。 それは真っ黒い赤子の手だった。その手は律子の体から這い出よ うとしていた。 ズボッ…… さらに律子の腹から黒い顔が現れた。 「あれがバフォメット」 美佳は初めて見る悪魔の顔に衝撃を覚えた。それは形容の出来な い邪悪な顔であった。その顔にはあらゆる憎悪の概念が集約されて いるといってよかった。 〈ゼーテース−−〉 赤子はゼーテースを睨み付けた。赤子の体からは異様な臭気が放 たれ、全身から湯気が立ち上っていた。 「腐ってる……」 美佳は目をしかめて、呟いた。 「バフォメット様、お許しを」 ゼーテースは激しく動揺していた。バフォメットに恐怖を感じて いる顔だ。 〈ゼーテース、よくもわしの体を!おまえはもう用なしだ!〉 「ゼーテース様、お許しを」 ゼーテースは恐怖に取り付かれ、後ずさった。 〈ペッ!!〉 赤子は口から勢いよく唾を吐き出した。唾はゼーテースの顔に直 撃する。 「ぐおぉぉぉ」 ゼーテースは突然、顔を両手で押さえて、わめき出した。美佳は 目を見開いたまま、それを見ていた。 ゼーテースの顔からもうもうと白い煙が出ると、数秒にして、ゼ ーテースの顔、いや頭全体が溶けてしまった。頭を失ったゼーテー スはそのまま荷物のように崩れ落ちた。 「自分の部下を殺すなんて……」 美佳は頭を振った。 〈おまえがガイアールの使徒か〉 黒い赤子は美佳を見た。その目は真っ赤に光っていた。 「あんたがこの世を支配しようとしていた化け物ね。顔より性格が 悪いわ」 美佳は悪態をついたものの、赤子に見つめられ、恐怖のあまり体 が座り込んだまま動けなくなっていた。 〈おまえのせいでわしはこんな姿になってしまった。責任を執って もらうぞ〉 赤子は律子の体から這い出ると、むっくりと立ち上がり、美佳の 方へ歩いていく。 「せ、責任って何よ」 美佳は震えた声で言った。 〈おまえの体をもらう。そこでわしは再び復活のときを待つのだ〉 赤子は笑った。 「じょ、冗談でしょ、わ、わたしの体なんか入ったっておいしくな いんだから」 美佳は自分で何を言ってるのかわからなくなっていた。 〈安心しろ、わしがおまえの体に入っても、おまえにはわたしの記 憶は全く残らない〉 赤子は細かい足取りで美佳の方へどんどん近づいて行く。美佳は 必死に腰をつけたまま、後ずさった。 「そっちの方が嫌よ」 〈もうおまえに選択の余地はない。おまえはわしの母体となるのだ 、ひひひ〉 赤子がじっと美佳を見つめると、美佳は催眠術をかけられたよう にボーとなってしまった。 〈おまえはわしの体となるのだ。光栄に思うがいい〉 赤子は美佳の前まで来た。 〈さあ、裸になれ〉 赤子の言葉で美佳はスッと立ち、服を脱ぎ始める。 〈ガイアールの使徒の体を手にいれれば、わしも天下無敵じゃ〉 赤子は笑った。 //そうはうまくいきませんわ その時、人形に変形したエリナが、赤子の背後からロープを赤子 の首に巻きつけた。 〈ぬうっ、おまえは……〉 //悪魔はおとなしく自分の世界で暮らすのよ エリナは赤子の首をぐいと締めつけた。 〈放せ!〉 赤子はエリナを振りほどこうと暴れた。しかし、エリナもロープ をしっかり握って放さない。 //あなたはこの世界では生きられませんのよ 〈貴様はわしが死んだら、どうなるかわかっているのかぁ〉 赤子は必死の形相で首に巻かれたロープをつかんだ。 //知ってますわ。ファレイヌの魔法が解けて、わたくしは死ぬ のでしょう 〈そこまでわかっているのになぜだ〉 //わたくしは自分の命より美佳さんの方が大切なんです! エリナは精いっぱいの力で赤子の首を絞め上げた。 〈ぐうあああぁぁ〉 赤子は断末魔の悲鳴を上げて、息絶えた。 //これで全てが終わった…… エリナはロープを放すと、赤子はばったりと倒れた。赤子の体か ら湯気がもうもうと吹きだし、溶けてしまう。 「はっ」 美佳は我に返った。最後に残った一枚の下着を脱ごうとしたとこ ろで、慌てて手を止めた。 「どうしちゃったんだろ、あたし」 //美佳さん 「え?」 美佳は声のする方を見た。 半透明な姿の若い女性が立っている。 「だ、誰?」 //エリナですわ 「エ、エリナ……どうしたの、その姿は」 //美佳さん、お別れですわ エリナは寂しげな表情で言った。 「お別れってどういうこと?」 //バフォメットが死に、私たちにかけられた魔法が解けてファ レイヌの呪縛から解放されたのです 「バフォメットは死んだの?」 //ええ、わたくしが始末をつけました。もう安心ですわ エリナは微笑んだ。 「安心って、エリナはどうなるの?」 //冥界へ行くことになりますわ。短い間でしたけど、わたくし 、美佳さんが今までの人生で最高の友達でした エリナの頬に涙が流れる。 「そんなのやだよ。エリナがいなくなったら、あたし、独りぼっち なんだよ」 美佳は泣きそうな顔で言う。 //独りぼっちだなんて、言わないで。わたくしはいつでも遠く から美佳さんを見守っていますわ 「遠くからじゃ、一緒におしゃべりできないじゃない」 //美佳さん、わたくしを悲しませないで。美佳さんとは明るく 別れたい 「エリナ……」 美佳は幽体となったエリナの手を握った。もちろん、実際には握 れるはずもなく、形だけではあったが−− 「わかったわ。エリナ、今までどうもありがとう。あなたのことは いつまでも忘れないわ」 //わたくしもです、美佳さん 「エリナ!」 二人は抱き合った。 //さよなら エリナは美佳の胸の中でスッと消えていった。美佳はしばらくそ のままで立っていた。 「これでみんな、いなくなっちゃった」 美佳はぽつりと呟いた。 「?」 ふと美佳が足下を見ると、金色に輝く黄金銃が置かれていた。 「これは−−」 美佳は銃を拾い上げた。 何でまだ銃に変形してるんだろう。エリナがいないんだから、た だの金の粉末に戻るはずなのに 美佳は試しに銃を構え、精神を集中して引き金を引いてみた。 グォーン! 光の弾丸が壁に命中する。 「これって、どうなってるの?」 美佳は自分の手にした黄金銃を見て、ただただ驚くばかりであっ た。 エピローグ 一九八七年四月。わたし、椎野美佳は高校2年生の春を迎えた。 バフォメットとの戦いで全ての家族を失ったというのに、わたしは いつもとまるで変わらない生活を送っている。朝起きて、学校へ行 って、学校から帰ったらバイトして、家に戻ったらそのまま熟睡と いうパターン。 これも全てはナオちゃんがわたしを引き取ってくれたおかげだけ ど、以前に比べるとちょっと退屈かな、えへへ でも、こうして普通の生活に戻ってみて、やっぱり平和っていい なぁと思った。毎日毎日が同じでも、その日その日を生きられるだ けで素晴らしいと思う。イチゴケーキもソフトクリームも天国じゃ 食べられないものね。 姉貴や隆司がいなくなって、まだ心の中にポッカリと大きな穴が 開いてるけど、きっとこれからの人との出会いの中で埋められてい くと思う。世の中、別ればっかりなんて不公平だもの…… 四月のある夜のこと。 「あー、疲れた。今日は宿題、パスだな」 美佳は自宅のマンションに着くと、大きくため息をついた。 マンションに入り、管理室を通ったとき、管理人に声をかけられ た。 「椎野さん」 「はい?」 「お客さんが来てるみたいだよ」 「客?」 「夕方からずっと待っててね、さっきまでここにいたんだけど、も うすぐ帰ってきそうだから部屋の前で待たせてくれって言って」 「どんな人?」 「椎野さんと同じ高校生ぐらいの感じだったな」 「管理人さん、ありがとう」 美佳は管理人に挨拶して、その場を通りすぎると、エレベーター に乗った。いつものように7階のボタンを押す。 エレベーターが動きだした。 「誰かしら、お客って。クラスの友達ならそんなに長いこと待って るはずもないし。まさかフォルス・ノワールの刺客?んなわけない か、あはは」 美佳は独り言を言いながら、笑っていた。 少ししてエレベーターが7階に着いた。 七〇一号室は通路の奥にある。美佳は鼻歌を歌いながら、通路を 歩いていた。 「あっ、本当だ」 通路を曲がったとき、一番奥の七〇一号室のドアに女の子が背も たれているのが見えた。足下にはスポーツバッグが置いてある。 「あ、あの、あなたがうちのお客さん?」 美佳は女の子のところへ歩み寄り、少々控え目に話しかけた。 誰だろう、全く見たことのない顔だなぁ 「ええ、そうですわ」 女の子はドアから離れ美佳の方を向いて、答えた。 「牧田さんの知り合いとか?」 「いいえ、美佳さんのですわ」 女の子はニコッと笑った。 「美佳さん……その言い方…」 美佳は戸惑いの表情で、女の子を見た。 「わたくし、エリナ・レイです。人間として生まれ変わっちゃいま した。今日からよろしくお願いします」 エリナはそういうと、ペコッと頭を下げた。 「はあ、どうも」 美佳はどう答えてよいかわからず、ただただ頭をかくばかりであ った。 「ミレーユの最期」終わり