第16話「標的」中編 5 深夜の電話 ピルルルルル それは一本の電話から始まった。 午前2時。机でうたた寝をしていた美佳は、その電話の音にはっ と目を覚ました。 「何よぉ、こんな時間に」 美佳はぶつぶつ言いながら部屋を出ると、眠たい目をこすりなが ら玄関先の電話を取った。 「もしもし、椎野ですけど」 「美佳、助けて!!」 受話器から少女の叫び声が聞こえてきた。 「だ、誰?何かあったの?」 美佳はこれまでの眠気が一気に吹っ飛び、受話器に向かって呼び 掛けたが、何の返答もない。だが、数秒して男のこもった声が聞こ えてきた。 「椎野美佳だな。上田由加の家に来てみろ、面白いものが見れるぜ 」 「誰よ、あんたは」 美佳の呼び掛けに答えず電話は切れた。 //何か不吉な予感がしますわ いつのまにか、美佳の傍にいた人形姿のエリナが言った。 「私、由加の家に行ってみるわ」 //その前に電話をしてみたら 「そうね」 美佳はすぐに由加の家に電話をかけた。しかし、全く応答はない 。 「やっぱり何かあったんだわ」 美佳はすぐにコートをはおって、部屋を飛び出した。外はいつし か雨が降っていた。美佳は濡れた路上を走った。そして、数分後、 雨は滝のような豪雨となった。 6 上田由加の家 一時間後、上田由加の住む家の前まで来た。家は真っ暗だった。 「心配だわ。由加の両親はいつも帰りが遅いから、由加は家に一人 でいることが多いのよ」 美佳はずぶぬれのコートを脱いで手に持つと、ドアの前に来た。 −−予感が当たらないで 美佳は心の中でずっとそう叫んでいた。 ドアの横のベルを押した。中からベルの音がしたが、誰も出てく る様子はない。美佳はドアをノックしてみた。だが、反応はない。 やっぱり由加に何かあったんだわ 美佳がドアの把手に手をやると、意外にもドアがすっと開いた。 「入るわよ」 美佳はドアを開け、中に入った。 玄関はしーんと静まり返っていた。奥の部屋からも明かりが漏れ てくる様子はない。 美佳は靴を脱いで、家に上がると、暗闇の中、手探りで何とか玄 関の明かりのスイッチを見つけると、早速付けてみた。 パッと部屋が明るくなる。 「特に変わった様子はないわね」 美佳は呟いた。 美佳は1階の二つの居間、キッチン、ダイニングルームと回った が、誰もいなかった。続いて浴室に行った。電気を付け、ドアを静 かに開けた。 そこにも誰もいない。 後は二階か…… 美佳は二階の階段を昇った。美佳は不安の余り、胸がドキドキし ていた。 二階には部屋が三つあった。そのうちの奥の部屋に「YUKA」 と書かれたローマ字のプレートがはってある。 美佳は二つの部屋を飛ばし、真先に由加の部屋の前に来た。 どうか無事で。 美佳は心で祈りながら部屋のドアをゆっくりと開けた。そして、 中に入り、ドアの脇の電気のスイッチを入れる。 「ふうっ」 美佳は大きく溜め息をついた。部屋には誰もいなかった。 だが、ふっと壁を見た瞬間、美佳の顔色が変わった。 そこには赤一色でメッセージが書かれていた。 「『上田由加を預かった。自宅で連絡を待て。K部隊』。なによ、 これ……」 美佳は怒りのやり場もないまま、しばらく壁の文字を睨み続けた のだった。 7 翌朝の現場 翌朝、美佳は再び上田由加の家に行った。 しかし、上田邸はいつもと変わりなかった。その周辺も、いつも と同じ静かな町並みである。 ただ昨夜と違う点といえば、上田邸の前に二台の車が止まってい たことだった。そして、時々、その車と家の間を往復する何人かの 背広着の男性の姿があった。 もう警察は来てるみたいね。 美佳には、すぐにそれがわかった。しかし、新聞にもテレビのニ ュースにもそのことは触れられていない。多分、警察が報道規制を しているのだろう。 「君」 私服の男が、上田邸を見ている美佳に声をかけた。 美佳はびっくりして男を見た。 「君、この家に何か−−」 男が尋ねようとすると、 「い、いいえ、別に用なんて。さよなら!」 美佳はそういって慌ててその場を逃げ出した。 さて一方、上田邸内では警察による現場検証が行われていた。 既に事件発生から数時間を経ており、邸内に刑事数人を残すのみ となっていた。 そんな時、一人の刑事が外の車から降りて、家の中へ入ってきた 。 「君、牧田警部補は?」 刑事が家に入ると、近くにいた刑事に尋ねた。 「警部補なら二階の奥の部屋にいます」 「そうか。ありがとう」 刑事は正面の階段を駆け上がり、2階のちょうどドアの開いたい た奥の部屋に入った。 「警部補、まだいらっしゃったんですか」 刑事は室内でじっと腕を組み、考え込んでいる女刑事に声をかけ た。 「何か用?」 警視庁捜査一課警部補、牧田奈緒美は面倒臭そうに言った。 「課長からの連絡です。九時から合同捜査会議を行うので、至急S 署へ行ってほしいとのことです」 「合同捜査会議?早すぎない?まだ現場検証も終わってないのよ」 「多分、上田由加の失踪事件に関するものでしょう。誘拐となれば 、今後の報道規制や所轄との連携の問題もありますし」 「仕方ないわね。課長にはすぐ行くと伝えておいて」 「わかりました」 「それより岩田」 奈緒美は壁に書かれた赤い文字を見ながら、言った。 「何でしょうか」 「あれは何だと思う?」 「犯人が残した脅迫文でしょうか」 「それはわかってるわ。それより、あの『K部隊』の部分よ」 「さあ、聞いたこともありませんね」 「聞いたことない?本当に」 「警部補は御存知なんですか」 「ちょっとね。ああ、もう行っていいわ」 「はい」 刑事は部屋を出ていった。 奈緒美はまた考え込んだ。 K部隊−−もし私の記憶に間違いがなければ、あれはフォルスノ ワールの暗殺部隊の名前だわ。しかし、フォルスノワールの仕業だ としたら、いったい少女を誘拐して何の得があるのかしら。彼女の 家庭は、ごく平凡なサラリーマン家庭−−いや、ちょっと、待って 。もしただの誘拐なら、わざわざ名前を書く必要はないはずだわ。 第一、脅迫するなら、電話を使えばいい。なぜ壁に書いたか?誰か に伝えるためよ。誰に?上田夫婦ではないわ。彼らはK部隊を知ら ない。そうだわ、つまりこのメッセージはK部隊を知る誰かにあて たものなのよ。その誰かは上田由加と深い関係にある。恋人か、友 達か。いずれにしても、その誰かはこのメッセージを見たはずだわ 。 奈緒美は上田由加の机の前に来た。そして、机の本立や引き出し を調べて、一冊のアドレス帳を見つけだした。 奈緒美は手にとって何気なくアドレス帳のページを捲った。 「これは−−」 奈緒美は最初のページを見て、目を見張った。一番最初の欄には 椎野美佳の名前があった。 「アドレス帳の最初に美佳の名前……まさかね」 奈緒美は考えたくもないといった感じで小さく頭を振った。 8 脅迫 「ああ、疲れた」 美佳はマンションに戻ると、自分の部屋のベッドに寝ころんだ。 由加、大丈夫かしら。まだ殺されてなければいいけど。 その時、玄関のベルが鳴った。 「誰かしら」 美佳は起き上がって、自分の部屋を出ると、玄関に行った。 「どちらさまですか」 「私よ、智美」 ドアの向こうからクラスメイトの島村智美の声がした。 美佳はすぐにチェーンを外して、ドアを開けた。 「どうしたの、智美」 「ちょっと水くれる……」 智美は走ってきたのか、息を切らしてる様子だった。 「上がって。すぐに水、持ってくるから」 美佳は急いで台所へ駆けていった。 智美は中に入ると、どかっと玄関に腰を下ろした。 「持ってきたわ」 美佳は玄関に戻って、コップの水を智美に渡した。智美はそれを 一気に飲み干した。 「もうくたくた」 「どうしたの、智美がうちに来るなんて?まさか一緒に学校に行こ うって誘いにきたわけでもないでしょ」 「実は、私、昨日の夜……」 そこまでいって、智美は急に黙り込み、沈んだ表情になった。 「何かあったの?」 「由加が誘拐されたらしいの」 「由加が?」 美佳はなぜ智美が、由加が誘拐されたことを知っているのか、不 思議に思った。 「私、どうしよう」 智美はいつになく不安な表情で美佳を見つめた。 「とにかくうちへ上がって。居間で落ち着いて話そ」 美佳は智美を居間へ通した。 「いったいどういうことなのか、話して」 「昨日−−」 智美が俯いたまま、言った。「昨日、由加とボーリングに行った の。その帰りに由加が私の家に泊めてくれないかって言ったの。私 、また由加の悪い癖が出たと思って断ったの。ほら、あの子、すぐ 人の家に泊まりたがるでしょ」 智美の声は震えていた。「でも、ただ断るのも悪いと思って、私 、由加の家まで送ってあげたの。そしたら、由加は家に寄っていっ てって言うもんだから、寄っていったの」 「それで」 「三十分ぐらいおしゃべりしてから帰ったんだけど、途中で忘れも のしたことを思い出して、由加の家に戻ったの。そしたら、由加が 何人かの男たちに家から連れ去られようとしてたの。私、助けたか ったんだけど足が震えて、動けなかった。もうその時は怖くて…… 」 「仕方ないわよ、そういう時は」 「でも、私、その後、警察にも知らせず、逃げちゃったの。それで 、今朝、心配になって由加の家に行ったら、警察の人がいて−−私 、本当のことを話そうと思ったんだけど、怖くて、また逃げちゃっ たの」 「それじゃあ、その足で私のマンションへ来たわけ?」 「うん」 智美は小さく頷いた。 「それで息を切らしてたのね」 美佳は心の中で由加の家で智美と鉢合わせにならなくてよかった と思った。 「私、どうしたらいいの?昨日、由加と最後まで一緒にいたってこ とぐらい調べれば、すぐにわかっちゃうし、そうしたら私が警察に 知らせなかったこともばれて−−ああ、どうしよう、私、警察に逮 捕されるんだわ」 智美はさながら悲劇のヒロインのように捲くし立てた。 「落ち着いて。そんなことぐらいで警察に捕まるわけないでしょ」 「でも、犯人を庇うと罪になるってドラマでも言ってたよ」 「別に智美は犯人を庇おうと思って、警察に知らせなかったわけじ ゃないんでしょ」 「それはそうだけど」 「智美って結構、心配性なのね」 「だってぇ」 「智美らしくないぞ。とにかく正直に話せば大丈夫よ」 美佳は智美の背中を軽く叩いた。「そうだわ、朝食、食べてかな い?すぐ作るからさ」 「うん……」 「じゃあ、智美はここでテレビでも見てて。後のことは食事の後で ね」 美佳はソファを立って、キッチンへ行った。 冷蔵庫を漁って、適当に野菜や肉を見つけると、さっそく食事の 支度に取り掛かった。 「さあて、やるぞ」 //食事なんて作れますの? 十字架のネックレスに変形して、美佳に首に掛かっているエリナ が言った。 「失礼ね。こう見えても姉貴よりはうまいつもりよ」 美佳はキャベツを水洗いし、俎の上にのせた。 「野菜の千切りってやつを見せてあげるわ」 そう言うと、美佳はキャベツを包丁で四分の一角に切ってから、 千切りを始めた。 「なかなか難しいのよ、これ」 美佳の野菜の千切りははっきりいって下手だったが、エリナは黙 っていた。 しばらくして、正面のスリガラスの窓に人影が映った。 //美佳さん、人影が 「え」 エリナの言葉に美佳は正面の窓を見た。 その時、インターホンが鳴った。美佳はすぐさま、DKにある電 話を取った。 「どちら様ですか」 『宅急便です』 「今、行きます」 美佳はDKを離れ、玄関に出た。そして、ドアを開ける。 そこには作業服の若い男が立っていた。 「椎野美佳さんって方はいらっしゃいますか」 「私ですけど」 「実は下で男の人にこれを渡すように頼まれて、持ってきたんです けど」 配達員は白い箱を美佳に見せた。 「何かしら」 美佳に白い箱を配達員から受け取った。それはプラスチックの四 角い箱で、少し重みがあった。 美佳はその箱の表裏を見てみた。裏に「K部隊」という文字があ った。 「これを渡した人ってどんな人でした?」 「帽子にサングラスをかけていたからよくわからないけど、声から して30代の男の人だと思います」 「そうですか。どうもありがとう」 美佳は礼を言うと、配達員は帰っていった。 何だろう。まさか爆弾ってことはないわよね。 美佳は蓋の三辺に貼ってあるガムテープをゆっくりと剥がすと、 恐る恐る箱の蓋を開けた。美佳はその際、一瞬目を閉じたが、開け てみると、箱の中にはトランシーバーと一枚の紙が入っていた。そ の紙には『このトランシーバーを持って、マンションの外へ出ろ』 と書いてある。 「美佳、誰か来たの?」 智美が玄関に来た。 「智美、悪いけど、私、これから出掛けきゃなきゃならないの」 「出掛けるって、学校は?」 「一人で行ってくれる?」 「やぁよ、学校で警察が張り込んでたらどうするのよ。私、刑務所 へ送られちゃう」 「オーバーね。だったら、好きなだけうちにいていいから」 「美佳はどこへ行くの?」 「ちょっとね」 「ちょっとって、私はどうなるの?」 「うちに帰ったら、一緒に警察に行ってあげるわよ」 「本当?」 「ええ。だから、待ってて」 「わかった。それじゃあ、美佳、いってらっしゃい」 智美は笑顔で手を振った。 現金な奴だなぁ。 美佳は智美の性格にちょっと辟易した。 9 デス・ゲーム(1) 美佳はマンションを出て、歩道のガードレール側に立った。 時は午後八時を過ぎている。 『椎野美佳、聞こえるか』 美佳が右手に持ったトランシーバーから突然、太い男の声がした 。美佳はすぐにトランシーバーを顔の方に持ってきた。 「あなたが由加を誘拐したのね」 『そうだ』 「どういうつもり。由加は無事なの?」 『心配ない。睡眠薬で眠っている』 「なぜ由加を誘拐したの?目的は私のはずでしょ」 『正攻法では無理とわかったのでな。人質を取らせてもらった』 「由加は私とは何の関係もないのよ、放してあげて」 『返してほしかったら、東京湾の昭島海運所有の第16番倉庫へ来 い。タイムリミットは正午だ。時間に一秒でも遅れたら、女の命は ない』 「わかったわ」 『じゃあ、無事に来ることを祈ってるよ』 トランシーバーの声は笑い混じりにそういうと、交信を切った。 //美佳さん、これは罠ですわ、きっと 「そんなことわかってるわ。でも、行かなきゃ、由加が死んじゃう もの」 //気をつけてくださいね 美佳は早速、歩道のガードレールを乗り越え、車道に出ると、タ クシーを探した。 ちょうどその時、うまい具合に一台のタクシーが走ってきた。美 佳はすぐに手を上げる。 タクシーは減速して、美佳の前にぴたりと横付けした。 //美佳さん、どうする気ですの? 「決まってんじゃない、タクシーに乗るのよ」 //でも、それはちょっと−− 「お金ならあるわよ」 タクシーの後部座席のドアが自動的に開いた。美佳はさっと乗り 込み、座席にどっかりと座る。ドアはそれを確認すると静かに閉ま った。 「運転手さん、東京湾のね、昭島海運って会社が所有してる倉庫へ 行って」 美佳が言うと、運転手は特に返事もせず車を発進させた。 //本当にいいんでしょうか 「何が?」 美佳は運転手に聞こえないような呟きに近い声で言った。 //私はもう少し用心した方がいいと思いますけど 「いつも楽観的なエリナが何言うのよ。大丈夫だって」 そうはいったが、美佳の「大丈夫」には全く根拠がなかった。 タクシーはしばらく何事もなかったように走り続けた。美佳はす っかり落ち着き払って、リア・ウインドウから外の景色を見ていた 。 とその時、タクシーが急に大通りから脇道へ入った。最初はそれ が近道だと思って黙っていた美佳だったが、タクシーはどんどん大 通りから離れ、静かな人気のない通りへと入っていく。 「ちょっと運転手さん、道、違うんじゃない」 美佳のちょっと不安げな問い掛けにも運転手は黙っている。 「ねえ、止めて!」 美佳が強い調子で言った。 しかし、運転手は無視している。 「ちょっと、どういうつもり」 美佳は後部座席から前の助手席に身を乗り出し、運転手の肩を掴 んだ。 「こういうことですよ」 運転手の言葉と共に突然、美佳の目の前に拳銃が現れた。美佳は びっくりして後部座席に慌てて引っ込む。見ると、運転手が左手で ハンドルを握りながら、右手に拳銃を持ち、その銃口を美佳に向け ていた。 運転手は静かに車を止めた。 「あなた、フォルスノワールの殺し屋」 美佳は首にかけた黄金の十字架を握りしめながら、言った。 「やっと気付いたようですね」 運転手はシートベルトを外し、後ろを振り向いた。 「まんまと騙されたわ」 美佳は特に動揺した様子もなく、ごく普通に言った。 「所詮、あなたは素人ですね。プロなら、こんな時はタクシーなん かに乗りはしない」 「裏をかいたの、プロのね」 「それは負け惜しみというものですよ」 運転手は計器盤の傍のスイッチを押した。すると後部座席の左右 と後ろのウインドに黒いシャッターが降りてきた。シャッターは数 秒で、窓の景色を覆い隠した。 「これで外からは何も見えません」 「へえ、暗くして、エッチなことでもするわけ?」 美佳は笑った。 「そうやって強気でいられるのも今のうちです」 運転手はそういいながらも、なぜか銃を持つ手が小刻みに震えて いた。「さあ、ファレイヌを渡してもらいましょうか」 「今、持ってないわ」 「隠しても無駄です。あなたが手にしている十字架はファレイヌだ 」 「この十字架が?目、悪いんじゃないの」 美佳はからかうように言った。 「知ってるんですよ、ファレイヌが様々な物に変形できることはね 」 「あらそう。じゃあ、渡してあげるわ」 美佳は十字架のネックレスを外した。 その間、運転手の体の震えはますますひどくなっていた。 −−一体、あの女の余裕は何なんだ この運転手は、何か不吉な予感を感じとると、震える体質であっ た。それは先日のマンションでの襲撃計画の際に見たとおりである 。 「さあ、こっちへ」 運転手は美佳から十字架を奪い取った。 「あなたに恨みはないが、死んでもらいますよ」 運転手は拳銃のひき金にかけた人差し指に力を込めようとした。 「エリナ!」 その瞬間、美佳は叫んだ。 同時に十字架が粉末に変化して、運転手の左手を離れ、右手に持 った拳銃に入り込む。 パァーン 次の瞬間、銃が破裂した。破片が飛び散り、運転手は衝撃でフロ ントガラスに叩きつけられた。 「チェーンジ、リヴォルバー」 美佳が言うと、金色の粉末はリヴォルバーに変化し、美佳の右手 に収まった。 「ううっ」 運転手は焼けただれ血で真っ赤になった右手で頭を押さえながら 、美佳の方を見た。 「おとなしくしなさい」 美佳は黄金銃の銃口を運転手に向けた。 「一体、どうなってるんだ−−」 「あなたはファレイヌに関しては素人だってこと。さあ、後ろのド アを開けて」 「そいつは出来ない。あなたには死んでもらわなくちゃならないん だ」 運転手は左手でハンドルの下にあるスイッチを押そうとした。 グォーン−− 美佳は冷静にファレイヌのひき金を引いた。弾丸が運転手の左手 を撃ち抜く。 「ぐわぁ」 運転手は思わず左手をスイッチから引っ込めて、悲鳴を上げた。 「あまり世話を焼かせないで」 「なぜ今、僕を殺さなかった?」 「殺す習慣をつけたくないのよ」 「面白いこと言うなぁ。僕の負けだ」 運転手はシートの横のレバーを引いた。後ろのドアが静かに開く 。 「すぐに救急車を呼ぶわ」 「……」 美佳の言葉に運転手は答えなかった。 「お大事に」 美佳はそのままタクシーから出た。 「さて、いっちょ、公衆電話のあるところまで走るわよ」 //本当に救急車を呼ぶんですの 「当然でしょ」 美佳がそういって走り始めた。その時だった。美佳の後ろでタク シーが大爆発を起こした。 爆風が美佳の体を勢いよく、すり抜ける。美佳は立ち止まって、 振り向いた。 「どうして……」 美佳は呟いた。「何で爆発したの」 タクシーは炎上していた。その煙はもうもうと立ち昇り、灰色の 空の中へ飲み込まれてゆく。 //美佳さん、急ぎましょう 「うん」 美佳は金の十字架を首にかけ、その場を駆け出した。 「結城……」 美佳がいなくなった後、脇道に隠れていた河野がバイクで姿を現 した。河野はトランシーバーを手にして、言った。 「こちら、河野。結城がたった今、自爆した。吉田、次は君の番だ 。頼んだぞ」 10 訪問 その頃、美佳のマンションでは−− ピンポーン−− 玄関の方で呼び鈴が鳴った。 「美佳かしら」 居間でテレビを見ていた智美は勝手にそう思い込んで腰を上げる と、玄関の方へ行き、チェーンロックを外して、ドアを開けた。 「美佳、どうした−−あれ、美佳じゃないみたいね」 智美は目の前の女性を見て、しまったというような顔をした。 「ここ、椎野さんの部屋よね?」 女性の方もやや当惑顔で聞いた。 「え、ええ。わたし、留守番なんです」 「留守番って、あなた、誰なの?」 「おばさんこそ、誰なの?」 「私は椎野律子の友人で、こういう者よ」 女性はハンドバッグから警察手帳を取り出し、智美に見せた。 「け、警察……」 智美は驚いて、ドアを閉めようとした。しかし、女も慣れたもの か反射的にドアの間に足を挟む。 「ちょっと聞かせてもらう必要がありそうね。あなたが誰なのか」 女はニコッと笑って、ドアを無理矢理、開けた。 続く