第37話「演劇部怪事件」前編 登場人物 椎野美佳 高校生1年生。ファレイヌの使い手。 安達小百合 高校3年生。演劇部の部長 波多野雅彦 美佳の同級生。演劇部部員 片瀬葉子 英語の教師で、演劇部顧問 1 勧誘 例年にない寒気が押し迫った10月の下旬、凌雲高校では中間試 験が一段落し、学生たちの関心は11月始めの文化祭へと移ってい た。もちろん、それは椎野美佳のいる1年C組でも例外ではなく、 担任が受持ちの6時間目の授業を潰して、文化祭の出し物について クラスで話し合いが行われていた。 「ええと、今、お化け屋敷、たこ焼き屋、クレープ屋、お好み焼き 屋、カラオケ屋、それから映画上映などの意見が上がっていますが 、他に何か意見はありますか」 教壇に上がった学級委員の栗原初枝が黒板を見ながら、言った。 生徒たちはしばらくがやがやと近くの生徒同士で話し合っていた が、やがて一人の男子生徒が手を上げた。 「はい、武藤君」 「この際、出店なんてどこのクラスでもやってるから、うちのクラ スではもっと芸術的なことをやったらどうでしょう」 と武藤が言うと、一斉にエーッという不満の声が生徒の間で上が る。 「芸術的なこととは具体的にどんなことですか」 栗原が尋ねた。 「例えば、みんなで一枚の絵を描くとか、銅像を作るとか−−」 と武藤が言うと、 「バカヤロー、そんなもん、美術部にやらせときゃあいいんだよ」 「ただでさえ、クラブで忙しいのにそんなことやってられねえよ」 「そんなもん見て、誰が喜ぶんだ」 「めんどくさい」 「つまんない」 などの罵声が飛んだ。 「わかりました。他に意見は?」 栗原初枝は学級委員らしく冷静に対処する。 しかし、もうどうでもよくなってきたのか、これ以上は誰も手を 上げなかった。 「では、採決を取ります。黒板に書いた7つの中から一つだけ選ん で、手を上げてください。それでは、始めます」 こうして栗原は黒板に書いた出し物を一つ一つ読み上げ、その都 度生徒たちに賛成なら手を上げさせて、その数を黒板に記入した。 「では、結果を発表します。お化け屋敷3、たこ焼き屋3、クレー プ屋11、お好み焼き屋7、カラオケ屋8、映画鑑賞5、芸術作品1 で、クレープ屋さんに決定しました」 栗原が言うと、生徒たちからの歓喜の声が上がる。既に6時間の 授業時間を15分も過ぎていたので、生徒たちもいらいらしていた のだった。 「では、この意見を文化祭執行委員会に提出します。それでは、時 間もないようなので、これで本日の学級会を終わります」 栗原が一礼して、自分の席についた。 それまでみんなの意見を黙って聞いていた担任の木村は教壇に戻 り、簡単にホームルームを済ませた。 「起立」 栗原が先に席をたって言うと、生徒たちもそれに従って一斉に立 つ。 「礼」 と栗原が言うと、全員教師に礼をして、その日の授業がようやく 終わった。 生徒たちが一斉に席を後ろへ運ぶ。もちろん、教室掃除のためで ある。 「さて、帰ろうかな」 今週は掃除当番のない美佳は鞄を持つと、さっさと教室を出てい った。 「美佳、帰るの?」 廊下でクラスメイトの上田由加が美佳に声をかけた。 「うん」 「いいなぁ、美佳は帰宅部だから」 由加は羨ましそうに言った。 「由加、何かクラブに入ってたっけ?」 「失礼だなぁ、私これでも手芸部なんだよ」 「へえ、そうだったんだ」 「うちの部は普段あんまり活動しないんだけど、文化祭前になると 帳尻合わせに活動するの。今年はセーターとかマフラー作って、即 売会開こうなんてことになってるから、大変で」 由加が大きくため息をついた。 「面白そうね」 「そう?だったら、うちの部に入ってよ。美佳なら歓迎しちゃう」 「駄目よ。私、バイトで忙しいもん」 「そっか。声優さんだもんね。じゃあさ、文化祭、終わったら、一 緒にまた帰ろうね」 「わかった。じゃあね」 「バイバイ」 美佳は由加に手を振って、別れた。 「帰宅部ってのは、こういう時になると一人ぼっちなのよね」 美佳は下駄箱で靴を履き替えながら、ぽつりと呟いた。1年C組 では、クラブに入っていないのは美佳一人であった。 「あっ、椎野、ここにいたんだ」 同じクラスの波多野雅彦が少し息を切らしながら、美佳のところ へやって来た。 「あら、波多野君、何か用?」 「うん。椎野、今日、暇か」 波多野は何か言いにくそうな顔で尋ねた。 「これからバイトがあるんだけど」 「いや、そんなに時間は取らせないよ。椎野に頼みがあるんだ」 「頼み?どんなこと」 「言いにくいんだけど、演劇部に入ってもらえないか」 「演劇部!」 美佳が驚いて声を上げた。 「この通りだ、頼む」 波多野は頭を下げた。 「そんな困るよ。私、声優の仕事、休めないもん」 美佳は困った顔をして言った。 「それはわかってる。だけど、そこを何とか。俺、椎野が入ってく れるなら、何でもするよ」 そういうと、波多野は突然、土下座を始めた。 「ちょっと波多野君、やめてよ。そんなことされたって、私−−」 「頼む、今度の劇が出来なかったら、演劇部が潰れるかもしれない んだ」 「演劇部が潰れるって……そんなに深刻なの」 「部員が5人しかいないんだ」 「ご、5人って……波多野君、顔を上げて。話だけでも聞くから」 「うん」 波多野はようやく土下座を止めて、立ち上がった。 「確か演劇部って結構人数いなかったっけ?」 「1月前までは18人いたんだ。だけど、みんな、突然、やめちゃ って」 「どうして?」 「わかんないよ。聞いても教えてくれないんだ」 「辞めた人の内訳は?」 「一年生が8人、二年生が7人さ。三年生は受験で1学期だけで活 動は終わりなんだけど、部長が説得してくれて二人だけ戻ってきて くれたんだ」 「すると、今の五人というのは?」 「僕と2年の先輩と、三年生の部長と戻ってきてくれた二人だよ」 「それじゃあ、壊滅状態じゃない」 「ああ。もし今年、文化祭で劇が出来なかったら、廃部さ」 「何とか部員を集められないの?」 「みんな、どこかのクラブに入ってるから駄目なんだ。椎野だけな んだよ、クラブに入ってないのって」 「でもなぁ、文化祭まで2週間もないでしょ。私は放課後はどうし ても残れないし−−劇の練習する時間ないわ」 「朝とか、昼休みがあるじゃないか」 「昼休みはともかく朝は起きる自信ないなぁ」 「それでもいいよ。とにかく、文化祭まででいいから頼むよ」 波多野はまた頭を下げた。 美佳はしばらく考え込んでいたが、 「わかった。協力するよ」 「本当か」 波多野が顔を上げた。「だったらさ、明日、一緒に部室へ来てく れよ。よかった、一人でも入ってくれれば、大助かりだ」 波多野は大喜びだった。美佳はそんな彼の顔を見ながら、何とな くつられて微笑んだ。 2 脅迫電話 午後10時、椎野美佳は声優の仕事を終えて、自宅のマンション に帰ってきた。 「ただいま」 玄関に出迎えた姉の律子に美佳は挨拶した。 「お帰り。相変わらず、遅いのね」 「うん。あー、疲れた。姉貴、ご飯」 美佳は靴を脱ぐと、重い足取りで家に上がった。 「すぐ用意するから、手洗って、服着替えてらっしゃい」 「うん。でも、服は後で着替えるよ」 美佳はそういって、洗面所の方へ行った。 美佳は石鹸で手を洗いながら、鏡の方を見た。鏡に自分の顔が映 る。 −−最近の私って疲れた顔してるなぁ。こんなんで、演劇部の活 動、やっていけるかな 美佳はぼんやりとした不安を覚えながらも、それをふっきるよう に顔に水をかけた。 さて、手を洗い終わって、DKに戻ると、すでに食卓には電子レ ンジで温めたおかずとご飯が用意されていた。 「あー、味噌汁がなぁい」 席につくと、美佳が不平を言った。 「贅沢言わないの。味噌汁作ってる暇がなかったんだから」 「じゃあ、何か飲み物ちょうだい」 「コーラぐらいしかないわよ」 「それでいい」 仕方なく律子は椅子から腰を上げ、冷蔵庫からコーラのペットボ トルと、棚からコップを取り出して、美佳のテーブルの前に置いた 。 「どうもありがとう。では、いただきまーす」 美佳は早速、夕食にありついた。 「美佳、このところ、忙しいようだけど、学校の方は大丈夫なの? 」 律子は美佳の食べる様子を見ながら、尋ねた。 「学校ならちゃんと行ってるよ」 「そんなの当然でしょ。私が聞きたいのは宿題のことよ」 「宿題ならいつも学校でやってるから大丈夫よ」 「学校で−−ねぇ。それじゃあ、宿題じゃないじゃない」 律子が呆れ顔で言った。 「仕方ないでしょ、うちへ帰ったら、もう疲れちゃって勉強になん かならないもん」 「少しは仕事減らしなさいよ」 「そうしたいんだけど、10月の番組改変のおかげでレギュラーが 二本、増えちゃったのよ。私はオーディション、受けるつもりはな かったんだけど、前原さんがどうしてもっていうから受けたらさ、 選ばれちゃって」 前原とはRTVのプロデューサーである。 「そのうち、倒れるわよ」 「私もそう思うんだ、最近。そういえば、今日さ、演劇部の人に入 部してくれって頼まれちゃって」 「それで入部したの?」 「うん」 「そんなことして、大丈夫なの?」 「わかんない。でも、何とかなるでしょ」 「相変わらず呑気ね」 その時、玄関前の廊下にある電話が鳴った。 「姉貴、電話」 美佳がコロッケを食べながら、言った。 「美佳、出てよ。さっきから無言電話がかかってきてるのよ」 「無言電話?もう仕方ないなぁ」 美佳は席をたって、廊下の電話を取った。 「はい、椎野ですけど」 『……』 相手からの返事がない。 「もしもし、どちらさまですか。用がないなら、切りますよ」 美佳がやや強い口調で言った。 『椎野美佳……』 突然、男とも女ともつかぬような低く重たい声が聞こえてきた。 『……演劇部をやめろ……さもなくば、殺す……プツ』 電話はそこで切れた。 「何なの、これ」 美佳はしばらく受話器を手にしたまま、その場に立ち尽くしてい た。 3 幽霊? 翌朝、美佳はいつもよりも早く凌雲高校に登校し、演劇部の部室 を訪ねた。 部室には5人の部員、全員が揃っていた。 「おはよう。椎野、朝早くから来てくれたんだ」 波多野が笑顔で出迎えた。 「波多野君、話があるの。ちょっと来てくれる」 「話?」 波多野は美佳の真剣な表情に顔を曇らせた。それは他の部員たち も同様だった。 「あなた、椎野さん?」 波多野の後ろにいた上級生らしい女生徒が美佳に尋ねた。 「はい」 「私は演劇部の部長の安達小百合。もしよかったら、その話をここ でしてもらえるかしら」 「え?」 「間違ってたら、ごめんなさい。もしかして、椎野さんの話って脅 迫電話のこと?」 「え、ええ」 「そう……」 小百合はやっぱりと言わんばかりに、俯いた。 「どうして知ってるんですか」 美佳が尋ねた。 「椎野−−昨日は黙ってたんだけど、実はうちの部員が次々と辞め た原因がその脅迫電話らしいんだ」 と波多野が重々しい口調で言った。 「どういうこと?」 「あれは10月の初めぐらいだったかな。演劇部の部員たち全員の 家に脅迫電話がかかってきたんだ。『演劇部を辞めろ、さもなけれ ば殺す』ってね」 「私の家にかかってきたのもそんな内容の電話だった」 「この脅迫電話は翌日、演劇部内で話題になってね。部員たちも結 構不安がってたんだけど、その時は部長がうまくまとめてくれて収 まったんだ。けど−−」 波多野は口をつぐんだ。 「どうしたの、波多野君」 「椎野さん、ここから先は私が話すわ」 と小百合が言った。 「部長」 波多野が小百合を見る。 「このまま黙っているよりもちゃんと話しておいた方がいいと思う の。実はね、部員たちへの嫌がらせが脅迫電話だけじゃ済まなくな ったのよ」 「というと?」 「最初の脅迫電話から三日ぐらいして、最初の退部者が出たの。そ の子は1年生の女生徒でただ学業上の都合とだけ言って、何かに怯 えるようにして辞めていったわ。それからは毎日のように一人、ま た一人と−−2週間もたたないうちに18人いた部員はたった3人 になってしまったの」 「それはひどいですね」 「原因はすぐにわかったわ。私たちの身のまわりでも起こったから 」 「起こった?」 美佳は小百合の奇妙な言い回しに聞き返した。 「ええ。幽霊が出たの」 小百合は美佳を見て、言った。 「ゆ、幽霊?」 「私の場合、夜中に突然、私の寝室に現れて、『演劇部を辞めなけ れば、殺す』って脅迫したわ。他にも道を歩いていると、誰かの視 線を感じたりとか、剃刀の入った脅迫文が送られてきたりとか、玄 関のドアの前に鼠の死骸を置かれたりしたわ」 「私は駅の階段から突き落とされそうになった」 二年生の女子部員が言った。 「波多野君は?」 「俺も部長の言っているのと同じ目にあった。試験勉強してたら、 突然、電気が消えて、金縛りにあったんだ。そして、セーラー服を 来た女の子の幽霊に脅かされた」 「幽霊って女の子なの?」 「ええ。顔は見たことないけど、制服はうちの学校のものよ」 と小百合が答えた。 「そんな幽霊なんて。でも、幽霊が電話なんかかけたり、脅迫文か いたりするのかしら」 「わからないわ。でも、辞めてった部員たちはすっかり怯えちゃっ て、いくら説得しても戻ってきてくれないの」 小百合は大きく横に首を振った。 「先生には相談してみたんですか?」 「ええ。でも、顧問の片瀬先生は幽霊なんて馬鹿げてるって言って ちっとも取り合ってくれないの。あの先生、私が入部した時から演 劇部に冷たいから」 「し、椎野」 波多野が少しためらいながら言った。「辞めたかったら、辞めて もいいよ。俺たち、もう覚悟は出来てるんだ」 「何言ってんの、波多野君らしくない。私は一度やるって言ったか らには、最後までやるわよ」 「椎野、いいのか」 「いいに決まってるでしょ。幽霊なんかこわくて、悪魔となんか戦 えないわ」 「え?」 「あっ、何でもない、何でもない。ただの独り言。部長、文化祭ま でですけど、よろしくお願いします」 美佳は小百合に頭を下げた。 「こちらこそ、よろしく」 小百合も美佳の態度に少々驚いた様子だった。 「そうすると、部員は6人になりましたね」 美佳は小百合たち5人を見渡して言った。「劇は何をやるんです か」 「最初は小公女をやるつもりだったけど、部員の関係で私がオリジ ナルのシナリオを書くことにしたの」 「もうシナリオは出来てるんですか」 「ええ。でも、このシナリオだと後一人、部員が必要なの」 小百合がため息をついて、言った。 「後一人ですか」 美佳は考え込んだ。 「うちの部は男子は波多野君だけになっちゃったから、出来れば男 の子がいいんだけど、なかなか見つからなくて」 「男子ですか−−そうだわ、一人、思い当たるのがいます」 「本当に?でも、脅迫事件のこともあるし−−」 「大丈夫。私が無理矢理に引きずり込みますから、任せといて」 「そ、そう、じゃあ、お願いしようかしら」 「ようし、決まった。みんな、今日から張り切って練習よ。幽霊な んか現れたら、ぶっとばっしゃえばいいんだから」 美佳は張り切って言った。 「何か椎野さんって頼もしそうね」 小百合は波多野に小声で話しかけた。 「そ、そうですね」 波多野は美佳がこれほど恐いもの知らずな生徒だと同じクラスに いながら初めて知ったのだった。 4 疑問点 昼休み、美佳は波多野を屋上に連れ出し、フェンスの下に腰を下 ろして食事を取った。 「波多野君、悪いね。付き合わせて」 美佳はヒレカツサンドを頬張りながら、言った。 「俺は別に構わないけど。でも、椎野って本当に度胸あるんだな」 「ん、何で」 「普通、あんな幽霊話聞いたら、怖がるもんだけどな」 「そうかな。私って恐いの慣れてるから」 「そんなに慣れるほど恐いめにあってるわけ?」 「うん−−そうでもないけど、それより、波多野君に聞きたいこと があるのよ」 「何」 「私が演劇部に入ることを決めたのは昨日よね。それなのに、昨日 のうちに脅迫電話がかかってきたわ。これって凄い重要なことだと 思わない?」 「どういうこと?」 「波多野君さ、私が演劇部に入ること、誰に話した?」 「その日のうちに部員全員に伝えたよ。本当は部長だけに言うはず だったんだけど、つい嬉しくなっちゃって」 「他には?」 「部員だけだよ」 「本当に?」 「ああ」 「そうすると、もし昨日、私の家に脅迫電話をかけてくる奴がいる とすれば、それは部員の中の誰かってことになるわよね」 「まさか、そんな」 波多野は思わず腰を上げた。 「部員は5人。そのうち、波多野君が犯人であることは絶対ないか ら、残るは4人よね」 「ちょっと待ってくれ。君が入部することを僕が伝えたのは、4人 だけど、その4人から他の人へ伝わってる可能性だってあるじゃな いか」 「それはちょっと考えにくいなぁ。だって、私が入部することは今 日、演劇部の部室に来たことで初めて決まったわけで、昨日の時点 ではまだ口約束だったわけでしょ」 「それはそうだけど、考えられないよ、先輩たちの中に犯人がいる なんて」 「でも、可能性はあるわ。もっと絞ってみようか。4人のうち、部 長に頼まれて入部した3年生部員は、幽霊事件の後だからこれは除 外してもいいわね。そして、部長にしても本当は受験でやめなきゃ いけないのに、あえて演劇部の部長を続けてるんだから、これも除 外。そうすると、残りは2年生の−−何て名前だったっけ?」 「川名先輩か。それはないと思うよ」 「どうして?」 「どうしてって、そんなことをする理由がないじゃないか」 「それもそうね。ところでさ、波多野君は今回のこと、本当に幽霊 の仕業だと思ってるわけ?」 「わかんないよ。幽霊なんて馬鹿げてるとは思うけど、人間がやっ たとは思えない不思議なことが現実に起きてることを考えるとね− −」 「私は幽霊を信じないわけじゃないけど、何か引っ掛かるんだよね 。まぁ、いいわ。考えたって、どうにかなるもんでもないしね。− −それにしても、遅いなぁ」 美佳は腕時計を見て、言った。 「誰か来るの?」 「うん。新しい部員候補がね」 美佳がそういった時、昇降口から一人の男子生徒が姿を現した。 「あ、来たわ」 美佳が現れた男子生徒の方を指さすと、波多野もその方向を見た 。 「し、椎野、あれは−−」 波多野は思わず驚きの声を上げた。 「そう、田沢吉行君よ。男子部員にするには申し分ないでしょ」 美佳がウインクして、言った。 「それはそうだけど、彼がうちの部になんか入るかな」 波多野がいぶかしがっている間にも美佳は田沢を呼んだ。 「何だ、チャッケか。呼んだのは」 田沢は面倒臭そうな顔をして、美佳を見た。田沢の髪はぼさぼさ 頭で、髪の長さは肩ぐらいまで伸びていた。背丈は185センチく らいで、見た目にもがっちりとした体格をしていた。服装は詰め襟 の上着のボタンを外し、中のTシャツの裾もズボンから出していた 。 「相変わらず、見苦しい格好だなぁ」 美佳は目をしかめて、言った。 「うるせぇな、てめえにとやかく言われる筋合いねえよ。それより 、何か用か」 田沢は美佳の隣にいる波多野をちらりと見やってから、言った。 「そう、大事な用があるの。タキチさ、演劇部に入ってくれない」 「−−な、何、今、何て言った?」 「聞いてなかったの。タキチに演劇部に入ってほしいって言ってる の」 「バカヤロー、ふざけんな!何で俺が演劇部に入らなきゃいけねえ んだよ」 田沢は思わず向きになって言った。 「いいじゃない、どうせあんた暇でしょ。今、演劇部は部員が少な くて大変なの。文化祭の公演まででいいから、協力してよ」 「冗談だろ。俺はごめんだぜ。大体、俺はみんなで協力して何かや ったりするのが嫌いなんだ」 「この際、あんたの好き嫌いなんかどうだっていいの。手伝ってよ 。私だって協力するんだから」 「やだね」 「やだねって……どうあっても、駄目なわけ」 「駄目なもんは駄目だ、悪いな。じゃあ、帰るぜ」 田沢が美佳に背を向けて、昇降口の方へ帰ろうとする。 「待ってよ」 美佳は田沢の背中に抱きついた。 「何だよ、チャッケ」 「手伝うっていうまで離さない」 美佳は田沢の腹の方に回して両手をぎゅっと握りしめて、言った 。 「ガキみてえなこと、言ってんなよ」 田沢は美佳の手を振りほどこうとするが、美佳も意地になって、 田沢の体から離れない。 「この野郎、ぶっとばされてえのか」 といって田沢が手を上げた時、それまで黙っていた波多野が口を 開いた。 「田沢君、僕からも頼むよ。今度の文化祭公演が出来ないと、演劇 部が潰れてしまうんだ。お願いだ。僕に出来ることなら何でもする から」 「てめえか、チャッケをけしかけたのは」 田沢は怒りのあまり、思わず波多野を殴り飛ばした。 「波多野君!」 美佳は田沢から離れ、倒れた波多野に駆け寄った。「大丈夫?」 「うん、平気だよ」 波多野は少し口から血を流していた。 田沢はそんなことは気にもとめず、昇降口へ歩いていく。 「タキチ、あんたなんかもう絶交よ!!」 美佳は田沢の背中に向かって怒鳴った。 しかし、田沢は振り向くことなく昇降口へ消えていった。 「波多野君、ごめん。こんなはずじゃなかったのに」 「いいよ、椎野は演劇部のためにしてくれたんだから」 「でも、あいつ、滅多なことで暴力振るう奴じゃないんだけど」 「田沢と椎野ってどういう関係なの?」 波多野は体を起こして、言った。 「どういう関係って−−ただの喧嘩仲間って感じかな」 「それだけかな。俺には何となく嫉妬心を感じたんだけど」 「嫉妬心?どういうこと」 「いや、何でもないよ。それより、もうすぐ昼休みも終わるし、教 室へ行こう」 波多野は何か考え込むような様子で言った。 5 部室の会話 その日の放課後、美佳は演劇部の部室に立ち寄った。部室には部 長の安達小百合がいた。 「あら、椎野さん、どうしたの?放課後は出られないんじゃなかっ たかしら」 「ええ、そうなんですけど、一応、家で脚本だけでも目を通してお きたいと思って」 美佳は照れくさそうに頭を掻いて、言った。 「そう、さすが声優さんね。ちょっと待ってて」 小百合は自分の鞄を開けて、中から脚本を一部取り出した。 「一応部員の配役は決まってるけど、もし椎野さんがどうしてもや りたい役があるんなら、明日私に言って。何とか調整するから」 「そんな、私は余った役でいいです」 「そう、だったらこの役をお願いできるかしら」 小百合は脚本のページを開いて、配役の部分を指さした。 「魔法使いのお婆さんと悪戯ネズミの役ですね。わかりました」 「ごめんね、あんまりいい役じゃなくて」 「そんなことないですよ」 「明日はいつ出てこれる?」 「何とか朝から出ます。ちょっと自信ないけど」 「そう。じゃあ、待ってるから」 小百合がそういった時、部室の戸がノックされた。 「どうぞ」 小百合が言うと、戸が開いて、演劇部の顧問で英語教師の片瀬葉 子が入ってきた。急に部室の雰囲気が重苦しくなった。 「あら、あなたは?」 片瀬は美佳の方を見て、言った。 「あのぉ、今度、演劇部に入った1年の椎野美佳さんです」 小百合が説明した。 「そう。椎野さん、悪いけど、安達さんと大事な話があるから、ち ょっと部室を出てもらえる?」 片瀬は邪魔者を見るような目で椎野美佳を見ながら、言った。 「は、はい」 「じゃあ、椎野さん、明日」 小百合は笑顔を作って、美佳に手を振った。 美佳も軽く挨拶して、部室を出た。しかし、美佳は何となく気に なって、部室の壁に聞き耳をたてた。 中からは早速、片瀬の声が聞こえてくる。 「安達さん、あなた、退部した3年生部員を二人、また呼び戻した そうね」 「はい」 「どうしてそんなことをしたの?安達さんだってわかってるでしょ 。3年生のクラブ活動は原則として1学期までだって」 「はい。でも、先生、今、うちの部は部員が足りなくて文化祭でや る劇が出来ない状態なんです」 「部員が足りないなら、下級生を集めればいいでしょ。今の時期、 三年生は大学受験で大変なのよ。安達さんだってわかるでしょ」 「それはわかりますけど、下級生はみんな他の部に入っていて、ど うしても集まらないし、加藤さんたちも文化祭までならということ で引き受けてくれました」 「それは建前よ。安達さん、もし今度の劇がきっかけで、二人が大 学に落ちたらどうするつもりなの。あなたに責任がとれる?加藤さ んたちは多分あなたとの友情を大事にして引き受けたのかもしれな いけど、二人のご両親は大変心配していらっしゃるのよ」 「−−すみません」 「あなただって来年は受験するんでしょう。演劇部のことは後輩に 譲って、あなたも勉強に専念した方がいいと思うわ」 「私は今の部を見捨てるなんて出来ません」 「そう、それならそれでいいけど、加藤さんたちの部活動は認めま せんからね」 「……」 美佳は部室内の二人の会話を聴いているうちに段々腹が立ってき た。 −−何なのよ、あの先公は。部長にあんなひどいこと、言うなん て 美佳はこれ以上聴いていると、部室に駆け込んで怒鳴り散らして しまいそうだったので、憤懣やる方ない様子でその場を離れた。 続く