第20話「悪魔の粉」前編 登場人物 椎野美佳 高校生 牧田奈緒美 刑事 椎野律子 美佳の姉 田辺 仁 元大学教授 秋本啓子 田辺の助手 プロフィール 私、椎野美佳、16才。凌雲高校一年生。ひょんなことからファ レイヌという粉末の魔女たちの争いに巻き込まれて、戦うことにな っちゃったの。ファレイヌは、普段は粉末なのに、人間に乗り移っ たり、形を変えたり、魔法まで使っちゃうのよ。一応、私にもエリ ナっていうファレイヌの味方はいるんだけど、はっきりいって無謀 よねぇ…… プロローグ ある晴れた日の午後−− 「ソルボンヌ大学教授田辺仁、N大で講演か」 青い外車の運転席で新聞を広げていた女が呟いた。「そういえば 、今日、美佳が彼の家に行くっていってたっけ」 女は新聞をたたんだ。 −−コンコン その時、外から誰かがリアウインドをノックした。見ると、婦人 警官だった。 女は面倒くさそうにウィンドのガラスを落とした。 「何か?」 「そこは駐車禁止ですよ」 と婦人警官は事務的な口調で言った。 「あ、私、刑事なんだけど」 女は胸のポケットから警察手帳を出し、身分証明書の欄を開いた 。身分証明書には警視庁捜査一課、牧田奈緒美と書かれている。 「捜査か何かですか」 「いや、そういうわけじゃないけど」 「でしたら、切符を切ります。この車は三十分前から止まっていま したので」 「それは食事に行ってたから」 「免許証をお願いします」 婦人警官は頑として奈緒美の言い分を突っぱねた。 「困ったわねぇ。私のせいのじゃないのに」 奈緒美が婦人警官に免許証を取り上げられ、ぶつぶつ呟いている と、同僚の刑事が車に戻ってきた。 「警部補、何、駐車違反なんかで捕まってるんですか」 とすました顔で言った。 「あんたが遅いからでしょ!」 奈緒美はむかついて、同僚に新聞を投げつけた。 1 訪問 「運転手さん、そこで止めてください」 椎野美佳はタクシーが住宅街の一角に来ると、慌てて口にした。 タクシーの運転手は特に返事もせず、車を止めた。 「六五〇〇円です」 運転手は無愛想に言った。 あらら、高いなぁ 美佳は心の中で苦笑しながらも、財布から一万円札を取り出して 、運転手に払った。 「はい、おつり」 「あ、どうも」 美佳はおつりを受け取って、車を出ると、タクシーはドアを閉め てさっさと行ってしまった。 住所で言うと、この辺よね 美佳はメモ帳に記した田辺仁の住所と、電柱についている番地プ レートを見比べた。 田辺仁。四十六才。現在、ソルボンヌ大学の教授。元国洋大学心 理学の教授で、三十二才で退職後フランス、アフリカ、南アメリカ と各地を渡り、黒魔術の研究に没頭。五年前にフランスに住居を構 え、その研究の集大成とも言うべき「悪魔の粉」をフランスで発刊 した。 美佳はこの田辺が七月初めに大学の特別講義で来日することは北 条から聞いていたが、北条が入院したこともあって講義に行けなか ったため、仕方なく住所を調べて本人に会いにいくことにしたのだ った。 美佳はほとんど探すこともなく、田辺の家を見つけた。 「ここね」 美佳は目の前の大きな家を見て、呟いた。 都心郊外の住宅とは言え、最近の地下高騰を考えれば、かなり大 きな家である。 私の家の五倍はありそうね。でも、庭はそれほどでもないかな。 などと考えながら美佳は門のベルを押した。 「どちらさまですか」 と女性の事務的な声がベルの横のインターホンから流れた。 奥さんかしら 「あのう、田辺先生にお会いしたいんですけど」 「お約束はなさいましたか」 「いいえ」 何が約束よ。私が約束とろうと思って、電話したら、有無を言わ さず断ったくせに。 美佳は心の中で文句を言いながらも、ここはぐっとこらえ、 「どうしても、先生にお会いしたいんです。お願いします」 「あなた、昨日、お電話なさった方ですね」 女性の冷たい声が鋭く指摘した。 「ええ」 「先生は仕事で忙しいため、誰ともお会いになりません。お引き取 り下さい」 「そこを何とか。大事な話なんです」 「お引き取り下さい」 「じゃあ、いつ会えるんですか。大学の講義が終わったら、また日 本を離れてしまうのでしょう。せめて約束だけでも」 「お引き取り下さい」 女性はひたすらこの言葉の一点張りだった。 美佳もついにカチンときた。 「あんたね、さっきから人が下手に出てれば。少しは会わせてくれ たっていいでしょう。この冷血女!」 「何て野蛮な言葉遣い。そんな方にはますますお会いさせるわけに はいきません」 「ふん、どっちにしたって会わせてくれないんでしょ、ドケチの岩 石女!!」 美佳は言いたい放題言った。 「お引き取り下さい。お帰り頂かないと、警察を呼びます」 女性はあくまで冷静に対処する。 「呼ぶなら、呼びなさいよ」 「わかりました」 それきり、インターホンから応答が途絶えた。 「やばかったかな」 美佳はちょっと後悔した。 これじゃ、永久に会わせてもらえないわ。 美佳は門の前でしばらく行ったり来たりしていると、誰かが向こ うから走ってくる。 それはジョギングウェア姿の男だった。 しかし、美佳の方はそれに全く気付かず、目の前の田辺の家を未 練がましく見ている。 「君、何か用かね」 ジョギングウェア姿の男が美佳に声をかけた。 「別にあんたに用なんかないわよ」 と美佳は男の顔も見ずに不機嫌に言った。 「そこは私の家だが」 「え?」 美佳は視線を家から男の方へ移した。 「た、田辺先生?」 美佳は驚きの声を上げた。 「そうだよ」 田辺はジョギングをやめて言った。 田辺は美佳の抱いていた大学教授像とは異なり、体格のがっちり とした背の比較的高い男だった。顔立ちも四十六とは思えないほど 若々しく、小麦色に日焼けしていた。 「わたし、先生に会いに来たんです。会ってもらえますか」 「会わないも何も、もう会ってるじゃないか」 「そ、それもそうですね」 田辺は何となく安心感を与える男で、彼なら自分の話を聞いてく れるだろうと美佳は思った。 「見たところ、中学生のようだけど」 「高校生ですよ」 「これは失礼。それでこの私に何のようかな」 「先生に大事な話があるんです。ぜひ聞いてほしいんです」 「構わんよ」 「本当ですか。奥さんには断られましたけど」 「奥さん?私は独身だよ」 「でも……」 「おそらく私の助手の秋本くんだろ。彼女は真面目過ぎるんだ。気 にしないでくれ」 「それじゃあ、話を聞いてくれますね」 「もちろんだよ。その前に君の名前を聞こうか」 「椎野美佳です」 美佳は元気良く言った。 2 北条の悩み その頃、J大付属病院では−− 北条隆司は律子の病室の前に来ると、ドアをノックした。右手に は果物を入れた籠を手にしている。 「どうぞ」 中から律子の声がした。 北条はドアを開け、中へ入った。 「こんにちは」 北条は軽く頭を下げた。 「あら、いらっしゃい」 律子はベッドで笑顔で出迎えた。といっても、頭には未だ包帯が 巻かれている。 「こちらへどうぞ」 律子が椅子を勧めた。 「あ、はい」 北条はベッドの傍の丸椅子に座った。 「もう足はいいの?」 「ええ。骨折といっても、軽いものでしたから」 「今日は一人?」 「ええ、まあ」 北条はちょっと気のない返事をした。 「美佳は?まさか、あの子が北条君を身代わりによこしたとか」 「そんな、違いますよ」 「じゃあ、北条君の誘いを断ったの?」 「いいえ。美佳には何も言ってません」 「そうなの」 律子はちょっと考え込んで「でも、君が一人で私のとこへ来るっ てことはただごとじゃないわね」 「え?」 律子の言葉に北条が驚いた顔をした。 「何か相談があるんでしょ。美佳のこと?」 「律子さんにはかなわないな」 北条は苦笑した。「実は美佳のことでちょっと」 「やっぱりね。どんなこと?あいつのわがままに耐えられないとか 」 「それならまだいいんですけどね」 北条は視線を一度落としてから、律子を見た。「このところ、美 佳の様子がちょっとおかしいんですよ」 「おかしいって」 「何て言うのか、一人で悩み事を背負っている感じで、僕が何を聞 いても話してくれないんですよ」 「例えば」 「以前、早坂秋乃って子に美佳が殺されかけたことがあるんです。 でも、美佳はその事について警察沙汰にしないどころか、僕にも何 一つ話してくれませんでした。僕が骨折した時も、僕にはその事故 の記憶がまるでないのに、美佳は何か知っているみたいなんです」 「美佳には美佳なりの考えがあるのよ。きっと君に心配かけまいと してるんだわ」 「僕も最初はそのつもりでした。でも、よく考えてみると、美佳は それほど僕のことを信用してないんじゃないかと思って」 「美佳がそういったの?」 「いや、そうじゃないけど。今まで俺、美佳に対して自分の都合ば っかり押しつけてきたから」 「三年も付き合ってれば、そういうこともあるわよ」 「けど、何か自信がないんですよね。僕の知らないところで、美佳 が悩んでいるのに僕は何もしてやれない」 「北条君!!」 律子は鋭い口調で言った。北条が思わずドキッとする。 「あなたらしくもない。いつまでそんなうじうじしたこと言ってる の。美佳は自分勝手なところはあるけど、一本気な子よ。北条君が 嫌いになったら、嫌いになったとちゃんと言うわ。それは北条君が 一番よく知ってるでしょ。それに美佳が自分のことを信用してない っていうけど、信用してないのは北条君の方じゃない」 「……」 「美佳を信じてるんだったら、美佳が自分から話すまで温かく見守 ってあげるのが、恋人ってものでしょう。もっと広い心を持たなき ゃ」 律子の言葉に北条は胸をつかれた思いがした。 「そうかもしれませんね。僕がどうかしてたみたいです」 「わかってくれた?」 「はい。律子さんに相談してよかったです。胸のつかえがとれまし た」 「まあ、こんな私でよかったら、いつでも相談に乗るわよ。何と言 っても将来のお姉さんですからね」 律子はちょっと照れ臭そうに笑って、言った。 3 黄金銃 「さあ、話を聞こうか」 田辺は美佳を自分の書斎へ案内し、ソファへ座るよう勧めた。家 に入る際、助手の秋本啓子はいい顔をしなかったが、田辺は慣れて いるのかそんなことも気にせず、美佳を中へ入れたのだった。 「実は−−」 美佳が話そうとした時、書斎のドアをノックして秋本が入ってき た。秋本は黙って、運んできたコーヒーとケーキを美佳と田辺のテ ーブルの前に置くと、静かに部屋を出ていった。 「さあ、どうぞ」 「実はですね−−」 美佳はどう話を切り出していいかわからず、「先生はフランスに 住んでいるのに、どうして日本にこんな凄い家を持っているんです か」 「いけないかね」 「そうじゃないけど、研究ばっかりやっててよくこんな家を買う金 があったなぁと思って」 「はっきりいうね。君の言うとおり、私の資産ではこんな家は買え ないよ。この家は祖父の代から継いだものでね、昔は広い庭があっ たんだが、税金のために売ってしまって、いま残っているのはこの 家だけだよ」 田辺は苦笑した。 「家だけでも凄いですよ」 美佳は周囲を物珍しげに見回した。 「それより、話があるんじゃないのかね」 「あっ、そうだった。先生は『悪魔の粉』っていう本を書かれまし たよね?」 「読んだのかね、あの本を。確か日本語版は出してないと思うが− −」 「一応、自分で訳して読みました」 「ほお、そいつは凄いねぇ。あれはもともと魔術や宗教儀式におけ る毒薬の役割を書いた本だから、とても辞書だけで訳せるものとは 思えんがね。本当に読んだのかね?」 「全部ではないですけど−−。そんなことより、その本の中に書い てあった『ファレイヌ』のことについて、詳しく伺いたいんです」 「ファレイヌのことか……あれはまだ人に教えるほどのデータがな いから話せないな」 「そんなぁ」 「どうしてファレイヌに興味を持っているのかね?」 「どうしてって」 美佳は少し考えた。 ファレイヌを見せた方がいいかしら。でも、なあ……。まあ、い いか。 「これを見てくれますか」 美佳は思い切って、バックから紙袋を取り出し、田辺に渡した。 「何かね」 田辺は袋を開いた。 「これは!!」 田辺を目を見張った。 「ファレイヌです」 「ああ」 田辺は信じられないといった顔つきで、袋から黄金銃を取り出し た。 「どうですか」 「すごい……まさか、本当にあったとは」 田辺は黄金銃を食い入るように見つめていた。 「本当に?」 「君、これをどこで手に入れたのかね?」 「それは後で話します。それより、ファレイヌについて先生が知っ てることを教えて下さい」 「君はこの銃がどういうものか、知っているのかね?」 「人並み以上は」 「そうか……」 田辺の黄金銃を見る目は、玩具で遊ぶ子供の目のように輝いてい た。「これはまさしく本物の金だ。しかも、この形、この模様、ま さしくファレイヌに違いない」 「先生」 美佳が声をかけた。しかし、田辺は銃に夢中で、美佳の声が耳に 入らなかった。 「先生!」 美佳が大声で言うと、田辺はようやく気付いたようだった。 「ああ、何かね」 「先生はファレイヌのことをどこでお知りになったんですか」 「私がファレイヌのことを最初に知ったのは、フランスの地方の図 書館にあった文献だった。その文献は町の言い伝えのようなものを 集めたもので、その信憑性は薄かったが、その銃については図まで 記されてあったのが興味深かった。その後、フランスのある村の長 老からも黄金銃の話を聞き、私はますます興味を覚えたが、今日ま でとうとう見つけることができなかった。だが、今日、日本で、こ んな形で目にしようとは思いもよらなかったよ」 「先生はファレイヌを何だとお思いですか」 「わからんね。実際、私は本に書いた以上の知識はないからね。た だ、一説では人間の、それも聖女の魂を肉体から離脱させ、金属の 粉末に吹き込む術らしく、術を受けた人間はその粉末の中で永遠の 生命を得るらしい。しかも、彼は人間と同様に自分の意思で活動で き、様々なものに変形できるという事だ」 「先生はそれを信じますか」 「信じたいがね。実際には、17世紀にブルボン王家にこの銃を献 上した貴族が、付加価値をつけるためにそんなことを言ったのだと 思うよ」 何だ、ただ知ってるだけって感じね。でも、その文献には興味が あるな。 「椎野君」 「はい」 「これを私に売ってくれないかね?」 「え?」 「頼む」 田辺は頭を下げた。 「駄目ですよ」 「しかし、君、これはフランスの国宝だ。こんなものを君が持って いると警察が知ったら、君は逮捕されるよ」 「脅すんですか」 「いや、脅すつもりはない。ただ、君がこんな物を持っていても、 仕方ないだろう」 「お断りします」 「そういわないで。1千万出そう。現金でだ」 「これは私にとっても大事なものなんです。ですから、お売りでき ません」 「私がこんなに頼んでも駄目かね」 「はい」 「そうか……」 田辺は大きく息をついた。「わかった、諦めよう。警察に知らせ るなんて脅かしたりして済まなかった」 「分かっていただければいいんです」 「それより、こうして君と会ったのも何かの縁だ。ファレイヌを見 せてくれたお礼に、私の美術品を見せよう」 「美術品!」 美佳の目が輝いた。「ぜひ見せてください」 「よし。では、見せてあげよう。ついて来たまえ」 田辺はソファに黄金銃を置いて席を立つと、まずドアの鍵を閉め た。それから、本棚に歩み寄り、上から三段目にある本を一冊、取 り出すと、その本を取った隙間に手を入れて、何やらスイッチを押 した。 すると本棚の右半分が引き戸のように横にスライドした。 「ああっ」 美佳は声を上げた。 「驚いたかね」 田辺はにやっと笑った。 何と本棚の後ろには入口があったのである。 「へえ、まるで秘密基地みたい」 書斎から薄暗い地下への階段を降りながら、美佳は感心していっ た。 「珍しいかね」 田辺は地下室のドアを鍵で開けると、先に中へ入って、明かりを 付け、美佳を招き入れた。 「図書館みたいですね」 美佳は書棚が部屋の縦横にずらっと並んでいるのを見て、驚いた 。それぞれの書棚には本がびっしりと詰まっている。 美佳は一生かかっても、この部屋の本の半分も読むことは出来な いだろうなと思った。 「この奥だ」 田辺は書棚と書棚の間の細いスペースを体をやや横にして、奥へ と入っていく。美佳もそれに続く。 「この部屋だ」 さらに部屋の奥にドアがあり、田辺はそのドアを開け、美佳と一 緒に部屋に入った。 「何もない部屋ですね」 「まあ、見ていたまえ」 田辺は壁のスイッチを入れた。 すると何か機械の歯車の回る音がした。 「あれは」 美佳は声を上げた。 部屋の奥の壁が百八十度回転して、反対側の壁が現れた。その壁 には五体のマネキン人形が据えつけられている。 マネキンはそれぞれ男女があり、服を着ている。 「何なんですか、これは」 「射撃練習場さ」 「どうしてこんなものを?」 「ふふ、これは助手の秋本君にも秘密なんだ」 そういって、田辺は壁の上に据えつけられたキャビネットを開け ると、一丁のリヴォルバーを取り出した。 「撃ってみるかね?」 「い、いいえ」 美佳はびっくりして首を振った。 「これは祖父が密かに作ったものなんだ。祖父は軍人であり、ガン コレクターだった。私は子供の頃からよく父に内緒で祖父にここへ 連れてきてもらった」 田辺はリヴォルバーに弾丸を込めながら、言った。 「そ、そうですか」 この人、結構、危ないわね 美佳は内心でそう思った。 「耳を閉じていたまえ」 「え?」 美佳が聞き返す間もなく、田辺はマネキンの標的に向けて、リヴ ォルバーを乱射した。 弾丸は次々とマネキンの胸を命中する。 「うまいですね」 美佳は耳をおさえながら、そう言いかけた時、思わずぎょっとし た。 マネキンの着ている服の胸辺りが真紅に染まっているのである。 「ちょっとあれは?」 「ただのインクだよ。雰囲気をだすためのね」 田辺はニコリと笑っていった。 「危ない奴……」 美佳はぽつりと呟いた。 「何か言ったかね」 「いえ、いえ」 「君も撃ってみるかね」 「いいです。よく撃ってるから」 「ん?」 「何でもありません。こっちのことです」 美佳は慌てて誤魔化した。 「そうか、では、次へ行こう」 「まだ、部屋があるんですか」 「ああ」 「今度は拷問室が出てくるんじゃないでしょうね」 「口が悪いね、君は」 田辺は苦笑した。 田辺はポケットからリモコンを取り出すと、ボタンを押した。 すると壁の中央の一部がくぐっとへこみ、へこんだところには地 下へ通じる階段が出来た。 「へえ、ようできてる」 美佳は感心した。「どうしてこれはリモコン操作なの?」 「地下二階は研究室だからね。ますます人に知られるわけには行か ないんだ」 「先生って、人間不信じゃないの?」 「君みたいな子ならいいが、世の中には人の研究を盗もうとする連 中が腐るほどいるからね。特に大学の教授を一度でもやれば、それ を痛感することになるよ」 「そんなものかしらね」 美佳には余りピンとこなかった。 田辺の後について、美佳は地下への階段を降りてみると、そこに はテレビで見るような実験室があった。 美佳には理解できないようなコンピューターやら、薬品やら、実 験器具が部屋いっぱいに設置されている。 「こっちへ来たまえ」 田辺はきょろきょろしている美佳を呼んだ。 「電子レンジですか、これは」 美佳は田辺のところへ来て、そのよくわからない機械を前にして 、言った。 「これは温度調整装置だ。この中に物質を入れ、温度を自由に変化 させることによって、その物質の反応を見るのだ」 「ふうん」 美佳は珍しげに周囲を見回した。「あれ−−」 ふと陳列棚の4段目にどこかで見たような壺を見つけた。それは 銅製の壺だった。 あれはメルクリッサの壺! 美佳はすぐにピンときた。 「せ、先生!」 「何かね」 「あの壺−−」 「あの壺がどうかしたかね」 「どこで手に入れたんですか」 「あれはスペインの古物商で買ったものだ。価値は大したものでは ないと思うが、形が珍しかったのでね、つい買ってしまったのだよ 」 「手に取っていいですか」 「どうぞ」 美佳は壺を手にした。 もしこれがメルクリッサの壺なら、この中にファレイヌが閉じ込 められているのかしら。だとしたら、このまま放っておくわけにも 行かないわね。でも、欲しいっていっても、くれないだろうな。さ っき、ファレイヌを売るのを断ったばかりだし−− 美佳は壺を見つめながら、じっと考えている時、突然、美佳の背 後に人影が現れた。 ガッ! 振り下ろされた鉄の棒が美佳の後頭部に命中した。 「あっ」 美佳は一瞬、頭をそらすと、すぐに気を失って、その場に倒れた 。 「済まない、椎野君」 倒れた美佳の傍には鉄の棒を手にした田辺が立っていた。「私は どうしてもあの銃が欲しいんだ」 田辺は鉄の棒をその場に捨てると、静かに研究室を出ていった。 続く