第2話「疑惑」前編 登場人物 椎野美佳 高校生 椎野律子 美佳の姉 上田由加 美佳の同級生 吉野亜由美 美佳の同級生 相川 美佳の担任 北条隆司 美佳の恋人 マリーナ 謎の女 プロローグ 先生について 一年C組 佐久間規子 先生は人を殺した。 私は見た。 ひどい、先生はひどい。先生なんか大嫌いだ。お母さんを返せ。 教師はアパートの一室でこの生徒の作文に目を通すなり、ぎゅっ と握り締めた。その手は怒りに震えていた。 彼はくしゃくしゃとなった作文を投げ捨てると、すっくと立ち上 がり、台の上の電話に手をかけた。 1 事件の発生 「きゃあっ!規子が死んでる」 朝一番で学校に登校した女生徒の通報で事件が発覚した。 現場は凌雲学園高校の一年C組の教室。死んでいたのは佐久間規 子という同教室の生徒であった。 彼女の死体は前列の右から三番目の机の下にうつ伏せに倒れてい た。発見者の女子生徒、吉野亜由美は彼女が倒れているのを発見し た時の状況をこう語っている。 「最初は誰だか、わかりませんでしたけど、とにかく心配になって 近づいてみたんです。そうしたら、佐久間さんが目を見開いたまま 、真っ青な顔で……わたし、怖くなって、すぐに教室を飛び出して 先生に知らせにいったんです」 死体は死後六時間が経過していた。死因は後の調べで、二酸化炭 素中毒と判明した。 父親の話では規子がいつ外出したのかも分からず、今朝になるま で全く気付かなかったという。佐久間家では一週間前にも規子の母 親が何者かに殺され、犯人はまだ捕まっていない。ただ昨夜の十一 時頃、規子に電話があったが、相手が誰かは不明。 さて、警察が教室で捜査をしている間、一年C組の生徒はほかの 教室で授業を受けたが、同級生の佐久間規子が殺されたというショ ックは大きく、終始授業はシーンと静まり返っていた。。 また、他のクラスも休み時間になれば、興味半分で現場の教室を 覗きに集まっている。 「規子をいったい誰が殺したのよ」 規子と一番親しかった園川美枝子は腹だたしげにいった。 ここはもう教室ではない。学校の近くのレストラン「ハイウェイ 」であった。この店は高級レストランと言うより、少し大きめの喫 茶店と言った感じである。 そこの窓際の席には美枝子と早川敦美、上田由加、椎野美佳の四 人が集まって、座談会を開いていた。 「吉野さんじゃない。だって第一発見者だもん、絶対怪しいよ」 と敦美。 「それはないと思うわ。吉野さん、今日に限って早く来たわけじゃ ないもの」 「そうね。それに動機がないわ」 「そうかなあ。でも、外傷を与えず人を殺すなんて秀才の吉野さん しかできない気がするのよね」 「ばかね、考えすぎよ。もし犯人なら自分からわざわざ第一発見者 になるわけないじゃない」 「それは警察の裏をかいてるのよ」 「警察の裏を?」 敦美が自信ありげにいうので一同は興味深げにきいた。 「そう、第一発見者の方が疑われないってこともあるでしょ。しか も吉野さんは学校でも優秀な生徒だし」 「推理小説の読みすぎ」 敦美の意見はあっけなく三人に却下されてしまった。 「それに必ずしも他殺とは限らないわ。自殺かも知れないじゃない 」 と美佳が言った。 「規子に自殺する理由があったの?」 「うーん」 美佳は少し考えて「例えば、規子のお母さんが殺されたこと。規 子、あれにはかなりショックを受けてたじゃない」 「それだったら、教室なんかで自殺するわけないでしょ」 「そっかあ」 「やっぱり殺されたのよ」 「そうすると、うちのクラスに犯人がいるって可能性は強いわね」 「それは間違いないかもね」 美枝子がため息混じりに言った。 「私は認めたくないな。だって、これからずっと犯人と同じクラス で勉強するなんて」 「私もそう思う」 「それにはやっぱり犯人を見つけるしかないわ」 「ようし、みんなで犯人を見つけよう」 みなの意見が一致した時、ウェイターがパフェを持ってきた。そ のとたん、四人の団結は食欲の方に移っていった。 2 危機 空はもう藍色に沈んでいた。 夜七時のビル街。帰宅を急ぐ人々で道路は混雑している。また、 車道でも車の列で渋滞している。 「また遅くなっちゃった」 椎野律子は加茂川物産のビルを出ると大きく伸びをした。 辛い失恋をしてから、はや三週間。彼女をふった男も社長の娘と 結婚して、大阪の支店に移り、ようやく律子も男のことを忘れ、心 機一転仕事に打ち込めるようになってきた。「律子、一緒に帰らな い」 後ろから肩を叩かれ、振り向くと、同僚の戸田恵津子だった。 「ええ」 「それと買物にもちょっとつき合って欲しいのよね」 「それは構わないけど。でも、私を誘うのには何か目的があるんで しょ」 律子は恵津子の意味ありげな表情を見て、いった。 「やっぱり、わかる。お願い、給料日前なの、お金貸して」 恵津子は手を合わせて、頭を下げた。 「仕方ないわね。そのかわり給料が出たら、高級レストランでおご ってもらうからね」 「ええ、もちろんよ。お子様ランチぐらいならね」 恵津子が苦笑して言った。 しばらくして二人は街を歩き出した。 大型トラックの運転手は函館からの荷物を今日、ようやく東京の 市場へ送り届けたかと思うと、すぐにもまた函館へ戻らなければな らなかった。 また、函館の本社に戻れば次の仕事が待っているのだ。 運転手は一つ大きなあくびをした。昨夜から今夜にかけて、ほと んど睡眠を取らずに、車を走らせているため、眠気がさすのも当然 と言えば当然のことだった。 彼はいつのまにか信号の光がにじんで赤と青の区別が付かないこ とに気付き、慌てて首を振った。 とたんに赤信号だと分かり、すぐブレーキを踏む。 「ふうっ」 運転手は額の汗を拭って、ため息をついた。「寝不足かな、こり ゃあ、早いとこ高速に出て、インターチェンジで休憩を取った方が 良さそうだ」 信号が青に変わった。再びトラックを発車させる。 ところが、あまり走らないうちに渋滞に捕まり、ますます彼の眠 気をそそる結果となった。 しかも、時々、いつからだかわからないが、女の優しい声が耳に 囁きかけてくる。 //おやすみなさい。無理しなくいいのよ。 男はびっくりして左右を見回すが、当然誰もいない。 待っている間、彼は冷たいジュースを飲んだり、頬を叩いたりし て、意識をしっかりさせようと試みた。 そして、一時間ほどしてようやく渋滞から抜け、自由に走れるよ うになった。だが、彼の神経はもう睡魔に襲われ、かろうじて意識 を保つのがやっとであった。 //眠るがいいわ。無理することはないのよ また声が聞こえてくる。 運転手はこっくりこっくりとしながら、前を夢うつつの状態で見 ながら運転していた。それゆえにすぐ目の前の信号が赤に変わって いることに全く気付かなかった。 人々は運転手が居眠り運転をしているとは知らず、青信号の横断 歩道を渡っていた。その中には椎野律子と戸田恵津子の姿もあった 。 トラックは止まる様子もなく、勢いよく走ってくる。 「恵津子、危ない!」 律子は叫んだ。 次の瞬間、大きな怪物のごときトラックは人々を飲み込んだ。次 々と人を跳ね飛ばし、引きずり、トラックはまっすぐ歩道に突っ込 んだ。店のショーウインドーに体当りすると、トラックは止まった 。人々の騒ぐ街中にクラクションが高らかに鳴り続けている。 「美佳……」 地面に叩きつけられ、遠のく意識の中で、律子はぽつりとつぶや いた。 一方で、トラックのすぐ後ろを走っていた車の運転手は、車を車 道脇に止めて、その事故の様子を愉快そうに眺めていた。 「これでファレイヌの所有者をまた始末できたわ」 3 電話 「あれ、由加、私と同じ帰り道だっけ」 敦美、美枝子とレストランで別れた美佳は、由加が自分の後につ いてきたので尋ねてみた。 由加は答えず、ただ首を振った。 「じゃあどうしたの?」 「美佳、あなたのうちに行っては駄目?」 「構わないけど、もう九時よ。ご両親が心配しない?」 「帰ったってお父さんもお母さんもいないわ。二人とも共働きで帰 りが遅いの」 「ふうん。じゃあ、いいわ」 美佳はにっこり笑って言った。 「ありがとう」 二人は夜道を楽しげに話をしながら歩いた。そして、十五分ほど でマンションに着いた。 「あれ、鍵がかかってる。姉貴、まだ帰ってないのか」 美佳は少なからずがっかりした表情をして、手持ちの鍵で部屋の ドアを開けた。 中は無論真っ暗である。美佳は自分から先に入って、まず手探り で玄関の電灯を付けると 「さあ、どうぞ」 と言って由加を迎え入れた。 「おじゃましまーす」 由加も遠慮せず、入っていく。 二人の話は主に美佳の部屋で行われた。音楽を聴き、ジュースを 飲みながら、最初は友達の話や自分の体験談、流行の話などで賑わ っていたが、最終的にはやはり今日、起こった殺人事件の話になっ てしまう。 「やっぱり敦美の言うとおり、吉野さんが犯人なのかな」 と由加が言った。 「それはさっき考えすぎだって言ったばかりじゃない」 「そうだけど、あれで敦美の勘ってなかなか当たるのよ。それに大 の推理小説好きだし」 「まあね、確かに敦美の言うことは一理あるけど。でも、私なら犯 人は別にいると思うな」 「誰?」 「それはね、相川先生」 美佳が調子に乗って言うと、突然、由加が立ち上がって美佳の頬 を平手で打った。 「ちょっといい加減にしてよ。いくらなんでもひどすぎるわ」 由加がカッとなり、顔を真っ赤にして言った。 「由加、怒ったの。ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったの」 美佳が反省して謝った。 「相川先生はそんな人殺しをするような先生じゃない!優しい先生 だもん」 今度は座り込み、顔を覆って泣きだしてしまった。 美佳はまずいことを言ったと思い、慌ててなだめるように言い直 した。 「冗談よ。由加の憧れの相川先生がそんなことするわけないものね 。本当のところ、犯人なんてまるでわからないの」 「全くもう、美佳ったら、すぐからかうんだから」 由加は涙を拭いて、笑った。 機嫌の治った由加を見て、美佳はほっとした。実際、美佳も由加 の喜怒哀楽の激しさには時々ついて行けないときがある。 なんとか話題を変えようとばかり、美佳は机の引出しから箱を取 り出した。 「この箱に何が入っていると思う?」 「わからないわ」 「少しは考えなさいよ」 と文句を言った後「まぁ、いいか。じゃあ見せてあげる」 「わあ、拳銃ね。金色に輝いてきれいだわ」 由加は箱の中のリヴォルバーを見て、感動の声を上げた。 「これ、本物よ、すべて」 「うそぉ」 「本当だって、弾さえ込めれば撃てるのよ」 「どうして、美佳がこんなもの持ってるの?」 「私のじゃないわ。姉貴のなの」 「だけどさ、こんな金メッキで加工されて、グリップにガラス玉ま でついてるなんて。どうみてもモデルガンにしか見えないけど」 「あら、言ってくれるわね。それだって全部本物よ」 「え!まさか」 「うそなんかつかないわ。これは純金で作られ、ダイヤモンドが埋 め込まれた正真正銘の拳銃よ。ちゃんと本で調べたんだから」 「へぇ、そうだったら凄いわね」 由加はまるで信じていない様子だった。 「まあ、信じてもらう方が無理ね」 そう言って美佳は銃を箱にしまいこんだ。 その時、電話が鳴った。 「姉貴かしら」 美佳は立ち上がり、部屋を出て、玄関の電話を取った。 「はい、もしもし−−椎野ですけど」 「椎野律子さんの親類の方ですか」 「ええ、妹ですけど」 「こちらN大付属病院の者なんですが」 「姉がどうかしたんですか」 「午後七時頃、W通りの横断歩道で居眠り運転のトラックにはねら れて−−」 美佳はもうまるで相手の言葉が耳に入らなかった。力を失って、 受話器を落し、床に膝まずいた。 そんな時、美佳の部屋では由加がこっそりと黄金銃を箱から取り 出し、鞄にしまいこんでいた。 4 危険な追求 人気のない静かな公園で吉野亜由美はベンチに座って、誰かを待 っていた。 「やっぱり来たのね」 近くの滑り台の影から早川敦美が姿を現した。「てっきりおじけ ずいて来ないのかと思ったけど」 「さっき、電話したのは早川さんだったのね」 「ええ、そうよ。あなたが規子を殺したことを自白してもらうため に呼んだの」 敦美は亜由美の横に座る。 「私は殺してはいないわ。それは警察の人も認めてくれてるのよ」 「それは警察が鈍感なの。私の推理なら、あなたの犯罪を証明でき るわ」 「推理だけなら、誰でも犯人することができるんじゃなくて」 亜由美も負けずに言った。 「そうね。でも、名探偵の勘は鋭いのよ」 「そうするとあなたは勘だけで私を犯人と言ってるの。それじゃあ 、あてにはならないわね」 「そんなことないわ。証拠がほしいのなら見せてあげてもいいわ」 「証拠?」 亜由美の眉がかすかに動いた。 「これよ」 敦美がバッグから取り出したのは透明のビーカーだった。 「それが何なの?」 「このビーカーはね、事件のあった日、すぐに焼却炉をあさって見 つけ出したの。もっともこれを見つけ出すにあたってはかなり苦労 したけど」 「どうしてビーカーなんか捜し出したの?」 「それが私の推理よ。事件の朝、あなたが一番に教室に入ったわけ だけど、二番目に入ったのは私なのよね」 敦美が亜由美を見つめて、にやりと笑う。亜由美ははっとして目 をそらす。 「ふふふ、私が教室に入った時、何に気付いたと思う」 「わ、わからないわ」 「当然ね、あなたは先生に事件が起こったことを知らせに行ってた んだものね」 いつのまにか亜由美はベンチの隅まで敦美に追いやられていた。 「それなら教えてあげるわ。私が最初に発見したのは教室の窓が全 て開いていたことよ。あのときは規子が殺されたショックですっか り忘れていたけど、今になってはっきり思いだしたわ」 「それがどうしたって言うのよ」 亜由美は言い返した。しかし、その言葉には力もなく、かすれて いた。 「規子には外傷がなかった。しかも、警察では二酸化炭素中毒と断 定したわ」 「それで」 「そこで私はまず理科室へ行ったの。大概、校内の薬品による犯罪 は理科室から盗まれるケースが多いものね。ところが盗まれた形跡 はなし。仕方がないから、今度はその容器を捜すことにしたの。そ れがこのビーカーよ」 敦美はしゃべり疲れ、一呼吸置いた。 「いったいそのビーカーがどう私を犯人と決める証拠になるの?」 「そこまで私に言わせる気」 「ええ……聞きたいわ」 「強情な人ね。だったらはっきり言うわ。あなたは事件の日、規子 をどこかで眠らせ、教室に運び込んだ。そして、あらかじめ用意し た水の入ったビーカーにドライアイスを入れた。後は密室にして自 分は逃げる」 「そんなことをして何になるの?」 「規子は死ぬわ、ドライアイスが蒸発してできた二酸化炭素が教室 の下に充満して。そうして、翌朝、何食わぬ顔で登校し、死体の第 一発見者のふりをして、窓を開けて空気を入れ替え、犯罪に使った ビーカーを隠した。どうかしら、この推理は?」 敦美は自信ありげに言った。 「ただの推理に過ぎないわ。それに、私には殺す動機はないもの」 「そうかしら。この間、体育館の裏で規子と激しく喧嘩してるの見 たんだけどな」 彼女は笑った。 「あれは……ただ」 「何なの?詳しく説明してほしいわ」 敦美が詰めよると亜由美は肩を落として、諦めたようにため息を ついた。 「負けた。敦美さんにはかなわないわ」 「じゃあ犯行をすべて認めるのね」 敦美がうれしそうに言う。 「ええ、何もかも話すわ。その前に一つ聞いていい?」 「何?」 「敦美さん、どうしてそのことを警察に知らせなかったの」 「だって私の推理なんか警察がまともに信用してくれないでしょ。 だから、自分で犯人をあげようと思ったの」 「そう」 亜由美はゆっくり立ち上がった。 「逃げる気!」 「私よりも逃げなければいけないのは敦美さんよ」 「どういうこと?」 「説明してる暇はないわ。とにかくあなたは事件を見落としてるわ 」 「私の推理が間違ってるの?」 「違うわ。ここへ一人で来ること自体、間違ってるの。知らなけれ ばよかったのに」 亜由美は悲しそうな声で言った。 「そうまで言うなら警察に知らせる」 敦美はベンチから立ち上がった。その時、敦美の背後にうごめく 人影があった。 「先生、止めて!」 亜由美が叫んだ。 「先生?……うっ」 とたんに敦美は後ろから口元にガーゼを押し付けられた。 敦美はもがくがすぐにつーんとする強い臭いに気を失ってしまっ た。 5 第2の被害者 「ねえ、大変、大変。美佳のお姉さんが車にはねられたの」 翌朝、学校に登校して、廊下で美枝子と顔を会わすなり、由加が 言った。 「それどころじゃないわ。うちのクラスでまた人が殺されたわ」 「本当に」 由加が大きな声で言った。「いったい誰が?」 「聞いて驚かないで」 「うん」 「敦美よ」 「うそぉ、やだぁ」 由加が驚きのあまり口を覆った。 「しかもそれだけじゃないの。殺されたのが昨日の規子と全く同じ 。第一発見者も吉野さんよ」 「ふえぇ、じゃあ連続殺人事件じゃない」 「そうよ。もうクラスでは大騒ぎ。いったい私達のクラス、どうな っちゃうのかしら」 「きっとアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』みたい に最後は一人になっちゃうんじゃない」 「ちょっとバカ言わないでよ」 「そうするとまだ現場検証なんかやってるの?」 「見に行ってみる?」 「やめとく。だって涙が出てきちゃうもん」 「そうよね。つい昨日まで喫茶店で話してたんだからね」 美枝子が思い出すように言った。 「敦美、将来は探偵になるんだって張り切ってたのに。かわいそう 。もうフルーツパフェも食べられないのね」 由加が急にしくしくと泣き出す。 「ちょっと泣くことないでしょ。私だって涙を抑えてるのよ」 美枝子もつられてほろりと涙を流してしまう。 「でも相川先生もかわいそう。責任とらされるのかしら」 「さあ。だけど二日で自分の二人の生徒を失ったんだから、責任感 じて自分で辞職するんじゃないかしら。相川先生、意外とそんなタ イプだから」 「いやっ!そんなの。相川先生が辞めたら、私も学校辞める」 「辞めてどうするの」 「先生のお嫁さんになる」 由加は真顔で言った。 「まあ、何にでもなりなさい。ほら、噂をすれば」 ちょうど廊下の向こう側から由加たちに向かって相川先生が歩い てくる。なかなか長身で体格のガッチリしたスポーツマンタイプの 先生である。性格は明るいとは言えないが、自分の意見をしっかり 持ち、誰とでも間を隔てずに話せる実直な男で、生徒からの支持も 厚い。年は二十五くらいということである。 「先生、おはようございます」 二人が元気に挨拶すると 「おはよう」 と相川も挨拶する。しかし、今日はどこか元気がない。 「やっぱり気にしてるんですか。佐久間さんや早川さんのこと」 由加が心配そうに尋ねた。 「うん、大事な生徒だからな。あんなかわいい子たちが殺されるな んて……僕には信じられない。もう気が狂いそうだ」 「先生、元気だして下さい。悲しんでるのは先生だけじゃありませ ん。みんなだって悲しんでるんです」 「そうだったな。僕が元気ださなきゃ、みんなまで落ち込んでしま うからな」 「そうですよ」 「ようし、一つみんなを元気づけてやろう。そして、今後は命をか けてでも生徒達を守ってやるぞ。さあ、おまえたちも教室に入れ」 相川はそういって威勢よく教室に入っていった。 「単純ね」 と美枝子が言うと 「あら、純情なの」 と言い返した。 「そういえば、美佳がどうかしたの?さっき言ってたけど」 「うん、美佳のお姉さん、重体なの。美佳、落ち込んでないといい けどな」 由加は心配そうに手を合わせた。 6 手術 時計はもう午前四時を回っていた。 手術室の前の長椅子に腰掛け、美佳はずっと待ち続けていた。す でに姉の手術が始まってから五時間が経っている。 居眠り運転の事故による被害者は美佳自身も詳しいことは知らさ れていないが、かなりでていることはわかっていた。その中の一人 、律子の友人の戸田恵津子は即死している。 手術室の赤いランプ が消えた。美佳は思わず立ち上がる。 手術室のドアが静かに開くと、ベッドに寝ている律子が看護婦達 によって運ばれて、美佳の横を通り過ぎる。 「姉貴」 美佳は心配そうにつぶやく。 手術室から今度は医師達が出てきた。美佳はすくさま、駆け寄る と 「先生、どうなんですか」 と尋ねた。 医師の一人は難しい顔をして 「命は取り留めましたが……」 と言った。 「本当ですか」 美佳の目が輝く。 「しかし、意識が回復するかが問題です。今夜が峠ですね」 「もし今夜、回復しなかったら?」 美佳の問い掛けに医師は黙り込んだ。 「そんな、うそよ」 美佳はよろよろとして長椅子に座り込む。 そんな時、恋人の北条が駆けつけてくる。 「美佳、律子さんの容態は?」 「意識がまだ戻らないの」 美佳は泣きだしそうな声でしゃべっていた。 「でも命は助かったんだね」 「うん」 「だったら気を取り直して、律子さんが回復することを祈ろうよ。 僕も一緒についててやるよ」 北条は美佳の肩を軽く叩いた。 「ありがとう。隆司って優しいのね」 美佳は北条の胸に飛び込んで、静かに泣いた。 廊下の窓から赤い光が差し込んだ。もう夜は明けようとしている のである。 7 犯人現わる 放課後の教室、由加は日直のため、最後まで残っていた。 「さて帰ろ」 帰り自宅をした由加は椅子から立ち上がり、教室の戸締りをした 。そして、教室から出て、戸の鍵を閉めようとした時、窓の外で亜 由美が何か袋を持って、いそいそと焼却炉の方へ歩いていくのを見 かけた。 由加は敦美が吉野亜由美が犯人だといっていたのを思い出し、鞄 をもって素早く階段を降りると、すぐに焼却炉に向かった。 焼却炉に着いたとき、亜由美は扉を開けて、何かを焼却炉の中に ほおりこんでいるところだった。 由加は近くの木に身を隠し、その様子を見ていた。亜由美は由加 が見ているのも知らず、そのまま焼却炉を去っていく。 由加はすぐ焼却炉をのぞき込んだ。ところが扉を開けた途端、激 しい火の粉が飛び、由加は思わず悲鳴を上げる。 これでは何を捨てたのか分からないわ、と由加は思った。 すぐに由加はもとの道を引き返し、亜由美を追った。そして、角 を曲がった時だった。由加は慌てて飛び出しそうになるのを抑えて 、身を隠す。 そこには亜由美と話している相川の姿があった。 由加は聞き耳を立てて、二人の会話を聞いた。 「あれは捨ててきたか」 「はい」 「それならいい。このことは警察にしゃべるんじゃないぞ」 「はい……」 相川はすぐ亜由美と別れようとするが、亜由美はすぐ相川の服を 掴む。 「先生、私、もう耐えられません!」 「いきなり何を言い出すんだ」 「だって何の罪もない佐久間さんや早川さんを殺してしまったんで すよ」 「仕方のないことだ。あいつらは騒ぎすぎだ」 「先生にとってはそうかも知れません。でも、私には関係ないでは ないですか。もう私、事件に巻き込まれるのはいや!」 亜由美がそう言うと、相川は突然、亜由美を殴った。由加は自分 にその痛みが携わったかのように顔を覆う。 「馬鹿言うな。今となっては、おまえも共犯だ」 「先生、ひどい。私はただ……先生が好きだから、先生も私を愛し てくれてると言ったから、手伝ったのに」 「うるさい。もうおまえは俺の言うなりになるしかないんだ。一度 、犯罪に荷担した以上、俺からは逃げられないぞ」 相川が強い口調で言うと、亜由美はがっくりと肩を落とした。そ こにはもはや誠実な教師という姿は見られなかった。 「先生が犯人だったなんて……」 隠れて聞いていた由加は淡い恋心をことごとく砕かれ、闇のどん ぞこに突き落とされた気分だった。 力を失った由加の手から鞄がバサッと音を立てて落ちた。相川が 振り向いた。 その時、由加の目と相川の目が合った。 「上田……」 相川の目が狂気の色に変わるのが分かった。 「ゆるせない!規子も敦美も先生が殺したのね」 「待ってくれ、君は誤解してる」 そう優しい言葉をかけつつも、ゆっくりと由加に近付いていく。 由加はしゃがんで、鞄を持ち、中から、金色に光る銃を取り出し た。そして、相川に向けてかまえる。 「来ないで!来たら撃つわ」 由加が声を震わせて言った。この銃は昨夜、興味半分に美佳の部 屋から盗んでしまったのだが、今日になって気がとがめ、美佳に返 すつもりで持ってきたのだった。 しかし、相川はゆっくりゆっくりと近付いていく。 「本物なんだからね……」 由加は銃をかまえつつも後ずさりしていた。 「そんなもので脅しても無駄さ。さあ、こっちへ来るんだ」 由加が空威張りしているだけだと思って、相川はどんどん差を縮 める。もう二メートルほどしかなかった。 その時、由加の構える黄金銃の銃口が仄かに光り始めた。 「さあ、おとなしくしろ」 相川が飛びかかった。 「やめて!」 由加は思わずひき金に力を込めた。 グォーン−− 黄金銃が火を吹いた。 「うごおっ!」 光線のような弾道を残して、弾丸が相川は胸を打ち抜いた。相川 は後ろに数メートル飛ばされて、倒れた。 ひゅう−− 風が地の砂をさらった。 「わ、わたし……」 由加は静かに銃を下ろし、茫然と倒れた相川を見ていた。 相川は既にぴくりとも動かなくなっていた。 「上田さん……」 亜由美も由加が相川を射殺したことがまだ実感としてわいてこな かった。 「殺しちゃった……殺しちゃった」 由加はうわごとのように呟いた。 「上田さん」 亜由美は由加の傍に歩み寄り、声をかけた。 「どうしよう、わたし、先生を!!」 由加はすでに目に涙をいっぱいに浮かべながら、亜由美に興奮し た声で言った。 「落ち着いて」 「だって先生が!!」 由加は自分が人を殺したというショックに動揺していた。 「死んじゃったものはしょうがないでしょ」 「わたしが、わたしが……先生!!」 由加は倒れている相川に抱きつき、体を激しく揺り動かした。「 先生、起きてよ。死んじゃいや!」 亜由美は由加が懸命に相川を起こそうとしている姿を見ながら、 考え込んだ。 こうなったのも私のせいだわ。私が先生にさえ協力しなかったら 、規子も敦美も死ななかったし、由加だって先生を殺さずにすんだ かもしれない。そうだわ、何とかしなきゃ。 「ねえ、先生、生き返ってよ。わたし、人殺しになりたくない!! 」 由加はまだ死体となった相川の胸を叩き続けていた。 「上田さん!!もうやめて。先生は死んだのよ」 亜由美は強い口調で言った。 「うそよ、だってさっきまで……吉野さん、救急車、呼んで」 由加は涙顔で亜由美に訴えた。 「無駄だわ」 亜由美は静かに言った。 「そんなぁ」 由加はがっくりきたように相川の胸に顔を埋めた。彼女の興奮状 態では、相川の胸から吹き出る血など全く気にならなかった。 「始末するのよ」 「え?」 由加は顔を上げた。 「運のいい事に誰も見てないわ。急いで焼却炉に死体を入れるの」 「できないよ、そんなこと」 「やるしかないわ。でないと上田さん、人殺しになるのよ」 亜由美の「人殺し」という言葉が由加の心に深く突き刺さった。 由加は相川の死体から離れると、じっと亜由美を見つめた。 「私が右手を持つから、上田さんは左手を持って。焼却炉まで引っ 張りましょ」 亜由美の言葉に逆らうことはなく、由加は黙って、死体の左手を 持った。 それから亜由美と由加で相川の死体を焼却炉まで引っ張っていく と、亜由美は焼却炉の扉を開けた。焼却炉はまだ燃焼中で開けると 、炎が飛び出してくる。 「どうやって入れるの?」 由加は不安げな目で亜由美を見た。 確かにこの炎では重い死体を入れられない。 「切るわ」 亜由美は少し考えてから、言った。 由加には返す言葉がなかった。 「そこにのこぎりがあったでしょ、持ってきて」 「切ったりなんかしたら、血が出ちゃうよ」 「洗い流せばいいわ。早く持ってきて、時間がないんだから」 亜由美の鋭い言葉に由加は慌てて、のこぎりを取りにいった。 8 ふたり 午後八時、美佳は重い足取りで自分のマンションに戻った。 病院は完全看護だから、病人の付添いは遠慮してほしいと断られ 、面会時間を少し過ぎたあたりで看護婦に追い出されてしまったの である。 ほぼ昨夜からまる一日近く寝ていないので、美佳は疲れ切ってい た。食事もほとんど口にせず、律子の手術が終わってからはずっと 律子の病室の前の長椅子に座ったままであった。 美佳は北条の優しい言葉も耳に入らず、マンションの前で北条と 別れる時でさえ「さよなら」の一言も言わなかった。 エレベーターで5階に降りると、目の前に二人の少女の姿があっ た。 「由加に……吉野さん?」 美佳は由加と亜由美という不思議な取り合わせにちょっと驚いた 。 何で二人が一緒に? 「どうしたの、いったい?」 美佳が訊くと、二人はお互いの顔を見合わせしばし黙り込んだ。 何か言い出しにくい様子だった。 「美佳、お姉さん、大丈夫だった?」 由加が口を開いた。 「ううん、一命は取り止めたけど、意識がね」 美佳は目を伏せた。 「そう……美佳、かわいそう」 由加は親指の爪を噛んで急に涙ぐむ。 「そんなことより、こんな時間に来て−−私に何か用があるんでし ょ」 「椎野さん、これを」 亜由美は鞄から黄金銃を取り出して、美佳の前に差し出した。 「それは−−」 「ごめんなさい。わたし、悪気はなかったの。ただもう少しよく見 たかったから、つい美佳が電話してる間に−−」 由加は顔を覆って、泣き出した。 「由加、私は別にそんなこと、気にしてないわ。だから、泣かない で。それより、こんなところで話すのも何だから、私の部屋に行き ましょう」 「それはできないの」 亜由美は弱々しい声で言った。 「どうして?」 「椎野さんまで巻き込みたくないの。私たちはただ椎野さんにこれ を返したかっただけ」 亜由美は黄金銃を見て、言った。 「巻き込みたくないって、何かあったの?ねえ、教えて」 「駄目」 亜由美は首を振った。 「何かあったのね。もしかして−−」 美佳はぴんときた。「その銃を使ったの?」 「美佳ぁ!!」 由加が堪らなくなって美佳に抱きついた。 「やっぱりそうなのね。由加、どういうことか説明して」 「わたし、わたし、相川先生を殺しちゃったの」 「え!?」 美佳はその言葉に亜由美の方を見ると、亜由美は決心したように 言った。 「その銃で上田さん、相川先生を射殺してしまったんです」 9 看護婦 病院の廊下を一人の看護婦が歩いてくる。 カツーン、カツーン、カツーン−− 夜の回廊は看護婦の靴音をいっそう反響させる。 冷え切った廊下には、彼女以外の人影はなかった。 青白い非常灯だけが、かろうじて彼女の白衣姿を映し出している 。 看護婦は書類のようなものを左手に抱え、廊下の右側を歩いてい る。 集中治療室のプレートのある病室に差し掛かった時、看護婦は足 を止めた。 ドアには面会謝絶という札が掛かっている。 看護婦は資料を見た。 −−ここだわ。 看護婦の口許が一瞬、笑ったように見えた。 看護婦はポケットから鍵を取り出し、それを使ってドアを開けた 。 看護婦は廊下の左右を一度見回すと、素早く部屋の中に入った。 病室内は常夜灯だけがついている。窓はない。ピッ、ピッという 心電図の音が聞こえる。 カーテンの向こう側にベッドで眠っている人の影が見える。 看護婦はカーテンを引いた。そこには頭に包帯を巻き、酸素マス クを口と鼻にあてられて眠っている椎野律子の姿があった。 看護婦は資料を床に置くと、ポケットからナイフを取り出した。 それは先の鋭い銀色のナイフだった。 看護婦はナイフを持ち替えて刃を下にした。 //おまえに恨みはない。せいぜい地獄で自分がファレイヌの所 有者になったことは呪うがいい。 看護婦はナイフをしっかり握り、律子の心臓に向けて一気に振り 下ろした。 つづく