第32話「魔女」後編 18 悪魔の登場 「さあ、付いたわよ」 奈緒美はジェシカの宿泊するホテルの少し手前の車道に車を止め た。ホテルの前には何台ものパトカーと野次馬の人だかりが出来て いた。 「これは何−−」 車の助手席からその光景を見て、律子は驚きの声を上げた。 「爆弾事件よ」 奈緒美は静かに言った。 「爆弾?」 律子は運転席の奈緒美の顔を見た。 「ジェシカの部屋の前で爆弾が爆発したらしいわ」 「それでジェシカは?」 「爆発が起こった直後にフロントに花を届けた配達人のことを聞い て、外へ出てったわ」 「花?」 「そう。どうやら誰かがジェシカを殺すために爆弾入りの花束を届 けたみたいね」 「美佳は?」 「さあ、美佳の情報は入ってないわ。とにかく、現場へ行ってみま しょう、何か新しい情報が入ってるかもしれないしね」 奈緒美はそういうと、シートベルトを外し、車を降りた。 一方、白いライトバンを追跡して、ジェシカたちはとうとう人通 りの少ない閑静なビル街にやってきた。 「ちっ、また見失ったわ」 ジェシカはバイクを止めて、言った。 「随分静かなところね。こんなにビルが建ってるのに人通りがない なんて。まさに都会の森って感じね」 美佳は感心したように言った。 「馬鹿なこと言ってないで、ライトバンを捜すわよ」 「ライトバンなら向こうのビルの中に入ってたわよ」 「ほんとに?」 「この角を曲がった時、ちらっと見えたのよ」 「何でそれを早く言わないの」 ジェシカはすぐにバイクを発進させて、百メートル先のビルへと 走らせた。 「このビル?」 ジェシカは目の前のビルを指さしていった。そのビルは地下駐車 場への入口がある10階建てのビルだった。 「そうよ」 と美佳は言った。 「じゃあ、入るわよ」 ジェシカはバイクで、ビルの地下駐車場の入口へ入っていった。 一本道の緩い坂を下ると、広い地下駐車場に出た。そこには中央 の広い通行スペースを挟んで、両サイドに白い線で区画された駐車 スペースがずらっと並んでいた。そのスペースは所々空いてはいた ものの、三十台ほどの乗用車が駐車されていた。駐車場内は明るい という程ではないが、天井に縦横等間隔に照明が設置してあるので 、暗いという感覚はなかった。 「さあ、バイクを降りて」 ジェシカの言葉で美佳はバイクを降りた。 「帰って」 「え?」 美佳は意外といった様子でジェシカを見た。 「もう十分でしょ、命をなくす前にここを出てった方がいいわ」 「何言ってるのよ、ジェシカ」 「わかったのよ……美佳が私の復讐相手じゃないってことに」 ジェシカは静かに言った。 「どうしたの、急に」 「急にじゃない、一昨日、おまえに助けてもらった時からわかった んだ」 そういうと、ジェシカはベルトにつけたホルスターから幽体レー ダーを取り出した。「これを見て。ほら、全く美佳に反応しない」 「一体、どういうこと?」 「さあ、わからない。でも、この機械が美佳をクレールだと証明す る道具でなくなったことだけは確かよ。最もこんな機械がなくたっ て、あんたを見れば、人殺しじゃないことぐらいわかるけどね」 ジェシカは苦笑した。初めて美佳に見せた笑い顔だった。 「ジェシカ……」 「誰が狙ってるのかはわからないけど、私のことで美佳を危険にさ らすことは出来ないわ。今までごめん。さあ、行って」 「ここまで来て何言うのよ。こんなに私にひどいことしてごめんで 済ます気?」 「それは−−」 「あなたには償ってもらうわ、生きてね」 「美佳」 ジェシカは美佳をじっと見つめた。 ガラガラガラ…… その時、駐車場の入口のシャッターがゆっくりと降り始めた。 「どうやら逃げ道を塞がれたみたいよ」 美佳は呟いた。 「殺し屋さん、用があるなら出てきたら。こっちは逃げも隠れもし ないわ!!」 美佳は駐車場内いっぱいに聞こえるような大声で言った。 しかし、駐車場内からは何の反応もなかった。ちょうどその時、 入口のシャッターの降りる音が消えた。周囲がしーんと静まり返る 。 バイクに乗っているジェシカはゆっくりと周囲を見回した。 キイィィィィ!!! 突然、駐車場の奥に止めてあった一台のライトバンが中央に出て くると、二つのヘッドライトを灯し、二人に向かって突進してきた 。 「ジェシカ、バイクを降りて逃げて!」 美佳が言うと、ジェシカは頷いて、右の乗用車の陰に隠れた。 「チェーンジ、リヴォルバー」 美佳が叫ぶと、美佳の首にかけた金色の十字架がきらりと光って 、黄金のリヴォルバーに形を変えた。 美佳は黄金銃を握りしめると、その銃口を迫り来るライトバンへ 向け、自らの精神を集中させた。 「くらえ!!」 美佳は渾身の力を込めてトリガーを引いた。 グォーン!!! 銃の銃口から光る弾丸が発射された。弾丸は光の尾を残しながら 次第に増幅し、ライトバンのバンパーの真ん中に命中した。そして 、さらにバンパーを突き破り、一気にライトバンの内部にまで食い 込んだ。 次の瞬間、ライトバンは大爆発を起こし、炎上した。そして、燃 え上がるライトバンは美佳に向かって突っ込んできた。 「美佳!!」 ジェシカは叫んだ。 美佳は慌てて右へ逃げようとしたが、ライトバンは無情にも美佳 をはねとばし、そのまま坂を乗り上げ、入口のシャッターに激突し た。 「美佳」 ジェシカはすぐに倒れている美佳に駆け寄った。 「美佳、しっかりして!」 ジェシカは心配そうに美佳の顔を覗き込んだ。 「大丈夫よ、ちょっとかすっただけ」 美佳は顔をしかめながらもゆっくりと起き上がった。 「あのライトバン、爆弾が仕掛けてあったわね」 「うん、ちょっと油断したわ」 美佳はよろめきながらも立ち上がった。 二人は乗用車の陰に隠れて、しばらく様子を伺った。 「次にどうでてくるか、気になるわね」 「また車を突っ込ませるんじゃないかしら」 ジェシカが言った。 「相手はプロよ、同じ手は使わないと思うわ」 その時、天井に取り付けられた幾つものスプリンクラーが一斉に 作動し、放水を始めた。 「何なの、今度は」 「ただの放水とは思えないけど」 美佳は呟いた。 「美佳、これは−−」 ジェシカは手に付いたスプリンクラーの水を見て、驚きの声を上 げた。 「どうしたの?」 「油だわ、これ」 「油……」 美佳の顔がさっと青ざめた。 「あいつ、まさか私たちを丸焼きにする気かしら」 「そうみたいね。これはちょっとまずいわよ」 美佳は指の爪を噛んだ。 「入口まですぐに走れば、間に合うかもしれないわ」 「そうね、だったらジェシカ、先に行って」 「美佳はどうするの?」 「私はこの体じゃ走れないわ」 「だったら、私だって行けないわよ」 「ジェシカ、今は私のことより助かることが先決よ。入口のシャッ ターはさっきのライトバンが破壊してるだろうし、その気になれば 逃げ出せるわ」 「でも−−」 「奴は私たちを殺すのを急いでるわ。もう時間がない。いい、ジェ シカ、ビルの外へ出たら、すぐに警察に知らせるの」 「美佳−−」 ジェシカは美佳を見た。 「私のことなら大丈夫よ。ねっ、ジェシカ、これが私への償いだと 思って」 美佳はニコッと笑った。 「わかったわ、外へ出たらすぐに助けを呼ぶからね」 ジェシカはそういうと、スプリンクラーの雨の中、車を離れ、入 口へ向かって駆け出した。 「ジェシカ、生きるのよ」 美佳がほっと息を付いて、車のドアにもたれた。 パーン!! その瞬間、一発の銃声が起こった。 ジェシカ!!! 美佳は腰を上げ、両手と両膝で四つんばいにして歩きながら、入 口の方を見た。 「そ、そんな−−」 美佳は愕然とした。 美佳の隠れている車から入口に向かって僅か5メートルほどのと ころにジェシカがうつ伏せにして倒れていた。 「ジェ、ジェシカ」 美佳は左足を引きずりながら、中央に出た。 「ジェシカ、ジェシカ」 美佳は懸命にジェシカの体を揺さぶった。しかし、ジェシカの体 はぴくりとも動かなかった。その時、スプリンクラーの放水がぴた りと止まった。 「せっかく、せっかく友達になれたのに」 美佳の目は涙でいっぱいになっていた。 //美佳さん、気をつけて エリナの鋭い声が美佳に飛んだ。 「許さない!!」 美佳は黄金銃を駐車場の奥へ向けて、数発発射した。 「ぐわっ」 という男の声が遠くでかすかに聞こえ、何かの爆発する音がした 。 「ジェシカ、すぐに救急車呼ぶから」 美佳は足を引きずりながら、入口へ向かって歩き始めた。 「待ちな!」 その時、駐車場の奥から声がした。美佳が立ち止まって、振り向 く。 「一歩でも動けば、火をつける」 やがて、駐車場の奥から一人の男が姿を現した。それは一昨日、 美佳たちを狙った殺し屋、セオドア・レイガンだった。 「そんなことをすれば、あんたも死ぬわ」 美佳はレイガンを睨み付けて、言った。 「おたくを殺せるのなら、それでも構わんさ」 「なぜ火をつけて、逃げなかったの。そうすれば、自分は助かった のに」 「プライドさ」 「プライド?」 「おたくは素人のくせに俺の銃を二度も破壊しやがった。それにこ の前も今も俺を殺せたのに殺さなかった。その理由を知りたくてね 」 「私は無意味な人殺しはしたくない、それだけよ」 「善人ぶるね。だが、それじゃあ、俺のプライドが許さないのさ」 「どうしようというの?」 「一対一の勝負をしたい。同じファレイヌでね」 レイガンは肩にかけたホルスターから一丁の青銅銃を抜いた。 「エカテリナ……」 美佳は目を細めた。 「その女は死んではいない。麻酔銃で眠ってるだけさ」 「本当に?」 美佳は驚いた様子で言った。 「ああ。だが、俺を倒さなければ、その女は死ぬことになる」 「そうまでして命を投げ出したいわけ?」 「勝つつもりでいるのか」 「もちろん」 「ふっ、上等だ。勝負の方法はこのコインを投げて、落ちたと同時 に撃つ」 レイガンは指に挟んだ銀色のコインを見せた。 「いいわ」 美佳は小さく頷いた。 レイガンと美佳は10メートルの間隔を取った。 「行くぜ」 レイガンはコインを指で弾いた。コインは回転して高く舞う。そ して、弧を描きながら落下した。 その時、レイガンはコインの落ちるのを待っていた。だが、意識 に反して拳銃が勝手に動き出した。 −−馬鹿な、ペトラルカ、どういうつもりだ //勝負は勝てばいいのよ、勝てばね −−貴様!! レイガンはコインの落ちる前に青銅銃の銃口を美佳に向け、発射 した。 グォーン!! 美佳がはっと息を付いた瞬間、美佳の手にしていた黄金銃が巨大 なシールドに変化した。弾丸はシールドに命中し、はね返した。 コインが小さな音をたてて、落ちた。 「美佳、済まない」 レイガンは謝った。 //ふふ、謝ることなんかないわ。クレール、貴様を殺す ペトラルカはレイガンを操って、さらに青銅銃の銃口を美佳に向 けさせた。 「ペトラルカ、あなたね、ジェシカに復讐の心へ植えつけたのは。 幽体レーダーもあなたが作り出したんでしょう」 //そうさ、私は、私をこんな姿に変えたおまえたちは絶対に許 しておかない 「許さないですって、あんた、ジェシカの人生を踏みにじっておい て。許せないのはあんたの方だわ」 //何とでも言うがいいさ。私は復讐さえ出来ればいい 「そう、そんなに復讐がしたいの。だったら、私がやってやるわよ 」 そういうと、美佳はレイガンから青銅銃を奪い取り、その銃口を 自分のこめかみに当てた。 //何の真似だ 「あんたは幽体を殺せる能力があるんでしょ。だったら、試してみ るわ」 //美佳さん!! エリナが思わず声を上げた。 「エリナ、止めないで。これはずっと考えてたことなの。今までク レールへの復讐のために何人ものファレイヌが私を襲ったわ。その たびに私ばかりか何の関係のない人達まで巻き込まれてきた。もう これ以上、犠牲者を出したくないの」 //でも、美佳さんが死んでしまいますわ 「構わないわ。これで災いの種が一つでも消えるなら」 美佳は青銅銃のトリガーに指をかけた。 「ペトラルカ、私に引き金を引かせてね。これが私の一生のお願い よ」 //わかったわ 「それじゃあ、エリナ、姉貴のこと、頼んだわね」 //美佳さん!!! 美佳は一度唾を飲み込むと、青銅銃のトリガーを引いた。 グォーン!! 青白い光を帯びた弾丸が美佳の頭を貫通した。 「うっ」 美佳は腕を垂らし、青銅銃を地面に落とした。そして、しばらく 目を見開いたまま、呆然とその場に立ち尽くしていた。美佳のこめ かみには全く外傷はなかった。 レイガンも人形に再び戻ったエリナ、ペトラルカも黙って美佳の 様子を伺っていた。何かしようにもその何かが思い浮かばなかった のである。 油の匂いの立ち込める駐車場内に重い沈黙が続いた。 「うぐっ」 突然、美佳が両手で口を押さえた。美佳はその苦しさのあまり、 地面に膝を付くと、そのまま前に倒れた。 //美佳さん エリナが近寄ろうとする。 「うああああっ」 美佳は断末魔のような叫び声を上げ、その場でのたうち回った。 美佳の顔は苦痛で歪み、激しく痙攣していた。 //ペトラルカ、美佳さんを助けてあげて //どうにもならないわ。私自身、自分の魔力でこんなに苦しん だ人間を初めて見るんだから ペトラルカは冷静な口調で言った。 「いっそ、こんなに苦しむのなら」 レイガンはブルゾンの内側に忍ばせたジャックナイフを取り出し た。 「おああっ……」 その時だった。美佳の口から何かが顔を出した。 三人の視線は一斉にそれに集中した。 美佳の口が顎が裂けんばかりに大きく開かれた。そして、そこか ら金色の髪の毛のようなものが現れた。さらに続いてゼリー状の液 体に包まれた細長い何かが美佳の口からゆっくり出てきた。それは しばらく見ていると人間の顔であることがわかった。美佳の口に合 わせたかのように細長くはなっているが、眉があり、目があり、鼻 があった。そして、ついに顔の部分が全て美佳の口から出ると、ま るでゴム毬のようにその顔は普通の人間の顔の形と同じになった。 「何だ、こいつは」 日頃、人間の死体を見ても顔色一つ変えないレイガンでもこの時 ばかりは顔をしかめた。 その顔に続き、今度は右手がさらに左手が現れた。その体の排出 を手伝っている美佳の表情は窒息寸前であった。 やがて、その人間の上半身が出て、その人間の胸に二つの乳房が 付いているのを見た時、初めてそれが女であることが分かった。 //レイガン、早くこいつを引きずり出して。出ないと、美佳が 死ぬわ これ以上、こんな光景を見たくないと思ったペトラルカはレイガ ンに言った。 「わかった」 レイガンは手袋をすると、その女の右手首を掴み、力を入れてゆ っくりと引っ張った。その途端、女の体がすっぽりと美佳の口から 抜けた。まだ、女の体全部を出すには時間がかかると思っていたレ イガンは、あまりにあっけなく抜けたのでバランスを失って、しり もちをついた。 //エリナ、こいつは ペトラルカは目を見張った。 //ハーピーですわ エリナは驚いた様子で言った。 エリナの言うようにそれは人間ではなかった。上半身はまさしく 人間の女だが、彼女の背中には鷲のように大きな大きな翼と尾がつ いており、胸のすぐ下には鋭く伸びた爪を持つ鳥の脚がついていた のである。 レイガンはそれを見て、慌ててその女から手を放した。 全てを出し切った美佳はまるで力を失ったようにその場に動かな くなった。 //まさかこれがクレール!? エリナは当惑した。 //レイガン、殺して。早くこの化け物を殺すのよ ペトラルカはわめき散らすように言った。 「ちっ、注文の多い女だ」 レイガンはそういいながらも、ナイフを構え、まだ翼を広げられ ず、ぴくぴくと動いている奇妙な怪物に近寄った。 「ふふふふ」 その時、突然怪物が薄気味悪い笑い声を発し、レイガンに向かっ て翼を大きく広げ、威嚇した。そして、一気に飛び上がると、入口 の方へ向かって飛んでいく。 「待て!」 レイガンが追いかけようとした。 //伏せて!! エリナはとっさにレイガンの危険を感じ、叫んだ。 その言葉にレイガンが身を伏せると、次の瞬間、怪物の飛んでい った方向から銃声が起こった。 間一髪、弾丸はレイガンの頭上をかすめた。 「ふう、助かったぜ」 レイガンは呟いた。 カツーン、カツーン その時、一人の男が入口の坂を下りてきた。その男の右手にはラ イフル銃、そして左肩には女の顔と体を持つ鷲が乗っていた。 「誰だ、おたくは」 レイガンが起き上がって、言った。 「……」 コートの男は黙っていた。 //貴様、フェリカだな ペトラルカが言った。 //ペトラルカ、まさかそんな−− //エリナ、おまえにだってあの魔気がフェリカであることぐら いわかるはずよ //…… エリナは黙り込んだ。 //フェリカ、その怪物とおまえがどういう関係なのか聞かせて もらいたいわね 「ペトラルカ、残念だよ。おまえはもう少し早く壺に封印しておく べきだった」 男は静かに言った。 //その怪物の気は間違いなくクレールのもの。だとすれば、お まえも−− 「その通り。私はフェリカではない」 //ああ、フェリカ、そんな…… エリナが悲しげな声を上げた。 「私はゼーテース。彼女はケライノーだ。私と彼女はバフォメット 様をこの世界で復活させるために遣わされた魔人だ」 //魔人て、どういうこと? 「それは私から説明するわ」 車の陰から一人の女が姿を現した。 //ソフィー。いつのまに 「気を悟られないようにして、あんたたちの戦いを観戦していたの よ」 ソフィーはペトラルカたちの方へ歩み寄った。 「これでファレイヌが3人揃ったわけか」 フェリカはにやりと笑った。 //ソフィー、あなた、フェリカの秘密を知ってるの? 「ええ。こいつらはその昔、妻と娘を失い、ショックを受けていた 司祭様を誘惑して、バフォメットの卵を娘クレールの体内に埋め込 んで、復活させたのよ」 //まさか、そんな。ソフィー、嘘でしょ 「嘘じゃないわ。私たちが生き埋めにして殺してしまったクレール はその時既に人間じゃなかったのよ。クレールを失うと、こいつら は−−それとも卵自らかはわからないけど、バフォメットの卵は今 度は兄のフェリカに埋め込まれた」 //そ、それでは、私が愛したフェリカはあの時からずっとバフ ォメットだったと? エリナが震えた声で言った。 「ずっとというより次第によ。バフォメットは卵の中にいる間にも フェリカを自分の性質に合うように改造し、自分が卵から抜け出る 日を待っていたのよ」 //とすると、当時、村で起こっていた災害や疫病もフェリカの 仕業? 「多分ね。そして、私たちをこんな姿に変えたのも、実は私たちの 身を守るためじゃない。自分の下僕を作り出すためだったのよ。と ころが、バフォメット自身はこれからフェリカの体と同一化し、人 間界に君臨しようとする時になって魔女捜し屋に捕まって、処刑さ れた。こうして下僕となるべき私たちだけが残ってしまったのよ」 //その後、バフォメットはどうなったの? 「こいつらによって回収され、こいつらは再び次の子宮となるべき 人間捜しを始めたわ。けど、ここで困った問題が起こった。つまり 、私たちよ。私たちは洗脳されていなかったため、次にバフォメッ トが復活した時に障害の種となる。そこでバフォメットの子宮とな る人間のことを真の所有者だと偽って、私たちを互いに殺し合うよ うに導いた。私たちがバフォメットの魔気に強く反応するのを利用 してね。ところが、途中で私たちは不死身だという事が分かり、こ いつらにとっては予定が狂ってしまったというわけよ」 //嘘ですわ、そんなこと。ソフィー、一体何を根拠にそんなこ とを言うんですの 「それはこのフェリカ、いいえゼーテースさんに聞いてみたら」 ソフィーは男の方を見て、言った。 //フェリカ、嘘ですよね、嘘だと言って エリナは悲しげな目をして、言った。 「エリナ、君は実に忠実な女性だった。君がファレイヌでなければ 、どれほどよかったか。だが、君達はバフォメット様の復活には邪 魔なのだ。君が美佳などに任せず、自らペトラルカを封じ込めてい ればよかったものを」 //フェリカ…… 「もはや私たちの正体を知った君たちには壺に入ってもらう」 ゼーテースは銃を捨て、コートのポケットから壺を取り出した。 「フェリカ、壺に封印される前になぜ美佳の体にクレールを乗り移 らせていたのか、教えてもらいたいわね」 「ふっ、いいだろう。ケライノーは1年前、東京におびき寄せたテ ィシアを壺に封印した時、偶然にも神の子を発見した」 //神の子? 「そう。だが、その少女はまだその力に目覚めていなかった。そこ で彼女はその少女に乗り移り、私のところまで連れていこうとした 。ところが、その少女の潜在意識はケライノーのものよりも遙かに 強力だった。彼女は逆に少女の意識に飲み込まれ、体を抜け出るこ とも出来なくなってしまった」 //それじゃあ、私の無気体破壊弾によってケライノーはその呪 縛から解放されたわけ? 「悪魔はもともと人間の目には見えない存在。その見えないベール を君が破壊したことによって、ケライノーは実体化し、美佳の体内 にその居場所を失って、はい出たんだ。さあ、これで講釈は終わり だ」 ゼーテースは壺の蓋を取り、その壺の口をエリナたちに向けた。 ソフィーたちはぐっと身構える。 //ひどいですわ、今まで私を騙してたんですね。こんなに愛し てたのに エリナの瞳に初めて怒りの色が映った。 「悪魔とはそういうものなのだよ、エリナ。超暗黒神ラルジャ、エ リナ、ソフィー、ペトラルカを永遠の闇に封印したまえ!」 ゼーテースはそういうと、呪文を唱えた。 それと同時に物凄い風が起こり、エリナたちを吸い込み始めた。 //きゃああ エリナやペトラルカ、ソフィーは近くの車に必死にへばりついた 。倒れている美佳やジェシカはずるずると壺へ向けて吸い込まれて ゆく。 「畜生」 レイガンは右手で傍の車のワイパーにつかまりながら、左手でナ イフをゼーテースに向けて投げた。だが、ナイフを逆に壺に吸い込 まれてしまう。 「うわあっ」 その時、ワイパーが剥がれ、レイガンが壺へ向かって吸い込まれ る。 「こうなったら」 車にしがみついていたソフィーは亜鉛銃をゼーテースに向けて発 砲した。しかし、火炎弾もゼーテースに当たる前に吸い込まれてし まう。 「ほほほほほほ」 突然、ゼーテースの肩に乗っていたケライノーが愉快に笑い出し た。 レイガンの体が壺に張りついた瞬間、風が止まった。 「散るのよ」 ソフィーが叫んだ。エリナとペトラルカはそれに呼応して、方々 に飛ぶ。と同時にレイガンの体がくしゃくしゃと音をたてながら、 壺へ吸い込まれていく。 「ぐわあああ」 レイガンの悲痛な叫びが駐車場にこだまする。レイガンの体はま るでカーペットを吸い込むようにずるずると吸い込まれてゆき、わ ずか数秒で彼の姿は壺の中に消えた。 「こいつは強力だわ。メルクリッサの壺の時は人間は吸い込まなか ったのに」 車の陰に隠れたソフィーが呟いた。 「隠れても無駄だ。君たちを吸い込むまで、この風は止まらん」 壺の吸引力はすさまじい物だった。横に止まっていた車でさえも 強引に引きづられてゆく。 そして、倒れている美佳やジェシカの体が壺に吸い込まれるのも 時間の問題だった。 //ソフィー、地面に向かって火炎弾を撃つのよ ペトラルカがソフィーに念波を送った。 「馬鹿な、そんなことしたら」 //どっちにしたって助からないなら、奴も道連れよ 「オーケー」 ソフィーは亜鉛銃を地面に向けて、発射した。 グォーン!! 弾丸が地面に命中すると、地面にしみ込んだ油に引火して駐車場 が一瞬にして火に包まれた。 そして、その猛火は壺を手にするゼーテースに向かって、襲いか かった。 「こんな火など一瞬にして吸い込んでやる」 フェリカは自信たっぷりに呟いた。 言葉どおり駐車場全体を包み込むような猛火も壺の吸引力に対し ては無力だった。 //もう駄目か ペトラルカは呟いた。エリナもソフィーも限界だった。そして、 美佳たちの体も壺から僅か3メートルのところまで来ていた。 「我々の正体は誰にも知られてはならない。悪く思わんでくれ」 フェリカは呟いた。 「こうなったら、壺に吸い込まれる寸前で撃ち殺してやる」 ソフィーは車の陰から出た。 //ソフィー エリナが叫んだ。 ソフィーは亜鉛銃を握りしめたまま、ゼーテースに向かって走り 出した。 「ケライノー、やれ」 ゼーテースが言うと、彼の肩に乗っていたケライノーは口を大き く開けた。 すると、ケライノーの口から特殊な音波が発信され、向かってく るソフィーに命中した。その瞬間、ソフィーの乗り移った女の体は くしゃくしゃになり、ソフィーの本体である亜鉛銃だけが残った。 //畜生、エリナァー ソフィーは叫び声を上げながら、壺に吸い込まれた。 「さあ、次は椎野美佳だな」 美佳の体はすでに2メートル手前に来ていた。 「こいつは憎い存在よ。私にやらせて」 ケライノーは興奮した様子で言った。 「いいさ」 ケライノーは再び口を開けた。 パーン、パーン!! その時、ゼーテースたちの背後で二発の銃声が起こった。 「うあっ」 後頭部に弾丸を撃ち込まれたゼーテースはその肉体の制御を失い 、前に倒れた。そして、ケライノーの方も後頭部への弾丸が貫通し 、地面に落ちた。 主人を失った壺はその魔力を行使するのを止め、風が止まった。 辺りが急に静かになった。 入口の坂を下りて二人の女が駐車場に出てきた。一人は拳銃を手 にした牧田奈緒美、もう一人は律子だった。 「この化け物は何?」 奈緒美は額から血を流して倒れている、女の顔を持つ鳥を気味悪 そうに見た。 「美佳、大丈夫?」 律子は倒れている美佳に駆け寄った。律子は美佳の手首を掴んで 脈を取った。まだかすかに脈がある。 //律子さん、ありがとう 車の陰から人形姿のエリナが出てきて、律子のところへ歩いてき た。 「エリナ、一体何があったの?」 律子は尋ねた。 //詳しいことは後で。それより、美佳さんとジェシカさんのた めに早く救急車を呼んでください 「そ、そうね。すぐに呼んでくる」 律子は立ち上がると、再び坂を上って入口の方へ駆けていった。 「あなたね、私にこの怪物と男を撃つように念波を送ったのは?」 律子がいなくなると、奈緒美はエリナの方を見て、言った。 //ええ。律子さんとあなたの気を感じた時、一か八か、かける しかないと思ったんです。あの壺の吸引を逃れて、ゼーテースを倒 すためには背後から狙うしかありませんから 「正直言って、迷ったわ。私は今まで人を殺すために撃ったことな んて一度もなかったから。もし律子がいなかったら、撃たなかった でしょうね」 奈緒美はもう一度、ケライノーの方を見た。ところが、ケライノ ーの姿は消えていた。 「あれ?どこへ行ったのかしら」 奈緒美は目を丸くした。 //消滅したんですわ、あれは魔界の生き物ですから 「こっちの人間の方はいるじゃない?」 //彼は脱け殻です 「脱け殻ねえ。この人が−−」 奈緒美にはさっぱり理解できなかった。 少しして律子が駐車場に戻ってきた。 「救急車、呼んできたわ」 「ご苦労さん。どうやらジェシカさんの方も大丈夫みたいね」 「そう、よかった」 「あーあ、それにしてもこれから現場検証するのも報告書書くのも 、しんどくなりそうだわ。何せ嘘、書かなきゃならないんだから」 奈緒美は大きくため息をついた。 「それが仕事でしょ。あら、エリナ、何してるの?」 律子は周囲を見回しているエリナを見て、言った。 //い、いいえ、何でもありませんわ ペトラルカ、どこへ行ったのかしら ペトラルカの気は既に感じられなかったものの、エリナは駐車場 にいる間、ずっと彼女のことが気になっていた。 19 一人きりの酒場 その夜、矢上典子は一人、バーにいた。 彼女は椅子のないカウンターに向かい、目の前にある真紅の液体 に満たされたグラスを見つめていた。 店内は南欧風の造りで、チェロ演奏のBGMが流れていた。客は カップルばかりで、みな落ちついた雰囲気の中で酒を楽しんでいた 。 レイガンさん、どうしたのかしら 典子は腕時計を見た。既に彼女がこの店に来てから、二時間が過 ぎていた。 典子は今夜、レイガンとここで会う約束をしていた。レイガンは ここでささやかなお祝いをやろうと言っていた。 彼女の心は不安に揺れ動いていた。 早く来て私を抱きしめてほしい、というそんな気持ちにかれてい た。それは彼との生活に対する不安。すなわち、危険に満ちた生活 への不安。と同時に彼がここへ来ないのではないかという不安もう あった。 レイガンさん…… 典子は両手を合わせて、祈るような気持ちで目をつぶった。 カラン その時、店の入口のドアを開いた。典子はぱっと目を開ける。そ して、ゆっくりと入口の方を見た。 違う…… 典子は心の中で大きくため息をついた。 店に入ってきたのは一人の若い女であった。女はシルクのシャツ ブラウスにロングスカートという服装であった。 女は再びカクテルの方に視線を戻した典子の方へ歩いていった。 「レイガンならいくら待っても来ないわよ」 女は典子の前まで来ると、静かな口調で言った。 「え」 典子はその言葉に顔を上げ、女の方を見た。 「レイガンはここへは来ないわ」 女はもう一度、同じことを言った。 「ど、どうして−−あなたはどなたですか」 典子は動揺した面持ちで言った。 「私はレイガンの代理よ。彼は今夜9時に日本を発ったわ」 「嘘です、そんなの」 「本当よ。だから、私がこうしてあなたのところへ来たの」 「そんな−−」 典子の唇が震えた。 「彼からあなたへメッセージを頼まれてるの」 そういうと、女はバックからメッセージカードを取り出し、典子 に渡した。 典子は少しためらいながらも、カードを開いて、読んだ。 典子、素敵な思い出をありがとう。君には普通の幸せを掴んでほ しい。 セオドア・レイガン 「こ、これだけですか」 典子は女に尋ねた。 「ええ。それから、ここに1千万の小切手があるわ」 女が渡そうとすると、典子はその手を振り払った。 「いりません。それが私との手切れ金というわけですか……そ、そ んなことって」 典子は目に涙を浮かべていた。彼女はカードをぎゅっと握りしめ ると、女を押し退けて逃げるように店を飛び出していった。 「ふうっ」 女は深く息をついて、典子の出ていった入口を見つめた。 「レイガン、これでよかったのよね」 女−−いや、ペトラルカはそういうと、カウンターに残された真 紅のカクテルを口にした。 エピローグ 数日後、成田空港の待合ロビーでジェシカ・フォードは椎野律子 の見送りを受けた。 「もう帰っちゃうのね」 律子は名残惜しそうに言った。 「短い間でしたけど、お世話になりました」 ジェシカは笑顔で言った。 「そんなにかしこまるなんてジェシカらしくないわよ」 「いいえ、私、律子さんや美佳にあんなひどいことしてしまって、 本当に申し訳ないと思ってます。出来るなら美佳にもちゃんと謝り たかったけど−−」 「美佳も本当はジェシカの見送りをしたいって聞かなかったんだけ ど、あの子、欠席のしすぎで学校、危ないから。勘弁してね」 「とんでもありません。美佳には今度、手紙を書きますって言って おいてください」 「わかったわ。それより、ジェシカ、国に帰ってからはどうするの ?」 「そのことでしたら、私、父の跡を継いで、故郷の街のために働き たいと思ってるんです。この15年間、復讐のことばかりで父の会 社や牧場をずっと人任せにしてきましたから」 「そう。頑張ってね。でも、そうなると結婚、大分遅れちゃうね」 「それはお互い様でしょ」 「言ったなぁ」 律子とジェシカは笑いあった。 「それじゃあ、私、行きます」 「元気でね」 「律子さんも」 ジェシカは律子と固い握手を交わすと、搭乗口のあるエスカレー ターの方へ歩いていった。 「行っちゃったか−−」 律子はジェシカの後ろ姿を見ながら、ぽつりと呟いた。 「これで問題の種が一つ、消えたわね」 その時、律子の後ろで声がした。振り向くと、牧田奈緒美がいた 。 「奈緒美、あんた、いたの?」 「いたのはないでしょ」 「いたんなら、一緒に見送ってくれればいいじゃない」 「私はそういうのは苦手なのよ」 「だったら、何しに来たのよ」 「ちょっと、いいお知らせを律子に持ってきたの」 「お知らせ?」 「ジェシカを狙った殺し屋がいたでしょ。その殺し屋の雇い主がわ かったのよ」 「へえ、誰なの?」 「現アメリカ駐日大使リチャード・ホフマンよ。ひょっとしたら、 もう辞職してるかもしれないけど」 「本当に!一体、どうして」 「詳しいことは全然わからないわ。こっちの捜査は終わっちゃった から」 「終わったって?」 「上から圧力がかかってね、ほとんど調べることなく捜査終了よ」 「何よ、それ。ひどいじゃない」 「仕方ないでしょ。今回の件はアメリカの問題だもの」 「じゃあ、どうして彼が殺し屋の雇い主だってわかったの?」 「警視庁に矢上典子っていう彼の通訳が来てね、ホフマンのことを 洗いざらい暴露したの」 「彼女はどうしてそんなことしたの?」 「さあ、知らないわ。どっちにしても私の関知するところではない わ」 「素っ気ないわね」 「公務員ですからね、上には逆らえないの」 「ジェシカはそのことを知ってるの?」 「ええ、あんたに会う前に彼女と会ってね。彼女は何だか納得して たみたいだったわよ」 「ふうん」 律子は余り納得していなかった。 「それより、この辺で朝食でも食べていかない。私、おなか減っち ゃって」 奈緒美が腹を押さえて、言った。 「いいわよ、その代わり奈緒美の奢りよ」 「どうぞ。どうせ経費で落とすんだし、その経費はどの道、律子の 税金から出ていくんだから」 「やな言い方ね」 「さあ、行きましょう」 奈緒美はそういうと、律子を引っ張ってレストランの方へ駆けて いった。 「魔女」終わり