第19話「邪悪なる心」後編 6 アパート 「エリナ、姉貴の居場所がわかる?」 病院の裏門のところで美佳は十字架のエリナに尋ねた。 //ええ 「姉貴、無事だといいけど」 //大丈夫。元気を出して その時、奈緒美の車が美佳の前に止まった。 「ナオちゃん」 美佳は車の運転席の奈緒美を見た。 「乗りなさい。美佳の行きたいところへ連れてってあげるわ」 「さすが、ナオちゃん」 「その代わり後でちゃんと事情は説明してもらうわよ」 「OK」 美佳は助手席のドアを開けて、車に乗り込んだ。 「さあ、どこへ行く」 奈緒美がハンドルを握りながら、聞いた。 「エリナ」 美佳は十字架に呼び掛けた。 //真っ直ぐ行ってください 「真っ直ぐ行って」 「ええ」 奈緒美にはエリナの声は聞こえないので、少し戸惑ったが、すぐ にアクセルを踏んで車を発進させた。 「ここで止めて」 美佳の言葉で奈緒美は車を止めた。空はもう夜明けを迎え、赤く なっていた。 美佳は車を降り、周囲を見回した。 「ここは−−」 美佳は目の前の5階建ての白塗りの建物を見て、呟いた。「ここ は隆司のアパートだわ」 「ここに律子がいるの?」 奈緒美も車を降りて、美佳に尋ねた。 「ナオちゃん、悪いけど、ここで待ってて」 「ちょっと、ここまで運転させといて、それはないでしょ」 「お願い。ほんのちょっと、そう10分だけ車の中にいて」 美佳は手を合わせた。 「わかったわ。10分よ。その代わり、どこに行くのか、教えてよ 」 「あのアパートよ。あのアパートの203号室」 美佳はそういって、アパートの方へ歩いていった。 どうして隆司のアパートに姉貴が−−まさか二人とも。 美佳は様々な不安を抱きながら、アパートの中へ入った。 階段を昇って2階まで行くと、美佳は203号室のドアの前まで 来た。 「エリナ、姉貴がこの部屋にいるの?」 美佳は再度、確認するようにエリナに聞いた。 //ええ。律子さんともう一つ、別の気を感じます。 「別の?ミレーユ?」 //ミレーユではありませんわ。 十字架のエリナは答えた。 「ここに姉貴がいるって事は、隆司も敵に捕まっているってことか しら。だとしたら−−」 //美佳さん、入ってみましょう。 「うん」 美佳は少し躊躇っていたが、思い切ってベルのボタンを押した。 ビーという音がドアの向こう側で聞こえた。美佳は一度、唾を飲 み込んだ。 「どちらさま?」 少したってドアの反対側から声がした。 −−隆司の声だわ。 美佳は何となくホッとした。 「わ、わたしよ、美佳」 美佳は上ずった声で言った。 「何だ、美佳か」 ドアが半分開き、北条が顔を出した。 「隆司!」 美佳は嬉しそうな声を上げた。 「とうしたんだよ、こんな時間に」 北条は不思議そうな顔をして言った。彼の様子には特に不審な様 子はなかった。 「いま、一人?」 美佳は小声で聞いた。 「当たり前だろ」 「そ、そうよね」 美佳は考え込んだ。 エリナは姉貴が隆司の部屋にいるっていうけど、あの様子じゃと ても脅されてるようにも見えないし。どうなってんのかしら。 「隆司、今まで起きてたんだ」 「どうして」 「だって、ほら」 美佳は北条のジーンズを見て、言った。 「ああ、バイトから帰ったばかりなんだ」 「バイトって?」 「ガソリンスタンドの従業員」 「ああ、そうなんだ」 「それより、用があるんなら早く言えよ」 「つれないなぁ。ちょっと隆司に会いたかったら来たのに。ねえ、 上がっていい?そんなに長居しないから」 美佳は笑顔を振りまいて言った。 「いいよ。ちょっと散らかってるけど」 北条は美佳を部屋に入れた。玄関で靴を脱ぐ間に美佳はエリナと 話した。 「エリナ、本当に姉貴がここにいるの?」 //いますわ 「どこに?」 //あまりに近くて、判別は出来ませんわ 「いい加減なんだから」 美佳はぼそっと呟いた。 「美佳、早く上がれよ」 奥の部屋から北条の声がした。 「う、うん」 美佳はすぐ返事をした。 北条の部屋はバス・トイレ付きの六畳二間の部屋だった。玄関の 手前の一間はキッチンに冷蔵庫、洗濯機があり、奥の部屋が居間に なっていた。 「おじゃまします」 美佳は奥の居間に入った。そこはカーペットが敷かれており、テ レビやステレオなどの電気製品が揃っていた。押入れは壁に備付け で、部屋の中央には円いテーブルがあった。 「座れよ」 北条の言葉で、美佳はその場に腰を下ろした。 「結構、きれいじゃない」 美佳が部屋を見回して言った。 「何か、飲むか」 「うん」 北条は腰を上げ、隣の部屋へ行った。 美佳は北条がいなくなると、すぐに立ち上がり、気になっていた 押し入りの扉を開けた。しかし、そこにあったのは布団と衣装箱だ った。美佳は更に衣装箪笥の扉も開けてみたが、誰もいなかった。 「さほど広い部屋じゃないから、人が隠れるところなんてそんなに ないんだけど−−」 美佳は北条が居間に戻って来た時には、ちゃんと元の場所に座っ ていた。 北条は1リットル瓶のコーラと二つのコップをテーブルに置いた 。そして、一つのコップにコーラを入れて、美佳に渡した。 「ありがと」 美佳はコップを受け取り、早速コーラを飲もうとした。 //美佳さん!! その時、頭の中にエリナの鋭い声が聞こえてきた。 「何よ」 美佳はコーラを飲むのを止め、北条に背を向けて、十字架に話し 掛けた。 //そのジュース、大丈夫でしょうか 「何言ってんの。このコーラに毒が入っているとでも?」 //ええ 「まさか」 //前にもマリーナに操られた美佳さんのお母さんが律子さんに 毒入りコーヒーを飲ませようとしたことがあったじゃないですか 「それはそうだけど−−」 美佳は考え込んだ。 「美佳、何、ぶつぶつ言ってんだ」 「ううん、何でもない」 美佳はすぐに北条の方に体を向けた。そして、コップをテーブル に置いた。 「何だ、飲まないのか」 「え、あ、そういうわけじゃないけど、ちょっとね」 美佳はニコッと笑った。 「変な奴だな。だったら、俺が飲むぞ」 北条はそういって美佳のコップのコーラを飲んだ。 −−何だ、平気じゃないの 美佳は首に掛かった十字架をちょっと睨み付けた。 「隆司、一つ聞きたいことがあるんだけど」 美佳が改まった様子で尋ねた。 「ん?」 「私が来る前に誰かこの部屋に来なかった?」 「いいや。といっても、さっきまで俺もバイトでうちにいなかった から、わかんないな」 「そ、そうよね。それじゃあ、わかるわけないよね」 美佳は苦笑した。 −−そっか、隆司のいない間に姉貴を誘拐した犯人がこの部屋に 来たという可能性もあるわね。だとしたら、隆司の身も危険だわ 「ねえ、隆司、聞いてほしいことがあるの」 美佳は真面目な顔になって、言った。 「何だよ」 「実はね−−」 美佳は隆司の傍に近寄り、耳もとで囁くように言った。「すぐに この部屋を出てほしいの」 「どういうこと?」 「危険なのよ。うまく説明できないけど、姉貴を誘拐した犯人がこ の部屋にいるみたいなの」 「姉貴って、律子さんが誘拐されたのか」 「そう。その犯人は今度は隆司を狙うかもしれないの」 「何で俺を?」 「理由は後で説明するから。お願い」 「わかった」 「本当?」 「ああ」 バタッ! その時、隣の部屋から物音が聞こえた。 「何だろう」 北条が腰を上げた。 「私が見てくるわ」 美佳は北条を制し、引き戸を開けて、隣の部屋へ行った。 キッチンには人影はなかったが、洗濯機のそばの床に洗濯物のか ごが引っ繰り返っていた。 「何だ、かごが落ちたのか」 美佳は安心した。 と、その時、誰かが美佳の背後に立った。 突然、背後の手が美佳の胸をぐっと掴んだ。 「何すんの!」 美佳が振り向くと、背後の男に唇を塞がれた。美佳の目の前には 男の顔があった。北条だった。 「やめて!!」 美佳は反射的に北条を突き飛ばした。北条は二、三歩、後ろへ下 がっただけだった。北条の顔は先程までとは別人のように冷たく、 恐い顔をしていた。 「ごめんなさい。でも、あんなことするなんて……」 「俺のこと、嫌いなのか」 北条は低い声で言った。 「好きよ」 「だったら、やらせてくれてもいいだろうが!」 北条は突如、形相を変え、美佳に飛びかかった。そして、美佳を 床に押し倒すと、暴れる美佳を何度となくひっぱたいた。 「隆司、やめて……」 美佳は抵抗した。 「俺はな、今までおまえのために何でも尽くしてきた。なのにおま えは体を許さない。俺はそんな女、気にいらねえんだよ」 北条は美佳の両手を右手で抑え、美佳の着ていた服を左手で掻き むしるように引き裂いた。そして、獣のように美佳の体に舌をはわ せた。 「一体、どうなってるの」 美佳は北条の突然の変貌に当惑した。 その時、美佳の目の前に誰かが立った。美佳は視線を上げた。 「姉貴……」 美佳は呟いた。律子は氷のような目で美佳を見下ろしていた。 「どう、恋人に犯される気持ちは」 律子はにやっと笑って、言った。 「姉貴、どうして……」 「ふふふ、私は体は律子でも、心は律子ではないわ。私の名はブレ ンダ・ケイリック。おまえを殺すために天界よりやってきた」 「ミレーユの刺客ってわけね」 「その通り。本当ならこの律子の体を利用して、おまえを殺すつも りだったけど、まさか自分から乗り込んでくるとはね。大した勘だ わ」 「隆司に一体、何をしたの?」 「私のエネルギーを流し込んだ。私の意のままに操るためにね。さ あ、北条隆司、美佳を一気に殺してしまえ」 北条は美佳の首に手をかけた。 「畜生……」 美佳は懇親の力を込め、隆司の右手を引き離すと、隆司の顔を一 発殴った。 「この野郎!女のくせに」 隆司は目を吊り上げ、美佳の顔を思いっきり殴った。そして、美 佳の首をさらにぎゅっと絞め上げた。 「く、苦し…」 美佳が呻いた。 −−バタン!!! 玄関のドアが激しく開いた。隆司がふっとドアの方を見た瞬間、 キックが北条の顔に飛んだ。北条は数メートル飛ばされる。 美佳はあまりの苦しさに大きく咳き込んだ。 「誰だ、貴様!」 北条は起き上がって叫んだ。 「あなたこそ、どういうつもり。女の子に手をかけるなんて」 牧田奈緒美は拳銃をホルスターから抜いて、言った。 「美佳、大丈夫」 「ええ」 「そこにいるのは、律子ね。一体、あなた、どうしてここに」 奈緒美は律子を見て、驚いた。 「とんだ邪魔が入ったようね」 律子の右手に突然、銀色の銃が現れた。 「まさか、ファレイヌ……」 美佳は起き上がって、律子を見た。 「死ね!」 律子が銃口を二人に向けた。 「逃げるわよ」 美佳は奈緒美の手を強引に引っ張って、部屋を飛び出した。 律子はひき金を引いた。 グォーン、グォーン、グォーン−−三発の弾丸がちょうど二人が 出ていったばかりの玄関のドアに命中した。ドアはぷしゅうという 音を立てて、溶け始めた。 「ちっ!北条、追うぞ」 「はい」 律子と北条も部屋を出た。 7 ブレンダ 「どうなってんの?」 「詮索は後!」 美佳は振り向くことなく奈緒美の手を引っ張って、アパートを出 た。 そして、すぐに止めてあった車に乗り込んだ。 「早く出して」 美佳はシートベルトをしながら、言った。 「わかったわ」 奈緒美はキーを鍵穴に差し込んで、回した。グゥンと音がしてエ ンジンがかかる。 その時、北条が二人の乗る車の前に現れる。 「どうする?」 奈緒美は美佳の方を見た。 「この距離なら大丈夫よ」 美佳の言葉で奈緒美はギアを入れ、アクセルを踏んだ。 車は急発進し、北条をはね飛ばした。 「ごめんね−−」 美佳は後ろを見た。北条が道に倒れている。 「すぐに署に連絡しなきゃ」 運転しながら、奈緒美は自動車電話に手をかけた。 「待って」 美佳は奈緒美の手に自分の手を置いた。「姉貴のことは私が何と かするから」 「何とかするって、どうするのよ」 「わかんないけど、警察に知らせても無駄だわ。相手は魔女なんだ から」 「魔女?」 「姉貴の持ってた銃、あれには恐ろしい魔力が秘められているのよ 。警官が束になってかかったところで、犠牲者を増やすだけだわ」 「けど、このままでいたって、犠牲者が出るわ」 「ううん。奴の狙いは私だけだから、心配ないわ」 「美佳だけって、どういうことなの?」 奈緒美は美佳を見た。 「もう来たみたいね」 美佳はバックミラーを見て、呟いた。奈緒美の車の後ろから、律 子の乗ったバイクが近づいてくる。 //美佳さん、どうするんですの? エリナが話し掛けた。 「わからないわ。どうしたらいいのか」 美佳は頭を抱えた。 その時、フロントガラスとリア・ウインド・ガラスが同時にブシ ュッ、プシュッと音を立て、溶け始めた。 見ると、律子はバイクを運転しながら、片方の手で銀色の銃を発 砲していた。 「何なのよ、あの銃は−−」 奈緒美が悲観的に呟いた。 //溶解弾ですね、あれは エリナが言った。 パンッ!−−弾ける音と同時に車がガクンと揺れた。 「どうしたの?」 「タイヤをやられた」 「ええっ!」 車は操作を失い、激しくスピンした。そして、そのまま、ガード レールに衝突した。 「いたた」 美佳は頭を押さえながら、呻いた。 「車を出ましょう」 奈緒美はそういって、車を出た。 車の数メートル前にはバイクに乗り、銀色のリヴォルバーを構え る律子の姿があった。 「律子、どうしてこんなことを」 奈緒美は信じられないといった顔で言った。 「どいてろ。おまえには用はないわ」 律子は銃口を車から出てきた美佳に向けた。 「待ちなさい!」 奈緒美は鋭い声で言った。 「ん」 「銃を捨てて。さもなければ、撃つわ」 奈緒美は拳銃を構えて、言った。 「無駄なことはやめるのね。命をなくすわよ」 律子はふふんと笑って、言った。 「銃を捨てて!」 奈緒美は口調を強めて、言った。 「ナオちゃん、やめて」 美佳が奈緒美の方を見て、言った。 「愚かね、人間は」 律子は銀色のリヴォルバーの銃口を美佳から奈緒美に向けた。 「律子……」 奈緒美はすぐ様、拳銃のひき金を引こうとしたが、律子の顔を見 て、一瞬躊躇った。だが、律子の方は躊躇うことなくリヴォルバー のひき金を引いた。 グォーン!! 「うっ」 律子が低いうめき声を上げた。彼女の額からは血が流れていた。 奈緒美も、そして律子自身にも何が起こったのかわからなかった 。 「うあっ」 律子は白目を向いて、前に倒れた。 奈緒美は自分の拳銃を見た。しかし、彼女の銃からは硝煙が上が っていない。 −−私はひき金を引けなかった。一体、誰が 奈緒美はふと美佳の方を見た。 「み、美佳−−」 奈緒美は驚きの声を洩らした。美佳は黄金銃を両手に握りしめて 、立っていた。「その銃は−−」 「ナオちゃん、早くこの場を離れて。まだ奴との勝負はついてない わ」 美佳は目に涙を潤ませながらもしっかりとした表情で言った。 律子の口や鼻、耳の穴から水銀が地面に流れ出てきた。 「何、あれは−−」 奈緒美は目を顰めた。 全ての水銀が律子の体から出ると、今度はその水銀が女の形に変 化した。 「ファレイヌ……」 美佳は呟いた。 //驚いたわ。まさか自分の実の姉を撃ち殺すとはねぇ。 「そうさせたのは、あなただわ」 美佳はブレンダを睨み付けた。 //あなたは自分かわいさに姉を殺したのよ。 「違う!」 //誰だって命は欲しいものね ブレンダの手が強大な銃に変化した。 「この化け物!」 奈緒美は拳銃をブレンダに向けて撃った。しかし、銃弾はブレン ダに体に命中すると、そのまま彼女の体の中に飲み込まれてしまう 。 「き、効かない−−」 奈緒美の顔が恐怖に引きつった。 「ナオちゃん、こいつにはまともな攻撃では勝てないわ。恐らくこ のファレイヌの力でも−−」 美佳は黄金銃のひき金を引いた。 グォーン! 光の弾丸がブレンダの胸に命中した。 //馬鹿め、私は不死身だ……うっ ブレンダは突然、膝を付いた。 「効果あったみたい」 美佳は意外といった表情で、手にした黄金銃を見た。 //おのれ、許さん ブレンダは右手の銃を発射した。美佳は慌てて身を伏せた。 青い弾丸が美佳の頭上を通過して、後ろの標識に命中した。標識 はどろどろに溶け始めた。 //美佳さん、律子さんのマンションへ行きましょう エリナが美佳に言った。 「え?」 //わたくしにいい考えがありますわ 「わかった」 美佳は黄金銃をブレンダに向けて、3発撃った。光弾が次々とブ レンダの体に突き刺さった。その衝撃でブレンダは後ろへ倒れた。 「ブレンダ、私と勝負する気があるなら、姉貴のマンションへいら っしゃい。そこで決着を付けましょう」 美佳はそういうと、歩道に駐車してあった自転車に飛び乗り、歩 道を走り去った。 8 終局 「やっと着いた……」 美佳は自宅のマンション前に自転車を止めると、額の汗を拭いた 。 //さあ、急ぎましょう 「その前にエリナ、あのブレンダはファレイヌなの?」 //何とも言えませんけど、ファレイヌにされた私達13人の中 に彼女はいませんわ 「すると、別のファレイヌってこと?」 //多分、ミレーユがつくり出したファレイヌ−−かも知れませ んね 「そう」 美佳は黄金銃を右手に持ちながら、マンションに入った。 そして、エレベーターで五階まで行った。 「エリナ、いい考えって何なの?」 美佳は自宅のドアの前まで来ると、エリナに聞いた。 //生前に早坂秋乃さんが持っていたアレですわ 「アレ?アレが何かの役に立つの?」 //ええ、充分に役に立ちますわ マンションの前の車道でブレンダはバイクを止めた。 ブレンダはマンションを見上げ、美佳の部屋の窓を見た。明かり が点いている。 美佳め、何を企んでいるのかしら。まあ、何をしたところで私は 不死身の体。何も恐れるものはないわ。 ブレンダはマンションに入った。奥のエレベーターに行く途中で 、管理人室を通る。 「ちょっとあなた−−」 管理人が部屋の小窓から顔を出して、ブレンダを後ろから呼びか けようとした。だが、その姿を見て、慌てて顔を引っ込めた。 ブレンダは管理人を無視して歩を進めた。 エレベーターの前に立つと、ブレンダは右側のボタンを押した。 五階にあったエレベーターがゆっくり降りてくる。 階数ランプは五、四、三、二と同じテンポで移りゆき、一の表示 のランプが点いた時、ドアが静かに開いた。中には誰もいなかった 。ブレンダはエレベーターに乗り込む。 ブレンダは階数ボタンの「5」を押した。エレベーターが緩い振 動を立てて上昇した。 −−椎野美佳、おまえの死ももうすぐ。すぐに姉のところへ送り 届けてやるわ ポーン−−到着の音がして、ドアが開いた。そこにも誰もいない 。 ブレンダは真っ直ぐ美佳の部屋へと行った。 //ここね ブレンダはドアの前に立つと、左でノブをぎゅっと握った。力を 入れてノブをひねると、鍵がかかっていないのか簡単に回った。 //美佳、地獄から迎えにきたわよ ブレンダはドアを開けた。部屋の通路に美佳が立っていた。 //死の覚悟は出来たかしら ブレンダの右手が再び強大な銃身に変化した。 「死ぬのはあなたの方よ」 //死ぬ?私は不死身よ 「さあ、どうかしら」 //ふっ、なら、先におまえを片づけてやるわ ブレンダは銃口を美佳に向けた。 //今ですわ エリナが言った。 美佳は後ろ手に隠し持っていた物を出した。そりは青銅の壺だっ た。 「暗黒神メルクリッサよ、ブレンダを永遠に闇に封印したまえ!」 美佳はそういって呪文を唱え、壺の蓋を開けた。 //ま、まさか ブレンダが気付いた時は遅かった。 激しい吸引力がブレンダを襲う。 //いやあぁぁぁ ブレンダは銃を撃つ暇もなく壺の中へ吸い込まれた。 美佳はブレンダの水銀が壺の中へ消えると同時に蓋を閉じた。あ っけないまでの幕切れだった。 「終わったわね。まさか秋乃がクレールを封印しようとした時に使 った壺が役に立つとはね。ふうっ」 美佳は急に力が抜けたようにガックリと床に座り込んだ。 //美佳さん…… 「エリナ、私、疲れちゃった」 美佳はそういうと、その場に仰向けになった。そして、目をつぶ ると、あっという間に眠り込んでしまった。 エピローグ 数日後、東京のあるビジネスホテル−− 黒いベールで顔を覆い、黒いブラウスを着たミレーユがフロント で料金の精算をしていた。 「これまでの宿泊料及びサービス料は、最初に預けていただいたお 金から引かせていただきました。これがお釣りで27万−−」 女性の従業員がそこまで言いかけた時、ミレーユが制した。 「釣りはいらないわ。そちらの方で処分して」 「でも−−」 「精算が済んだのなら、私はこれで失礼するわ」 ミレーユは荷物を手にした二人の女性の部下を従え、ホテルの入 口の方へ歩いていった。 「ありがとうございました。またお越し下さい」 従業員一同は入口でミレーユに丁寧に頭を下げて、見送った。 ホテルを出ると、すぐに黒いキャデラックがミレーユを出迎えた 。 部下はすぐにキャデラックの後部座席のドアを開け、ミレーユを 中へ入れた。ミレーユはシートの中央に座り、両サイドに部下が座 った。 「すぐに成田へ向かって」 ミレーユはそういうと、シートに背中を預けた。 車が静かに発進する。 「椎野美佳、しばらくは見逃してあげるわ。でも、今度、日本に着 た時は命はないと思いなさい」 「隆司、お誕生日、おめでとう」 美佳は病院の待合室で北条に花束をプレゼントした。 「どうもありがとう。うれしいよ」 北条は花束を両手で抱き抱えるように持った。 美佳と北条は長椅子に二人でよりそって座っていた。北条はパジ ャマ姿で、右足にはギブスをしていた。 「本当のプレゼントは秋にね」 美佳はニコッと笑って、言った。 「へえ、勿体ぶるなぁ、何だろう」 「今もらっても役に立たないものよ」 「ふうん、楽しみにしてるよ」 北条はあえてどんなプレゼントかを当てようとはしなかった。 「隆司、体の方はどう?」 「足の骨折以外はもう心配ないよ。心配かけてごめんな」 「いいのよ、そんなこと」 「俺、全く覚えてないんだよな、骨折した時のこと。ガソリンスタ ンドでバイトしてたところまでは覚えてるんだけど、そこからどう して車にはねられたのか−−」 「頭を打った時に記憶がその部分だけ欠けちゃったのよ」 「そうかなぁ」 「そうよ、だから、もういいじゃない、事故のことなんか。助かっ たんだしさ」 「そうだな」 「美佳」 ふと遠くの方で誰かが美佳を呼んだ。声の方を見ると、牧田奈緒 美が手を振っていた。 「隆司、悪いけど、先に病室へ戻ってて」 「ああ、いいよ」 美佳は奈緒美の方へ歩いていった。 奈緒美は美佳を人気のない階段へ連れてった。 「久し振りね」 「うん……」 美佳は決まり悪そうに返事をした。 「心配したのよ、あれからちっとも家に帰ってこないから」 「友達のところに泊まってたんだ」 「私が恐い?」 「ううん、もう覚悟は出来てるの。ただ、警察に行く勇気がなくっ て」 美佳は両手を奈緒美の前に差し出した。 「何の真似?」 「手錠かけるんでしょ」 「そんなことしないわよ」 奈緒美は美佳の両手を右手で払った。 「姉貴も命は取りとめたし、隆司も元気だし、私はもう思い残すこ となんて何にもないよ」 美佳はじっと奈緒美を見つめた。 「あんたの置き手紙でファレイヌのことはわかったわ」 奈緒美は美佳の首に掛かった金色の十字架をちらっと見て、「大 変だったね。今まで一人で戦ってきたんでしょ」 「一人じゃないわ、ファレイヌも一緒よ」 「そうだったわね。私は今でもファレイヌのことは信じられないけ ど、フォルスノワールがあんたを狙うとしたら、それしか考えられ ないものね」 「ナオちゃん、私、逮捕されるとどうなっちゃうのかなぁ。一応未 成年だけど、殺人もやってるから、少年院じゃなくて刑務所になっ ちゃうのかしら」 美佳は笑いながら言ったが、その声は震えていた。 「美佳、あんたは日本の法律で裁かれることはないわ」 「え?」 「もし逮捕されれば、あんたとファレイヌは防衛庁に回され、ファ レイヌは軍事兵器として研究者にいじくり回され、あんたはファレ イヌについての執拗な取調べを受けることになるわ。そして、取調 べが終わった後でも、秘密保持のためにあんたは刑務所に行くどこ ろか、防衛庁の施設に隔離され、一生そこから出られなくなるわ」 「そんな、まさか」 美佳は口を手で覆った。 「嘘じゃないわ。あらゆる物に変形するばかりか、人間の精神を弾 丸に変えて無限に発射が可能な銃を軍がほっておくと思う?」 「いやよ、そんなのぉ。ナオちゃん、助けて」 美佳は泣きながら奈緒美に抱きついた。 「大丈夫。私は美佳を逮捕したりはしないわ」 「え?」 美佳は驚いて、顔を上げた。 「その代わり、これだけは約束して。ファレイヌを絶対に悪用しな いこと。もしどうしていいかわからなくなったら、私に相談するこ と。いいわね」 「うん」 「それじゃあ、この話はもうおしまい。美佳、久し振りに一緒にお 昼、食べよ」 「ナオちゃんのおごり?」 「もちろん」 「やった」 美佳は喜んだ。 −−ありがとう、ナオちゃん。私、ファレイヌを絶対に悪いこと に使わないからね 美佳は奈緒美と病院の通路を歩きながら、心の中で強く誓ったの だった。 「邪悪なる心」終わり