第35話 「暗躍」前編 登場人物 椎野美佳 ファレイヌの使い手。高校生。 河野 フォルス・ノワールのメンバー プルードン KGBの諜報部員 R・ポップマン CIA長官 1 KGB 一九八六年−− 十月のある平日の東京K遊園地。週末に比べると、さすがに人 の数は少ないが、それでも今朝は雲一つない快晴の天気という事も 合い重なり、修学旅行で来た学生や観光客の一団などで結構、賑わ っている。その中には、椎野美佳と警視庁の刑事、羽山の姿があっ た。二人は遊園地の一角にある休憩所のベンチに座っていた。 「今日はどうもすみません。平日なのにつきあってもらって」 羽山は隣でポップコーンを食べている美佳に申し訳なさそうに言 った。 「別に気にしないで。どうせ体育祭の振替休日で休みだったんだか ら」 「普通の企業みたいに日曜がいつも休みだといいんですけどね」 「しょうがないわよ、刑事さんは」 美佳はニコッと微笑む。それを見て、羽山は顔を真っ赤にした。 「あの椎野さん−−」 羽山は改まったように口にした。 「別に美佳でいいわよ」 「あっ、はい、あの美佳さん、一つ聞きたいことがあるんですけど いいですか」 「いいよ。いきなり数学の問題とか出されたら、怒るけどね」 「−−美佳さんには今、付き合っている人はおられますか」 羽山はうつむいたまま尋ねた。 「いるよ」 美佳はしごく当然に答えた。 「え!」 羽山は驚いて美佳を見た。 「そうですか……」 羽山は少し肩を落とした。 「恋人がいるのに自分と付き合うなんて許せないと思ってるんでし ょ」 美佳は羽山の様子を見て、言った。 「いいえ、そんなことは−−」 羽山は慌てて否定した。 「羽山さん、私もさ、最初、ナオちゃん−−いや、えっと牧田警部 補にさ、羽山さんとデートしてくれないかって頼まれた時はさ、一 瞬迷ったけど。でも良く考えてみたら、いろんな人と付き合うのに 男女の区別とか、恋人か恋人じゃないかなんて関係ないって思った んだよね。そりゃあ、羽山さんにとって恋人としてデートしてあげ た方がよかったんだろうけど」 「そんなことはないですよ、僕は美佳さんとデート出来ただけで満 足です」 「そう?」 「はい。でも、美佳さんって変わってますね」 「え、どこが?」 「うーん、何というか自分の思っていることをスパッと言えるなん て、凄いと思いますよ」 「そうかな」 「そうですよ。それに気取ったところもないし、他人の目も気にし ませんし−−」 「何かそれって私が無神経みたいな言い方じゃない?」 「いいえ、違いますよ」 「まあ、いいわ。この話はやめましょ。それより、羽山さん、ジュ ース、買ってきてくれない。私、喉乾いちゃった。その代わり、お 金は出すわ」 美佳はポシェットから財布を取り出した。 「いいですよ、お金は。すぐに買ってきますから、待っててくださ い。それで何がいいですか」 「メロンジュースがいいな」 「わかりました」 羽山はベンチを立つと、ジュースの売店の方へ走っていった。 一人、ベンチに残った美佳は通り行く人の様子をぼんやりと眺め ながら、ポップコーンを食べていた。 「昼間からデートか。いい御身分だな」 ふと、美佳の隣に誰かが座った。美佳は声に気づいて、隣を見た 。目の前には真っ黒なサングラスをかけ、不似合いなベージュのベ レー帽を被った外国人らしい顔だちの男が座っている。男の手袋を した手には缶コーヒーが握られていた。 「あんた、誰?」 美佳はぶっきらぼうに尋ねた。 「俺か、俺はKGBのプルードンだ」 「英会話の勧誘ならお断りよ」 美佳は真顔で言った。 「アホか、誰が遊園地にまで勧誘に来るか」 「じゃあ、何なのよ」 「おまえ、KGBも知らんのか」 「知らん」 美佳はきっぱりと言った。 「知らないだと−−おまえはソ連の国家保安委員会の略称も知らな いのか」 「それなら知ってるわ。スパイ映画によく出てくる悪の一味でしょ 」 「馬鹿を言うな。悪の一味はCIAの方だ」 「それで何、おじさんはKGBのメンバーってわけなの?」 「そうだ」 「嘘だぁ」 「何が嘘だ」 「だって、KGBって言えばおっきな組織でしょ。おじさんみたい にダサイ恰好してるわけないじゃん」 「何だと」 美佳の言葉にプルードンの眉がぴくりと動いた。「−−仕方ねえ な」 男はサングラスを取った。 「ゲッ!」 美佳は思わず声を発した。 プルードンの左目は義眼だった。 「この左目はイスラエル警察に捕まった時、拷問でつぶされたんだ 」 プルードンは手にした缶コーヒーをぐいと飲み干した。 「うわっちゃぁぁ!!」 その途端、あまりの熱さにプルードンは口を押さえた。 「面白い人ね」 美佳は苦笑した。 「て、てめえ、笑ったな」 プルードンはひどく噎せながら、言った。 「ごめんなさい。大丈夫」 美佳はベンチをたって、プルードンに歩み寄った。 「ゴホッ、ゴホッ」 プルードンは咳き込みながら、よろけて美佳に抱きついた。 「イッ!な、何すんのよ」 美佳は突然のことにびっくりしてプルードンを突き飛ばした。プ ルードンはその勢いでベンチに座り込んだ。 「てめえ、何すんだ」 「それはこっちの台詞よ。全く日本人もロシア人も男はみんなスケ ベね」 「何だと」 プルードンがムッとしてベンチから立ち上がった時、 「やあ、遅れてごめん」 と羽山が両手にジュースのカップを持って戻ってきた。 「あれ、この人は?」 羽山がプルードンを見て、言った。 「あ、この人はね−−」 美佳が説明しようとすると、慌ててプルードンが遮った。 「後でまた連絡する。いいか、俺のことは誰にも言うなよ」 そういうと、プルードンはその場からいそいそと立ち去っていっ た。 「誰なの?」 羽山は美佳に尋ねた。 「ん?ああ、以前、馬券売り場で知り合ったおじさんよ」 美佳はそういうと、笑ってごまかした。 2 襲撃 プルードンはK遊園地の門を抜けると、車を取りに近くの駐車場 へ向かった。だが、従業員にパーキングチケットを渡そうという時 になって、チケットがないことに気付いた。 「どうかしましたか」 「ちょっと待ってくれ」 プルードンは背広やズボンのポケットを探った。 ない……チケットどころか、車のキーもだ。 「プルードン!」 その時、プルードンの後ろの方で男の声がした。 振り向くと、向こうの方で黒い車が止まっていた。その車の窓か らはサングラスをかけた男がプルードンに向けて銃を構えているの か見えた。 「ちっ!!」 プルードンがそれに気づいた時、男の拳銃が火を吹いた。 男の拳銃から弾丸が続けて発射される。 プルードンは足を二、三歩踏み出したところで、弾丸を太股に食 らって倒れると、後は続けて来る弾丸の餌食となった。その間、従 業員は恐ろしさのあまり呆然としたまま、その場を動けなかった。 そして、男は拳銃の弾を全て使いきると、運転席の男に合図して 、車を急発進させた。 「畜生、あいつら……」 地面にうつ伏せに倒れたプルードンは、朦朧とする意識の中で逃 げていく車を睨みつけながら、呟いた。 3 手術室の前 一時間後、プルードンは遊園地の近くの病院に収容され、緊急に 手術が開始された。手術室の前の廊下には美佳と羽山の姿があった 。彼の手術開始から30分ほどして、警視庁捜査一課警部補、牧田 奈緒美が廊下に現れた。 「あらあら、あんたたちだったの。事件の目撃者って」 奈緒美は美佳と羽山の顔を交互に見て、言った。 「私たちは目撃者じゃないわ。たまたま居あわせただけ」 「そうです。目撃者でしたら、I署の方で事情聴取を受けていると 思いますよ」 「そうなの。じゃあ、何であんたたちがここにいるの?」 「課長に連絡したら、I署に協力するように言われまして」 と羽山が答えた。 「美佳は?」 「お付き合いよ、彼の」 美佳の言葉に奈緒美は羽山の方を見た。 「すみません。自分は美佳さんに帰るように言ったのですが」 と羽山は申し訳なさそうに言った。 「美佳、帰りなさい。あんたは部外者なんだから」 「私も帰りたいところなんだけど、ちょっと気になることがあるの よね」 「気になること?」 「実は撃たれた被害者は美佳さんのお知り合いのようなんです」 羽山が口を挟んだ。 「知り合い?」 「いや、知り合いってわけじゃないけど−−」 美佳は曖昧に返答した。 「美佳、ちょっといらっしゃい」 奈緒美は美佳を人のいない階段のところまで連れていった。 「何か隠してるわね。警察には話せないこと?」 奈緒美は小さな声で尋ねた。 「ナオちゃんは事件のこと、どの程度、知ってるわけ?」 「遊園地の入口の前で外人が黒い車に乗った男に狙撃されたってこ とくらいね」 「そうか。じゃあ、彼が誰だかは知らないのね」 「美佳は知ってるの?」 「KGBのプルードンって男よ」 「KGB?」 奈緒美が目を丸くした。 「何だかよくわからないけど、私が一人でベンチに座っている時に 突然話しかけて、そう名乗ったのよ。その後ね、あの人が撃たれた のは」 「何を話したの?」 「大したこと話してないわ。ちゃんと話す前に羽山さんがジュース 買って戻ってきちゃったんだもん」 「羽山さんにはそのことは話したの?」 「言うわけないでしょ。話がややこしくなるもん」 「そうね。でも、美佳の話が本当だとすると−−」 「私の話は本当よ」 美佳は向きになって言った。 「そういう意味で言ってるんじゃないの。プルードンが本当にKG Bのメンバーだとしたらの話よ」 「何だ、そういうことか。それで彼がKGBだったらどうだという わけ?」 「美佳に何を話そうとしたのか、気になるわね。とにかく、美佳、 このことは私がいいというまで誰にも言っちゃ駄目よ」 「いいわよ」 美佳はそういって、奈緒美の前に手を出した。 「何?」 「口止め料」 「あのなぁ……」 奈緒美は渋々バックから財布を取り出した。 4 謎の男 それから美佳の周辺では何事もなく数日が過ぎた。一方で病院に 収容されたプルードンは手術のかいもなく死亡したが、警察発表で は彼はロシアの貿易商、Y・バロクフと公表された。事件について は現在も捜査中というだけで詳細は語られなかった。 学校からの帰り道、美佳は電車に乗っていた。その日は夕方のラ ッシュにつかまり、電車内はすし詰め状態だった。美佳は電車内の 中央で、鞄を両手で抱え、僅かな床のスペースに足を踏ん張らせな がら、必死に体勢を維持していた。車内は蒸し蒸しとしていて、呼 吸をするのにも不快な状況だった。 −−後三駅か。やだなぁ 美佳は心の中で悲鳴を上げていた。 ラッシュ時の電車は主要駅に止まらないかぎり、人が減るどころ かかえって窮屈になる。そのためか、美佳はもう足が地面につかず 、人の壁で体を支えているような感じだった。 「椎野美佳さんですね」 そんな時、美佳の背後で男の低い声がした。しかし、この混雑で 振り向くことも出来ない。 美佳はこの最初の問い掛けに答えなかった。 「椎野美佳さんですね」 背後の声はもう一度、美佳に尋ねた。 −−だ、誰かしら //美佳さん、答えないで 美佳の首にかかった十字架がテレパシーで美佳に注意した。この 十字架は無論、黄金のファレイヌ、エリナである。 −−どうすればいいわけ? //私が確かめてみますわ 十字架が動きだし、するすると後ろへ回った。 「椎野美佳さんですね」 背後の声はもう一度、尋ねた。 「い、いいえ」 美佳は思い切って嘘を言った。 その時、十字架が美佳の後ろへ回った。美佳の背後には黒いサン グラスをかけ、白いマスクをし、グレーのスーツを着た男の姿があ った。そして、その男の手には液体の入った注射器があった。 //美佳さん、後ろにいるのは殺し屋ですわ −−ええっ!!!どうしよう。動こうにも動けないじゃない 「お嬢さん−−」 その時、背後の男が声を掛けた。 「は、はい」 美佳はごくりと唾を飲み込んで、答えた。 「失礼しました。人違いだったようです」 背後の男はそういうと、注射器をケースにしまいこんだ。 //どうやら大丈夫のようですわ −−そう…… 美佳は心の中でため息を付いた。 やがて美佳の降りる駅に付いた。そこは終点なので、客が一斉に 下りる。美佳もほとんど自分の意志とは関係なく電車から下ろされ た。 「全くひどい目にあった」 ようやくラッシュから開放された美佳は、大きく息をした。その 時、先程美佳の背後にいた男が美佳に軽く会釈して、改札の方へ歩 き出した。美佳も無理に笑顔を作って、会釈する。 その時だった。 「美佳ぁ!!」 という駅構内全体に響きわたるような大きな声が聞こえてきた。 向こうから同級生の上田由加が走ってきたのである。 美佳はその瞬間、由加の方ではなく男の方を見てしまった。そし て、振り向いていたスーツの男と目があった。男は美佳の正体を知 り、口許に笑みがこぼれた。 −−やだぁ、バレちゃったじゃないのぉ 美佳は口に手をあてた。 「美佳、同じ電車に乗ってたんだね」 由加が美佳のところへやってきた。「どうしたの、顔色悪いよ」 美佳は由加の言葉など耳に入らず、男を見ていた。男はゆっくり と美佳の方へ歩いてくる。 「由加、行くわよ」 「え、どこへ?」 美佳は強引に由加の手を掴むと、元来た階段を勢いよく昇り始め た。 5 電話 黒サングラスの男は、美佳を見失うと、仕方なく駅構内の公衆電 話に行き、電話をかけた。 「ボス、椎野美佳をやり損ないました」 『バッカヤロー!!おまえ、何考えてるんだ。あれほど逃すなと言 っただろう。どうせおまえのことだ、女に名前を聞いたんだろう』 「はい」 『ドアホか、おまえは。仮にもその女はフォルス・ノワールのメン バーを射殺したヒットマンだぞ。名前を聞いて、はいそうですと返 事するわけないだろ。もう少し脳味噌絞って考えろ。こういう場合 はな、写真で確認したら、すぐに始末するんだよ』 「しかし、日本の女はみんな顔が同じでよくわからないんですよ」 『じゃかあしい!!そんな言い訳が聞くか。とにかく例の計画を知 ってるのはあの女一人だけだ。とっとと自宅で待ち伏せして殺すん だ。わかったな』 「了解、ボス」 男は受話器を置くと、すぐに人込みの中へ歩き出した。 6 対面 「あーあ、これからどうしようかな」 美佳は腕時計が8時を示しているのを見て、ぽつりと呟いた。 美佳はとある繁華街の一角にあるビルの2階にある喫茶店に一人 でいた。由加は危険に巻き込むわけに行かないため、途中で既に別 れている。 美佳のテーブルには既に5杯目のメロンソーダが置いてある。 さっきの奴、一体、誰なんだろう。私を殺そうとしてたのは間違 いなさそうだけど。まさか、フォルス・ノワールってことはないわ よね。違うわ。それだったら、私に名前なんか尋ねたりしないもの 。でも、命狙われる心当たりなんてないんだけどなぁ。 「どうした、ぼんやりして」 その時、美佳の向かいの席に誰かが座った。 美佳がふっと窓に向けた視線を声の方に向けた。 「河野さん、来てくれたんだ」 美佳の顔が明るくなった。 河野は犯罪秘密結社フォルス・ノワールの日本支部暗殺部隊の隊 長で、美佳とはある事件をきっかけに友情関係を持つこととなった 。 「本当は会うのはまずいんだがね」 「ごめんなさい」 「まあ、君が連絡してくるなんてよっぽどのことだからね。それで 何か用かい」 「私、さっき、殺し屋に狙われたの」 「殺し屋に?」 「ええ」 美佳は電車内で起きたことを河野に話した。 「注射器を使う殺し屋か−−」 「またフォルス・ノワールが私を狙い始めたってことないかしら? 」 「俺を呼んだのはそのことか。上層部の方はよくわからないが、少 なくとも日本支部には君の暗殺命令は下ってないはずだよ」 「けど、フォルス・ノワール以外に狙われる覚えなんかないもの」 「ふふふ」 河野は何となく笑った。 「何がおかしいの」 美佳はむっとした顔をした。 「いや、ごめん。ただ、君がそこまで組織を恐れているのかと思っ てね」 「河野さん!」 美佳は一度、河野を睨み付けたが、すぐに目が涙で滲んできた。 「美佳−−」 「私だって普通の女の子なんだから……怖いに決まってるでしょ− −この半年余り、ずっとびくびくして暮らしてるんだから」 「ごめん、悪かったよ。君は、外から見てると凄く強そうに見える から−−」 「……」 「それより、本当に心当たりがないのか、もう一度よく思い出して みなよ」 「うん」 美佳は小さく頷いて、考え込んだ。 「最近、何か変わったことがなかった?」 「変わったことって言っても、ほとんどバイトと学校の毎日だった し−−そういえば、この前、遊園地に行って−−そうだわ、河野さ ん、私−−」 美佳は遊園地でのプルードンの一件を河野に話した。 「KGBのプルードンだって」 河野の顔が険しくなった。 「知ってるの?」 「いや、ちょっと−−」 河野は考え込んだ。「美佳、彼は君に何か言ったか」 「ううん」 「本当に何も言ってないんだね」 「ええ」 「そうか……」 「ねえ、知ってるなら何か教えてよ」 「美佳、君はとんでもないことに巻き込まれてしまったようだ」 「どういうこと?」 「話してもいいが、もしこの話を聞いたら、君はますます逃げられ なくなるぞ」 「?」 「もし命だけが大事なら後三日、身を隠していれば大丈夫だ」 「それってどういうことなのよ?」 美佳の質問には答えず、河野はさらに話を続けた。 「選択は二つに一つ。話を聞くか、聞かないかだ」 「聞くわ」 美佳は迷いもなく答えた。 「この先も恐怖におびえることになるぞ」 河野は美佳を真剣な眼差しで見つめた。 「わかってる」 「そうか。そこまで決心が固まってるんなら、話すよ。君はCIA 長官、ロバート・ポップマンを知っているか」 「あのぉ、そういう政治家の人の名前って苦手なのよね」 「じゃあ、昨年、アメリカの大統領に就任したリーツネックのこと は知ってるだろ」 「名前だけは」 「彼は強力なリーダーシップの持ち主で、アメリカを世界の警察に しようと考えている野心家なんだ。その彼が任命したCIA長官、 ポップマンも彼に勝るとも劣らぬ改革政治家で、これまで前大統領 政権が進めてきた人員削減、設備縮小といったCIA民主化計画を ばっさり切り捨てて、再び大統領の手足となって秘密行動を行える ような組織改革を始めたんだ」 「うん」 「これに危機感を感じたのが、KGBというわけだ。KGBは三日 後に来日するポップマン長官を暗殺する計画を立てている」 「それって本当なの?」 「本当さ。KGBは武器の調達をフォルス・ノワールに依頼してき たんだからね」 「そうするとさ、一体、プルードンは誰に殺されたのかしら。私を 狙った奴とは別人なのかな」 「何とも言えないが、KGBにも派閥があってね、常に一つの命令 系統で動いているわけではないんだ。俺の知るところでは、プルー ドンは米ソ協調派のリカーネフの部下だ。彼は万一にもポップマン が暗殺されることがあれば、強硬なリーツネックが黙っているわけ がないと考えていたから、暗殺計画には強く反対していたらしい。 しかし、アメリカのSDI構想を目の当たりにして、KGBの幹部 たちの大勢の意見は暗殺支持のようなんだ。プルードンが殺された のも案外、仲間割れかもしれないね」 「それじゃあ、私を狙ったのもKGBなんだ」 「断定は出来ないが、可能性はあるね」 「でも、プルードンは私に何を話そうとしたのかしら?」 「君は既に組織の暗殺隊メンバーを一人で壊滅させたという事で裏 ではかなり有名なんだよ。プルードンもその辺の君の腕を買って、 暗殺の阻止を頼もうとしたんじゃないかな」 「冗談じゃないわ、どうして私が」 美佳は思わずテーブルをどんと叩いた。 「死んだ人間に怒っても仕方がないさ。それより、どうするんだね 」 「そうね−−警察に知らせるわ」 「信じると思うかい。君の言葉を」 「大丈夫よ。警察に友達がいるから」 「なるほど。だったら、相当、厳重な警戒をするよう勧めるよ」 「一体、何をするつもりなの」 「それは企業秘密だ」 河野は席を立った。 「河野さん、行っちゃうの?」 美佳は急に不安げな目で見つめた。 「美佳、俺にそんな目を見せちゃ駄目だ。君にはもっと信頼できる 人がいるだろう」 「それは……」 「美佳、一つだけ言っておく。もし今度の計画を君が阻止すること になれば、君は再び組織の敵になる。いや、KGBの敵にもなるん だ。それをよく覚えておいてくれ」 河野はそういうと、その場を立ち去った。 美佳はじっと河野の後ろ姿を悲しげに見つめていた。 7 電話ボックス 黒サングラスの男は電話ボックスで電話をかけるふりをしながら 、ガラス越しに見えるスカイパークマンションを見張っていた。 午後十時。男は既に3時間も電話ボックスにいた。その間、何回 か電話を掛けようという人が並んだが、その度に男は睨みを利かせ て、追い返した。 「ちっ、いつになったら帰ってくるんだ、あのガキは」 男はコートのポケットに入れたウォッカの小瓶を取り出し、また 飲んだ。ボックスに入る前はいっぱいだったウォッカの小瓶は既に 五分の一ほどの量になっている。 ウオッカのおかげで寒さは気にならないが、集中力が落ちるが男 にとっては悩みの種だった。ちょっとでも気を抜くと、眠ってしま いそうになるので、座ることも出来ない。 「くそぉ、寒いな」 男はコートの中に手を入れた。 −−コンコン その時、電話ボックスのドアを誰かがノックした。 「ちっ、またか」 男はまた電話を掛けようとする奴が来たのかと思って、振り向い た。「うるせぇぞ」 「こんばんは」 外にいたセーラー服の少女が挨拶した。 「て、てめえは」 男は突然のことにぎょっとした。そこにいたのは自分が捜してい た椎野美佳だったからである。 男はすぐに拳銃を抜こうとした。だが、ガラス越しに立っていた 美佳の手には黄金銃があった。 「持ってる武器を捨てて。下手なことをすれば、容赦はしないわ」 美佳は落ちついた口調で言った。 「おまえのようなガキに銃なんて撃てるのか」 男はニヤッと笑って、言った。 その途端、美佳の黄金銃が火を吹いた。ドアのガラスを貫通して 、男のコートのポケットの中にあったウォッカ瓶を破壊した。 「てめえ、俺の命の次に大事な酒を−−」 男は歯ぎしりした。 「次は命がなくなるわよ。さあ、銃を捨てて」 「わかったよ」 男は懐から銃を抜いて、下に捨てた。 「さて、ポップマン暗殺計画について話してもらおうかしら」 「何のことだ」 「惚けても無駄よ。プルードンから聞いてるんだから」 「そうか、やっぱりあの野郎−−」 「プルードンを殺したのはあんたたちね」 「それがどうした」 「あんたもKGBでしょ。同じ仲間なのに」 「奴は裏切り者だ」 「裏切ったからって、殺すことないでしょ」 「お嬢ちゃんのような子供にはわからんことさ。秘密をもらす者は 皆死ぬ。それはこの俺だって同じことだ」 男はそういうと、手の中に隠し持っていたカプセルを口に入れた 。 「あっ、そんな……」 美佳は男のとっさの行動を予期出来なかった。 男はしばらく電話ボックス内でもがき苦しみながら、やがてその 場に崩れていった。美佳はその間、見ているだけだった。 「何も死ぬことないのに−−」 美佳は電話ボックス内の男を覗き込みながら、やり切れなさそう に呟いた。 続く