第40話「期末試験」 1 凌雲高校1年C組の教室。 昼休みに学級委員の栗原初枝が、教室の後ろの掲示板に期末試験 の時間割を張り出すと、クラスの生徒たちが一斉に時間割の前に集 まった。 「えー、化学が一時間目かよ」 「水曜日は4時間ぶっ続けで試験だぜ、やだなぁ」 などと早速、文句を言う者や、時間割の前に陣取って懸命に手帳 に時間割をメモする者、俺には関係ないよといった素振りを見せな がらも遠巻きに時間割を見る者など人様々である。 「あれ、みんな何集まってるの?」 食堂から戻ってきた椎野美佳は、生徒たちが掲示板に集まってい るのを見て、クラスメイトの上田由加に尋ねた。 「あっ、美佳。期末試験の時間割が発表されたのよ」 「期末試験……もうそんな季節かぁ」 美佳は頭を抱えた。 「美佳は中間試験、散々だったもんね。頑張ってよ」 と由加が気軽に励ます。 「うん……」 「時間割、写す?」 由加が手帳を差し出す。 「後でいいわ」 「ほほほ、平均点17点の椎野さん、そんな呑気なことでよろしい のかしら」 その時、美佳の背後で聞き慣れた声がした。振り向くと、クラス 一の秀才、高見沢桜子だった。 「な、何よ」 「椎野さん、うちのクラスの平均点をいつも著しく下げているのは あなたなのよ。私としてはせめて半分くらいは取ってほしいものだ わ」 「うるさいわね、あんたには関係ないでしょ」 と美佳が文句を言うと、桜子は 「とんでもありませんわ!!」 と甲高い声を上げ、美佳に詰め寄った。「いいですか、椎野さん 。あなたみたいな生徒がうちのクラスにいると、私までバカ扱いさ れるのよ。あなたはいいわ、本当にバカなんだから。でもね、私は 天才なのよ。全国模試で一度だって10位以下に落ちたことがない わ。その私がよ、あなたと同じC組にいるなんて……ああっ、信じ られないわ」 −−くう、反論できないところがつらい…… 美佳は心の中で呟いた。 「高見沢さん、いくらなんでも言いすぎよ」 その時、由加が文句を言った。 「あら、平均点55点の上田さん、私は事実を言ってるのよ」 「ひどぉい、どうして私の中間試験の平均点、知ってるのぉ」 「ほほほ、前に先生の成績簿を盗み見たのよ」 「許せない!美佳、今度の期末試験、高見沢さんに絶対、勝とうよ 」 由加がムッとして言った。 「あたし、パス」 美佳はあっさり手を振った。 「美佳ぁ、どうして」 「勉強はどうしたって高見沢さんに勝てないわ」 さすがの美佳も自信なげだった。 「ほほほ、友情とはもろいものね。まあ、事実なんだから、仕方な いけど。上田さん、あなたも自分の実力を見て、発言なさってね」 桜子はそういうと、厭味な高笑いをしながら、その場を去ってい った。 「ああ、くやしい。美佳を見損なったわ」 「え?」 「美佳は運動だって大して出来ないんだから、勉強ぐらい頑張って よね」 「由加……」 普段、自分を慕っていたと思っていた由加に悪口を言われ、呆然 とした。 「じゃあ、この手帳、貸すから、時間割写したら返して」 由加はそういって、美佳に強引に手帳を渡すと、その場を立ち去 った。 2 その夜の夕食の席で−− 「あんた、友達にそこまで言われて悔しくないの」 椎野律子はテーブルをドンと叩き、強い口調で言った。 「悔しいよ、けど、私の頭じゃ高見沢さんに勝つことなんて出来な いもん」 美佳は元気なく、言った。 「そんなのやってみなくちゃわからないでしょ。努力もしないで、 最初から諦めるなんて負け犬のする事よ」 「どうせ私は負け犬だもん」 美佳は鼻をぐすんとしながら、言った。今にも泣きそうになるの をぐっと堪えている。「私は頭だって悪いし、運動だって出来ない 。それでいいでしょ。もうほっといて」 「バカ!」 律子は美佳の頭を引っぱたいた。 「バカ……」 美佳は律子を睨んだ。 「え、いや、バカっていうのはそういう意味で……」 律子は思わず口ごもった。 「もうむかついた!だったら、今度のテスト、クラスで一番、取れ ばいいんでしょ。取ってやるわよ!」 美佳は席を立つと、カッカッしながら自分の部屋へ戻っていった 。 3 翌日の昼、律子は美佳の恋人である北条隆司を職場近くの喫茶店 に誘って、相談を持ちかけた。 「悪いわね、わざわざここまで来てもらって」 「いいえ、気にしないでください」 「その代わり、何でも注文していいわよ」 「何でも言ってもここはコーヒーしかメニューにありませんよ」 「あら、そうだったかしら」 そうして、二人はコーヒーを注文した。 「それで何の相談ですか」 北条はコーヒーに砂糖を入れながら、言った。 「それがね−−」 律子は昨夜の出来事を北条に話した。 「あははは」 それを聞いて、北条は笑った。 「何がおかしいの?」 律子は顔をしかめた。 「ああ、すみません。ただ、美佳らしいなと思って。律子さんがそ んなに心配するほどのことはありませんよ」 「そうかしら。私、心配なのよ。学校遅刻しても、先生に怒られて も、成績悪くても、平然としてるでしょ。こう負けん気というか、 やる気というものを感じないのよね。昔はあんなじゃなかったよう な気がするんだけど」 「あいつは根性ありますよ。ただ他人から見ると、枠に外れた生き 方してるから、そう見えるだけじゃないですかね」 「私は他人じゃないわ」 「でも、美佳を社会の枠の中で見ようとしてるでしょ」 「え!?」 「律子さん、あいつの中学時代のこと、知ってますか」 「それは−−」 「確か律子さんは美佳が小学校6年の時に上京したんですよね」 「え、ええ。でも、美佳とは連絡は取ってたわよ」 「それなら、美佳がなぜ運動が苦手か知ってますか」 「さあ。そういえば、昔はテニスとかやってて運動が得意だったよ うな気がしたけど」 「そう。美佳はテニスの腕はかなりのものですよ。僕が高校1年の 時、彼女が中学の方に入学したんですが、テニス部は共同練習だっ たので、僕も何度か美佳のテニスを見ましたけど、本当に凄かった 。もし怪我がなければ、今頃はインターハイで上位に行ってかもし れませんね」 北条は思い出すように言った。 「ちょっと待ってよ、怪我って何?」 「知らないんですか、美佳は中学1年の時、テニスの試合中に両足 のアキレス腱を切ったんですよ」 「アキレス腱を……」 律子の顔が曇った。 「美佳はテニス部で1年で選手に選ばれたりして、かなり期待され ていたんですけどね。あの怪我のおかげで−−」 「そう……」 美佳が中1の時って言えば、お父さんと喧嘩がまだ続いてて2年 近く連絡取ってなかったのよね 「それで今は?」 「怪我はもう治ってるんだけど、美佳の心にはまだ脅えがあるみた いですね。まあ、あいつは表面ではそんな素振り全く見せないけど 」 「リハビリとかやったんだ」 「ええ、1年くらい。俺はあいつに立ち直ってもらいたかったから 、クラブをやめて、付き合いましたよ」 「そういえば、美佳と北条君の馴れ初めって聞いてなかったわね」 「そんなことはいいですよ。それより、この話は美佳には言わない でください」 「わかったわ」 「とにかく、あいつはアキレス腱断裂からも立ち直ったくらいです から、根性はあります。僕が保証しますよ」 北条がニコッと笑って、言った。 「そうね。北条君、美佳のこと、話してくれてありがとう」 律子は素直に礼を言った。 4 さて、同じ頃、凌雲高校では−− 美佳は珍しく屋上で一人、食事を取っていた。 「ああ、ここにいたんだ……」 由加は屋上の隅のマットに座って食事をしている美佳を見つける と、少々ぎこちない様子で歩み寄った。 「あら、由加。一緒に食べない?」 美佳は由加を見ると、笑顔で言った。 「美佳……ごめん、昨日、あんなひどいこと言って。今朝、謝ろう と思ったんだけど」 「昨日?由加、何かひどいことなんか言ったっけ?」 美佳は不思議そうな顔をして、言った。 「ごめん。美佳は大事な友達なのに」 「何、泣きそうな顔してんの、変な由加。さあ、ここに座って」 美佳は自分の隣のマットをぽんと叩いた。 「うん」 由加は元気を取り戻して、美佳の隣に座った。 「由加、私がクラスで一番になったら、嬉しい?」 「え?」 「もしもの話よ」 「それは−−」 「私ね、中学校の時、運動が出来て、頭がいいとかって言われたこ とがあったんだ。由加が聞いたら、驚くかもしれないけど。その時 、私、テニス部で唯一の一年生選手でね、学校の構内テストで第1 位だったんだよ。あの時はみんな、私を尊敬の眼差しで見てくれた し、私も有頂天になってた。でも、それと同時にみんなから期待さ れればされるほど、このまま今の自分を維持できるかなって不安も あったんだ」 「……」 由加は黙って美佳の話を聞いていた。 「その不安がスバリ的中してね、秋の大会でアキレス腱切って、テ ニスは絶望。そのショックで勉強も手に付かなくなっちゃって。半 年後にはクラス一番のビリになったわ」 「美佳……」 「その時のみんなの視線が冷たくてさ。私の中学、高校へはエスカ レーター式に行けたんだけど、結局、逃げてきちゃった」 美佳の目にいつのまにか涙がたまっていた。「あれ、何か変な話 になっちゃったね。実際、東京の高校に来たのは、恋人の近くにい たいとか、声優を本格的にやりたいとか、そっちの方の理由が強く て、さっきのことは関係ないからね」 美佳は慌てて否定した。 「……」 「由加、私、頑張るよ。今度の期末試験。1番は無理かもしれない けど−−」 美佳は苦笑して、言った。 「うん」 由加は笑顔は頷いた。 5 二週間後−− 期末試験が一段落し、放課後、凌雲高校2階の掲示板に凌雲高校 恒例の学年別期末試験の順位が張り出された。 掲示板の前は多数の学生で賑わっている。 「ほほほ、総合ではやっぱり私が一番ですわ。し、しかし、川島さ んに英語で負けるとは……」 高見沢桜子は全科目トップにたてなかったことに少なからずショ ックだったようだ。 しかし、美佳と由加の姿を見つけると、途端に態度がまた横柄に なった。 「ほほほ、美佳さん、やっぱりビリでしたのね」 桜子は美佳たちに歩み寄ると、あからさまにビリに位置する美佳 の名前を指さしながら、言った。 「でも、約束は守ったわ」 美佳はニコッと笑って、言った。 「は?」 「ビリから1番でしょ。つまり、トップってことよ」 桜子は美佳の言葉に一瞬、唖然としたが、すぐに気を取り直し、 「ほほほ、ビリから一番ですって。よく恥ずかしくもなく、そんな こと言えますわね」 「残念だったね、英語でトップになれなくて」 「うっ」 どうしてそれを−− 桜子は一瞬、胸をつかれた気がした。 「私は今回もビリだったけど、でも、1科目だけ半分取ったよ。他 は全部、10点代だったけど。今回はそれで勘弁して」 美佳は謝った。 「椎野さん」 「美佳、早く帰ろ。バーゲン、終わっちゃうよ」 由加が美佳の腕を引っ張る。 「じゃあね、高見沢さん。気を落とさないでね」 美佳はそういうと、由加と一緒に階段を降りていった。 「な、何なのよ、あの子は」 何となく一人取り残されたような桜子はしばらくもやもやとした 気分で、その場に立ち尽くしていた。