第18話「邪悪なる心」前編 登場人物 椎野美佳 高校生 ミレーユ 水銀のファレイヌ ブレンダ ミレーユの刺客 北条隆司 美佳の恋人 椎野律子 美佳の姉 プロフィール 私、椎野美佳、16才。凌雲高校一年生。ひょんなことからファ レイヌという粉末の魔女たちの争いに巻き込まれて、戦うことにな っちゃったの。ファレイヌは、普段は粉末なのに、人間に乗り移っ たり、形を変えたり、魔法まで使っちゃうのよ。一応、私にもエリ ナっていうファレイヌの味方はいるんだけど、はっきりいって無謀 よねぇ…… プロローグ 午前一時。 空は激しい雷鳴と稲妻に震えていた。 嵐の前兆とも言うべき、生暖かい風が街に吹いていた。来たるべ き雨は未だ降らず、空を覆う灰色の雲に重くのしかかっていた。 水銀のファレイヌ、ミレーユ・ドナーはM通りの歩道橋の中央に 一人、立っていた。周囲には人影はなく、橋の下を通る車もほとん どなかった。 「ついに来るべき時が来た」 ミレーユは呟いた。 彼女の足下には魔法陣が描かれていた。 「一八世紀のフランスの偉大なる魔女ブレンダ・ケイリック、おま えに命を与えよう」 ミレーユは右手で左腕をがっちりと掴むと、それを肩から思いっ きり引きちぎった。そして、銀色の左腕を魔法陣の中心に置いた。 「我が神よ、この左腕にブレンダの霊を宿したまえ」 ミレーユは右手を空に翳した。 空が一瞬、光った。 と同時に樽をひっくり返したような雷鳴が轟き、空より一筋の稲 妻が歩道橋の魔法陣に向かって一直線に突き刺さった。 ギュイーン 魔法陣が妙なうねりを上げて、稲妻を吸収し、光を発した。 「蘇れ、ブレンダ!!」 ミレーユが叫ぶと、魔法陣の左手が突然、ばたばたと動き始めた 。そして、金色の左手は動くたびにその原型を崩し、次第に別の形 に変わっていった。 ゴローン!! 雷鳴と共にさらに二度目の稲妻が空より魔法陣へ落ちた。 ギュイーン また魔法陣が妙な音を発し、さらに発光を倍増させる。 すると、すでに原型を失っていた左腕が一気に別な形へ変化を遂 げた。それは人間の形だった。 やがて、魔法陣から光が消え、その中心にはミレーユと同じ全身 銀色の一人の女が立っていた。 //ミレーユ様、お久し振りです 女は言った。 「我が友、ブレンダよ。おまえに頼みがある」 //わかってますわ、椎野美佳の暗殺でしょう 「そうだ」 //お任せ下さい。必ず仕留めますわ ブレンダはにやりと笑った。 1 夜 「♪♪ル ルル ルルルルルル……」 椎野美佳は椅子に座って、編み物をしながら鼻唄を歌っていた。 //美佳さん、楽しそうですね フランス人形姿でベッドに座っていた黄金のファレイヌことエリ ナは、新聞から顔を上げて美佳を見た。 「わかる?」 美佳が御機嫌な様子で言った。 //ええ 「まだちょっと先なんだけどね、隆司の誕生日プレゼントにマフラ ーを編んでるの」 //誕生日はいつなんですの? 「7月22日」 //夏にマフラーをあげるんですの? 「ううん、誕生日をちょっと延期してもらって秋頃にプレゼントし ようと思ってるの。もちろん、私の分も作ってねぇ、隆司とお揃い にするの。それでね、クリスマスにはお揃いのマフラーを付けてス キーに行くの。それから−−」 美佳はそこで急に言葉を切った。 //美佳さん…… 美佳はしばらく編みかけのマフラーを見つめていた。 「本当にそうなったらいいなぁ。せめてクリスマスまで−−」 美佳は寂しそうに言った。 コンコン! その時、部屋のドアをノックする音がした。 「どうぞ」 美佳が言うと、牧田奈緒美が入ってきた。 「ただいま」 「お帰りなさい」 美佳は笑顔で挨拶した。 説明が遅れたが、ここは椎野律子のマンションではなく、牧田奈 緒美のマンションである。倉庫でのK部隊との対決から二日後に美 佳は経済上の理由などから奈緒美のマンションに引っ越したのであ る。彼女のマンションは「ブルーナイトマンション」という名称で 、彼女の部屋は七〇一号室である。 「ナオちゃんも大変ね、こんな遅くまで」 美佳は午前一時を指している目覚まし時計を見て、言った。 「まあね。でも、若さでカバーしてるから大丈夫」 「老けるの早いかもよ」 「何だと、こいつぅ」 奈緒美は美佳の頭を軽く小突いた。 「えへへ。でも、ナオちゃんって化粧っ気がホント、ないよね」 「そう?」 「そうよ。同じ歳のOL何かと比べたら、比較にならないわよ」 「そうかなぁ」 「少しは美しさに気を配らないと、一生お嫁に行けないかもよ」 「まさか」 「本当よ。ねえ、ナオちゃん、明日も早いの?」 「午後からだけど−−」 「だったら、あたしがメーキャップ、手伝ってあげる」 「あんたが?私の顔はぬり絵じゃないんだからね」 「大丈夫だって。とっておきの美人にしてあげる」 美佳は左目でウインクしていった。 2 病院 午前3時、J大付属病院の外はどしゃぶりの雨だった。 椎野律子は個室のベッドでいつ覚めるとも知れぬ眠りについてい た。ベッドを囲む半透明のカーテンの中で、律子の酸素吸入器によ る機械的な呼吸音だけが聞こえる。 部屋は、真っ暗で、律子の他には誰もいなかった。 シュルル−− その時、液体の流れる音がした。しかし、それは余程、耳を澄ま さない聞こえないほど微かな音だった。 個室のドアの下の僅かな隙間から液体が入り込んできた。それは 銀色の水のような液体だった。 銀色の液体はゆっくりと這うように個室の中央まで進むと、そこ でバネが跳ね上がるかのような勢いで一気に人間の形に変化した。 全身銀色の、女の形だけを留めたマネキン人形。この賊にはそんな 表現がぴったりだった。 この賊こそ、ミレーユの生み出した水銀のファレイヌ、ブレンダ だった。 ブレンダは足音一つたてずカーテンの中に入ると、律子の枕もと に歩み寄った。 //この女が美佳の姉か。なるほど美佳に似ている。 ブレンダは律子の寝顔をじっと見下ろした。 //こうやって寝ているのも退屈でしょう。これから、私が存分 にあなたを働かせてあげるわ ブレンダは律子の口にあてられている酸素吸入器のマスクを右手 で取り去ると、左手の平で律子の口を覆った。 //ラシミラシヨン ブレンダが呟くと、ブレンダの左手が液体と化し、律子の口の中 へ勢いよく流れ込んだ。それは律子がブレンダの体を吸い込んでい るようにも見えた。彼女の体は僅か数秒で律子の口の中へ消えた。 「うっ」 律子が一瞬、息を詰まらせたように低い呻きを上げ、背中をそら した。それは彼女に出来る最後の抵抗だった。 すぐにプレンダの水銀が律子の全身を駆け巡った。 一分後、律子はパッと目を開けた。そして、むっくりと起き上が り、自分の右手を開いたり、握ったりした。 「久し振りの人間の体。素晴らしいわ」 律子は満面の笑みを浮かべた。「椎野美佳、待っているがいい。 この素晴らしい体ですぐにあなたを葬ってあげるわ」 3 予知 //美佳さん、美佳さん エリナはベッドで眠っていた美佳の頬を何度か叩いて、起こした 。 「んん、何よぉ」 美佳は眠たい目を少しだけ開けて、ブタの目覚まし時計を見た。 「3時じゃない。いい加減にしてよぉ」 //大変なんです 「話なら明日、聞くから。寝かせて」 美佳はもぐもぐとしたしゃべりで言った。 //律子さんが危険なんです 「姉貴……姉貴が危険なのはわかってるわよぉ」 //そうじゃなくて、誰かに襲われたみたいなんです 「襲われた……襲われた!!」 美佳はびっくりしてベッドから飛び起きた。 //そうです 「どうしてわかるのよ」 //私たちファレイヌは自分たちの所有者に対しては、その状態 を常に把握することが出来るんです。うまく説明できませんけど、 律子さんの身に何かが起こったことだけは確かです。 「死んではいないのね」 //ええ。それならもっとはっきりとわかります。 「わかったわ。病院に行ってみましょう。エリナも十字架になって 」 //はい。 エリナは人形から十字架に変化した。美佳はすぐにそれを首にか ける。 「うまくタクシーがつかまるといいけど」 美佳はすぐに洋服に着替えて、自分の部屋を出た。 「美佳、どこへ行くの?」 美佳が玄関で靴を履いていた時、後ろから声がした。振り向くと 、いつの間にか奈緒美が立っていた。 「ああ、ちょうどよかった。ナオちゃん、車で病院まで連れてって くれる?」 「病院?どっか体でも悪いの?」 「違うの。姉貴が大変なの。とにかく急いで」 「どういうこと?」 「詳しいことは車の中で説明するわ。だから、早く!」 「わかったわ」 奈緒美は美佳の険しい表情を察して、すぐに車の鍵を取りに自分 の部屋へ戻った。 4 誘惑 午前3時33分−− 「ここね」 律子は24時間営業のガソリンスタンドの前まで来た。 律子は客のいないパーキングエリアを通って、電気の灯る事務所 の方に足を運んだ。 律子は事務所に入る前に窓から中を覗き込んだ。中には椅子に座 って雑誌を読んでいる北条隆司がいた。 律子は先に事務所のドアを開けてから、ノックをした。 雑誌に夢中になっていた北条はその音にびっくりして、雑誌から 顔を上げた。 「あっ、すみません。あれ、律子さん……」 北条は信じられないといった顔をして、律子を見た。 「今晩は」 律子はにっこりと微笑んだ。 「あ、あの、どうして……体の方は?病院に入院してたんじゃ」 北条は突然のことで、頭が混乱した。 「もう体の方はいいのよ。昨日、退院したの」 「そうだったんですか。いや、知らなかった。美佳、教えてくれな いから」 「急な退院だったから、言う暇がなかったのよ」 「どうしてここへ?」 「ここへ座っていいかしら」 律子は北条の向かいの椅子をちらっと見て、言った。 「どうぞ」 「じゃあ」 律子は椅子に腰掛けた。言い忘れたが、律子の服装はパジャマで はなく、ワンピースになっていた。 「お、お茶でも飲みますか」 北条はまだ戸惑いを隠し切れない様子で言った。 「いいわ。それより、一人?」 「ええ」 「それはちょうどいいわ」 「こんな時間にどうしてここに?」 北条はそれが一番聞きたかった。 「大事な話があって」 「大事な話なら、連絡してくださればこちらから伺ったのに」 「いえ、美佳には内緒にしたくて」 「よ、よく僕がここでバイトしてるの、知ってましたね」 「美佳から聞いたの」 「そ、そうですか−−」 おかしいな。美佳も俺がここでバイトしてるのは知らないはずな んだけど 北条はちょっと不審に思った。 「北条君」 律子は北条をじっと見つめた。 「は、はい、何でしょう」 「美佳のこと、どう思ってるの?」 「どうって……」 突然の質問に北条は口ごもった。 「北条君、美佳のこと、好き?」 「ええ」 「将来、美佳と結婚するの?」 「え!」 「私、心配なの。美佳は私にとってたった一人の妹だし、東京では 親代りよ。美佳も2年後には受験だし、北条君だって就職でしょ。 もしあなたが遊びで美佳とつきあっているんなら、傷の浅いうちに 美佳と別れてほしいの?」 「ちょっと待って下さい。僕は美佳とはいい加減な気持ちでなんか 付き合っていません。将来は結婚したいと思っています」 「本当に?」 「ええ」 「そう、よかった。今の言葉を聞いたら、きっと美佳も喜ぶと思う わ。これからも美佳のこと、よろしくお願いね」 「は、はい」 北条は何となく嬉しくなった。 「じゃあ、これで失礼しますわ」 律子は椅子を立った。北条も席を立つ。 「あっ」 その時、突然、律子を胸を抑えて、北条の方に倒れた。北条は慌 てて律子の体を受け止めた。 「大丈夫ですか」 北条は心配そうに言った。 「しばらくこのままで」 律子は北条の胸の中でじっとしていた。 「北条君」 律子は北条の手を握った。 「は、はい」 「キスして」 「え?」 北条は一瞬、耳を疑った。−−今、何て言ったんだ? 「キスして」 律子は北条をじっと愛らしい目を見つめた。 「やだなぁ、冗談でしょ」 北条は真っ赤になって言った。 「私のこと、嫌い?」 「好きも嫌いも、律子さんは美佳の−−」 「好きなの、あなたのことが」 律子は北条をぎゅっと抱きしめた。「前から好きだったの。美佳 がいたから、今まで言えなかったけど」 「そ、そんな−−」 「お願い。一度だけキスして。そうでないと、私−−」 「出来ませんよ、僕には」 「美佳には言わないわ。だから、お願い」 「しかし−−」 北条が渋る間にも律子の顔は真近に迫っていた。 「もう二度とこんなこと、言わない。ねえ、北条君」 「律子さん……」 北条も困っていた。断れば、律子を深く傷つけ、この先、美佳と 付き合っていく上でも気まずくなるような気がした。 いや、それだけじゃない。今夜の律子には何か不思議な魅力があ った。律子の顔を見ていると、心の中にもやもやとした不純な気持 ちがわき起こってきた。 「一度だけですよ」 「ありがとう」 北条は目をつぶった。心の中では、美佳に何度も謝っていた。 律子と北条の唇が重なった。 //レスクラブ 律子の心の中で呪文を呟いた。 「うっ」 北条は目を見開いた。そして、体に電気が走ったように動けなく なった。律子の口から北条の口へオレンジ色のエネルギーが流れ込 んでいった。 //ふふふ、北条隆司、これでおまえは私の奴隷だ 律子は北条との口づけをしながら、ニッと笑った。 5 病室 奈緒美の警察手帳の御陰で、J大付属病院の建物内に何なく入る と、美佳は一気に通路を駆け出した。 「ちょっと美佳、待ちなさい」 看護婦と交渉中の奈緒美は、慌てて美佳を止めようとしたが間に 合わなかった。「全くもう」 「一体、どういうことなんですか」 夜勤の看護婦が不機嫌な顔をして、言った。 「一緒に来ていただけません?」 「どこへです?」 「集中治療室の椎野さんの所です」 「椎野さんがどうかしたんですか」 「ええ、どうかしたかもしれないんです」 「どういうことですか」 「行ってみれば、わかると思います」 「わかりました」 奈緒美は看護婦を伴って、6階の集中治療室へ行った。 律子の病室に二人が入った時、美佳が薄暗い部屋の中で茫然と立 っていた。 「やられたわ」 美佳は奈緒美に言った。 「まあ、大変」 看護婦はベッドに律子がいないのを見て、ようやく事の重大さに 気付き、慌てて病室を飛び出した。 「どういうこと?」 「わからないけど、誘拐された可能性があるわ」 「誰に?」 「私を殺そうとしてる連中よ」 「美佳を?一体、誰なのよ」 「ミレーユ・ドナーよ」 「ミレーユ・ドナー……。あんた、何、言ってんのよ。その名前は −−」 「フォルスノワールの総帥」 「何で犯罪組織が美佳を狙うのよ」 「今はそれを説明してる暇はないわ。ただ私の言うことを信じる気 があるなら、一緒に来て」 美佳はそういうと、病室を出ていった。奈緒美は少しその場で考 え込んだが、すぐに美佳の後を追った。 続く